Re;volver
星と野良犬


ユーフェミアの作り出す空気はどこまでも柔らかくて、スザクのことを根掘り葉掘り聞いてくるでも無かった。気を遣われているような感じはしないし、きっとそういう性格なのだろう。天真爛漫ーーしかしある意味では、自分本位と云えるような性格。我ながら捻くれたことを考えている自覚はありながらも、実際に何も聞かれないことに対し内心安堵しながら、スザクは軽い世間話のような会話に付き合った。
実は最初こそ皇族なんて、と思ってしまっている部分があったのだが、きちんと話をしてみれば、ユーフェミアはあくまでもスザクと年の変わらない、捻くれたスザクの考えなんて蹴散らしてしまえるくらい真っ直ぐな、可愛らしい少女だった。
ただし、……ただの、とは云えないかも知れないが。
何と云うか、ブリタニアの姫と聞いて想像してしまうような、身分を笠に着るような高飛車なところはないのでとても話しやすいが、言葉遣いや立ち居振る舞いがやはり特殊だ。選ばれた者だけが持つ、特有の雰囲気がある。天真爛漫と評した通り、どこか浮世離れしていると云うか……上手く云えないが、高貴な人種というのは、こういうものなのだろうか。
そんなユーフェミアによる辺りの景観の説明を受けながら、そうして辿り着いた先。
ユーフェミアは軽く呼び鈴を押して名乗っていたが、もうそこからしてスザクにとってはかなりハードルが高いような気がする。
そう感じたアリエスの離宮の入り口は、まるで来る者を拒むような荘厳さだった。美しく先端の削られた柵がこちらに向かって突き刺さってきそうな気さえする。
綺麗……ではあるし、ユーフェミアに遭ったときユーフェミア相手にも思ったことだが、まるで物語や映画にでも出てきそうな雰囲気だ。
もちろんスザクは、そんな女の子が好みそうな話などそもそもあまり見ないし、好みというわけではない。
だが、このアリエスの離宮は変なゴテゴテした成金趣味がなくて、センスが良いなぁというくらいの美意識ならある。
とは云えあくまでもスザクはこういう世界に憧れるような性格ではないし、ただただ慣れない煌びやかさに圧倒されるばかりだ。
神楽耶だったら歓びそうだな……と、若干西洋贔屓なところがある従妹を思い出す。結局のところ彼女にとっては日本が一番で、和室に和物ばかりの家具や小物を置き、和服ばかり身に付けているが、西洋への憧れはまた別のものらしい。ゴシック調の左右対称の建物や、アンティークドールなどに目を輝かせていることを知っている。乙女心というやつだろうか、スザクには良く判らない。
それでもユーフェミアがまとう華やかなレースと花のコサージュにあふれたフリルたっぷりのドレス、入口の門に駆けつけて来た男性が身に付けている、特徴的なかっちりとした制服、おそらくメイドなのであろう女性の重厚なメイド服(想像よりは余程シンプルだ)、離宮を囲む柵に施されたレリーフ、門と建物の間にある細かい造型に吹き出る噴水、白いレンガの敷き詰められた道……それらのものは、スザクの意識を別の世界へ遠退けさせた。
細部に至るまで美しく設計されているのに、そこかしこに無骨な監視カメラが設置されている。さきほどスザクとユーフェミアが訪れたときもすぐにマイクから反応されて自動で門が開いたので、セキュリティレベルは相当高いものだろうと思われる。さすが先進国、と思うが、建物の古典的なイメージと一緒になると大分アンバランスだ。
つくづく、ユーフェミアが居てくれて良かったと心底思う。
ユーフェミアが軽くスザクの方を示し説明をすると、制服姿の男性(軍服のように見えるが、屋敷に居るということは執事か何かなのだろうか)は一瞬だけスザクを値踏みするような視線を投げかけたが、すぐに和らげた表情で礼をすると、右手を差し出して来た。
その手に、ほんのすこしだけ固まる。
だが、怖がってはいけない。怯んだりしてはいけない。
むりやり押さえつけた自己暗示でスザクはなんとか、差し出された手をとり握手をした。
日本では挨拶は会釈程度しかしないものだが、ブリタニアでは握手というかたちで直接触れ合うことが普通で、親しくなればハグも珍しくないと聞いた。だからこれは、必要な通過儀礼なのだ。
スザクが恐れる気持ちを押し隠して握りしめた手は力強く迫力があったが、スザクが事前に覚悟を決めたような威圧感はなかった。しっかりと握られた手は温かく、大きく、優しさは感じられなかったけれど、敵意もない。
途端、考えすぎてしまったらしいと気付いたスザクは自分を恥じる。でも、たったひとりで言わば敵地へ入り込んだと云っても過言ではないのだから、疑いはいくら抱いても行き過ぎるということはない気がする。
と云っても、そんなスザクの慣れない態度だなんて演技にもなってなくて、やはり判りやすいものなのだろうか。
これから先、きっともっと多くの人に会うことになるのに、どうしたら良いのか。こんな場所に来てからようやく実感が湧いたのか、どっと疲れが出て肩の力が抜けてしまう。−ーむしろ、この離宮の主にも面通りしてない今、勝負はこれからだと云うのに。
表情には出さないように気をつけながら、決意を新たにしようとするスザクを、制服姿の男はじっと注視していたが、結局何を云うでもなくスザクとユーフェミアを屋敷の奥へと促した。ユーフェミアは疑いも無くそのまま付いて行こうとするので、もちろんスザクもその後を追い掛けるしかない。


