Re;volver
星と野良犬
瞼の下から現れたのは、深い紫の瞳。人間の瞳で、こんな色は見たことが無い。こんな宝石が、きっとあったと思う。
ユーフェミアやナナリーとすこし似ているけれど、それよりももっとずっと深い色。
その印象的な色に吸い込まれるように視線を釘付けられて、ぽーっと頭が舞い上がるような心地がした。
スザクが何も考えられず見惚れている間に、ゆっくりと麗人の薄いくちびるが開かれる。
「――――――君は……」
すこし高めの、少年らしいトーンだった。
何も考えられないくらい呆然としてしまっていたことから気付けなかったが、良く見れば、麗人は大人びた顔立ちの割には、そう背は高くなさそうだった。横になっているので判りにくいが、もしかしたらスザクともあまり変わりはないかもしれない。
その問い掛けが麗人の口から発せられてから数拍経ってからようやく、スザクの脳に言葉が届き、スザクは慌てて背筋を伸ばした。
「あ、スザク。スザクです。枢木スザク」
矢継ぎ早にそう日本式に名乗ってしまい、しまったと思い訂正しようとすると、麗人はふ、と微笑んだ。
柔らかく、優しく、それだけで空気の流れが変わったような気がする。
「ああ……君が。"初めまして"、僕はルルーシュ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ」
やけにゆっくりとした自己紹介だった。
このひとが、ルルーシュ。
そうだろうとは、なんとなく勘付いていた……と云うか、この敷地内にいる少年とくれば、それ以外にないと思っていたけれど。
スザクが「ルルーシュ、」とその名を繰り返して呟く間に、ルルーシュと名乗った麗人は上半身だけ起き上がり、そして、付いてしまった汚れを払うためか、肩のあたりをぱんぱんと叩く。
その様子を見て、スザクは咄嗟に視線を合わせるように足を曲げて、ルルーシュの艶やかな髪に付いていた芝を取り除いた。
ルルーシュはすこし驚いた様子だったが、取った芝を見せたスザクにふわりと微笑む。
「ありがとう。でも、そこまでしなくて良いのに」
「いや……気に、なったから」
なんだか照れてしまって、ぶっきらぼうな云い方になってしまったことを恥じる。しかしルルーシュはそれを気にすることはなかった。
「そうか。それで君は、何故ここに?」
「え?」
「見たところ、他にだれも居なさそうだが……良くここが判ったね。すこし入り組んでいただろう?」
「あ、その、マリアンヌさんたちとかくれんぼすることになって……いや、お、僕はついさっき着いたばかりなんだけど。で、ナナリーが鬼で、マリアンヌさんにはこっちに逃げれば良いってアドバイスもらったんだけど、どうしたら良いのか判らなくて、その、」
我ながら訳の判らない状況ということもあるのだが、何よりルルーシュのまっすぐな瞳にじっと見つめられるとどぎまぎしてしまって、余計変な説明になってしまった。
自分でも何を云っているのか良く判らない。
しかしルルーシュはそれを指摘することなく「ふむ」と頷きながらスザクの話を聞いてくれている。そしていくばくかして話が繋がったのか、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「なんと云うか……うちの者が、申し訳ない。旅疲れと不安でいっぱいであろう君に、鞭打つような真似を」
「え、いや、」
「でも母のそれは母なりに、君に遠慮はしないから君もするなという意思表示だから、どうか理解してくれると助かる」
「あ……それは、何となく判るから、大丈夫……です」
敬語を叱るマリアンヌもユーフェミアも居ないし、ルルーシュの持つ独特の雰囲気から咄嗟に敬語になってしまった。
ルルーシュは気にしなさそうだから大丈夫かな、と思ったのだが、意外に眉を顰めてスザクをじっと見て来る。
「遠慮はするなと、云ったばかりなのに……ああ、それとも、」
フッと鼻にかかるように微笑んだ表情で、一転して優しげだったイメージが変わる。
『ブリタニアの言語が使いにくいのなら、始めのうちは日本語で構わないぞ?』
「え……」
ルルーシュの口から放たれたそれは、あまりに流暢すぎる日本語だった。しかもブリタニア語での優しげな印象と違って、スザクと良い勝負と云えるくらいのぶっきらぼうな口調。
『母も多少は日本語に精通しているから、大丈夫だ。ナナリーの前では勘弁してやって欲しいが』
「え、いや、……いや! 大丈夫!」
日本語なんてほんのすこし聞いていなかっただけなのに、やけに懐かしく感じる。その所為なのか、ルルーシュの発言だけで胸がいっぱいになってしまい、咄嗟にスザクはそう断った。
厭だったわけでもないし、ブリタニア語に自信があるわけでもないのに。
つまりはっきりとした明確な理由のない否定だったが、ルルーシュは折角の気遣いを無碍にされても気分を害する様子はなかった。
「……そうか? まぁ、無理することはないが……あ、そうだ」
