Re;volver
星と野良犬
「あら、ユーフェミア。いらっしゃい」
「ごきげんよう、マリアンヌ様。ご無沙汰しております。ご一緒させていただいてよろしいですか?」
「もちろんよ。今日は、コーネリアは居ないみたいね」
「はい、ひとりで来ました。お姉様は、軍のお仕事があるとのことで……マリアンヌ様によろしくお伝えするよう云われています」
「そう、私もこんなにゆっくりできるのは久しぶりだから残念。また機会があればぜひ遊びに来て頂戴、そう伝えておいて。私が休みじゃなくても、あの子たちはコーネリアには懐いているし、来てくれたら歓ぶから」
「はい。お姉様も、ときどき私以上にふたりを気にかけることがあるくらいですから」
「心強いことね、有難いわ。―――まぁでも、堅苦しい挨拶はこれくらいにして」
ユーフェミアにマリアンヌと呼ばれた人物は、そう云ってふわりと長い髪を空気に浮かせ、テーブルの上を視線で指し示した。
「良いときに来てくれたわ、この山盛りのスイーツが見えるでしょう? なかなか減らないの。片付けるの、手伝って頂戴」
そう云われて、ユーファミアがぱっと顔を上げ、かしこまった調子から一転、明るい声を出す。
「歓んで! さっきオレンジさんに聞きましたけど、ほんとうにすごい量ですね。想像以上です」
「張り切りすぎよね。さぁ、そこの少年もこっちいらっしゃいな」
急に呼ばれて、ユーフェミアから数歩後ろに突っ立ったままだったスザクはびくりと肩を震わせた。
ユーフェミアと対峙しているのは、ふわふわとした長く艶めいた黒髪が印象的な婦人だ。和らげられた瞳に、ぱっと見は優しそうに感じるけれど、きっぱりとした口調がその印象を裏切っている。
とは云っても、決して悪い意味ではなく、意思の強そうなしっかりした印象を受けた。
彼女もまた、今までスザクの周りには到底居なかったような人物だ。神楽耶を別にすれば、母親を筆頭としたスザクの周囲にいた女性陣は、ひたすら男性を立て自己主張の弱いひとが多かった。
いまスザクの目の前に居るのは、日本でスザクが接触したことのある女性たちとは、対極にいるような圧倒的な存在感がある。
「あ……マリアンヌ様、彼は、」
「あの、スザク・クルルギと申します!」
スザクを気遣い、紹介してくれようとした様子のユーフェミアの言葉を遮り、スザクはそう勢い良く自己紹介をした。
きっちりと腰を九〇度に曲げたお辞儀付き。
自然と視界に入った均一に整えられた芝生を見つめながら、そう云えばブリタニアにお辞儀の文化はなかったかも知れないと思い出したが、既に後に引けないのでスザクはそのまま慌てることなく、ゆっくりと顔を上げた。
土壇場で慌てずに住むのは、武道を嗜んでいたお陰だろう。変な場所で、恩師の藤堂に深い感謝を捧げてしまった。
若干恍けたことを考えていたスザクが顔を上げた視線の先には、相も変わらず穏やかに微笑んだままの婦人の姿がある。彼女は突然声を上げたスザクに、驚く様子もなかった。
「あらそう。ユーフェミアの影に隠れていたから、てっきりリ家の使用人か、お友達でも連れて来たのかと思っちゃったわ」
あっさりとそう受け入れられる。
「あ…あの、」
「貴方がスザクね。私、マリアンヌ。このアリエスの離宮の主よ」
「はい……マリアンヌ様、ですね。よろしくお願いします」
背筋を正し、つい日本人故に染み付いてしまった礼をふたたびすると、マリアンヌはすこし憮然としたような表情になった。
何か怒らせるようなことをしてしまったかとスザクは一瞬肩を震わせたが、そのままうーん、と悩むように唸ってしまったマリアンヌの真意は、そういうことではなかったらしく。
