Re;volver
花と拳銃


テラスへ出てお茶を愉しむには、些か風の強い日だったと記憶している。
しかし、未だ勝敗の色の見えないチェス盤上の闘いはちょうど佳境にさしかかったところで、このまま中断するのに憚られたし、春先の冷たい風は同時に不思議と心地よくもあった。ポーンが不安げに揺れて風に攫われそうになる他は、心を惑わせるような事象は一切存在しない、良い午後だったと云える。
なのでそのまま、ストールだけを薄く肩にかけて温かいお茶のおかわりを請け、ビショップを手に取る。斜めに盤上を滑らせボードと触れ合うのと同じタイミングで、何やら愉しそうな瞳を見せた兄が話しかけてきた。


「そう云えば、日本との同盟が決まったそうだよ」


一瞬、身を切り裂く風が咽喉にまで入り込んできたのかと思った。
だがあくまでも平静を装い、話を受ける。


「同盟、と来ましたか」
「上手くやった方ではないかな、日本も。あそこは資源が豊富で、国力も低くはないが、この世界を布陣する三大勢力からすれば小国であることは一目瞭然。だがあの国土の狭さでありながら、世界に肩を並べるのだから大したものだ。今回の同盟と云う結果も、傍から見たら我がブリタニアの属国扱いでしかないだろうが……植民地化してナンバーズの名にされないだけでも、更に一目置かれる存在になることは間違いないね」
「つまり結局は、その日本の底力を見抜いたブリタニア万歳、というお話でしょう」
「容赦がないね、ルルーシュも。日本贔屓の君のことだから、すこしは嬉しい顔でも見せてくれるのかと思ったんだが」


クイーンに迫られ、暫し顎に手を当て思考を巡らせる。


「確かに私は日本文化に傾倒しています……が、あくまでも文化的に、です。四季折々の自然の恵みを尊ぶ生き方と、侘び寂びの文化を象徴する神社仏閣の建造物、特に日本庭園は素晴らしい。ですが別に、政治のあれこれまで口を出すほど、今の日本という国そのものに興味があるわけではありませんから」
「そんなものかい?」
「ええ。それに、今回の同盟とやらも、どうせブリタニア優位の話なんでしょう? 内政にまで手を出すつもりなら、それは実情のエリア化と大して変わりなどありませんよ」


言外に、私はどうでも良いんですがと付け加えることを忘れずに、ルルーシュは悩んでいた手を外してキングへ手を掛けた。―――王が動かなければ、部下は誰も付いてこない。
それをゆるりとした視線だけで追ったシュナイゼルは、しかし実際にルルーシュの指先を見ているのではなく、どこか遠くを眺めているようだった。


「名前が大事ということも多々あるよ」
「確かに、皇族が千年以上も続く日本の名を継続させるのは大事ですけどね。その名誉を守り抜いた慢心を突くのがブリタニアのやり方でしょう」
「まぁ、そうだね。確かに我が国は卑怯だ。だが、優しさで国は造れない」
「ええ、知っていますよ―――良く、ね」


コン、と小気味良く駒が音を立てて着地する。素材から拘った、職人が意匠を凝らせたチェス盤である。それほど物欲のないルルーシュではあるが、これは珍しく気に入りで、手放したくない自慢の逸品だった。贈ってきたのがこの目の前の兄という点に些かの不満を感じるが、チェス盤そのものに罪はない。
そう、真に罪を持つものが何なのか。それをルルーシュは良く知っている。


「意味深だね。だが現実はどうにも即物的らしい。つまりそこで、サクラダイトの出番なのだよ、ルルーシュ」
「サクラダイト……フジ近郊で採取できる、新兵器の資源ですね。採掘現場など情緒の欠片もない、折角の富士の景観を崩す無用の長物だ」
「ルルーシュのような者にとってはそうなんだろうね。確かに、その点に関しては私も同意はするよ。だが、ブリタニアはKMF開発のためにあれが欲しい。他の国々も、KMFか、もしくはそれに対抗できるものの戦力源として目をつけている。さすがの日本も、自身を狙って爪を砥ぐ各々の策略くらいは良く読んで、上手く対外材料として持ちこたえていたようだが……いよいよ他国が痺れを切らし攻め込まれでもしたら、さすがに勝ち目がないと踏んだんだろう」
「つくづく外交下手ですね。何よりそこで選んだのが、サクラダイトを散々奪取してきたブリタニアというのは皮肉なものだ。私なら、そんな莫迦な手法は取りません」


