俺を生かすもの、それは、
麗かな想い出の中の陽射しか、それとも灼熱の業火か






















「ごちそうさまでした! あー、美味かった!」
「それは良かった」
「お前、こんなの毎日食べてたんだろ? なら、舌も肥えるよな」
「何の話……」
「いや、だから今あんまり食べる気しないのかなーと」
「……関係無いけど」


 もらったヨーグルトを必死で押し込みながら、横でうーん、と伸びをするカガリを見遣る。どうもカガリは俺を保護者的な立ち位置から観察することが好きなようだ。……と云うか、今俺の周囲にはそういうタイプしか居ないような気もする。ニコルを筆頭に、そう云えばあのオルガですら、何かと云うとジュースとか奢ってくれたりするし……


「そうか? とにかく、お前ちゃんと食べろよな」
「―――判ってるよ」


 だけど仕方が無いんだ。ほんとうに、お腹が減らないし、何を見ても食欲が湧かないんだから。
 それは何の所為だろうと思って、そんなことをわざわざ考えてしまう俺自身に嫌気が差した。


「食欲が湧かないんだとしても、もう時間になったら何かを口に入れる、これを習慣にしろ!」
「……判ってるってば」


「うっわ、何ココ!」


 唐突に割り込んだ第三者の声に、俺とカガリは顔を見合わせた。カガリの説教がそこで止まってくれたのは有難いけれど―――そのまま俺が止まってしまったのは、偏に、その声の持ち主に瞬時に思い至ってしまったからだ。
 先日よりすこしだけ俺の耳に馴染んでしまったその声を判別することは、ひどく容易い。日常が崩れるのなんてこんなにあっと云う間で、そして簡単なのかと今になって実感が湧いた。
 どこか高みに神と呼ばれる支配者が存在するのだとしたら、彼(若しくは、彼女)は俺を翻弄して面白がっているにちがいない。
 俺は彼の失敗作で、けれどきっと楽しませるには丁度良い存在で、そしてもう用済みなのだ。着々と、その準備は進められている。
 この変化こそ、その準備にちがいないだろうと、思った。……それによって事態がどう変わるのか、俺には見守る術すら用意されていないにせよ。


「……キラ!?」
「え、カガリー? って、うわ、アスラン!?」
「うわ、って……」


 ガサガサと音と立てて、俺とカガリが使用する“入り口”とは真逆の方向から植え込みを掻き分けてやって来たヤマトの背後には、当然と云うか何と云うか……席替えをしたクラスで、俺の周囲を固めるメンバーが揃っていた。色とりどりな髪や瞳の色に、このひとたちが目立つのは当然の流れだろう、という考えが湧き起こる。この場で考えるにしては全く関係の無いことだけれど、そんなことを考えてでも居ないと俺は今にでも逃げ出してしまいそうな自分を抑えることができなかった。
 そんな俺の外界では、ヤマトもカガリも、似通った顔できょろきょろとお互いの顔と俺の顔を交互に見遣っている。


「アスラン、お前キラと知り合いだったか?」
「……同じクラス」
「え、ひどいよアスラン! そんな哀しい紹介の仕方はないでしょ! 友だちじゃん!」
「えっと……」


 席替えのときの遣り取りでそういうことになってしまうんですか? と、俺は今までそういう友人のつくり方をしたことがないので(と云うか友人すら居ないわけだが)首を傾げてしまった。
 ヤマトは些か憮然としたようだが、すぐに俺から顔を逸らし、カガリの方を向く。


「それよりカガリこそ何ー? こんなところでアスランとふたりで怪しい〜ってかずるい!」
「ずるいって、お前なぁ……」
「それにアスランだって、僕と一緒にゴハン食べようって云ったのに。こんなところに居たんだね」