「そうねぇ……一応、立場的には貴方の母親みたいなものになるのかしら。でも私、あの子たちだけで精一杯だし、母親らしいことなんてできないの。するつもりもないんだけど。子どもがひとり増えるなんて年取った気分にもなっちゃうし、母呼びは勘弁して欲しいわ。だけど……様付けって云うのも、これから一緒に住むのに壁を感じるわよね」
独り言のような呟きではあったが、最後の問い掛けはユーフェミアに対するものだったらしい。ユーフェミアはすこし考えてから、「確かに、そうですね。他人行儀です」と頷いていた。
「そうよね。じゃあスザク、貴方には『さん』付けすることを許すわ」
「え……?」
「理解力がないのね。マリアンヌさんと呼びなさいって云ってるのよ」
「は、はぁ……マリアンヌさん?」
「ええ、そう。良くできました」
にこりと微笑んだ表情はほんとうにそれ以上何も含むものなどなさそうで、本気でそれだけを伝えたかったようだ。怒らせたわけではなさそうなのでほっとしたスザクだったが、奔放すぎるテンションに着いて行くのが大変だった。
「それにしても、スザクが今日来るなんて思わなかったわぁ。もっと先かと思ってた」
「あ、あの、すみません……急に」
先程と同じことを云われた。スザク自身も、ブリタニアへ出発する正確な日付を告げられたのはつい二日前のことだったので、だれの意思かは知らないが、やはりあまりにも急な決定だったらしい。せめて、スザクが来るということだけでも伝わっていてよかったと安堵しながらも、やはり申し訳ない気がしてしまって畏まる。
「あら、良いのよ。スザクはゲンブに云われた通りに来ただけでしょう? こちらのスケジュール管理が甘かったのがいけないんだから、そんな縮こまる必要はないわ。堂々としてなさい」
「え、っと。父を、ご存知ですか」
「そりゃあねぇ、有名人じゃない? いくら武人の私でも、それくらいの時事には通じてるわよ。それに彼は、シャルルの友達だし」
「……へ?」
シャルル。それは聞き慣れているようで、けれどこんな気軽な響きで聞いたことはないので、全く耳に馴染まない名だ。
一度に耳に入って来た情報料が多過ぎて一瞬動きが止まったスザクだったが、その隣ではユーフェミアも同じように呆気に取られていた。
「お父様の、ですか?」
「ええそうよ、ユーフェミアは知らない?」
「はい……お父様にお友達が居たということ自体、初耳です」
それはスザクとて同じだ。我が父ながら、あの親にお友達という響きがそもそも似合わない。いろいろな利権の絡む友人とやらは確かにそこそこ居るのだろうが、いまマリアンヌとユーフェミアが云っているのは何か違う響きのような気がする。
「それはさすがにシャルルが可哀想だわ。あんな感じでも、友人くらいは居るわよ。それに最近あのひと、ルルーシュがつれないものだから拗ねてるのよね。その上ユーフェミアにまでそんなふうに思われてると知ったら、面倒なことになりそうだわ。本人には云わないであげてね」
「それはもちろん……恐れ多いことです」
「そんなに気にすることないのに。もっと砕けた態度でいっちゃえば、案外歓ぶわよ?」
「いえ、お父様はお父様である以前に、皇帝陛下ですから……そういうわけにはいかないです。何より、お姉様に怒られてしまいます」
「誤解されてるわねぇ。ま、面白いから良いけど」
マリアンヌは見掛けはとても上品なのだが、言動はとてもさっぱりしていた。取り繕うことをしないのは好感が持てるし、お上品な感じよりは接しやすく、緊張せずに済むから助かるけれども。
たぶん彼女は、ここの主だと云っていたし、シャルル皇帝に対する物云いからして、恐らくは皇后と呼ばれる存在だと思うのだが、皇后陛下がこんな調子で良いのだろうか。
