Christened on Tuesday,











 8/1.Mon.  8/2.Tue.
   
 血塗れの子どもを拾った  子どもに名を聞いた
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   




















長くなるかも知れないという子どもの話は、本当に果てしなく長かった。ほとんど半生を聞かされたようなものだ。しかもぽつりぽつりと時折思い出したようになにかを付け足しながら話すものだから、ちょっと逃げ出したい気持ちになったことは否めない。その上、核心に触れるような内容は皆無だった。何故この家の前にいたのか、そもそも何故そんなに血塗れだったのか。“覚えていない”の一点張りだ。
それでも、話の合間に手を伸ばしタオルを替えようとしただけで気付かれぬように竦ませる身体や、立ち上がる素振りを見せるだけで捨てられた仔犬のように潤ませる眼を、いくら無慈悲と云われるイザークでも無下にはできなかったのだ。


「そういえば、お前の名を聞いてなかったな」
「貴方の名前も聞いてないです」
「ああ……そうか。そう云えばそうだったか」


身体を起こすくらいは出来るようになった子どもにレトルトのスープだけ手渡してやって、イザークはベッド脇に佇んでいる。
そんなイザークの返事に、子どもは不本意そうに唇を尖らした。話をしたことで落ち着いたのか、今は随分と警戒心を和らげている。


「それで、教えてくれないんですか?」
「先に訊いたのは、俺の方だな」
「そッ……うですけど……」


ぷくりと頬を膨らませたその表情が、精一杯背伸びをしている子どもを歳相応に見せていて思わず笑みが零れる。
イザークは口端をほんのすこし動かしたか、若しくはそう感じただけでなにも表情は変えていないと思っていたのに、子どもは一瞬呆けたように固まった挙句うわあ、と呟いた。


「イザークさんが笑った」
「……おい」


あ、と云って子どもはスプーンを持ったまま口許を抑えたが、滑り出した言葉は元に戻る筈も無い。
紛れも無い怒りを滲ませて再度問い掛けると、子どもは仕方がないといったように肩を竦ませた。


「ひとつ、思い出したんです」
「なにを」
「倒れる前のこと。赤い視界の中で、確かにイザーク・ジュールっていう表札を見て、そしたらなんだかほっとして」
「何故其処で落ち着くんだ」
「判りませんよ、そんなことは。ただ、ああ俺は辿り着いたんだなぁ、って。思いました」
「……何故、」
「何故初対面なのに、って云うんでしょう? 俺にもそれは判りません。でも目を開けたら貴方が居て、ああ、このひとがイザーク・ジュールなんだろうなって」
「其処は勘なんだな」
「確信を伴った、ね。なんでなんだろうとは、昨日からずっと考えているんですけど」
「答えは出たのか?」
「まあ一応。きっと、一見こんなガキなんか放っとくどころか気付かず踏み潰していきそうな貴方が、こうして俺の看病なんかをしてくれているのと関係あるんでしょう」
「ああ、貴様はなかなかひとを見る目がある」
「それはどうも」
「ついでに云えば、なかなかの曲者だな。―――さすがはアスラン・ザラ、とでも云っておこうか」


ひゅっと、息を呑む音がして、ああやはり切り札を信じきって用心を欠片も抱かぬ辺りがまだまだ子どもなのだと、納得した。


「……知ってて、コレですか?」
「いいや? 貴様が血に塗れた手で、ずっと胸元を握っていたものだから」


素手でナイフを握ったらしく血を垂れ流したまま、その手で頑なになにかを握り締めている図は、まるでひとつの完成された絵画のようだった。けれどうつくしかった、とは、絶対に云ってやらない。
そのときの様子を思い出して、イザークは目を細める。
意識は無いのにその手はなんらかの強い意志を感じ取れるほど強固で、手当てをしてやりたいのに外すことが出来ない。仕方なくその指を合間から水を流し込んでみると、僅かに緩んだ掌の中に真っ赤なリングの存在を確認した。それは麻の紐を通して首に掛けられていて、真っ赤だと思ったそれはいざ洗い流してみるとどうもプラチナのようだった。なんだこのガキ、生意気ななどと思いながら、リングを引き抜く。すると、面白いほどにそれまでびくともしなかった手は呆気なく力を失い、だらんと垂れ下がった。そこで傷の手当てをするのが、人間というものだろう。けれどイザークは、身体の傷よりも先にリングの汚れを綺麗にすることに専念した。
その内側に描かれた文字と、血の気を失った顔と。交互に見渡して初めて、イザークは一体なにが己の身に起きたのかを自覚したのだ。


「ああ、指輪……」
「お前より先に処置を施すべきだろうと思ってな。血はこびり付いていないはずだ」


綺麗に血を洗い流してから、ちゃんと胸元の服の中へ隠してやった。だから気付いていなかったのだろう。子どもはとり憑かれたかのような虚ろな眼をして、首元の紐を引っ張り、リングを取り出した。そしてじっくりと時間を掛けて丹念に調べ、漸く納得したようにほう、と息を吐く。その過程で、空虚だった瞳にも徐々に色が戻って来た。


「判断は……正しかったです。ものすごく。ありがとうございました」
「勝手に見たのは構わないのか?」
「不可抗力でしょう? それに、素性の知らない人間が意識を失ってたら、持ち物を探るのは当然です」


毅然と云い放つ一方で、呆然と呟いた言葉を、イザークが聞き逃すはずはなかった。「そうか。俺はまだコレを持ってたのか」
そこで聞き流す優しさに、戸惑ったのは他でもないイザーク自身だったけれど、いちど決めたことを覆すほど往生際が悪いわけでも無い。


「それで、俺は思うんですけど」
「……何だ?」
「やっぱり、俺も、貴方も、相手のことを勝手に判断しているだけで、実際のところは無知のままです。だから、貴方の名前を教えてください」


ああやはり曲者だ、と。そのなんとも云えない笑みを見て、イザークは頭を抱えた。
名を教えてしまったら、後戻りは許されない。それはもちろん、イザークも、アスランも、お互いに。