現実とは、悪夢の再生に過ぎず、
生活とは、目を背けて寝ていた間に見てしまった終局へ向けて、歩んでいるに過ぎない




























「あーあ……行っちゃった」


 キラは立ち去ったアスランの背中を視線で追いかけながら、深い溜息を吐いた。


「アスラン君と一緒に来てたの? すごいね、イザーク」
「……何がだ」
「だってあの高嶺の花のアスラン・ザラだよ? クラスでも孤高の存在でさ、普通に話出来るひとって限られてるじゃない」


 素直に感心しているらしいキラに、イザークはくだらない、と吐き捨ててすたすたと先を行った。


「待ってってば。良いなぁ、どうやって声掛けたのさ」
「……何で俺から話し掛けたこと前提なんだ」
「え、アスラン君から君に話し掛けたって云うの? ―――まさか」


 驚いているというより端から信じてない様子のキラに、イザークはチ、と気付かれない程度に舌打ちした。イザークは嘘は云っていない。今朝は本当に、珍しくアスランから声を掛けてきたのだから。
 けれど、キラがそう思うのも仕方のないことだった。ザフトの中でも特に家柄の良いアスラン・ザラはその美貌と相俟って学院中で顔と名が知れ渡っていたが、無愛想という二つ名は彼の形容詞と云っても良い程、必ず噂の中に登場する。


「良いなぁ、どんな話したのさ」
「何でそんなに気にするんだ」
「云ったじゃん。折角また同じクラスになったんだよ。……仲良くなりたいんだ」


 ふいに真面目な顔で呟いたキラに、イザークは少々不可解なものを感じ取ったけれど。キラは誰とでもすぐに仲良くなるし、常にたくさんの人間に囲まれているから、きっとクラス全員と友達にならないと気が済まないんだろうくらいに思い直した。


「―――あの“男喰い”のアスラン・ザラ、とな。……お前に良い影響を与えるとは思えないが」
「またそれ? ……そんなふうには、見えないんだけどなぁ」


 キラの弱々しい反撃には取り合わず、イザークは鼻を鳴らして「行くぞ」と歩を早めた。
 駅の目の前にある校舎までの短い道のりでも、キラとイザークに声を掛けてくる人間は多い。恐らく――アスランとは違った意味合いではあるが――高等部に限らない学院中で一番有名なのはこの二人だ。本人同士は友人と云って憚らないが、周囲からはお似合いのカップルだと目されていた。若しくは、男女問わず人気の高いキラの側に片時も離れず側に居るイザークが、まるで騎士のようだと。
 そんな二人が歩く周囲は必ず人が遠巻きになり、勇気を振り絞った、若しくは知り合いという名誉を手に入れた何名かが声を掛ける。キラはその挨拶に愛想良く答えながら玄関へと向かう、それはザフトではお馴染みの光景だった。キラの取り巻きだと云われている何人かが、キラとイザークに加わる様子も、羨望と憧れの視線で見つめられる。


「よっす! 相変わらずお前等仲良いねー」
「ラスティ、おはよ」
「おっはー」
「ディアッカ! ミゲルも、おはよう」
「おー」
「キラ、そっちじゃない。今日朝礼だぞ」
「え? あ、そっか。忘れてたー」
「ったく。キラってしっかりしてそうなのに、どっか抜けてるよな」


 本人たちはそんな周囲に全く無頓着だが、実際、生徒のほとんどがキラたちの誰かしらと知り合いで、ひっきりなしに声が掛けられる。
 イザークは自分の知り合いに適当に挨拶を返しながら、時折何人かの顔に僅かな反応を示していた。―――アスランと、噂になった男の顔に。誰も、その反応を向けられた本人たちですらも気付かないような僅かなものではあったが、イザーク自身は不可解な感情と共にそのことを自覚していた。


「おい、イザーク」
「……ディアッカか、何だ」


 グループの中では後ろの方へ付いて講堂へ向かっていたイザークだが、そのまた後ろからディアッカが肩を叩いた。胡散臭そうに振り返ったイザークだったが、思いの外、ディアッカが真剣な表情だったので喉まで出かかった文句を思わず飲み込む。