つい先程まで明るく対応していたユーフェミアでさえ、どこか食われたようにマリアンヌに場を持って行かれ、狼狽えているような様子だった。もちろん出会って精々数十分しか経っていないユーフェミアのことがスザクに判るわけもないので、ユーフェミアは単純に話題のせいで戸惑っているだけかも知れないけれど。
スザクとユーフェミア、内心であわあわしているのをなんとも思っていない様子で、マリアンヌがふたりに席を勧める。
流されるがまま座ってしまい、どうしよう、どうしたら良いのだろうかと迷ったところで、マリアンヌがテーブルじゅうに散りばめられた宝石みたいなお菓子を、いろいろ取ってくれていることに気が付いた。
「とりあえず一周食べきった私が、オススメのものを選んであげちゃう。苦手なものがあったら、気にせず残して良いわ。逆に気に入ったら、どんどん取りなさい」
「わぁ、全部食べたんですか?」
さすがユーフェミアはスザクよりは切り替えが早いらしく、マリアンヌの言葉に愉しそうに声のトーンを上げた。
「そうよー、今は小休止中。だから今現在敵は居ないけど、もうすこししたら私もまた取りかかるし、ナナリーも戻って来るでしょうから。それまでの勝負よ」
マリアンヌの答えに、ユーフェミアがきょろきょろと辺りを見回す。
ナナリー、また新しい名前が出て来たと思い覚えるのに必死なスザクはそれどころではない。
「そう云えば、ルルーシュとナナリーは……」
「ルルーシュは、あの子は早々にギブアップしてどっか行っちゃったわ。これだけの量、見てるだけで気持ちが悪くなるそうよ」
「ルルーシュは小食ですものね。甘いものはそこそこお好きみたいだから、いつもは付き合ってくれますけど」
この量では……と声にならない呟きを拾ったスザクの目の前に置かれた、マリアンヌセレクトの小皿は、それだけでもじゅうぶんな量があった。
甘いものとは云えたべもののはずなのに、そうと信じられないくらい色とりどりで、キラキラしていて眩しい。
いくらスザクが日本の旧家に生まれたからと云ったって毎日和食に和菓子ばかりというわけでもないし、ブリタニアの文化(とりわけ食文化)はそこそこ入って来ているものだ。特に日本は外国の文化を適度に取り入れて自国の文化に溶け込ませるのが得意だから、ケーキくらいならスザクも食べ慣れている。
だと云うのに、いま目の前にあるのは見たことのないものばかりだった。
目をパチパチとはためかせるスザクの頭上では、マリアンヌとユーフェミアによるガールズトークが繰り広げられている。
「ねー、あの子あんなに小食で、この先どうするのかしらね。男らしさがなくて困るったら」
「あら、可愛くて素敵ですよ。ムキムキな方より、ずっと良いです!」
「やぁねぇ、ユーフェミアはあーゆーのがタイプなの? 絶対に苦労するから止めときなさい」
「ご自分の息子なのに、オススメできないんですか?」
話題には口を挟まないながらも、スザクはふたりの会話をしっかりと聞いて、そして理解に努めていた。
このマリアンヌが、どうやらルルーシュというユーフェミアの兄の母親らしい。ややこしい関係に、頭がこんがらがりそうになる。
ブリタニア皇帝は妃が何人も居るというのはさすがにスザクも知っているし、何よりこの態度から云って、マリアンヌはユーフェミアの母というわけではないのだろう。
腹違いの兄を素敵だと云い、マリアンヌに懐いている様子のユーフェミアが、なんだか更に遠い世界に居るように感じた。
自分の父にもどうせ愛人くらいは居ると思うし、それをどうこう云うつもりはないのだが、だからと云ってその愛人相手に対し、ユーフェミアのように友好な態度はとてもじゃないが取れない。スザクの知らない母親違いの兄弟が居るとしたら、それなりにショックを受けると思う。だがユーフェミアにはそういう屈託がまったく無い。
