Re;volver
星と野良犬
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マリアンヌが「スザクの歓迎会よ!」と騒いだ夕食のメインディッシュは、驚くことにスザクの大好物であるハンバーグだった。
ルルーシュ、ナナリーとアリエスの離宮の住人にユーフェミアを加えたディナーは、本当に明るく温かい雰囲気で、嬉しくもあり愉しくもあり、だからこそ戸惑ってしまう。いままで実家ではほとんどひとりでしか食事をしたことがない。
女性陣が和やかに(……本音では、騒がしく)談笑している中ルルーシュだけが物静かで、スザクとしては何故かどうしても気になってしまったけれど、マリアンヌたちがスザクにもしょっちゅう話題を振ってくるのでスザクがルルーシュに話しかける隙はあまりなかった。
ルルーシュがあまり自分から口を開かないのは、そういう性格だというだけなのだろうか。できれば女性陣よりはルルーシュのほうが話やすいのにと思うのは、きっと男同士だからだ。あとは、昼のやりとりで、ちょっとカチンと来るような云い方をすることはあったけれど、逆にいえば変にこちらを気遣ってくることはないと判っているから。
実家とは全く違う雰囲気とメニューのディナーはちょっと落ち着かないので、ルルーシュに助け船を求めたかったけれども、ルルーシュは気付いていないのかわざとなのか、他のひとと違ってスザクを構う様子はない。
しかし、夕食が済んだ後はルルーシュが自らスザクの部屋への案内を買って出てくれた。
ルルーシュはなんとなく、数時間前からちょっと対峙しただけのイメージだが、スザクの案内くらい使用人に任せそうな感じがするのにちっとも面倒くさがる様子はなかった。人を寄せ付けないような冷たい印象を与える顔立ちの割には、そういうところは随分と気さくな皇子様だ。しかも、その様子を見る限りでは世話焼きらしい。
夕飯のときはスザクが主役だと女性陣が張り切っていたので、一歩引いていただけだと思っておこう。
それにしても、宮殿を外から見ただけでも判っていたことだが、食堂から部屋までがずいぶんと遠い。
カツン、カツン
響く足の音につられて視線を下げた先、ほんのわずか先を先導するルルーシュの履いている靴は高級そうな革でできていて、ヒールもすこしだけ高くなっているようで、この年齢で履くようなものじゃないだろう……なんてことを考える。だがヒールそのものは似合っているような気がするのがなんだか納得できない。ただ、あのヒールならこんなに音が響くのは仕方の無いことなんだろうと思っていると、ルルーシュが不意に口を開いた。
「夕食は、口に合ったか?」
「うん、美味しかった、すごく」
「そうか、良かった」
満足そうに微笑んだルルーシュを横目でちらりと覗き見て、また正面に向き直る。
「……ハンバーグは、俺の大好物なんだ」
「へぇ?」
「その、俺のデータとか云うやつ……好きなものとかまで載ってたのか?」
「さぁ」
「さぁ、って……」
ルルーシュは翻弄させるような笑みを浮かべただけで、はっきりと答えてはくれなかった。
だが、たまたまスザクの好物であるハンバーグが出たにしろ、そのデータとやらにスザクの好物がハンバーグだと書いてあって、その通り出してくれたにしろ、なんだかどちらでも良いかなという気になって、スザクはそれで納得することにした。
うん、良いや、と頷いたスザクを、今度はルルーシュがちらっと見遣って、また廊下の先に視線を転じる。
「―――ウチの料理長は、優秀なんだ」
突然そんなことを云い出したルルーシュに、けれどそう云えば……とスザクは古くない記憶を引き出した。
「……そう云えば、ユフィも云ってたかも」
「ッ、そうか」
