ゆくさきをしらない
ピン ポーーーン……
妙に間延びしたように感じるチャイムが、折角集中し出してきたスザクの注意を欠いた。俺が気になったのはただそれだけだ。単に、タイミングがわるいというだけ。
だから溜め息を吐いてすぐに立ち上がった俺に、スザクが異様に慌て出した時は一体何事かと思った。
「ちょっ、ルルーシュどこ行くの?」
「どこって……帰る。さすがに長居し過ぎたし、お前の方も、もう大丈夫そうだろ」
「いや、でも、遅くなっちゃったし」
「そんな遅い時間に、来客があるようだが」
「あ、うん。何だろうね」
「女じゃないのか?」
「そんな莫迦な」
「それこそ莫迦な。お邪魔になるだろうから俺は帰るよ」
何やらわたわたしているスザクを押しのけて玄関へ向かおうとするが、全身でもって止められてしまう。
「いやいや、待ってって。ルルーシュが邪魔になるようなことはないから、とにかく居てよ!」
「ふむ……まぁ、良いとして」
「判ってくれた!?」
「いや。とりあえず、出たらどうだ? 居留守使うのか?」
「あ、あー……。うん、わかった。けど、ルルーシュ帰んないでよ!」
人を指差すな。
びしッと人差し指で俺に言い含めたスザクは、それでも大人しくインターフォンへ向かって行ったが、驚くような様子を見せていた。
ここから距離はあるしスザクは声を潜めているようだが、それとなく漏れ聞こえてくる。相手は―――ユーフェミアだ。暗く浮かび上がるインターフォンの画面に靡くピンクは、それでもはっきりと見て取れる。
「テキスト届けに、って……わざわざ有難いけど、大丈夫だよ」
大丈夫じゃないから俺がココにいるわけだが。
いちいち注釈することでもないので、スザクに聞こえない程度に溜め息をつく。
「それに、ダメだよ。こんな時間に出歩いて、男子の家なんて来たら」
全くだ。あのシスコンの姉をどう振り切ったのか、同じように妹を持つ兄として、実に興味深いところではあるが。今回ばかりは、スザクの云い分は正しい。だが向こうの声は全く聞こえてこないのに、それでも内容の予測がついてしまう俺は、間違いなく今この場での異分子なのだろう。
それは判っている。問題は、玄関へ向かう道すがらにスザクが格闘するインターフォンがあることだが。
いろんな想いが駆け巡って、それだけで吐きそうになってしまった俺はもしかしたら、相手本位なようでいてただ悲劇に酔いたいだけなのかも知れない。そんな自分には嫌気がさすけれど、それでも主義を捨てられないからこそ俺は俺なのだ。ユーフェミアにはなれない。
相も変わらず平行線のインターフォン越しの遣り取りは続いていて、俺は仕方なくまっさらなルーズリーフとペンを手に取った。紙が勿体ないが、致し方ない。
『話が進まないから、とりあえず上がってもらったらどうだ?』
わざわざスザクのバイト終わりの時間を狙って持ってきたらしいスザクの忘れ物の教科書だけ受け取って、後は部屋でお礼をするなり送るなり好きにすれば良い。本来であれば、スザクが下に取りに行くのが理想形なのだろうが、俺ならそうするが、そこまでは決して云わない。スザクが自分で気付かなければ何も意味なんて無い。
どこまで伝わったかは判らないが、その紙を見せるとスザクは戸惑いがちに頷いた。
そして二言三言の遣り取りの後、そっと受話器を落とす。
こちらを振り向いたスザクは、心なしか消沈しているように見えた。
「……参った。まさか忘れた教科書届けに来てくれるなんて」
「ま、良かったんじゃないか?」
「何が?」
「勉強。多分、教えるつもりもあるんだろう」
「そんなのルルーシュが教えてくれれば……って、まさかルルーシュ、帰る気じゃないよね?」
変なところばかり鋭いから嫌になる。
「当然」
「ダメだよ! 泊まっていってくれるって、さっき頬染めながら約束してくれたじゃないかッ!」
「全く持ってそんな覚えがないわけだが」
「そりゃもちろん妄想だけどさ!」
「突っ込みどころが多すぎて何も云えない」
スザクはくッと悔しげな表情でしなを作っているが、そんな話を捏造しないで欲しい。
「でも、僕ひとりであんなお嬢様の子をどうしたら良いのか……」
「……ここに来るの、初めてなのか?」
「そりゃそうだよ。前、彼女の家の車にたまたま乗せて送ってもらったことがあって、うちを知ってるのは判るけど。何でまた」
「成る程な」
何となく、一連の流れが理解できる。だがどうして俺がそんなことまで判るのかをスザクは知らないだろうし、ユーフェミアの方もまさか俺が居るとは思っていないだろう。まああの子の場合は、俺どころか他の女でさえ、誰も居ないと思っているだろうが。スザクはバイトに明け暮れる苦学生、清廉潔白の今時珍しい草食系紳士。……反吐が出る。
「……ま、チャンスなんじゃないのか?」
「……何の?」
聞き返してきたスザクの声は些か不穏な響きを帯びていたが、俺は意に介さなかった。
「とにかく、教科書は受け取らないと梃子でも動かない感じだったじゃないか。受け取ったらお茶でも煎れて、今まで勉強してたところを見せて安心させればさすがに帰るだろうから、送って行けば良いだろ。そんなわけで、俺は帰るから後は適当にやっておけ」
「そんな!」
「もう寝てるだろうが、家にはナナリーが居るから心配だしな。ああそれから、彼女に俺が居たことは云うなよ」
「……なんで?」
「面倒だから。テキストを友達にファックスしてもらったとか何とか云って乗り切れ。それよりお前はお茶の準備。もういい加減来るぞ。じゃあな」
「えっ、ちょっと待っ」
キッチンでひとり勝手にばたばたしているスザクの手を振り払うのは簡単だった。するりと抜け出て、玄関へ向かう。最後に一言、手ぶらで帰りたいため置いて行く荷物やら何やらを示しながら「また後日取りに来る。朝食は味噌汁作っておいたから温めて食えよ」と云い置いて。
初めて訪れる集合住宅に戸惑っているのだろう、まだユーフェミアはこのフロアまで来てはいないようだ。
だがスザクの部屋で随分とタイムロスをしたはずだし、俺はすぐにエレベータホールとは逆方向にある非常階段方向へ足を向けた。
全くこんな夜更けに、予想外の運動だ。だから最上階なんて面倒なんだ。もうシャワーを浴びた後だと云うのに。
早寝早起きだったはずが、大分遅くなってしまった上に、恐らく明日は朝シャワーを浴びるために更に早起きせなばならない。何の所為かって、結局自分の所為なのでだれを責める気もないが。そう、俺自身さえも。