Took ill on Thursday, |
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ねえ、ナイフは何処に在るの? と、アスランは云った。イザークに尋ねたわけではない。本当に、文字通り、アスランはそう云っただけだった。 だからイザークもまた、独り云ちるように云った。そんなものは初めから無かった。 「じゃあ俺は一体なにによって傷つけられたんだろうね?」 今度は確かにイザークへ向けて放たれた質問に、イザークは嘲笑うように一瞥を呉れた。 「俺が知るか」 アスランの云う通り、確かにその身体に縫い付けられた傷は、鋭利な刃物による切り傷だったけれども。 「イザーク、此れは大事なことなんだよ」 「お前にとって、だろう? 俺には何ら関係の無いことだ」 「でも俺はイザークのなんだよ?」 「ならば尚更。お前が死にかけたのはまだお前がお前のものだった頃だろうが」 「……あれ?」 「あれじゃない。そう云えば、その辺の記憶が曖昧なんだったか」 「うん。だけどいまなんか開けた気がした」 「そしたらお前は死にぞこないだな」 「―――死にたがりの死にぞこない?」 「おい?」 不審気なイザークの視線は無視して、アスランは湧き起こるなにかを押さえつけるかのように頭を抱えた。 「ああそうだ。そうだそうだ。俺はそうだったんだ。自分で切りつけたんじゃないか。なんでそれを忘れていられたんだ。なんでそれなのに指輪なんか握ってしまったんだ。俺は逃げ出したくて、逃げたのに、どうしてまだ持ってるんだ。こんなもの要らないのに。こんなもの無くたって俺は俺なのに!」 「おい、アスラン!」 「……アスラン? ―――そうだ俺はアスラン・ザラ。犯罪者の息子、アスラン・ザラ。やっと逃げたと思ってたのに、どうして俺はまだアスランなんだ!」 叫びつづけるアスランへ、きっと最善の方法を知ってはいたけれど、イザークはまずは気の済むまでやらせておこうと思った。 アスランがまた馬鹿なことをしでかさぬように一応視線だけは向けていたけれど、イザークに見えていたものはアスランの姿ではなくつい数日前の記憶だった。ああそう云えばまだたった数日しか経っていないのかと、今更そんなことを思う。別に敬語は要らないと云った途端馴れ馴れしくなって、けれどアスランはイザークに話し掛けるたびいちいち嬉しそうだったから好きにさせておいた。……なんだか随分と、前のことのようだ。しかし、手当てをしたときの傷の様子だけ、まるでついさっきのことのように甦る。 アスランの身体は、或る一部分においてだけ、切り傷が顕著だった。その理由をイザークは知っている。その場所に本来在ったはずのものも知っている。けれどそれはきっとアスランの狙い通り、ズタズタに切り刻まれていた。 「ちちうえ……」 その小さな叫びを最後に、アスランは大人しくなった。 「落ち着いたか?」 「……イザークは何処まで知ってるの?」 「俺か。俺が知っていることなど、貴様がこの家の前で倒れていたことだけだな」 「でも、アスラン・ザラを知ってたんだろう? その名を知っていて、俺がその人物だったんだと気付いたんだろう?」 「まあ、有名だしな」 反逆者の息子、アスラン・ザラ。民のため、ひいては国のために革新派として形だけの国家の方針に反旗を翻し、しかし正義というだけでは正当化されるはずも無い非人道的な行いを推進したとして犯罪者とされた富豪パトリック・ザラの息子。その危険思想を受け継ぐとして、血の繋がりがあるという理由だけで彼は罪の烙印を押された。その左腕の上膊には、罪の証として逆さ釣りの十字架の焼印が施されているはずだ。 ……然し今、それは彼自身の手によって皮膚が剥がされ、烙印は単なる傷と化している。もともと焼印を押された際に膿むような火傷を負っていたのだろうその部位はひどい有様で、良くこれで腕が動くものだと感心さえした。 「じゃあ何で、俺を救ったの。そんな面倒なこと、普段のイザークならきっとしないだろう?」 「云っておくが、俺はあんな腐った政府とはなんら関係は無い。例え果敢にも背く者が在ったとしても、興味も無いな」 「………」 「そもそも、政府なんてものは民衆にとっては遠いどこかで崩壊しかけているだけで、此処はとっくに無法地帯だろうが。貴様はその理不尽な判決を甘んじて受け入れた英雄らしいけどな。俺から云わせれば単に人の云いなりになるしかない馬鹿でしか無い」 「……うん。その通りだ」 「……しかし貴様にはもう傷は無いんだろう?」 「うん。俺が消した。十字架の紋章が刻まれているナイフで、逆さ釣りの十字架を削ってやった」 「政府は最後の悪足掻きで裁きたいだけなんだ。そして自己陶酔に浸っている。……反発する者は多い。そして皆この地に流れてくる」 「うん。俺はそんなものに屈した自分が許せなくて、だから俺自身から逃げ出したかったんだ」 「ああ、そうなんだろう。……だから、俺の元へ来たんだろう?」 うん、アスランは頷いた。 アスランが血塗れのままあの街を逃げ出してきて、どうしてイザークの名に安堵したのか。それは他でもない、イザーク自身が良く知っていた。 |