 ヤマトが拗ねるような表情で俺を詰る様子が、客観的に見ればひどく可愛らしいものであったので、俺は拍子抜けした。その背後に佇むイザークの姿がどうしても俺の心を乱すのだけれど、俺の頭と心はほんとうに疲れてしまったのか、ヤマトを見る目が俺の中で二極化していることを自覚した。要はイザークを絡めて見たヤマトと、全く関係無くクラスメイトとして見るヤマトと。後者のヤマトは確かに魅力的だ、とは思った。思ったけれど、既に冷え切った心に何かを訴えかけるまでにはいかず、俺はそんな自分の気持ちを持て余しながら、嘗てカガリが片割れだ、と寂しそうに呟いた関係を傍から見遣ることに専念した。
 両親が離婚するまでいつも一緒に過ごした、というカガリの言葉に、俺とイザークの関係に似ているのかと思ったけれど、実際目の前にしてみるとどうも違うようだった。
 これが、絶対的な血の繋がりというものかと、思う。
 例え心から憎んだとて、物理的に遠く離れたとて、切れることのない繋がり。
 ふと、イザークと俺の間に、最後の砦としてそれさえあったならば俺は救われただろうか、と思った。必ず血という繋がりが俺という存在をイザークに縫いとめてくれていたら、俺は救われただろうか。


「ああ、悪い……」
「良いけどさー、別にー」
「感じわるいぞ、キラ」
「だってカガリ! アスランとふたりでゴハン食べるくらい仲良いなら、僕に紹介してくれたって!」


 イザークと云いディアッカと云い、皆して僕とアスランの仲を引き裂くんだからーなどとヤマトは嘯いている。俺はそんなヤマトに苦笑を漏らし、その流れで何となく背後に居るイザークを見遣る。……何だか難しい顔をしているな、と思った。けれどそれが何を云っているのか、俺の中に在る予測だけではっきりとは判らなかったし、判りたくもなかった。
 イザークもディアッカも、ヤマトから動き出さなければ、例え席がちかくなっても俺を輪に入れるだなんてことはしなかっただろう。


「良いだろ、お前はクラス一緒なんだから!」
「そうだけどさー。これから交流を深めるから良いんだけどさー」


 ね! と云いながら、ヤマトは俺の横に腰を下ろし肩を組むように手を回した。嫌悪と戸惑いは、戸惑いの方が勝ったようで、俺は困惑しながらぎょっとするほど近くにあるヤマトの顔を見遣る。と云うより、寧ろあまり嫌悪といったような気持ちは湧かなかったのだが。それを不思議がる暇も無く、事態は進む。


「ヤ、ヤマトく……」
「ちっがーう!」
「え……」
「さっき云ったばっかじゃん! 僕はキラ! はい、云ってみて」
「キ、キラ……」
「うん。ちなみに目の前のこのコは?」
「は? カガリ?」
「えー、カガリはカガリなんだ。ちなみにこのオレンジは?」
「え、っと」
「え!? まさかアスラン覚えてないの俺のこと!?」


 つかオレンジってキラ! と喚く人物は、そりゃイザークの周囲にずっと居たから知ってるに決まっているけど。そう云えばその名を口にするのは初めてだ、と俺は妙に感慨深く思った。


「い、いや覚えてる。マッケン」
「はい、ストーップ」


 にこにこしながら、俺の言葉の先を封じる。けれどその笑顔には妙な迫力が在った。その表情が意味するところは判る。判るけれどその理由までには全く思い至らないので、俺は益々戸惑った。


「……ラスティ」
「ん、良くできました。じゃあ、この金髪」
「……ミゲル」
「おおおおおー」


 何故か呼ばれたミゲルがガッツポーズをしている。疑問に首を傾げる横で、ヤマ……キラが、俺に軽く抱きつきながらそりゃ当然だよねーとにこにこしていた。


「……アホか」
「そりゃイザークは元から知り合いみたいで、ナチュラルに名前を呼び合う仲ですから良いんでしょうけれどー。僕らからしたらねぇ、あのアスランに名前で呼ばれるってねぇ」
「俺、今紅のネクタイ貰ったときより嬉しいんですけど!」
「そりゃ俺に対する厭味か」


 ミゲルがラスティを叩いた。そんなふうに友人同士軽口を叩き合う、遠くから見ていただけの光景が今目の前で繰り広げられていることがとても不思議で―――俺はすこし、眩暈が、した。


「――ところで、カガリ」
「な、何だよ……」
「そんなアスランと、どうしてカガリは仲が宜しいのかなーと思って」


 今まで蚊帳の外にされていたカガリが唐突にキラに話題を振られ、少々怯んだ様子でえっと、と目を泳がせた。


「……ココ、裏庭だろ?」
「え、うん。何かてきとーに突き進んでたらココにたどり着いたから良く判んないけど」
「そうなんだよ! ……で、私が以前遅刻しそうになったときに、正門には風紀委員がたまってたから何とか逃れようとそこのブロック飛び越えようとして、」
「カガリ、君は女の子だよね……?」