しかも、このマリアンヌというひとがスザクと年の変わらない子を持つ母親ということが信じられないので、余計混乱が増す。見た目の若さもそうだが、何より母性らしさのようなものが全然見当たらないのだ。
「残念ながら、我が子だから無条件で可愛いってわけでもないのよねー。特にあの子は可愛げがないんだもの。もちろん顔だけは私に似て可愛いし美人だけど、男なのにあれじゃ頼りないわ。中身は敵を作りやすいタイプだし、この先心配しちゃう」
聞いているスザクとしては、印象通り、だが母親としてどうかなぁと思う話題なのだが、ユーフェミアは苦笑している感じだし、何よりマリアンヌも軽い云い方だ。ブリタニアの文化、しかも皇族というのはそういうものなのだろうか。
「結局気にはされてるんですね」
「まっねー」
軽い感じながらも頷いたマリアンヌに、何故か全く関係のないはずのスザクが安心してしまった。
自分のこどもに興味のない親の存在は、見るだけでも胸が苦しくなってしまう。自分の親を思い出して……と思いたくないスザクは、脳裏に浮かんだ顔を必死で振り払った。
けれどその隣で、ユーフェミアが同じような表情を浮かべていた。
「マリアンヌ様のそういうところ、私好きです。私のお母様と全く違うスタンスだから、ルルーシュとナナリーが羨ましい」
「ああ、あの女は面倒くさいタイプね。貴方も苦労するでしょう。ここが息抜きになるのなら、もっと好きに来て良いんだからね。面倒くさい女だから普段は相手したくないけど、ユーフェミアがここに居る間くらいは護ってあげるわよ」
一言目からしてスザクはぎょっとしてしまったが、ユーフェミアは全く気にせず、それどころか目をキラキラさせていた。
「マリアンヌ様…かっこ良いです…! ありがとうございます!」
「こどもはそれで良いのよ、思うがままに生きなさいな」
そう云って紅茶を一口啜ったマリアンヌは、確かに格好良い。はちゃめちゃなことを云っていたのに、締めがそんな格好良いなんて卑怯だ。
「私もあの子たちには好きにさせてるけど、でもさすがに、スザクが居るってのに今日は自由にさせすぎかしら。早く紹介しておきたいわよね。スザクも、このまま両手に花状態じゃ緊張するでしょうから、ルルーシュが居てくれればすこしは……って、ダメか」
名前を呼ばれたので佇まいを正したスザクだったが、何やら自己完結した様子のマリアンヌに、頭に?マークを浮かべ首を傾げる。
ユーフェミアは何のことか判ったようで、くすくすとおかしそうに笑って頷いていた。
「ええ、ルルーシュも花ですから、ダメだと思います」
「そうなのよねぇ……ま、男同士ってだけでも違うでしょ、そう信じましょ」
「そうですね。ルルーシュとスザクが仲良くなったら、素敵だと思います! ルルーシュは、今日は拉致られたりしてないんですよね?」
物騒な単語にぎょっとしたスザクだったが、マリアンヌはなんてことのないように朗らかに笑っていた。
「今日は他にだれも来てないし、大丈夫よ。本人も休憩するって云ってたから、きっとアリエスのどこかには居るんでしょう。ナナリーは、お腹いっぱいになったからちょっと動いてきますって云って走ってっちゃっただけだから、もうすぐ戻ってくると思うわ」
「ナナリーらしいですね」
「あの子はあの子で元気すぎね。まぁ、兄妹で良いバランスは取れてるのかも知れないけど……ってあらヤダ、私の教育が素晴らしいってことかしらね、コレは」
ものすごい自画自賛を聞いてしまったが、いっそ感心するレベルだったのでスザクは素直に舌を巻いた。しかしユーフェミアは、くすくすと同調している。