「え?」
「せめて、無理に言葉を選ぶ必要はない。君の、本性……と云うのは、人聞きが良くないか。そうだな……本当の君は、きっともっと奔放なはずだろう? 僕の前でくらいは、在りのままの言葉遣いをしてくれて構わないよ。ここは君の家になったのだから。家くらい、くつろげる場所がないとね」
「え……」
同じようなことは、マリアンヌもユーフェミアも云っていた。言葉遣いをそんなに丁寧にする必要がない、という意味合いのことなら。
けれどこんなふうに、スザクの胸の奥にとどくような云い方は、ルルーシュが初めてだ。
「一人称も。普段は『僕』じゃなくて、『俺』と云ってそうだ」
「良く……判るな」
云い当てられたから仕方なく、というわけでは決してなかったけれど。そのまま云う通りにするのはわずかに残ったプライドが刺激されたので、スザクはそういうポーズを取った。
皆に同じことを云われてしまったから、仕方なく、格好つけた口調は取っ払っても良いかな、くらいのポーズを。
けれど取り繕っていたものが一度瓦解してしまうと、その先の崩壊は驚くほどに早いものだ。
あまり良い態度ではないのかも知れないけれど、ルルーシュはそれでも満足そうに頷いた。
「まぁね。……あ、」
柔らかい笑みを浮かべていたルルーシュが、不意に顔を上げる。
「え?」
「……君、この木、登れ」
「は?」
「これくらい登れるだろう? 君の身体能力なら」
「……そりゃあ……」
優しい雰囲気を一転、なんだか嫌味っぽく感じるような云い方をされてしまい、わずかにムッとする。
「できるけど、何、急に」
「ナナリーが近付いて来てる」
「嘘、」
「本当。君はいまかくれんぼ中、しかも鬼はナナリーなんだろう? 恐らく押し切られたんだろうと思うが、君は一度ゲームを受けたんだから、遊びとは云え本気で取り組まないとな」
ニヤリと微笑んだ表情は、まるであくどいものだったけれど、かと云って厭な気分が湧いてこないことが不思議だ。
けれどルルーシュの云うことが本当なら、それどころではない。それに、ルルーシュの言葉に確かにそうだと納得してしまったスザクは、云われるがままルルーシュの脇を通り抜けて木に登り始めた。
登ってしまえば、葉をたくさん抱え込んで撓わに実った果実をたくわえた木は、スザクの身体くらいは隠してくれそうに見えた。
登れとあんなにはっきり命令しておきながら、ルルーシュはスザクがするすると登って行く様子を感心した様子で見上げていたが、スザクが枝の間に落ち着く場所を見つけると、安心したようにその根元に背を預けた。
「……おい?」
「一応、小声で。さすがに今日ばかりは、君の味方をしようかと思って。誤摩化してあげるよ」
「……今日ばかりは、って」
ルルーシュの台詞につい突っ込みを入れてしまうと、ルルーシュはスザクの方を見上げながらも胸に手を当てて伏せ目がちになり、演技めいた口調で話し出した。
「可愛い可愛いナナリーを騙すような真似は、ほんとうは厭なんだ。でも今日に限っては、初対面の君にさすがに無理を云いすぎだと思うから、お灸を据えないとね」
「……シスコンなんだな」
スザクがそう云うと、ルルーシュはわずかにムッとしたように眉を寄せる。
「普通だろう? あんなに可愛い妹が居たら、だれだって大事にしたくなるさ」
「やっぱり、シスコンだ」
いっそ感心してスザクはそう云って頷いたが、ルルーシュはどう受け取ったのか、不機嫌そうな表情を隠そうともせず低い声を出した。
「君は……ナナリーが、可愛くないとでも?」
「い、いや! そういうことは云ってない!」
もちろん本心だったが、それ以上にルルーシュが異様に怖いオーラを背後に従えていたので、スザクは慌てて咄嗟にそう答えた。
「ただ俺には妹どころか、兄弟なんていないし……大事に思うとか、良く判んないだけだ」
「ふうん……皇の姫君とは、兄妹のように育てられた関係のはずだけど」
「神楽耶は俺のことなんか兄とは思ってないし、俺だってあんな妹は欲しくない。……って、神楽耶のこと知ってんの?」
スザクの問いに、ルルーシュはすこしだけ眉をひそめ、慎重そうな声音で答えた。
「……ちらっと見掛けたことはあるけれど、直接は知らない。それにいまのは、警告のつもりだ」
「警告?」
なんのことかと訝しんだスザクに、ルルーシュは多少口を開きづらそうにして、見上げていた顔を正常な位置に戻して答えた。
「君がいくら今までブリタニアの、特に皇族になど興味を持たなかったとしても、ブリタニアや他の諸外国からすれば、日本の京都六家は注目の的なんだ。君の人柄から人間関係まで、丸裸だと思った方が良い」
「何ッ……だよ、それ」
ギリ、と唇を咬んだが、ルルーシュはそれを軽く往なすだけ。上からのアングルなので表情は見えないが、きっとルルーシュは、流し目の視線だけでこちらを見ているのだろうと思った。
「知らなかっただろう? だから、警告だと云った。ついでに、もうすぐそこにまでナナリーが来ているから、黙った方が良いと思うよ」
