滞留を望んで、俺は日々に取り残される
いつも、そう。だけど、一体何処に立ち止まっているのかは判らない






















 すぐに離れてしまった腕を、追いかけたくなってしまうのをぐっと堪える。
 内心で相当慌てている俺を、しかしイザークはつまらなさそうに一瞥して、目が合った瞬間にその眼光を鋭くさせた。


「それより、この状況は何だ」
「さ、さあ……俺も戻ってきたら、いきなり席がえ最中だって云われて、」
「フン。やっぱりアイツの独断じゃないか」
「ま、良いんじゃねーの? そろそろそんな時期だろ」


 学年が上がって、一月くらいは教師のために出席番号のままで座っている。けれどそろそろ、それを崩しても良い頃だろう。確かに最近そんな話は持ち上がっていた。それをすぐに実行できてしまうヤマトはやはり、人望も行動力も兼ね備えているのだ。内申のためだけに立候補した学級委員なんか、ヤマトの隣でくじと席見表を作成することで体裁を繕っているらしい。ちなみに、イザークなどの本当に実力のある人物は、皆が避けたがる学級委員なんかではなく生徒会に推薦されるので、学級委員は単なるお飾り程度の存在でしかない。


「そこの三人! 目悪いから前の方が良いとか希望ないよね?」
「あ、オレ授業態度悪いんで後ろの方が良いです!」


 異色の組み合わせでもあるからだろう。ヤマトの声と共に、教室中の視線が俺たちへと集中した。―――主に、見ているのは俺らしかったが。それはそうだろう。俺がニコル以外の、ましてや学院の有名人と隣並んでいるのだから。けれど、そんな空気を察知したのかどうか、ディアッカが巫山戯た様子で手を挙げた。どうして俺がディアッカがただ巫山戯ただけではないと思ったのかと云うと、ディアッカが一歩前へ進み出て、俺の姿をさり気なく隠してくれた―――ように見えたからだ。


「却下。運を天に任せなさい。平等にくじ引きにしたんだから」
「何だキラ。重要な問題だぞ?」
「はいはい。希望ないなら、くじ引きに来てね。ちなみに順番は早い者勝ち〜。じゃあ前が良いって人はもう決まりってことで、机動かしちゃお。他の人はもう引いて良いよー」


 ニコルは輪に入ってくじを引きに行ったらしい。ニコルが側に居てくれれば安心はするが、何もずっと一緒にくっついていたいと思っているわけじゃあるまいし、俺は最後で良いやと思いながら動かずにいた。


「……行かないのか?」
「ああ、俺は最後で良い」
「ま、残りものには福があるってね」


 イザークが話し掛けてきて、ディアッカが俺の言葉を受ける。何て不思議なようでいて―――そして懐かしいんだろうと思いながら、久方ぶりに俺はディアッカとまともに言葉を交わした。無理に取り繕って振舞おうとしなくても、身体は自然に対応できることが不思議だ。それにしても、本当に、今日は色々とイレギュラーなことが起こる一日だ。二人に集中する意識の向こうで、ぼんやりと思った。


「あんまり関係ない気がするけど……」
「何だとアスラン。あと夏休みまでずっと同じ席で過ごさなきゃいけないんだ。もっと必死になれ」
「そう云われても……」
「お前と違って優秀な俺たちは席の場所なんか拘らないんだよ」
「うわひっど! 俺だって成績上位十名に名を連ねているのを忘れてるだろ」


 そう云いながら、ディアッカはその証である紅いネクタイをこれ見よがしにひらひらと振ってみせた。ちなみに、通常の成績保持者は緑だ。紅いネクタイはただそれだけでステイタスの証だが、ただ定期テストで十位以内に入れば良いというわけではないので、毎年変わってくるはずのその顔ぶれは自ずと似たり寄ったりになってしまっている。実際、俺もイザークもディアッカも、初等部の頃からずっと紅を纏っていた。