「? なんだ?」
「いや、なんでもない」
何かを誤摩化すような態度は気になったけれど、首を振ることで想いまで振り切ってしまった様子のルルーシュが、まだ先を続ける気配がしたので、スザクはそこで追及を諦めた。
「……彼は、作った料理を人に食べてもらい、美味しいと歓んでもらえるのを最上の歓びだと、普段から公言しているんだ。だから、気に入ったものがあったらそう伝えればまた作ってくれるし、逆に苦手なものがあったら、上手く避けてなんとかしてくれる。素直に云うと良い。その方が、歓ぶから」
「そうなのか……でも俺、野菜苦手だったけど、今日のは食べれた」
「それは料理人冥利に尽きる。きっと飛び上がって歓ぶだろうな。伝えておくよ。あとでちゃんと紹介もするから、次からは直接云ってやってくれ。ほんとうに、料理馬鹿なんだ」
ルルーシュの若干呆れたような物言いに、ずきん、と、どこかが傷みを訴えたような気がした。
けれどそれはほんの一瞬のことだったし、すぐに消え去った傷みは一体どこから齎されたものなのかさえ掴めない。ルルーシュの言葉を反芻しても、それを感じた箇所などないように思える。
ただこのままそれを追い求めてもどうしようもない気がして、スザクはそうだな、と頷くことにした。問題だけを、先送りにすることにして。
「そっか……うん、判った」
そう云って黙り込めば、他に音の無い空間にそれは余韻を残して響く。
ルルーシュとふたりきりで歩く廊下は広く、ところどころに仄かな明かりが灯ってはいるのだけれど薄暗い。慣れた日本家屋と違う材質の床は足音を無暗に反響させ、スザクからすると遅れて響いてくる音がすこし怖かった。
けれどルルーシュの前でそんな態度を見せることはなんとなく憚られて、強がって胸を張るようにして歩く。
ただいざ静寂となるとやはり暗い闇の淵から何かが聞こえてきてしまいそうで恐ろしいから、ぼそりと話題を探して口に出す。
「結構……遠いんだな」
「無駄に広いからね。いまは暗いから、余計道が覚えにくいだろう。明日になったら、明るいときにちゃんと案内し直すよ。いまはただ着いて来るだけで良い」
「あ、ああ……」
慣れている所為なのか、ルルーシュはまったく平気そうだ。
ルルーシュとスザク、明かりに照らされたふたりぶんの影があたりを埋め尽くすほど大きく伸びていて、ゆらゆらと揺れている。通り過ぎてゆく部屋のノブに施された彫刻はまるで悪魔のように、口をカッと開き彷徨うように腕を伸ばしたポーズで待ち受けている。それに恐れを感じる心を押し隠したつもりだったが、隠そうとすればするほどむしろ触発され、いまごろになって、ここに来るまで感じていたはずの恐怖までを一気に思い起こしてしまった。
そうだ……なんだかユーフェミアやマリアンヌたちのテンションに乗せられて忘れていたけれど、一体自分は、何のためにここに来たのだった?
いや、それは判らないにしても、ここに来るにあたり、一体どんな覚悟をしたのだった?
……そうだ、数時間前までは寝る場所さえ、ちゃんと与えられるのか不安だったと云うのに。いつの間に忘れてしまったのだろう。こんなに、予想に反して何もかも上手く行くことなんてあるのか。
美味しいものを食べさせてもらったけれど、もしかしたら油断させるために最初だけだったのかも知れない。ブリタニアには魔女や魔法使いや悪魔が居ると云うから、太らせて食べるつもりなのかも……そうだ、いくら広いからと云って、こんなに部屋が遠いなんだことがあるだろうか? きっと、奥のほうの地下牢とかに連れられて閉じ込められるに違いない。いつか見た絵本では、悪魔は最初とても美しい姿で現れると描いてあった。
それは……そうだと云うなら。それはまるで、ルルーシュのようではないか?
