望みとは裏腹に、光は俺を取り巻く
あたたかいと感じていたはずのそれは今、俺を灼きつくす業火でしかない

















【 第5章 / 高等部2年・春 / 変調 】










 閉じた瞼の上で、光が煌めいた。
 その正体を、ゆるり覚醒してゆく意識の中、記憶を引き出しながらぼんやりと探す。陽射しの所為で、鈍い明かりの瞼の裏側に浮かぶ人物は、そう多くはない。オレンジに透く光と、さんざめく新緑の色が、清々しい空気の中に混ざり合い溶け合って、こんな俺へもその硝子の煌めきのような欠片を分け与えてくれる。外界と視界とを断絶する瞼を押し上げた、その先に立つであろう人物の、悪戯めいた表情を思い浮かべながら、俺はそっとその名を唇へ乗せた。


「……カガリ?」
「何だ、判ったか」


 目を開けながら、光の煌めいた方向を向き、其方から想像通りの落胆した声が返ってきたことに笑みを零す。


「驚かそうとでも思ったのか?」
「気持ちよさそうに寝てたから、迷ってたところだ。静かにしてたのに、何でバレたんだ?」
「んー……気配?」
「何者だよお前」


 俺が寄りかかっていた木よりひとつ向こうの木陰に佇むカガリは、目一杯訝しげな視線を寄越して見せた。


「嘘だよ。その、髪がね。キラリと一瞬光ったから」


 煙るような眩い金髪で俺にその存在を訴えかける知り合いなど、彼女以外には今のところ見当たらない。


「……ああ、コレか」


 カガリは厭そうに自分の前髪を一房掴み、眉を寄せている。


「相変わらず嫌いなんだな」
「これで真っ直ぐだったなら、良かったかも知れないけどな」
「俺は好きだよ、その色。明るくて綺麗じゃないか」


 癖があるのも可愛いし、嫌いだなんて勿体無い。そう呟いた声に、カガリは数秒固まって、その後に重いため息を吐いた。


「お前なぁ……そうホイホイそんな台詞を吐くなよ!」
「え? 何が?」
「……もう、良い……」


 カガリは疲れたようにその肩をため息と共に落とした。一体何に呆れているんだろうと首を傾げる傍らで、ああそう云えば彼女と初めて会ったのも此処だったけな、と思い僅かな感傷に浸る。
 あまり人の近づかない裏庭。
 別に立ち入り禁止というわけではなく、単に判りにくい入り組んだ場所にあるがために生徒に忘れ去られ、ひっそりと存在する朽ち果てた楽園。俺は人の居ないところをひたすら探し求めこの場所を見つけたわけだが、彼女が此処を見つけ出した目的は俺とはちょっと違った。


「また昼寝か?」
「お前、人を何だと思ってるんだよ!」
「いや、だって基本的に賑やかな場所が好きなカガリが此処に来るのって、それくらいしかないだろ?」
「そ、それはそうだけど……じゃなくて! わたしはお前を探していたんだ!」
「―――俺?」
「そう」
「何か用でも?」
「用って云うか……さっき、音楽棟での授業から帰る途中でニコルに会ってさ」
「ああ……」


 何となく……というより、ばっちり予想はできた。そしてその予想は寸分無くカガリの用事とやらと違わないことだろう。


「大丈夫、ちゃんと食べたよ」
「……ホントか?」
「ああ」


 ニコルはそのピアノの腕を買われ、吹奏楽部や合唱部からしょっちゅうピアノ演奏を頼まれている。教師から頼まれて、学校行事での校歌なんかの伴奏をすることも屡々だ。ニコル自身は外部でレッスンを受けているから部活の類には入っていないのだが、断れない謙虚な性格と、勉強にもなるから、という向上心が災いして俺とは対照的にかなり忙しい学園生活を送っている。最近は春の定期演奏会とやらに向けて、吹奏楽部の昼練に付き合わされているようだった。
 ニコルは昼練のため音楽棟へと向かう前に、必ず俺に謝り、そして勧告してゆく。今日はお昼をご一緒できないんです、すみません。だけどアスランはちゃんと食べてくださいね、絶対ですよ―――


「お前、ニコルの好意を無下にするなよ。カロリーメイトなんかは却下だからな」
「まさか、そんなので済ませるはずないだろ」
「……何とかゼリーとかでも、ないんだろうな」
「……そんなに俺は信用無いか?」
「無いな。寸分も」


 険しい顔をなかなか崩さないカガリに、ため息を吐いた。カガリを差し向けるとは、ニコルもなかなか上手い手を回してくれる。


「俺のことばっかり云ってるけど、カガリはもう食べたのか?」
「いや、まだ。どうせアスランは静かなとこで時間潰してて、昼も食べてないんだろうと思ったから先に購買行ってきた」
「へぇ」


 気の無い俺の返事に、カガリはまた肩を落としたようだった。更に呆れたといわんばかりに頭を抱える。


「お前、ニコルが昼練ってことはひとりだろ?」
「そうだな」
「で、お前が教室の騒がしい中で食べるわけないよな」
「そうだな」
「じゃあ、何でゴミが無いんだ?」
「……」
「もう一回聞く。ちゃんと昼、食べたのか?」
「―――叶わないな」