溜め息を吐きながらのルルーシュの発言に、シュナイゼルは漸く乗って来たかと若干機嫌を良くさせたようだった。


「だがこの現状なら、利口な選択だと思うけれどね。現時点では、我が国がもっともサクラダイトを有効利用できる。是非や出来がどうであれ、KMFに代表される兵器の開発に最も力を入れているのがブリタニアだというのは確かなことだ。そんなブリタニアに、サクラダイトが欲しいのならあげますから、その代わりそのKMFでうちを守ってくださいという、簡単な話だよ。ブリタニア―――というよりは、父上かな。父上も、そこで攻め込まず条件を飲んだのだから、何かしら日本に対し思惑があったんだろう。ルルーシュは、そう思わないかい?」
「父上の思惑は、僕にはどうにも。ただ、京都六家……日本の政治の重心たちですが、相当の曲者揃いです。まさか素直にブリタニアに従うとも思えませんが」
「詳しそうだね?」
「ただの噂です」
「ふむ…そういうことにしておいてあげようか。そこはもちろん、探らせる算段はついているよ。こちらだって莫迦ではない。だが、そういうことではないんだ」
「何がです?」


今までの長ったらしい演説に飽き飽きしていたルルーシュは、それまでの流れを覆すようなシュナイゼルの台詞にすこし顔を上げた。


「私が君に伝えたかったのはね、その日本から、人質を差し出すという話があったということなんだよ」
「は…人質?」


厭な予感が胸を掠め、奪い取ったポーンを床に滑り落とす。だがシュナイゼルはそれを咎めるどころか愉しそうに眺め、云うのだ。


「どうやら、現クルルギ首相の一人息子を、同盟の証としてね」
「……必要が……」
「あるよ。裏切らないということの証が。次代を担う若者を人質として差し出し、自分たちはサクラダイトはブリタニアにしか渡さないと頑なに決めたということの証を。」
「それ、は……」
「―――それでね、ルルーシュ」


俯いたルルーシュに、実に愉しそうな声色で唇に弧を描いたシュナイゼルが、ルルーシュの反応を愉しんでいる様子を隠そうともせずに顎の下で指を組んだ。


「その日本からお預かりする大切なご子息―――そんな彼を、君の居るアリエスの離宮へ入れようと、私は推挙しようとしているところだ」
「…何でまた」
「皇宮でお預りするのは当然。とすると、我々兄弟の中で唯一同世代の男児がルルーシュくらいなのだし、マリアンヌ様も人種を気になさらない方だ。ルルーシュもナナリーも学校へ行っていないし、同年代の友人が欲しいだろう?」
「……ジノがいます。ナナリーには、アーニャも」
「ああ、そうだったね。でもジノの場合は少なくとも、君の友人にはなりえなかったではないか」
「それは…そうですが。同年代と云うのなら、それこそヴァインベルグのような貴族の家に入れても良いのでは?」
「それは、ダメだね。君は判っていない、ルルーシュ」


大げさに手を拡げ肩を竦めた兄の姿に、嫌悪感さえ抱きながら眉根を寄せる。しかし相手は、口調の割には特に呆れているというわけではなさそうだった。


「名目上は、養子なのだから」
「養子…?」
「そう。あくまでも名前だけで、さすがに皇位継承権やその他の皇族特権までは与えられないようだが。どうやら彼自身か、その周りかは知らないが……ブリタニアに骨どころか、名前と血まで埋める気でいるらしいね」
「しかし……それは、このブリタニアに男児が居ないということであれば、分かる気もしますが……。養子の名目にしてしまっては、姫たちの結婚相手にもならない」
「その通りだ。年齢がまだ幼いとは云っても、婚姻関係を結ぶ方がよほど手っ取り早いに決まっている」
「はあ…」
「ほうら。きな臭いだろう? さすがの君も、興味が湧いてきたんじゃないのかな?」