「? どうした、黙り込んで」
「え、」
「着いたよ、ここだ」
キイ、と古めかしい音をたてて開かれた扉の奥にルルーシュが足を踏み入れ、仕方なくスザクもえいっと後に続く。薄暗い廊下に取り残されることが不安だったわけではない、決して。
心の中でだけ云い訳をしながらスザクがぱちりと瞬きをする間に、スッと奥に入り込んだルルーシュが明かりを点けた。
光を追い掛けたライトの音が、ルルーシュとスザク、ふたりきりの所為で静かすぎる部屋にパチッと唸りを上げて響く。
「ここが一応、君用に用意しておいた部屋だ」
「え……」
「―――と云っても、君が来る日はもうすこし先だと思っていたから、あまり物が揃っていないんだ。すまない……ディナーのうちにベッドメイキングはしておいたし、最低限のものは置いてあるはずだが、」
チェックまではしていないな……と呟きながら、ルルーシュが部屋の奥へと進もうとするのを、咄嗟に呼び止めた。
「あっ、あのっ、ルルーシュ!」
「…? どうした、枢木。何か不満があれば、云ってくれれば……とりあえず今日はここで我慢してもらうしかないが、明日空いてる部屋を見て選びなおしてもらっても、」
「そうじゃない! そうじゃなくて……良いのか、こんな、広い部屋」
「? 良いも何も……」
ルルーシュがぐるりと部屋の中に視線を巡らせて、ふたたびスザクに向き直る。
「広い……か? あまり広過ぎても困るかと思って、普通の広さの部屋を選んだつもりだが」
「え……」
「あ、もちろん、わざと狭い部屋を宛てがったりなんて、意地悪なことはしてないぞ! なんなら僕の部屋も見るか? ここと広さはそう変わらない」
ルルーシュはすこし慌てているようにそう云い、スザクの反応を待っているようだった。
その悪気も何もないルルーシュの表情を見ていたらなんだか急にばかばかしくなってしまい、スザクはため息をつきながら肩を落とした。
「…? おい、枢木?」
「いや……うん。それなら、良いや」
「何だ?」
「いや、ホントに何でもない。俺の考え過ぎだったみたいだから」
「……そうか? それなら良いんだが……不満があるなら、何でも云ってくれよ?」
「いや、不満ってわけじゃないんだ、ホントに。俺からすると、十分広いと思うぜ、この部屋。余白が多くて、ちょっと怖いくらいだ」
枢木家にあったスザクの部屋より二倍以上の広さはありそうな部屋に、窓際に頭部分を寄せたやけに大きいベッドと、入口から反対側の壁にチェストがあるくらいでがらんどうとしている。
「他にいろいろ家具を入れれば、気にならなくなるだろう。明日……は急だとしても、物さえ判ればすぐに手配する。カタログをひととおり用意させるから、好きに選んでくれ」
「え……でも、」
家具なんて、例え小さな安いものでも、それなりの値段がするのではないかと思う。少なくとも、スザクのような小学生のお小遣いでなんとかなる範囲の話ではないはずだ。
なのにルルーシュは、あっけらかんとして答えた。
「好きに選んで良いよ。出資元はブリタニア皇帝だから、値段なんて気にせず……いや、むしろ見なくて良いくらいだ」
とんでもないビッグネームが出てきてスザクがぎょっと肩を跳ね上げても、ルルーシュは何処吹く風だ。
「いやいや、そりゃ……まずいだろ」
「何を云うんだ、まずいなんてことはない。一時的なものとは云え君はいまブリタニア一族に名を連ねているのだし、周囲の都合で勝手にこんなところまで来させられたんだ、せめて過ごしやすい空間くらい、全く我が侭なんかにはならない」
「はあ……」
「なんなら、このベッドやチェストも好きなものに変えて良いよ」
「いや、そこまではさすがに……」
「そうか? だが本当に、遠慮はしなくて良いんだからな」
すこし必死にも見えるその様子に、いま初めてルルーシュの中にマリアンヌやユーフェミアとの血縁を感じた。一見つっけんどんに見えたり、あまり前へとは出てこないルルーシュも、確かに彼女たちと同じ血を引き、同じ環境で同じ価値観で生きていて……けれど、決定的に違う部分もあった。
そう、マリアンヌとユーフェミアのふたりもいまのルルーシュと同じように云ってくれていたけれど……あくまでもスザクは、それを社交辞令として受け止めようとしていた。ユーフェミアは素直な性格のようなのでそんなつもりがないのは判っているし、マリアンヌはマリアンヌでスザクに気を遣うような性格ではなさそうだから、本心から云っていたのだろうと思うけれど。それをスザクが真っ直ぐ受け止めて本当に遠慮をしないように努力するかどうかは、別問題だと思っていたのだ。