「そうですね、きっとそうです。マリアンヌ様に育てられたから、ルルーシュもナナリーも、人気者なんですね」
「人に好かれる秘訣は教えた覚えがないから、単に私に似ただけよ」
ユーフェミアはおかしそうに笑っているが、スザクは呆気に取られていた。
たとえこの短時間であろうと、マリアンヌの人柄は既に何となく判って来てはいるのだが、女性なのにどうこういう問題ではなく、ここまで自信に溢れたひとをいままで見たことがない。
「あら、話に夢中で気付かなかったわ、ごめんなさいね。どうぞ食べて食べて」
マリアンヌが勧めてきたのとほぼ同時に、メイドによってユーフェミアとスザクの横に紅茶が置かれる。
すぐに割れてしまいそうなくらい薄い高級なカップに入った、琥珀色の液体。紅茶を知らないわけじゃないし、飲んだこともあるにしても、スザクのような年齢の男子にとっては飲み慣れないものだ。すこし力を加えただけで、ぴしりとヒビの入りそうなカップにわずかに怯んでしまったが、これくらいなら大丈夫だと自分に云い聞かせる。砂糖も置いてくれたので、これくらい手を伸ばしても、遠慮がないなどと思われることはないだろう……きっと。
そんなことをスザクが考えていると、ちょうどユーフェミアが「じゃあ遠慮なく」と云ってストロベリームースに口を付けたので、スザクも同じように倣い、一番手前にあったケーキにフォークを突き刺した。色からして、チョコレート系だろう、きっと。良く判らない、複雑な飴細工にも似た飾りが乗っているけれど。
「今更だけど、スザクは甘いもの平気?」
「え…あの、はい」
マリアンヌから突然聞かれて、咄嗟にスザクはケーキから顔を上げてそう答えた。
実際、苦手というわけではない。
けれどこんなにたくさん、ここまで甘いものを一度に食べたことはないので、いま目の前の皿の上だけでも片付けられるかは自信がなかった。
そのスザクの心境を読み取ったのかどうかは知らないが、マリアンヌがにこにこと爆弾を落とす。
「遠慮はしないで、云ってみなさい。むしろ遠慮なんかしたらはっ倒すわよ」
本気の目だった。
それを本能で嗅ぎ取ったスザクは、ほんとうに平気ですと一応前置きした上で、思っていたことを素直に話す。
遠慮はなしというのは良いのだが、こうやって脅されるのはなんだか違くないか。いろいろ疑問は湧きつつ、けれどマリアンヌが妙な迫力を纏っているので圧倒されてしまう。と。
「そうねぇ、そりゃ日本の味に慣れてればこっちのスイーツは甘すぎるわよね。そう云えばスザクは、ブリタニアに着いてわりとすぐよね。何か食べた? お腹は減ってる?」
「そう云えば……飛行機の中で朝食を食べたのが最後です」
緊張やら何やらですっかり忘れていたが、そう思えば最後の食事は大分前のことだ。しかも緊張と不安でいっぱいだったため食べた感じはしないし、そう思えばお腹は空いているような気はする。
スザクの答えに、マリアンヌが驚いたように身を乗り出した。
「じゃあ昼抜きじゃないの! しかも機内食なんて美味しいものでもないでしょう。ちょっと待ってて。軽食を用意させるから、それはとりあえずの繋ぎで食べておきなさい」
「え……でも、」
「良いの良いの。甘えておきなさいな」
そう云うとマリアンヌはメイドを呼んで、何やら云い付けている様子だった。
恐縮しきりのスザクに、ユーフェミアが落ち着くようにジェスチャーした後、「云った通りでしょう?」と微笑みかけて来る。
それが、アリエスには良いひとばかりだと云っていた、すこし前の台詞に繋がることは判っていたが、スザクは何とも答えかねていた。
もちろん、悪いひととは思わないのだけれど、何て云うか。……何と云ったら良いのか、判らないけれど。