 ぼそり、呟いた声をカガリはしかと聞きとめたようで、取っていた距離を詰めて俺へ立ち向かってきた。


「やっぱりか!」
「……食べようとは、したよ」
「その厭味みたいに無駄に長い足の横に何か食べ物が置いてあったなら、その努力を認めてやっても良いんだけどな」


 びし、と指をさすカガリの表情が、ひどく真剣なものであったので俺は思わず苦笑した。


「カガリも云うようになったな」
「誰の所為だ!」
「お前にこの役を頼んだニコルだろうな」
「屁理屈は良い!」


 カガリはぼすん、と今まで手にしていたビニール袋を投げた。持ち前の反射神経の良さで(発揮する機会は無いが、運動神経はもともと良いのだ)それを受け止めた俺は、その中身を確認して、げんなりとした。


「……思春期の女子が、どれだけ食べるんだお前……」
「ほっとけ! 思春期と同時に成長期なんだよ!」


 それより! と一度は投げ捨てたその袋をもう一度俺から奪い返すと、その中から烏龍茶のパックとヨーグルトを取り出し、俺に渡す。


「……俺に?」
「まあどうせこんなことだろうとは思ったんだよ。でも一応一縷の望みはかけて、パンは買わないでやった」
「お気遣い痛み入るよ」
「有難くない! でも、それくらいなら食べられるだろう?」
「……頑張れば」
「いや、それくらい頑張れよ……。それに、わたしはこれから食事なんだ。付き合え」
「まあ、良いけど。そう云えば、お前昼練は?」


 いつも校庭で、サッカーボールを元気良く蹴り上げる金糸を見る気がするんだけど。


「別にアレは遊んでるだけで、練習してるわけじゃないぞ? 練習は朝と放課後だけだ」
「タフだなー……」
「まあ、お前よりはな」
「あ、痛い」
「なら喰えって!」
「いや、だからほんとうに食べようとはしたんだけど……」
「何だよ?」
「―――ところでカガリ、成長期の人間がいつもパン食ってどうなんだろうとは思わないか?」
「学食だとどうしても時間かかって遊ぶ時間無くなるから厭なんだよ。仕方ないだろ」


 それより話を逸らすなとばかりに睨むカガリの視線を受け流して、俺は袋を漁るカガリの手を押し留めた。


「今日は良いのか?」
「わたしだって毎日泥まみれにもなっていられないしな。それに、お前に昼ご飯を食べさせることの方が最優先だ」
「ふーん。じゃあ、ちょっと手伝ってくれないか?」
「何……」
「いや、一応俺も昼の用意はしてあってさ」
「……うわ」


 俺が木陰に隠していた弁当箱を取り出すと、さすがのカガリも感嘆と呆れの入り混じったような声をあげた。
 ……やはりこれが、普通の反応だよなぁ、と俺はさりげなくカガリの前にその弁当箱を広げる。


「何だ、これ……」
「今日は、ちょっと。用意してくれたのは良いんだが、久々だから張り切ったらしくって」
「あれ、お前ひとり暮らしじゃ……」
「ああ、ちょっとこの週末実家に帰ってて」
「成程」


 俺と話すために顔を上げていたカガリは、再び下に視線を落とす。そこには、成長期の高校生男子だって食べきれるのかというほどの大量且つ豪勢極まりないお弁当が俺の手によって広げられていた。もうお弁当じゃなく、重箱だ。ただし電車通学の俺に負担のかからないよう、そんなに大きな弁当箱じゃないのにこれだけ詰められているのは、さすがベテランのザラ家のメイド、とでも云っておこうか。


「今日三、四限体育だったからさ。どうせニコルが昼練あるの判ってたし、保健室で先に食べちゃおうかと思ったら、これだから一気に食欲を無くして」
「いや、それはまあ……判らないでも無いけど」
「カガリが手伝ってくれるなら俺もすこしは食べる……ようにする。折角つくってくれたもの無駄にするのも気がひけるしな」
「まあ、そういうことなら良いけど……」
「そのパンは部活のときにでも食べるようにしてさ?」
「判った。量はすごいけど、美味しそうなことには変わりないしな」
「良かった。箸もいくつか入ってるんだ」
「……用意良いな」
「全くだよな。カガリが来てくれて良かった。ニコルはいつも手づくり弁当持参だから、ほんとうにもうどうしようかと」
「保健医は?」
「それこそ、愛妻弁当。この中身に絶句する俺の目の前で、テレビや漫画でしか見たことのないハートマークに飾られたご飯を見せてくれたよ」
「……ああ、それでお前余計食べる気失せただろ」
「うん」


 その保健医はそんな俺に笑いながら、ハートを欠片も遺すことなく平らげていたけれど。


「だろうな……あ、美味い!」
「うん、味はどれも俺が保証する」


 カガリがこうやって美味しそうに食べてくれるなら、きっと、婆やの想いも報われる……ことだろうと想いつつ、俺は小さなおかずや果物だけ口に運んだ。


「逆にわたしが得してしまったな」
「いや、俺の方が助かってるし」
「そうか? それにしてもお前、倖せものだな」
「え?」
「いかにも愛情こもってるじゃないか、このお弁当。だから、お前もちゃんと一口ずつで良いからおかず全部食べろよ」
「ああ、判ってるよ」


 カガリにもらった烏龍茶で押し込むことにはなりながらも、俺はちゃんと、一口ずつ味わって食べた。
 冷え切っていたそれらひとつひとつが、どうしてか熱を持っているような気がして、俺は飲み込むたび、喉と一緒に涙腺に力を込めた。そんなことをしなくても、絶望と共にもう泣かないと誓った俺が涙を流すことはなかっただろう。それは判っていたけれど、俺はどうしてもどうせずにはいられなかった。