スザクがここでどういう扱いになっているのかは良く判らないにせよ、ブリタニアの皇族なんかと、慣れ合って良いものかどうかも判らないし。
けれど、彼女たちと同じことを云っているはずなのに、ルルーシュにそう云われると――なんだか、その通りにしようかなという気になってしまう。
どこか、胸の奥が落ち着かないと云うか。そわそわして、せっかく取り繕って冷静になろうとしても、どこか我慢が効かなくなる。
「もしかして……こういうの、」
「うん?」
「ベッドとかの手配って、お前が……ルルーシュが、してくれたのか?」
「あの母親がやると思うか?」
質問を質問で返されて、反射的にぱっとマリアンヌの顔を思い浮かべる。今日初めて会ったばかりだというのにそのイメージは強烈で、はっきりとそのどこか迫力のある笑顔を脳裏に思い浮かべることができた。
「……思わない」
「だろう? いつものことだから、僕が手配したことに関しては気にしないで良いよ。それよりは、勝手に選んでしまったから君の趣味に合ってると良いんだが」
窺ってくる表情は思いのほか不安そうな気配が滲んでいて、スザクはそんなルルーシュをとにかく安心させたくなって、安心してもらうにはどうしたら良いんだろうと考えて……そして、ルルーシュの微笑みを思い浮かべた。自分がそれに、安心したからだろうか。その想像通りになるよう、真似してスザクも微笑む。
「ああ、うん……嫌いじゃないよ。でも俺、正直こういうの良く分かんないから。他のも、一緒に選んでくれると助かる」
慎重に言葉を選びながらも、それを感じさせないよう努めたスザクに、ルルーシュはぱっと表情を明るくした。
「そうか。それなら、あとで一緒にカタログを見よう。机と本棚は必須として……あと、テレビは欲しいよな。テレビ台と、ソファとローテーブル……そうだ、音楽は聴く方か?」
愉しそうに部屋を見回して、あちこちを指差しながら語り出したルルーシュに、スザクは呆気に取られて答えに詰まった。
「え、いや……良く判んねぇ……」
「そうか……じゃあ、オーディオ類はひとまずは良いかな」
一体どこまで一気に豪華にするつもりだったのだろう。
ものすごく難しそうな顔をして考え込んだルルーシュに、わずか呆れさえ感じながらスザクはとにかく否定しておいた。
「いや、むしろそんなにいらないから……」
「何を云うんだ。好きにしろと云っている。金があるなら使った方が、経済は回るんだ」
「うーん、うん……?」
まっとうなのかどうかさえ良く判らないことを熱弁し、フォロー(?)をしてくるルルーシュに、最初こそ呆気に取られ、そして呆れてしまったけれど。
なんだか、段々と……
(可愛いな……)
そんな気持ちが湧いてきてしまった。
顔立ちは第一印象通り、綺麗すぎて恐れを為すほど整っていると思う。それは変わらない。けれど、意外にくるくると変わる表情を見て、スザクは親しみやすさと不思議な安寧を感じ始めていた。
ルルーシュは時折偉そうな態度で、まるで女王様かっていうほど鋭利な声と表情をしたかと思えば、天使のように癒される優しげな笑みを浮かべたり、そうしているうちに今度は、年相応に愉しそうな笑顔をしていたりする。それぞれ、マリアンヌ、ユーフェミア、ナナリーに似てるなと思って、なんだか知らないけれど嬉しいような気持ちが湧いた。
ルルーシュと邂逅してからたったの数時間、なのにスザクはもうすっかり得体の知れない感情ばかりに翻弄されている。けれど、戸惑いはもちろん感じているが、それでさえどこか嬉しいと思うばかりで。
(どうしちゃったのかな、俺……。そもそもルルーシュは、いくらいままで見たこともないくらい綺麗で可愛いからって……男だろ)
そうだ、ルルーシュは女の子と見紛う顔立ちをしているけれど、言動はしっかり男のそれだ。なのに、そもそも可愛いというのがおかしい。だが、スザクがルルーシュを可愛いと思うのも、顔立ちだけではない理由からであって……それが更におかしい。
ユーフェミアやナナリーだって、いままでスザクが出逢ったどんな女子たちよりずっと可愛くて、スザクを怖がるクラスメイトたちと違い気さくに接してくれるし、魅力的だと思うのに。
どうして、さっきから考えるのはルルーシュのことばかりなのか……
きっとブリアニアに来たばかりだから、戸惑うことも多くて、テンパっているのだろう。
我ながらむりやりだと思う論法でそう纏めてしまいながらも、スザクはルルーシュがインテリアについて真剣に悩んでいる様子を、無意識のうちに笑顔をうかべながら見つめていた。
この部屋に案内されるまでの間、ほんの短い時間ながらに感じていた止めどない不安など、すっかりどこかに飛んでしまっていたことについても、自分ではちゃんと自覚していなかった。