Re;volver
星と野良犬


「おかあさまー!」


すこし離れた場所から掛けられた声が段々大きくなって行って、スザクは反射的にそちらに視線を向けた。
視界の端で、頭の上の方で結ばれたふたつの髪の束をぴょこぴょこと揺らしながら、女の子がこちらへ駆けて来る。その髪の色はブロンドに近く、太陽の光を反射してキラキラと煌めいている。
気温は心地良い程度で陽射しもそれほど強い光というわけではないのだが、角度的にちょうど逆光のせいで、眩しさのあまり顔までは見えない。


「ああ、戻って来たわね」


マリアンヌが己を呼ぶ声にすかさず反応し、そちらに手を振った。
”戻って来た”と云うことは、あの少女がさきほどの話に出てきたナナリーなのだろう。
少女の後ろを、同じようにとことこと追い掛けている薄いピンクの髪をひとつにまとめた少女も居たが、あくまでも前者の少女の後ろに付いていることと、服装からして、二つ縛りの金髪の方がナナリーだろうと当たりをつけた。
スザクたちの座るテーブルのすぐ近くまで来た少女たちが、息を弾ませながらユーフェミアとスザクを交互に見遣る。


「ユフィ姉様もいらしてたんですね!」
「ええ、お邪魔しているわ、ナナリー。相変わらず元気そうね」
「だってお腹いっぱいになっちゃったんですもの。もっと食べたいし、走ればお腹も減るかなって」
「それは良いけれど、ナナリーが元気すぎて、アーニャがちょっと疲れちゃってるみたいだわ」
「え……アーニャ、本当?」


驚いた様子で背後を振り返ったナナリーの視線の先で、アーニャと呼ばれた少女が小さく呟いた。


「そっ、そんなこと、ない……です……」


それは明らかに無理をしている声音で、単に走り回った所為で息が切れているだけかも知れないが、スザクは首を捻った。
口調からして、使用人なのだろうか。こんな幼い子が……
疑問でいっぱいのスザクを見兼ねたのか、マリアンヌがちょうど良いタイミングで「はいはい」と云って、ぱん、と手を叩く。
その音に背筋を伸ばした少女たちが、ぴしりとマリアンヌに向き直った。


「お母様?」
「ナナリー、先に紹介しておくわ。この子ね」


そう云ってマリアンヌに促され、スザクはすこし迷ったが、椅子から立ち上がってナナリーと向き直った。


「? ユフィ姉様のお友達ですか?」


ナナリーが不思議そうに首を傾げる。


「いいえ、スザクよ。前に話したでしょう? 今日からここに住むから、よろしくね」
「! ああ! 新しいお兄様ですね!」
「え、」


納得が行った様子のナナリーに、しかしその説明はどうなのだろうと思ってスザクが固まると、マリアンヌが注釈を入れてくれた。


「ナナリーにはそう説明してあるのよ。細かい事情を説明するのも面倒だから。間違いでもないしね」
「は、はぁ……」


納得が行かないまでも頷くしかないスザクに、マリアンヌは何故か満足した様子でにんまりと微笑み、今度はスザクに対しナナリーを示す。


「それで、この子がさっき話したナナリー、私の娘。後ろに居るのが、行儀見習いのアーニャよ。と云っても、貴族から預かってる子だし、ナナリーと年も変わらないから、ほとんどナナリーの遊び相手をしてもらってるけどね」


「そう、ですか。あの、」


マリアンヌの説明に一応頷いてから、ナナリーに再び向き直る。
すると、何かを期待するような、わくわくした瞳と目が合った。すみれ色の瞳はユーフェミアと同じような輝きを放っていて、ああ、姉妹なんだなと妙な感慨が湧く。
透き通るような色に何かを見透かされているような心地を抱えながら、スザクは手を差し出した。


「あの、スザク・クルルギです。よろしく……えっと、ナナリー?」


敬語を使おうとすると、マリアンヌとユーフェミアから無言のオーラが飛ばされているのを感じてしまい、中途半端にタメ口を使う。


「はい! スザクさんですね。マリアンヌが長女、第十七皇女のナナリー・ヴィ・ブリタニアです。よろしくおねがいします!」


元気の良い声に押されるように一歩引いてしまったが、ナナリーはそれをものともせずスザクに近付いて、そっとその手を包み込んだ。小さな手だったが、それはとても温かく。声の調子ではぶんぶんと振り回しそうなほどの勢いがあったのだが実際はそんなことはなく、ナナリーはそっと触れ合う握手をしただけですぐに手を離すと、淑女のようにスカートの裾を軽く持ち上げて、挨拶をした。
なるほど皇女らしい。
落ち着いて対峙したナナリーは、その幼さも相まって本当にお人形みたいだ。小作りの顔立ちはそれぞれが完璧な位置に納まっていて、くりっとした明るい瞳が可愛らしい。喋った感じではずいぶんと元気なようだが、ぱっと見ただけの印象では随分と優しそうだ。金髪だと思っていた髪は近くで見るともうすこし柔らかい、ハチミツ色をしていて、それが全体の雰囲気を更に和らげていた。
マリアンヌよりも、ユーフェミアの方がずっと似ている気がする。
そう思いながら、もう一度「うん、よろしく」と云って、その後ろに視線を転じた。