「阿呆。成績のことを云っているんじゃない」
「じゃあ何よ」
「先生からの受けの良さだろう?」
「うわ、アスランまでそんなこと!」


 今日は本当に、珍しいことばかりが起こる。だから、ディアッカとの久々の会話で俺がちょっと笑うことくらいなら、それくらいなら、きっと許されるだろう。ディアッカが普通に対応してくれることが、こんなにも嬉しいと感じるとは思わなかったけれど。


「そろそろ人捌けてきたな。俺らも行こうぜ。何だか早くしろって睨んでる奴も居るし」
「ああ」


 確かにヤマトは俺たちの方を見てはいたが……それは単に、俺が輪の中に加わっていることが不思議なだけだろうと思った。現にクラスメイトは席を確認しあう中でちらちらと興味深そうにこちらを見ている。いつもだったら気にならない視線が、今日に限って敏感になっているのだから不思議だ。そしてその中でただ一つ、ニコルからの心配そうな視線も受け止めて俺は苦笑した。


「ほいよ、アスラン」
「ああ、ありがとう」
「お前がひくのかよ」
「ま、良いじゃん。どうせあと三人分しかないんだから。はい、イザーク」
「まあ、どうでも良いと云ったのは俺だしな」
「その通り〜」


 ディアッカから渡された紙片を開く。席なんてどうでも良いと思いながら、隅の方であれば良いと願っている自分が居る。隅の方、静かで喧騒から逃れる場所であれば良い。


「グレイト!」
「……何だその雄叫びは……」
「36番。後ろじゃないけど窓際だ。ま、良い方だろ。イザークは?」
「28……お前の斜め後ろだな」
「近いな。俺が当てられそうになったらこっそりと答え宜しく★」
「アホか」


 そんなことを云いながら、実際当てられても上手く立ち回るくせに。同感だったらしい俺とイザークは、揃って肩を竦めた。


「何気にメンバー揃ってるぜ? 俺の隣ラスティらしいし。アスランは?」
「多分、ディアッカが狙ってた席じゃないか?」


 ひらひらと番号の書かれた紙を降って見せると、ディアッカは目を細めて確かめた後悔しそうに表情を歪めた。


「くっそ、一番後ろの窓際ってお前…! お前が座って許される席じゃない!」
「どういう意味だよ」
「だってお前そんな良い席でありながら喜びもせずにそんな淡々と……」
「喜んでるよ、これでも」
「あ、お前でも嬉しいと思うんだ?」
「実際良い席だろ。二個前の席がディアッカじゃなかったなら、先生の注目も浴びないはずの」
「……云えてるな」


 もう俺に対する周囲の評価は諦めてる俺だから、ディアッカが云った台詞も当然と受け止め、それでも些かの嫌味を忘れずに対応した。イザークが俺の台詞に頷くと、昔の関係図が戻って来たみたいで何処か歯痒い。


「お前等二人して……」
「まあまあ。良いじゃない本当のことなんだし。……それより、僕、アスラン君の隣みたいだ」
「ヤマト君?」


 教卓でぎゃあぎゃあ騒いでいた俺たちだったが、他のクラスメイトたちは席図に名を書き込んで移動を始めていた。ヤマトは云い出しっぺということで俺たちの動向を見守っていて、話出すタイミングを見計らってたみたいだ。……そして何とも不可解な視線を、俺に投げかけてきている。


「宜しくね。僕、ディアッカより五月蝿くないはずだから」
「……宜しく」
「コラ」
「痛」


 ヤマトが何だか無理したような、気を使った笑顔で俺に話掛けてくるのに、俺は先ほどまでに随分と緩んでいた表情を無に戻してそっと答えた。相手がヤマトだから、ということも多分に影響してはいるが、慣れていない人間には俺はいつもこうだ。ヤマトが一瞬残念そうな顔をしたのを認めたが、こればかりはどうしようもない。
 だが、そんな俺に眉を顰めたイザークが小突いてきた。……いつもの、いつものことだった。けれど、今となっては、いつものことじゃない。昔のことだ。昔なら、いつも繰り返されてきたことだ。だから、俺が普通に返してしまった後でその不自然さに気付くも、ヤマトも驚いた顔をしていたので誰も俺の表情など気にしなかった。