「……それも、警告か」
「そうだ」
同じレベルにされてしまったことが悔しいが、かと云ってここで声を荒げてナナリーに見つかるのも癪なので、スザクは黙り込んだ。
そのあいだに、ナナリーが去ったらルルーシュに突きつけてやりたい台詞をじっくりと考える。ルルーシュは口が達者そうだから、生半可な云い分では簡単に云い負かされてしまいそうだ。
そんなことを考えているうちに、スザクの目にもようやくナナリーの姿が映った。スカートの裾をひらひらと跳ねさせながら、相変わらずぴょこぴょことこちらへ向かって走って来る。
その姿は、確かに可愛い。顔はもちろん、動作も。けれど、真下に居るルルーシュがその様子をどんな目をして見つめているのか、スザクからは見えないのにどうしてだか容易に想像できてしまい、なんだか面白くなかった。
「―――あ、お兄様! こんなところに…!」
「やあナナリー。そんなに走って、まだお腹がいっぱいなのかな?」
スザクと話をしているときとは一転して、明るく、高いトーンの声で話し出したルルーシュに、ナナリーは上から見下ろしているスザクにも判るくらい嬉しそうにしながらも頬を膨らませた。
「もう、お兄様ったら。ナナリーはちゃあんと一回お母様のところに戻りました! お兄様こそ、ずっとこんなところに居たんですか?」
「まあね。良い天気だから、つい転寝を」
「そんな、危ないですよ! お兄様はシギャくシン? をそ、……そそる? んだから、ひとりで居たらキケンです!」
なんだかすごい単語が出てきたな、と木の上でスザクは思った。けれど、ブリタニアでは普通の会話だったりして……などと考えていたが、ぎこちなく固まっていたらしいルルーシュが、ゆっくり首を傾げるのが見えた。
スザクからするとルルーシュは真下に居るので、ルルーシュがこちらを見上げない限りはその表情は見えないが、なんとなくナナリーの発言に泡を食っているのが判る。
「……一体だれがそんなことを?」
「シュナイゼル兄さんが云ってました」
「……ナナリー、あの男の云うことなんて本気で信じないで良いんだよ」
「でもお兄様を大事にしてくれる、良い人です」
「……方向を大幅に間違えてるんだけどね……」
ルルーシュが、スザクにも聞こえるくらいはーっと深いため息をつく。
シュナイゼルという名は、さすがにスザクも聞き覚えがある。ブリタニアの皇族の中では、皇帝に次ぐ有名人だ。第二皇子でありながら、兄弟の中では一番優秀と評判の。
そう云えばこのふたりにとっては兄になるのだろうが……スザクからするとニュースや噂でしか聞いたことのない人物の話を、こんなに親しげに話し出すふたりがなんだかすごく遠い存在のように感じた。
しかもルルーシュにおいては、若干、呆れたような云い方さえしている。ナナリーはそんなルルーシュに、ふるふると首を振っていた。
「そんなことないです、すごく心配してました。お兄様をひとりにさせるのは危険だって。また誘拐でもされたら……って」
「自分が誘拐犯のくせして、何を云っているんだろうね、あのひとは」
「もう、そういうことじゃないです!」
「ごめんごめん、ナナリー。僕だって、危機感を持っていないわけじゃないよ、もちろん。でもアリエスの、しかもこんな迷路の奥にまで、信用の置けない奴らが入れるわけがないだろう? 有り得ないんだ……普通は、そんなことは。……ーーーそれに、今日は母さんも居るし、近衛隊長のオレンジ君も優秀だから」
云い聞かせるようなルルーシュの熱弁に、ナナリーが不承不承ながらも頷いている。
それにしても……誘拐?
「そう……ですけど」
表情はもちろん見えないのだが、声と微妙に空いた間はかなり不満そうだ。
「それより、ナナリーは何故ここまで? 普段、こんな奥にまで来ないだろう?」
「あ、そう、そうでした! スザクさんを探してるんですけど、お兄様見掛けませんでした?」
自分の名前が出てきて、一瞬ぴくりと肩が跳ねてしまったスザクだったが、極力気配を消すように努めた。うっかり葉を揺すりでもしてしまえば、せっかくのルルーシュの協力が無駄になってしまう。
「さぁ……。さすがに僕も、寝ていたとしても人の気配くらいには気付くけど。こっちにはだれも来なかったよ」
「そうですか……。じゃあもし見つけたら、捕まえておいてくださいね」
「ああ、判ったよ。この迷路の中はじっくり探したのかい?」
「いいえ、まっすぐこっちに来ました」
「なら、チェスの反対側の方は? あっちには隠れるのにちょうど良い彫刻がある」
「あ、そうですね。像のあるほうのお庭に行ってみます! お兄様はもう寝たりしないで、周りに気をつけてくださいね!」
「ああ。ナナリーこそ、くれぐれも気をつけて」
「はいっ!」
ナナリーが元気良く返事をして反対方向に駆けて行くのを半ば感心しながら、残りの半分で不満を抱きながら、スザクはその姿を見送った。