Re;volver
星と野良犬
***
ナナリーの明るい声と、ぱたぱたと可愛らしい軽やかな足音が遠退いてからようやく、スザクは小声でルルーシュに話し掛けた。
「……なぁ、良かったのかよ」
「何が?」
ルルーシュは声を潜める様子もなく普通に見上げてきたので、もう大丈夫ということだろう。スザクも、それまで顰めていた声を荒げた。
「お前、俺のことは知らないはずだろ?なのに、ナナリーに『スザクは何処だ』と聞かれて、誰とも何とも聞かないなんて……」
「ふうん。すこしは頭が回るんだな」
「なっ!」
我ながら、良いところに気がついたとは思ったけれど。それを大変失礼な云い方で指摘されて、スザクは声を上げた。
けれど、ルルーシュは反省する様子もなくため息を吐いて肩を落とす。
「心配しなくても、わざとだから良いんだよ」
「は?わざと?」
「ナナリーへの、ヒントのつもりだ」
呆れたような云い方に、更にスザクの気分を逆撫でされる。
「お前っ……俺の味方とか云っておいて、」
けれどルルーシュは、スザクのその文句に、あくまでも落ち着いた様子を見せていた。
「いまでもそのつもりだよ。だが、ナナリーくらいの歳の子に、これだけ広い範囲でのかくれんぼはすこし酷だ。あの子は優しい子だから、もうすこし君が見つからないままだったら、心配して泣き出してしまう」
「泣き……、って、」
ぽかん、と音がした気がして、スザクの頭の中から、いろいろな文句が消える。
目を丸くして動きを止めたスザクを、ルルーシュは木の下からすこし苦笑して見上げているようだった。
「……生まれてからずっと、ここで暮らしている僕とナナリーにとっても、この離宮は広すぎるという話だ」
「はぁ?」
「だから、ここで暮らしている自分でさえ迷ったことのあるナナリーが、今日初めてここに来て、隠れたまま見つからない君のことを心配するのは道理だよ」
「う……」
そういうことか、と納得の行ったスザクが、申し訳なさだとかほんのわずかの嬉しさだとか、そういうものを押し隠しているあいだに、ルルーシュは形の良い眉をすこし細めて軽いため息のようなものを吐いていた。
「ナナリーが冷静に、君の云った通りの矛盾点に気付ければ良いけれど……もし無理だったら、悪いんだが一緒にナナリーに謝りに行くのに付き合ってくれるか?」
「……なんで」
低い声で尋ねたスザクに、ルルーシュがきょとんとして首を傾げる。
「そりゃ折角勝っているのに、気分が悪いかも知れないが、」
「そうじゃない!なんで心配かけてるのは俺なのに、お前が謝りに行って、しかも悪いんだがとかいう話になるんだよ!」
いたたまれなくなったスザクがそう大声で言い放つと、ルルーシュは一瞬目を丸くして驚いて……けれどそのすぐ後には、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「そうだな……君は、とても素直な人柄みたいだ。噂は所詮噂だな」
「……なんだよ。その、噂って」
「さっきも云っただろう?どうやら君は、粗野でガキ大将然とした人物だと報告が来ていたから、ナナリーに悪い影響を与えないかと心配していたんだ」
「……おい」
いきなりいろいろと失礼なことを云われて、スザクがどういうことだと睨む。けれどルルーシュは、そんなスザクの視線にさえ柔らかく微笑んで、云った。
「でも、杞憂だったみたいだ。僕は最近ここに居られることが少なくなってしまって、ナナリーを寂しがらせているようだから。君が、ナナリーと仲良くしてやってくれると嬉しい」
「そりゃあ……もちろん。つか、俺の方こそ、……その、」
スザクが云い淀んでいると、ルルーシュが何かに気付いたように顔を上げた。
「ああ、すまない。君に関する報告は機情の奴らが勝手に上げて来ただけで、こちらから調べさせることはしていない。このアリエスに、君を探ろうとする者は居ないから、安心して欲しい」
スザクは何も上手く云えなかったのに、スザクの不安を的確に拭い去ってくれようとするルルーシュに、不思議な心地がする。
「そう……なのか?きじょう、って?」
「機密情報局。国内だったり、国外だったり……色々な情報を一挙に集めているところだが、すこし特殊な機関で。連携が取れていないから、頼んでもいないのに君の詳細なパーソナルデータを勝手に送ってきた」
「詳細なデータ……」
