まだ、立てる
だから俺は大丈夫。大丈夫だ

















【 第6章 / 中等部3年・春 / 遺恨 】










 中等部三年になった、春。

 俺はやっぱり、ひとりだった。一瞬だけ、そうほんのひとときだけ交じり合ったイザークと俺の歩く途は、やはりそこでふたたび別れてしまったわけだけれど。
 俺は別に寂しくはなかった。哀しくもなかった。そんな感情は湧き起こることなく、俺は不思議と穏やかな気持ちだった。

 だって俺は熱をもらった。

 今でも微かに交わされるイザークとの挨拶だとか、遠目から見るイザークの笑顔(多分他のひとには笑っているということさえ判らないだろうけれど)だとか、それさえも無意味にしてしまうほどの熱を。他になにもなくても生きていけるほどの熱を、もらったから。俺はもう、平気だった。
 母さんの告別式が終わって、もう平気だと云って微笑った俺にそれでも差し出された手を、恋しく思わないわけではない。
 けれど今度その手を振り切ったのは、他でも無い、俺自身だ。
 イザークが一度振り切った俺へふたたび手を差し伸べたとき、何を思っていたのかは知れない。単なる同情だったかも知れない。若しくは、贖罪のつもりだったのかも知れない。
 別にそれでも良かったし、惨めだと思ったわけでもなんでもないけれど、俺は俺の決意のために、その手を振り切った。―――そう今度こそ、裏切ったのは俺だった。
 あの手を取っていたら、と思うことはもちろんある。あるけれど、どうせ、結末なんて変わらないんだからきっとこれで良かったのだ。
 俺はすこしイザークの良心を傷つけたかも知れないけれど、もうイザークにも俺にも喪うものなどなにもなかったのだから、だれも哀しむようなことは無いはずだ。イザークには俺の存在が無くても、彼が自ら得た温かい存在が既に周囲にあったのだし、俺にはもともとなにも無かった。
 だから、哀しむような必要は、どこにも無い。どこにも無いんだ。


「……―――莫迦か、俺は……」


 俺には熱がある。
 イザークからもらった、ほかに掛け替えの無い熱が。
 だから大丈夫だと、誓ったはずだ。はずなのに。

 なのに刻が進むにつれ軋んで行くこの心を、一体、どうすれば良い?
 どうすれば、あの手の温かさを、記憶に昇華することができる?










 孤独を受け入れて、傷を押さえつけて、血なんて流れていないように振る舞って。
 俺はそうして生きて行くことを選んだ。
 だから、あんなに欲しかったはずのあの手を、拒んだ。総ては、彼に傷ついて欲しくなかったからだ。
 なのに俺は、あのとき冷たい表情でならいいんだと吐き捨てた彼の表情を映したこの目でいつも彼の姿を追っているし、もう大丈夫だよと云ったはずの唇は彼の名前を象ろうとするし、自分で傷つけたはずの彼の態度に傷ついたりする。


「莫迦だ、俺は……」


 大丈夫だと何度この心に云い聞かせても、結局、イザークの存在を求めているし、これで良いんだと何度云い聞かせても、あの日の選択を悔やんでいる。
 俺はどうしようもない莫迦だ。欲しいものを欲しいと素直に云えないまま、その欲しいものはとうに遠いところへ去ってしまった。寂しくて哀しくて仕方ないのに大丈夫と云って笑って、彼を近くに感じられる場所で、彼に気付かれないようにひっそりと生きるんだ。
 本当に、大莫迦だ。
 ああ、でも―――

 欲しいのだと、それでも側に居たいのだと云ったところで、どうなる?


 その先にある答えを、俺はもう知ってしまっているから、やっぱり俺は遠くから見つめる彼の倖せな姿に安堵して、孤独にひたり、生きるしかないんだ。