「ちょっと良いか?」
「朝礼は、」
「サボリ。俺はともかく、お前なら何か用があったんだと思うだろ」
「……まあ良い。手短に済ませよ」
「判ってるよ」


 むりやり貼り付けたようにも見えるシニカルな笑みを浮かべたディアッカは、くい、と首で方向を示した。―――図書館の方だ。これは思ったよりも真面目な話かも知れないと思ったイザークは、気付かれないようそっと輪から抜け出した。















「……で? 何の用だ。こんなところまで連れ出して」


 図書館は校舎とは別棟に、独立した建物として離れた場所に建てられている。学習するスペースは自習室として別に校舎内に存在しているし、何より図書館自体が相当古びていて置かれている本も年代ものしかないから余程の物好きしか訪れることはない。お堅い雰囲気があるおかげで、溜まり場にもならず学院の敷地内にひっそりと存在している。
 図書委員もお飾り程度にしか存在していないような図書館に用があるとすれば、こんな密談くらいのものだ。
 何となく想像の付いたイザークは溜息を吐きながらディアッカの言葉を待った。


「いや、話って云うか……。俺、朝見たんだけど」
「……何を」
「お前らと同じ電車だったんだ、俺。車両違ったけど」


 ディアッカ・エルスマンも良いところのお坊っちゃんだ。イザークの住む高級住宅街の一角に、エルスマン家の邸宅はある。そうは云ってもジュール家からすこし離れてはいて、何より大きな屋敷ばかりが立ち並んでいるからその距離は相当なもので、イザークはディアッカの存在を初等部で同じクラスになるまで知らなかった。
 そう、初等部。まだイザークがアスランとばかり居た、初等部で。


「アスランと……一緒に、来てたよな。お前」
「―――ああ」


 ディアッカは、緊張しているのかイザークの反応を確かめているのか、妙に一字一句区切って話した。


「楽しそうだったよな、お前ら」
「そうか?」


 そうでもないだろう、と馬鹿にしたようなイザークの嗤いに、ディアッカは眉を顰めた。―――何だかそれは感情をむりやり押し込めたような嘲笑いで、辛そうにも、見えたから。


「……仲直り、したのか?」
「仲直りだと?」
「イザーク?」
「そもそも、別に喧嘩した覚えもないが」
「でもさ……」
「何が云いたいんだ」
「…………」


 ディアッカは気まずそうに顔を伏せた。イザークにアスランの話題が禁句なことは充分承知の上だったが、今一緒に居る連中の中で唯一ディアッカだけは、イザークとアスランの関係を知っていた。そして、二人が急に疎遠になった様もまた、すぐ近くで見ていた。―――アスランに、何が起ったかも。恐らく、当人たち以外ではディアッカが一番事情には詳しいだろう。それでも、何も語らぬ二人に謎は多い。


「俺、さ……確かめたんだ」
「何を」
「アスランの噂。アイツ、簡単に他人に気ぃ許したりしないじゃん。だから変だと思って」
「“男喰い”か?」
「そう。だって変だろ? アイツのことはそりゃお前の方が良く知ってるんだろうけど、俺だって初等部から一緒だったんだ。それに、噂の割にそんな素振り見せないし」
「……で?」
「……でも、妙に噂の方が具体的だったりするしさ、アスラン自身も無頓着っぽいし。もし万が一、噂の方がマジだったとして、自棄になったりしてるんならヤバイと思って」
「…………」
「俺だって、アイツ気に入ってたんだよ! そりゃ、今の態度はムカツクけどさ……」