「報告が来た以上は、どんな人物なのかくらいは知っておこうかと思ったが……履歴書一枚に収まるような、簡単な人柄なんかを確認しただけで、それ以外では特に詳しく見るようなことはしていないよ。君が部屋で勉強するよりは外で元気に遊ぶタイプで、周囲の友人たちの中でリーダー的存在であることしか知らない。他に何が書いてあったのかは、何も判らない。母も、僕も。……君からすれば気分が悪いだろうが、ここはそういう国なんだ。異分子は排除するか、洗脳して取り込むか―――」
ルルーシュの重い口調に、スザクはごくりと唾を飲み込んだ。その様子をしかと見届けたルルーシュは、しかし、真剣だった表情を不意に緩め優しく微笑む。
それを目の当たりにしてしまったスザクは、身体も思考も総てその場に縫い止められてしまったかのように、何も動かせなくなった。ようやく指先をぴくり、と動かせるようになったころ、ルルーシュが口を開いた。
「―――だが、このアリエスでは違うよ。君がどんな人物であれ、在りのままの君を歓迎する。これからは此処が君の居場所なんだから、気兼ねなく過ごしてくれて構わないんだ」
「居場所、って……でも俺は、枢木だ」
違う。スザクは否定したかったわけじゃなくて、ルルーシュにあたたかい言葉をかけてもらって嬉しかった、のだと、思う。
けれどどうしてだか咄嗟に、そんなふうに突っぱねる答えをしてしまった。強がりだったのかも知れない。けれど、確かに本音でもあった。
自分でそう答えておきながらも戸惑いを推し隠すことができずにいたスザクに、ルルーシュが眉を顰める。けれど気分を害した様子はなくて、純粋に、スザクを気遣うような声色だった。
「……父君と、何か?」
「別に……ただ、俺はもうあそこには帰れないんだろうなって……」
口に出すどころか、心の中でさえ素直に認めることも癪だった想いを、どうしてかそのまま吐露できた。
言葉にすることで不安が倍増したが、震える声をルルーシュが優しい声で遮ってくれる。
「いいや―――そんなことはない。ああ、僕が失言だったな。いまはここが君の居場所といっても、誇りある日本人の君が帰るところはあくまでも日本の枢木家だ。それは変わらない。いま、君がここに居るのは、留学のようなものだよ。ブリタニア形式になってしまうが、教養やマナー、いろいろなことを学び身に付けるんだ。いつか帰る日には胸を張って、こんなところに送り出した奴らを嘲笑えるくらいに自信をつけると良い。いまはそれまでの、準備期間なのだから」
「そ、うなのかな……」
じわりと染み渡るルルーシュの声に、俯いていたスザクすこしずつ顔を上げて行く。ルルーシュは、そうやってスザクと目が合うまで、じっくりと待ってくれていた。
「ああ、きっと大丈夫。君は必ず、いつの日か日本に帰れるよ。そのときまでに精々、周りを見返せるだけの力を身に付けるよう頑張るんだ」
「そっか……うん、判った」
「そう……ああ、タイムリミットかな?」
「え?」
「お姫様が戻って来てしまったからな。気付いたみたいだ」
「あ……ナナリー?」
「うん。素直に姿を見せてくれるか?」
「ああ……」
手を伸ばされて、吸い込まれるようにしてその手を取るような体勢で飛び降りる。
ルルーシュはスザクの身体能力を全く疑っていないらしく、スザクがひらりと枝を蹴り飛び降りてもまったく慌てないどころか、サポートすることもなく、むしろスザクが伸ばした手を掴み、引っ張った。もちろんそれで体勢を崩すわけではなく、むしろ立ち上がる体勢が取りやすく、足も痺れることがなくて驚いたが、それ以上に、ルルーシュの手の冷たさと、あまりの指の細さに怯んでしまう。
「ああ、やっぱり。案の定涙目だから、安心させてやってくれ。行こう――……枢木」
「う、うん……」
呼ばれた名に、それは正しいはずなのに怯んでしまい……けれどルルーシュはそんなスザクの戸惑いなど何ら歯牙にかけず、こちらに駆けて来るナナリーと、いつの間にか合流しているアーニャに手を振っていた。
―――枢木。
そう呼ばれるのは、スザクはそれでもまだ枢木の人間なのだと、認めてもらったようで嬉しい。けれど、かと云って名前ではなく名字というのも……複雑だ。
その理由を突き詰めて考えたくなくて、ただスザクはぼんやりと、ルルーシュの『枢木』という発音がやけに上手だったなと、ただそんなことだけを考えていた。