 憐れむようなキラの視線に、カガリがうるさい! と喚いている。俺は、そんなふたりを口を開く順に見遣っていた。


「……でも慌ててたから足踏み外して。そしたらちょうどアスランがココに居て、受け止めてくれたんだ」


 それから何となく、こんなところあったんだ、昼寝に丁度良いなと思って来る度に顔を合わせるようになって、とカガリが身振り手振り添えながら説明している。そこには何の脚色も不足もなかったので、俺も黙ったままカガリの説明を聞いていた。
 キラはひととおりの説明を聞き終えて、はー、と呆れとも感心ともつかぬため息を零した。


「……何ソレ、何処の少女漫画?」
「ウルサイッ!」
「や、でもソレはアスランカッコ良いな」
「アスランは何でこんなとこに居たの?」


 矢継ぎ早に俺に質問をするラスティやミゲルと一緒に首を傾げ、上目遣いで尋ねるキラは、確かにイザークの興味を惹きそうだ、と思いながら、俺は知らず微笑んだ。キラは何だかべたべた触ってくるし、静かだったこの場所は一気に眩さと喧騒に満ちてしまい―――何だかどうでも良い、気にするだけ馬鹿らしい、と思ってしまったのが本音だ。
 建前だとか猫被りだとか、そういうものとも違う、けれどほんものというわけでもない笑みが自然と零れる。


「―――ここは、俺の隠れ家だから」
「え……」


 キラは俺のその微笑をどう思ったのか、ぴしり固まった。
 それに疑問を抱く間も無く、カガリが俺を励ますように付け加える。


「そうそう! 折角昼寝場所に丁度良かったのに……キラに見つかっちゃったから台無しだ」
「カガリ、それどういう意味?」
「い、いや、その……」


 何だかこのふたごは仲が良いのか悪いのか判らない。でも何となく怯んでいる様子のカガリが可哀想になってしまったので、俺はその後をどうしようかと思いながらも、結局助け舟を出してしまった。


「カガリ」
「な、何だアスラン?」
「……お前、この後体育じゃないのか?」
「え? あ、そうだ! つーか何で知ってるんだお前?」
「……オルガがそんなことを云ってたから」
「ふうん? あ、と、それより着替えて準備しないとだ! じゃ、私はこれで!」
「ああ」
「あ、そうだアスラン! ごちそうさま! 美味かったって、伝えといてくれよ!」
「―――了解」


 慌てるカガリに、ふ、と笑みを零し見送る。いつものことでもあるので俺は特に気にしなかったのだが、キラたちは呆気に取られているようだった。


「我が姉ながら……もーちょっと、女の子らしくなれないものかと思うよ」
「キラ、お前が教えてやれよ」
「もー手遅れ。卒業式なんかさ、女の子の後輩にばっかり囲まれてるんだよ」
「羨ましいじゃん。人気あることには変わらないんだし」
「弟としては、少々複雑」


 クラスメイトとは云え、慣れないメンバーの中に取り残されてしまった俺は些かの居心地の悪さを感じながら、なるべく邪魔にならないようにしようと押し黙っていた。


「……あれ、そういやアスラン、僕とカガリの関係もしかして知ってた?」


 特に驚いてないよね、とキラは苦笑しながら問い掛けた。


「え? ああ、カガリが前に云ってたから……」
「ふうん……随分、仲良いんだね」
「まあ、俺友人なんてニコルとカガリくらいのもんだし……」
「だった、ね」
「は?」
「だから、過去形。今は僕らも友だち」
「え……」
「……そこで驚かないでくれる? いくら僕でも虚しくなるから」


 胸を押さえて演技臭く云うキラに、しかし、何と云って良いのか判らずに固まる。だが、普通にクラスメイトとして接するとすると、きっとここで何かを云わなくてはならないんだろう。
 ……何か。謝罪で良いのか、感謝を述べるべきか、もうそこからして判らない。