ほどなくして、スザクの前にサンドウィッチとスープが運ばれて来る。サンドウィッチはこんな短時間で用意したとは思えないほどたくさんの具が挟まれていて見るからに美味しそうで、スープからは良い香りが漂い、スザクはぐう、と腹を鳴らせた。
完全に緊張が解けた、というわけでないのだが、すこしは寛いでしまっているようだ。
「悪かったわね。ウチには、どこのダイエット中の女子よってほど食べないルルーシュと、まだ小さいナナリーしか居ないから気が回らなかったわ。スザクは育ち盛りの男の子なんだから、しっかり食べなさいな」
「はい……あの、いただきます」
「? ああ、日本式の挨拶ね。どうぞ召し上がれ、だったかしら?」
咄嗟に『いただきます』を日本語で喋ってしまった自分も自分だが、同じようにマリアンヌから日本語で返されたのが驚きだった。片言気味だけれど、十分伝わるくらい発音は上手だ。
「え、はい。そう、ですね……」
「違った?」
呆気に取られたスザクに、マリアンヌが愉しそうに首を傾げる。間違っているとは到底思っていないような様子だ。
「いえ、合っています。お詳しいんですね、と思いまして……」
「ちょっとね。それにしてもスザク、敬語が変よ」
「え、」
ぎくり、と身を強張らせる。
マリアンヌは決して怒っている様子ではなかったが、そこそこ真剣な表情をしていた。
「まだブリタニア語でさえ慣れてないでしょう? 無理に敬語にしようとしなくて良いわ」
「すみません……」
「いちいち謝らなくて良いわよ、面倒だから。気を遣ってるんでしょうけど、ここではそういうのは無用。もちろん、外に出ればその限りではないんだけど。そのための教育の手筈も整えてるはずだから、徐々に学んで行けば良いわ」
「はい、えっと、すみま……じゃなくて。頑張ります…」
「飲み込みは良いみたいね。素直でよろしい」
一転してにこりと微笑んだマリアンヌは、云い方こそキツいように感じられたが、怒っている様子もなく、嫌味を云うような表情でもない。第一印象通り、どこまでもさっぱりしていた。
自分の対応は間違っていなかったようでほっとしたが、もし間違っていたら、一体何を云われていたのだろうか。
「スザクは、学校に行くんですか?」
様子を窺っていたユーフェミアがそう口を挟んだことで、そう云えばその可能性もあるのかということにスザクは今更気が付いた。
恥ずかしい限りだが、しかしスザクは何故ここに居るのかさえ良く判っていないのだ。なんのために……と云うのは、上手く説明できないにせよ何となく察してはいるが、では一体、ここに居て何をすれば良いのか。
ふたたび襲いかかる不安に、恐らくは縋るようにマリアンヌを見てしまったスザクだったが、マリアンヌがそのスザクの不安を汲み取ってくれることはなかった。
「さぁ? その辺はルルーシュとシュナイゼルに任せっきりだから知らないけど」
「ああ、それででしょうか。ルルーシュが最近、忙しそうにしてたのって」
「そうなの? ま、あの子は忙しいほうが輝いてるから良いのよ」
「でも全然遊んでくれなくなっちゃって、ちょっと寂しいです」
ケーキをひとくち口に入れながら、ユーフェミアがしゅんとした様子で肩を落とす。マリアンヌがそれを見て苦笑していた。
「そうねぇ……ちょっとでも時間が空いたかと思えば、大体シュナイゼルかクロヴィスが連行してっちゃうからね」
「そうなんです……お姉様も見込みがあるって頼りにしているし、それはすごいなって思うんですけど……でも、私とひとつしか変わらないのに」
「じゃあ、今日は絶好のチャンスよ。あの子も仕事漬けだから、たまには泥だらけになって、遊び疲れを経験させたいの。書類見過ぎて目疲れとか、ずっとデスクに張り付いててブリタニア人のくせに肩凝りとか、お前どこのおっさんよって感じで腹立つのよねー。こどもらしいこともさせないとダメだわ。お任せして良い?」