 イザークは黙ったきりだ。それでも視線の強さで、ディアッカには話の先を促しているんだろうと判った。


「俺だって、余計なお世話だろうけどきっとイザークだって、昔みたいにアイツと過ごせたら良いだろうと思ってさ。でも今のアイツあんなんだし。イザークも、あんな噂あるからアスランのこと避けてるんだろうし……でも、また同じクラスになったんだし」
「……本当に余計なお世話だな」
「だっ、でもさ、噂、全くのデマだったぜ」
「あ?」
「デマもデマ。あ、もちろん本人に確かめたわけじゃないけど。クロトやシャニがさ、アイツにこっぴどくフられた腹癒せに、触れ回ったらしいんだ。ストーカー紛いのことまでしてアスランの行動調べ上げて、他の奴の分まで不自然がないように話つくったらしいぜ」


 執念深い奴ってのは恐ろしいねぇ。
 一気に捲し立てたことでやっとイザークに対する気遣いを取り払ったディアッカは、それでも軽く云えるように努めた。その先も、そのままのノリで云えるように。


「……そうか」
「そう。だからさ、アスランはお前を裏切ったわけじゃないって。お前がそんな噂、気にする必要ねぇって」
「……誰が噂を気にしていると云った」
「え、違うの? だって俺、お前らできてたんだと……」
「アイツは単なる幼馴染だ。確かに昔は良く一緒に居たが、今離れて過ごしてるのは別にそんな理由じゃない」
「え? え?」
「良く知った仲ってのも、かえって厄介なんだよ」
「……そうか?」
「幼馴染だからって、そんなずっと一緒に居るものだと決め付けられて堪るか」
「そっか……そうだよな」


 ほっと胸を撫で下ろしたディアッカに、イザークは怪訝そうに見返した。


「何だ、良かった」
「は?」
「あ、いや俺。実際のところお前とキラの方がお似合いだと思ってんだよ」
「はあ?」
「どう見たって今のお前キラのことばっか気にしてるしさ。でもアスランのこと吹っ切れないのかなー、と」
「……俺は単なるアイツのお守りだ。必要なくなるときは必ず来る」
「ああ、なるほどねぇ。アスランの奴、身体弱かったしな。責任感で一緒に居たってわけね。……ってアレ? 今のってアスランのこと? キラのこと?」
「……さあな」
「あ、おい。イザーク!」


 一度踵を返したイザークは追いすがるディアッカにふと立ち止まって、振り返った。


「……ディアッカ」
「何?」
「人のこと嗅ぎ回るのも良い加減にしとけ?」
「……他ならぬアスランだからだよ。イザークとキラくっついてくんねーかなーとは思うけどさ、イザークとアスランがこんな状態のままって、何か厭だったんだよ。俺、お前ら二人が一緒に居るトコ好きだったからさ。何か、けじめみたいなの? つけるべきだろうと思って」
「支離滅裂だぞ」
「そりゃそうさ。クラスじゃほとんど話さないからてっきり拗れに拗れてるのかと思ってたのに、今朝みたいに普通に話してるの見たらさー……」
「だから別に喧嘩したわけじゃないと云っているだろう」
「……そっか。自然と離れたってやつ?」
「ああ。あんまりくっ付きまわってるのもどうかと思うだろ」
「お前らの場合、何かそんな感じしなかったけどなー」
「くどいぞ、ディアッカ。しかもいつからお節介オヤジみたいなことを……」
「え、良いじゃん、お前キラ気に入ってんだろ? キラも満更じゃなさそうだもんなー」
「くだらん……」
「待てってば!」


 振り切ろうとしたイザークを腕を掴んで止めようとしたディアッカは、しかし、イザークがその前にくるっと振り返るので怪訝な顔でイザークの言葉を待った。
 当のイザークは完璧な無表情で、ディアッカを静かに見据える。けれど何処か、ディアッカには激情を押し止めているようにも見えた。


「それから、ひとつ。アイツは、噂を認めたぞ」
「……え、」
「アスランだ。俺だって一度くらい問うたさ」
「……そしたら?」
「そうだ、って。笑って頷いた。その時の噂の相手は、確かオルガだったか」
「ええ……? アイツが……?」


 まだ何か聞きたそうなディアッカに、イザークは今度こそ振り返らず図書館を出て行った。ディアッカも時計を見て咄嗟に追いかけたが、目の前で閉められた扉の勢いが、イザークの不機嫌さを表しているようだった。