「気にするな。コイツはいつでもこうだ」
「うるさいよイザーク」


 助言のつもりなのかなんなのか、それまであまり口を開かなかったイザークの科白についつい癖で反応してしまった。これが自然なのだから後悔するわけではなかったが、キラの前でこれは失敗だったかな、とすこしだけ思った。イザークはそんな俺の感情の機微には頓着しない。ついでに云えば、周囲の空気も全く気にせずに、俺を相変わらずの鋭い視線で射抜いていた。


「それよりお前、ちゃんと昼は食べたのか?」
「え、ああ。まあ、何とか」
「何とかって、お前な……」
「カガリに手伝ってもらったから、どれくらい食べたのか良く判らない。けどいつもよりは食べた、と、思う」
「なら良いが……。今日は弁当か?」
「うん。婆やが張り切りすぎて、すごい量で」
「自業自得だな。……薬は?」
「まだ」
「忘れないうちに早く飲め」
「判ってるよ」


 キラの方に隠れてしまったミネラルウォーターのペットボトルを探そうと視線を巡らすと、ぽかんとしている一同と目が合った。


「え……?」
「あのー……つかぬことをお伺いしますが……」
「はい?」


 目を丸くしているキラと、ラスティと、ミゲルと。ディアッカだけは普通だったが、それでも視線の方向はイザークに据えられていたから、まあ、意外、くらいには思ってるんだろう。恐る恐る畏まって尋ねてくるラスティに合わせて、俺もぴし、と佇まいを直してみた。


「アスランとイザークって、結構前から仲良かったの?」
「え?」
「……幼馴染だが」
「「「えええええ!?」」」


 質問の意味を量りかねた俺を見かねて、ぼそりと呟かれたイザークの言葉に、三人分の驚きの絶叫が木霊した。


「そ、そんなに驚かなくても……」
「だ、だってだって! ふたりとも、今までそんな素振りちっとも……!」
「え、そう? 普通だった、と、思うけど……」
「いやいやいや、幼馴染つったらさぁ?」
「もっとこう、なぁ?」
「うんうん」


 三人が云いたいことは何となく察しがついた。自然を装っていたこと自体が不自然で、そして今こうしていることがそれ以上に奇妙なことだということは、他の誰でも無い、俺が良く知っている。けれどイザークはもう口を開く気配は見せなかった。
 頷きあう三人と、不可解な顔をするディアッカと、黙り込んで俺がちゃんと薬を飲むのを監視しているイザークを、何処か遠くから見遣りながら、ミネラルウォーターでこくん、と喉を潤した。薬はまだ手の中にある。ただ、何かを喋りたいわけではないのに、喉が渇きすぎて窒息しそうだったから、俺は間を持たせるためにそうした。イザークの視線に耐え兼ねて無理矢理器官を通した錠剤が、更に俺を息苦しくさせる。

 イザークが何も云わない以上、俺も何かを云うべきでは無い。

 三人の間では幼馴染という関係についてや、彼ら自身の幼馴染の話が始まっていたが、俺には語れるものなど何ひとつとして無かった。
 幼馴染なんて、そんなもの、単に家が近いという理由で仲良くなっただけの友人に過ぎない。友人と云うカテゴリーの中で、幼い頃を知っている人物を幼馴染と名付けるというだけに過ぎない。
 俺がイザークに抱くこの想いなど、一般に云う幼馴染というものを語るのには不必要なものだ。
 だから俺に触れて、そして呆気無く掠めていったあの熱も、邪魔なものでしかない。そう総ては、俺の望む幻想でしか無い。けれど俺の中、確かにそれが息づいているのだから始末に負えない。
 俺はとても浅はかで、そして浅ましかったのだと、今なら思える。
 それでも俺はもう総てを喪い、けれどたったひとつ俺にのこされたものを繋ぎ止めようと願って―――若しくは、祈って。其れに、手を伸ばしてしまったのだ。
 それは禁忌だったのに。決して、それだけはしてはいけなかったのに。
 それでも俺は、たったひとつの可能性に縋った。
 それは滑稽で、愚かしくて、とても可笑しい、……可笑しいだろう。
 だからその結果、あっさり散ったとしても、誰を恨むべきことでもない。……そう、過去の、俺自身すら。だって俺は今でもその熱に生かされているのだから。

 あの、手の触れた箇所の優しさと熱を。
 今でもまだ、焦がれるほどに、想っている。
 けれどどれだけ手を伸ばしても、今更何にも届きはしない。届きは、しない。