「あの……アーニャも。よろしく」


表情の乏しい少女はスザクのその呼びかけにこくりと頷いただけで、言葉を発することはなかった。
しかしその代わり、パシャリ、という音がして目の前で何かが弾ける。


「わ、」
「あら、ダメよアーニャ。ちゃんと云ってからにしないと。ごめんなさい、スザクさん」
「え……」


ナナリーのフォローが聞こえて、数秒経ってからようやく元に戻った視界の中央、アーニャがカメラのような、携帯電話のようなものを掲げているのが見えた。


「……写真?」
「きろく……」


スザクの問いかけに頷きながら、アーニャが呟く。
答えなのかどうか判らない言葉を拾って、一体どうしたら良いのか判らなかったスザクは「そ、そう」とだけ云って頷いた。そんなスザクとアーニャの様子に苦笑したナナリーが、更にフォローをする。


「アーニャは、写真を撮るのが趣味って云うか、癖って云うか……突然すみません。多分これからも急にこういうことがあるかも知れませんが、ゆるしてくださいね。それとも写真、お嫌いですか?」
「え……ううん。驚いただけで、苦手ってことはないよ」
「良かった! ほら、アーニャも」


ナナリーが一歩後ろに居たアーニャの腕を掴んで、前に来させる。
引き摺られたような体勢になったアーニャは、しかしスザクの目をじっと見つめてから、


「急に、ごめんなさい……」


そう、聞こえるかどうかという大きさの声音で呟いて、視線を逸らした。


「ううん、良いよ。えっと、今度写真見せてね」


否定するだけではなんとなく手持ち無沙汰になってしまい、言葉を付け加えるとアーニャは無表情ながらすこし嬉しそうな様子で「はい」と頷いてくれた。
それを見たナナリーの方がもっと嬉しそうな様子で、「また記録が増えて良かったね」とアーニャに話し掛ける。アーニャも「良かった、です」と呟いてこくりと頷いた。


「記録?」


写真に対して、なんだか大袈裟な表現ではないだろうか。
スザクが尋ねると、じっと液晶を見つめていたアーニャがわずかに顔を上げスザクの方を見る。


「携帯、ルル様にもらったの。忘れたくないことがあれば、記録すれば良い、って」
「ルル様?」
「ルルーシュお兄様のことです。スザクさんは、もう会われましたか?」
「ううん。名前は聞いたけど、まだ……」


あら、と目を見開いたナナリーに、マリアンヌが「そうなの」と補足する。


「まだ戻って来ないのよねー、あの子。どこで何してるのかしら。ナナリーは見掛けなかった?」
「いいえ……私はずっとお庭で遊んでいたから、お屋敷の中かも知れません」
「そっかぁ。ルルーシュはかくれんぼ得意だから、使用人たちに探させるのも酷ねぇ。悪いわねスザク、ルルーシュを紹介できるのはもうちょっと先になりそう。さすがに夕飯の前には戻るでしょうけど。今日はスザクの歓迎会しなきゃだしね。ユーフェミアも、良かったら食べてく?」
「わぁ、良いんですか?」
「もちろん。せっかく来てくれたのに、ルルーシュに会えないんじゃつまらないでしょう。貴女を独占してしまうとコーネリアに悪いけど、今日は忙しいらしいし大丈夫かしらね。貴女の家には、私から上手く云っておくわ」
「ありがとうございます!」
「ま、使用人たちには一応、ルルーシュを見掛け次第戻るように伝えるよう云っておくし」
「あ、じゃあ、私たちもかくれんぼしましょうか!」


ナナリーが、さも名案を思いついたというように手を叩いて嬉しそうな声を上げる。


「え?」
「お兄様を探しがてら、如何ですか? まだまだお夕飯までも時間はあるし」


そう続けたナナリーに、マリアンヌが「良いわね、それ」と同調する。
そしてちょっと考える素振りを見せてから、スザクにぱっと向き直った。


「これだけ広い屋敷だから、隠れるところがいっぱいあるの。スザク、好き勝手に見て回りなさい」
「え、好き勝手にって……」
「これからここに住むんだもの。入っちゃいけない場所なんかないわ。まずはひととおり見て回りなさいな」
「案内ついで、ですか?」


ユーフェミアがくすりと笑う。


「人聞きの悪いこと云わないで。ちゃんと案内は後でさせるつもりよ」


させる、という云い方が引っ掛かるが、今気にすべきはそこではなかった。
何だかスザク以外はとても盛り上がっている様子なので、ここで否定するのも空気を白けさせてしまうだろうか。
迷ってるうちに、話がどんどんと進んでしまう。