「しかし、枢木様が今日いらっしゃるとは……」


軽く通り道にある部屋や施設の説明をしながら、どことなく考え込む様子だった制服服の男がそっと口を開く。愚痴にも聞こえるそれにスザクはびくりと肩を揺らしたが、それよりも先にユーフェミアが意外そうに取って掛かった。


「あら。聞いていなかったの?」
「はい、申し訳ありません。詳しい日取りはまた後日と聞いたきりでした」
「ご、ごめんなさい……」


思わず縮こまってしまったスザクの返事に、男は驚いたように目を丸くしてスザクを見ると、すぐに表情を和らげた。


「……いいえ、こちらできちんと確認しなかったのがいけないのです。一番いけないのは、私に後でまたと云った人物ですが。お迎えに上がれず、申し訳ありませんでした」


謝っている割には妙にきっぱりとした口調で告げられ、返事に困ってしまう。スザクは悪くないのだとフォローしてくれたことは判るので、また謝るのは情けないし、かと云って御礼というのも何だか変だ。


「いえ、大丈夫です……」


結局そんなふうに曖昧な返事になってしまったが、男はそれで構わなかったようだった。 


「しかし、良いタイミングではあります。ちょうど今日は、ケーキやサブレやマドレーヌ、マカロンなど、たくさん、たっぷり焼いたばかりなのです」


突然転換した話題に、スザクはぽかんとして、ユーフェミアはくすくすと笑った。


「そんなにたくさん? まさか、失敗作だったりしないの?」
「まさか! オーブンを新しいのを入れたので、料理長が張り切って、色々癖を見ようと作って慣れているところなのです。おかげで、今日は中庭で皆様スイーツバイキングをされている真っ最中ですよ。お二人の分もまだまだ余裕であります。マリアンヌ様も珍しく宮にいらっしゃいますし」
「まぁ。じゃあ、皆、ほとんどそっちに集まっているのね」
「ええ」
「そうと決まれば、すぐ行きましょうスザク。早い者勝ちですよ!」
「は、はぁ……あの、」
「あ……もしかして、甘いものが苦手でいらっしゃいますか?」


展開に着いて行けていないだけなのだが、しゅんとしたユーフェミアに咄嗟に首を振る。


「あ……ううん、ゴメン。そんなことはないよ」
「なら良かった! アリエスの料理長は、腕が良くて有名なんですよ。期待してくださいね!」
「そう、なんだ」
「はい!」


駆け出したユーフェミアに腕を取られ、引っ張られるようにスザクも足を速める。その様子を微笑ましいように、すれ違う使用人が見つめていた。