図星をさされ、分かりやすくうろたえる。もう隠す気にはなれなかった。
隠すも何も、この全てお見通しだと云わんばかりの兄の前で、その取り繕いは何の意味も元々なかっただろうけれど。


「……そうですね。色々と、気にかかります」
「そうだろう、そうだろう。このブリタニアに潜むと悪と闇は、宰相である私でさえ一人でなんとかできるものでもない。君が居れば、百人力だがね」
「またご冗談を。巨悪の根源とまでは行かなくても、その一端ではあるであろう貴方の云うことは、まともに聞く方が莫迦を見ます」
「おや。どこでそんなことを学んだのかな?」
「経験上知っただけです。応用しているわけではない……ですが、今回ばかりは、詳しく話を聞く気くらいにはなりました」
「それは良かった。では期待に応えて、続けるとしよう。これはね、単なる私の勘なのだが……まぁ初めは分かりやすく、騎士あたりの教育を受けるのが妥当なところだろうね。皇族に仕える騎士―――それは我がブリタニアと日本の関係性の、あまりに明確な縮図だ。こちらから何もアクションせずとも、自ずと向こうの方からそう申し入れてくるだろう。そうなった場合、私は君に、彼の教育をお願いしたいのだよ」
「……年端もそう変わらない賓客相手に教育、ですか。経験もない子供が」
「とっくに子供の殻など抜け出た瞳をする君が、今更何を云うんだい? 全く説得力がないよ」
「と、云われましても。すくなくとも、実績がないのは確かです。実際に騎士候補生を育てる気があるのなら、僕の元などよりも、士官学校に入れた方が良いのでは?」
「あくまでも賓客だしねぇ。対外的に悪いとは云わないが、実際問題浮くと判り切っていて、無理強いはできない。率直に云ってしまえば、阻害行動に遭うだろうね。ブリタニア人はそういう教育を受けているから。クルルギ首相が息子にどう接しているかは知らないが、面倒なことになり兼ねないだろう」
「枢木ゲンブが……何か云いがかりをつけてくるとは思いませんが」
「おや。日本の政治に興味などないのではなかったかな?」
「普通に考えて、ブリタニアに息子を差し出すような人間が、愛情深いとは思えませんよ」
「文句をつけるのと愛情は別だよ。付け入る隙を与えてはならない。それに君こそ、ゆくゆくは人の上に立ち、指導し育て上げる身の上なんだ。お互い勉強のつもりでも良いじゃないか。騎士と違って、支配階級のための学校なんてないのだから、それこそ実践で学ばなければ」
「ですが…何度も云っていますが、僕は騎士を持つ気はないんです。それに、僕よりも…そう、ユフィあたりが騎士を欲しがっていた気がしますが」
「あの子のアレは、単なる憧れだと思うが。それにしたって、彼女は教育はできまい。それならそれで、やはり君の下で修業を積んでから所属を移れば良い話だよ」
「…騎士を持たないと宣言している僕が……騎士たるものの真髄など、教えてやれるはずもないと思うのですが」
「そんなに厭かい?」
「厭、と云うか。」
「煮え切らないね。だが、君がどんなに否定したところで、やはり私の中で一番ふさわしい人物がルルーシュだという意見は覆らないよ。そして私が推挙するからには、ほぼ100%の確率で決定事項となると云っておこう。覚悟しておきなさい」
「は、い…」


春先の風はやはり冷たく、わずかに俯いたルルーシュの胸の隙間を縫うようにして風が抜けて云った。
シュナイゼルは確かに独善的だ。が、決して今までルルーシュに対し無理強いをするようなことはなかった。だと云うのに、今回に限ってこの断定するような口調。それがどういう意味だったのか、考えることを放棄したルルーシュの頭の中では、ただ危険を示す赤い光がちらちらとその存在をほのめかすだけだ。
いつの間にかチェスの勝敗の行方などどうでも良くなっていた。ただこれから目の前にくる困難に対し、その場凌ぎの対策を打てば良いと想い描くだけ。普段であれば幾重にも張り巡らせる策略をすっかり放棄している。恐らくはその興味が逸れた瞬間から、既にこの話しの終着点はシュナイゼルに委ねられたものだったのだろう。

だがそれでも、問題は何一つないはずだった。

ルルーシュがすべきことは、たったひとつだけなのだから。