「じゃあ、まず鬼はスザクさん以外が良いですね。じゃんけんしましょう!」
「そうね」


マリアンヌが率先して鬼決めじゃんけんの掛け声を始める。母親が加わるものなのかと驚いてしまい何も云えずにいる間に、マリアンヌ、ユーフェミア、ナナリー、アーニャの四人のじゃんけんの結果、鬼はナナリーに決まったようだった。


「ナナリー、もう五百まで数えられるようになった?」


マリアンヌの問いに、ナナリーが驚いたように飛び上がる。


「ご、ごひゃくですか? えっと、数えたことはありませんけど、でもきっと、」


狼狽えたナナリーに、マリアンヌが苦笑する。


「うーん、そうよねぇ。途中で訳判らなくなりそうだし。じゃ、ここは時計を使いましょう。アリエスは広いし、スザクは初めてだから、長めに五分。ナナリー、この長針が五個動いたら、探しはじめて良いわよ」
「えっと、秒針が五周ですよね」
「そうそう、良くできました。じゃ、皆は判りやすいように、この秒針が零になったら一斉に動き出しましょう。五分経ったら、ナナリーは合図とかはなしに、勝手に探し出しちゃって良いわよ。待ってる間は暇だろうから、好きにお菓子食べてて良いから」
「わ、判りました! がんばります!」
「負けたら罰ゲームよ! よし、じゃあ、そろそろ……スタートね!」


マリアンヌの掛け声で、皆がわっと一斉に走り出す。
流れに乗せられるように、マリアンヌに背中を押されたスザクも走り出した。
「こっちよ」と掛けられた声に反射的に付いて行くと、その様子を見たユーフェミアが反対側に駆け出してゆく。ここはマリアンヌの家なのだからマリアンヌに従った方が良いのは判っているが、マリアンヌよりはユーフェミアの方がずっと話しやすいからすこし残念だ。しかしユーフェミアはあんなにふわふわひらひらしたスカートだと云うのに、その割にものすごいスピードで消え去ってしまい、呆気に取られ声を掛けることもできなかった。
そういうわけで、大人しくマリアンヌの後に付いて、屋敷の中に入る。
見回したが、いつの間にかアーニャの姿も見えなくなっていた。


「さっきも云った通り、中だろうが庭だろうが好きに歩き回って良いんだけど。鬼がナナリーだから、あまり高い場所に隠れるのは勘弁してやってね」
「は、はぁ……」
「あとは基本的に、柵から外に出なければどこ行っても良いわ。特にこの辺は客も訪れるようなオープンスペースだし、使用人の邪魔をすることもないから大丈夫」
「そ、そうですか……。でも急に、初めての家でかくれんぼなんて……」


ようやく本心を訴えることのできたスザクだったが、マリアンヌがそれで改心してくれることはなかった。……なんとなく、予想はしていたが。


「そりゃそうよねー。本当に、どこ行っても良いし、どの扉も遠慮なく開けてくれちゃって良いんだけど」
「と、云われても……」


自信のなさを全面に押し出すスザクに、マリアンヌがうーん、と唸りながら、ちょうど手元にあった棚の取っ手に手を掛けた。
カコン、と音を立てて開け放たれた中は、空洞になっているようだ。


「ちなみに、この棚を開けると中はからっぽなんだけど。ここはナナリーも知ってる場所だし、いくら初めてだからってこれじゃあまりに捻りなさすぎてつまんないわよねぇ」


そういう問題ではないのだが。どう説明しようか、むしろ僕ここで良いですと今にも云い出しそうなスザクを遮って、マリアンヌが左側に伸びた通路を指差した。


「じゃあ、この通路の先に、温室が見えるのが判る?」
「あ……はい、あの白っぽいところですよね」


確かに、通路の伸びたずっと向こうの突き当たりには、ガラスか何かの透けた素材の周りを白い枠で囲われたスペースが見えた。透けた窓の向こう側には、緑が溢れている。


「そう、視力は良いみたいね。あそこはね、温室だけあって暑いし、隠れるには向かないんだけど、通り抜けた先が迷路になっているの」
「メイズ……ですか?」
「ええ。ま、要は入り組んだ通路に薔薇が植えられてるってだけで、本気で迷い込むような迷路じゃないんだけど。ウチ一番の自慢の庭だし、あちこち木陰にもなってるから隠れるにはもってこいよ。どう?」
「えっと、じゃあ……行ってみます」
「うん。もしナナリーが見つけられなかったら私が探しに行くから、そしたら素直に出て来て頂戴ね」
「はい、判りました」
「じゃ、私はこの辺りで隠れられるところ見つけるわ。温室の中は迷うような造りじゃないし、外に出るドアもすぐ判ると思うから」
「はい……それじゃ」
「ええ、Good Luck.」


親指を立ててにっこりと微笑んだマリアンヌは、ますます母親には見えなかった。
とは云え、感慨に浸っている場合ではなく。時間は判らないが、マリアンヌと話したことでかなり食ってしまったはずだし、スザクはすこし小走りで通路を駆け出した。