「人見知りをするなと、云っただろう」
「こうなっちゃうんだよ。仕方ないだろ」
「なら尚更だ。これを機にクラスに溶け込め」
「そんなこと云ったって……」
「あ、あの!」


 説教されて不貞腐れている俺とイザークの会話に、何だか必死の形相でヤマトが割り込んだ。何をそんなに切羽詰っているのか、そんな表情をしなくたって誰も君からイザークを取ったりしない。そう考えている自分が恥ずかしくて浅ましくて、悔しかった。


「僕気にしないからさ。でも、イザークの云ってる通りだよ。良い機会だから、仲良くしよっ!」
「えっと……?」


 イザークが肘を突付く。それに俺は五月蝿いとでも云うように横目でイザークを見た。


「僕のこと、キラで良いからね。ファミリーネームに君付けなんて他人行儀で嫌だし。だから僕も呼び捨てで呼んで良い?」
「い、良いけど、」
「よし決まりっ! じゃあアスラン、机動かそ〜」


 今まで何の変化もなく、滞りなく流れつづけていた日々が、崩壊する音を聞いた。俺の脳裏には、俺が素っ気無い態度を取った後のヤマトの哀しげな表情がこびり付いている。一瞬だけ晒した後、すぐに元の能天気な表情に戻ったけれど、その表情は割に衝撃だった。
 ―――知っているよ、イザーク。
 そんな顔を、ヤマトにさせたくないんだろう。そのために、一度突き放したはずの俺を、馴れ馴れしく小突いたりしたんだろう。……知っているよ、イザーク。あんな表情をされたら、誰だって放ってはおけないことくらい。だって、俺ですら、その表情に手を差し伸べたくなってしまったんだから。
 ……付き合ってやろうか、という気になったのは、今日一日で目まぐるしく日常が変化してしまった所為で既にその流れについていけなかったからかもしれない。それでも俺は、何処かわくわくするような気持ちさえ持て余しながら、彼らの茶番劇に合わせてやろうと思ったのだ。
 そう云えば、と考えた。イザークが俺を突き放したのも、突然のことだった。そして俺は、心の裡では葛藤しながらも、それをすんなりと受け入れたのだった。
 今、イザークの中でどんな問答が繰り返されたのか、それは判らないけれども。俺は、イザークがそうしたいのならば、合わせようと思う。それがイザークの願いならば、ヤマトと仲良く友達ごっこをすることすら、厭わないんだ。
 それが俺にできる、イザークに対する罪滅ぼしであり、贖罪であり、誠意であり、……最後の、我が侭でも、ある。


「大丈夫ですか?」
「何が?」
「顔色、ちょっと悪いみたいですけど……」
「そう? 何だかちょっと、疲れたのかもな」
「……それなら、良いですけど」


 あ、やっぱりあんまり良くないです、とニコルはつづけた。何だったら悪かったのか、其処まで追求してこない辺りがニコルらしいと云えばらしい。もちろん、俺はニコルの真意を読み取ったけれども。


「保健室とか……」
「そんなに柔じゃないよ」
「そうですか?」
「ああ、平気だ」
「無理はしないでくださいね。あ、僕の席、アスランの前なんですよ」
「そうなのか? ああ、じゃあイザークの隣ってこと?」
「みたいです。宜しくお願いしますね」
「うん、ニコルの後ろなんて、心強いよ」
「本当ですか!?」
「ああ」


 そうやって、ニコルが本当に嬉しそうに微笑うから。俺は、何だかそれだけで乗り切れそうな、そんな気がしてたんだ。