「ええ、もちろん! それなら、歓んで!」
「決まりね。スザクは、体力派? 勉強派?」
急に振られて、スザクはぱっと顔を上げる。
「えっと、身体を動かすのは好きです」
「やっぱり。見るからにそんな感じよね。適度に焼けてるし、筋肉も付いてる。何かスポーツしてるの?」
「スポーツ……とは、すこし違うかも知れないですが。武道をずっと習っています」
「武道? ジュードーとか、カラテとか?」
マリアンヌには先程ふと日本語を口に出されたこともあって、それくらいの単語が出てももうスザクは驚かなかった。柔道や空手なら、世界に通用すると知ってすこし誇らしく思うくらいだ。
「はい、そうです。あと、剣道とか、一通り」
「良いわね良いわね! 後で型を見せて頂戴よ」
「それくらいなら、歓んで」
ぱっと歓んだ様子のマリアンヌもまた、身体を動かすことが好きなタイプなのかも知れない。今までで一番、うきうきとしているように見えた。
「ルルーシュは、全く逆なのよ。あ、今更だけど、ルルーシュとナナリーっていうのが私の子で、ここの住人は私とその子たちだけなの。あとは使用人くらい」
これだけ広い宮に、住人は三人だけ。
皇宮のはずれではあるけれど、いまこうして中庭に出るまでに通った屋敷は全貌が掴めないほど広かったし、それに、裏手に見えた丘も総てアリエスの離宮の一部なのだと聞いた。
アリエスまで歩いた道のりからだけの判断だが、広さだけならここは他の宮に引けをとらないと思う。けれど場所は皇宮のはずれもはずれと云ったところで、それがどういう意味なのかはスザクには判らない。
「ルルーシュってのはスザクと同い年の男の子なんだけど、ずっと部屋で本読んでるような理屈屋でもやしっ子だから、聞いた感じだとスザクと正反対ね。ナナリーは三つ下の女の子で、こっちは元気のかたまり。すぐ遊び相手をねだって来ると思うから、余裕があれば相手をしてやって。と云っても、馬が合わなければ無理に仲良くする必要も無いわ」
「はぁ……」
「マリアンヌ様ったら。そんな云い方じゃ、逆にスザクが身構えてしまいますよ」
「あら。できる限り気負わないようにっていう、気遣いのつもりだったのに」
マリアンヌの云い分に苦笑したユーフェミアが、スザクを気遣う様子で首を傾げる。
「ルルーシュもナナリーも、確かにタイプは違うかも知れないけど、とっても仲の良い兄妹で、周りにも優しいから、きっとスザクとも上手くやれますよ」
それを受けて、マリアンヌもそうね、と頷く。
「あの子たちがスザクを排除するとは思ってないわ。母親である私が云うのも何だけど、見てて心配になるくらいお人好しの子たちだから。でもだからと云って、義務であの子たちと仲良くされてもねぇ。スザクは日本から預かってる大事なご子息なんだから、いろいろ制限をつけて縛り付けるつもりもないし、好きに過ごしてくれれば良いわって話よ。OK?」
「は、はい。あの、お気遣いありがとうございます」
「その態度も。そんなに畏まらなくて良いわ。今はまだ緊張してるんでしょうから、それで良いけどね」
「はい……」
ユーフェミアに、「良いひとでしょう?」と聞かれて、即答できなかった理由。それが段々と明確になってゆく。
なんだかこのひとは、怖いと感じた。
敵意も悪意もないし、歓迎してないわけじゃないと思うのだけれど、かえってそれが怖い。
理由無き好意は不気味なものだが、好意というのもあまり感じないからこそ。
一体どういうつもりなのか、真意が良く判らなくて、その不明確さが不確かで曖昧な恐怖という名となってスザクに印象付けられた。