ゆくさきをしらない




ルルーシュに云い付けられた通り、テキストを開いて待っていたが、やっぱりどうしてもシンクに立つルルーシュが気になってしまう。ルルーシュは視線や気配に鋭いから、ばれないようにチラチラ覗き見るのはもう僕の特技のひとつに数えても良いだろう。
彼の細身のシンプルな服に、僕が選んだ淡いグリーンのエプロンが良く似合っている。
もちろん僕がまめに料理をするわけも、また数少ないその機会にわざわざエプロンなど身につけるはずもなく、当然そのエプロンはルルーシュ専用のものだったが、その事実をルルーシュ本人に教えたことはない。
さりげなくキッチンの入り口に掛けておけば、ルルーシュは条件反射のように特に疑問に思うことなく着るだろうという予測のもとで用意した。ルルーシュは他人の家に私物を置くということが落ち着かないらしく、僕がどんなに気にしないでと説得しても帰るときは痕跡一つ残してくれない。
だから強硬手段というわけではないが―――ルルーシュが頻繁に家を訪れてくれているという実感が欲しい僕は、そんな些か卑怯な手でルルーシュの残り香をゲットすることにしたのだ。
グリーンを選んだのは直感でしかなかったが、ふと自分の瞳の色だと気付いてからはますますルルーシュがその色を身に付けているという現実に酔えるようになった。
今日も、エプロンを身に着けてきぱきと腕を動かすルルーシュを見つめる。
さすがに僕の視線には気付いているだろうに、ルルーシュはそれをものともせず料理に夢中になっていた。温めるだけだと云っていたけれど、あんなに取りかかりということは何か他に一品作ってくれているのだろうか。冷蔵庫にはまともなものはなかったはずだが、ルルーシュはまるで手品のように料理を作りあげるから、期待して良いかも知れない。
普段は極端なほど几帳面な彼だが、こと料理に関してはその箍は外れるらしく、まともに量りをかけたり材料を揃えているところを見たことがなかった。ルルーシュの中では何かしらの法則が成り立っているのかも知れないが、僕から見ると、まるで今あるものだけで何でも作ってくれる魔法の腕のように思える。
しかも僕の家のキッチンの中身は、生鮮食品以外、特に調味料の類いは、ほとんどがルルーシュと一緒に(むりやり)買い物に行って彼の助言によって揃えられたものばかりなので、ルルーシュはまるで自分の家のように気兼ねなく料理を作ることができるだろう。
それにしたって、良い加減何かしら反応をくれてもよさそうなものだが。あまりにもこちらに関心を寄越してくれないので、最初こそ、こっそりチラ見していた僕はあっさりその態度を取っ払っていた。明日のテストのあたりの問題を探すことさえなく投げ出したまま、両手で頬杖をついて見つめているというのに、ルルーシュは視線ひとつ投げてくれない。


(鈍いのか、夢中になり過ぎてるのか……違うな。冷たいのか)


ここまでこちらを見てくれないのは明らかに不自然だ。気付いてはいるのだろう。
僕が勉強を始めずにぼんやりしているのを怒っているのかも知れない。教室のざわめきが収まるまで時間を計りながらじっと待つ、そんな小学校の先生みたいなところがルルーシュにはある。「皆さんが静かになるまで、三分三十秒かかりました」懐かしい台詞だなぁと思っていると、ルルーシュが急に振り向いた。漸く喋りかけてくれるのかと期待したが、その手には小椀が乗せられている。


「手持ち無沙汰なら、これでも食ってろ」


相変わらず、見掛けにそぐわぬ乱暴な言葉遣いだ。だが指摘したところで軽くいなされるだけなので、僕は文句を噤んでルルーシュが運んでくれたものを見た。


「何作ってくれたの?」
「ポテト明太サラダ的な何かと、有り合わせの炒めものだ」


普段のルルーシュの言動からは信じられないほどの適当っぷりだ。
この前、学園の女の子たちがルルーシュの料理の腕を知って、きっと難しい名前のついた本格的なコース料理を作ってくれるに違いないとキャーキャー騒いでいるのを聞いたが、実際はこの通りほど遠い。ルルーシュの独創的な(しかし料理としては至極真っ当な)料理に、きちんと名前がつけられているのを僕はほとんど見たことがない。その貴重な数回は、ナナリーの誕生日などのお祝いのために作られた料理だ。(さすがのルルーシュも、いくらナナリーのためとは云え、毎日の食事までそこまで凝ったものは作らない。)なんとかのテリーヌだとか、牛ほほ肉を何とかした、ほにゃららソース添えだとか、大袈裟な名前が付けられていた。僕にも振る舞われたその料理はもちろん絶品だったが、到底覚えきれないその料理名と洒落た盛りつけのおかげであまり食べた気がしなかった。
ナナリーのために腕を奮うとそうなるということは、つまりあの女の子たちの会話はあながち間違ってはいないということになるが。


「……じゃがいもなんかあったっけ?」
「道理で。芽が出てた」


見た目はとても美味しそうだし、ルルーシュが食べられないものを出すわけがないので、つまりこのサラダは大丈夫だということだとは思うが、あまりにも僕の身体を気遣ってくれない様にちょっと哀しくなったのは情けないから秘密だ。
ナナリーや自分向けの料理だったら、ルルーシュはそのじゃがいもを躊躇なく捨てただろう。それか、僕に回ってくるかだ。なんだ結果は一緒かと、肩を落とした僕は大人しく箸を付けた。
「美味しい」と、するりと自然に出た小さな囁きはしかし、既にキッチンに戻っていたルルーシュの背中にきちんと届いてくれたらしい。横顔だけで振り向いた美貌はもう何度となくこの眼に灼き付けているけれど、一向に慣れる気配がない。薄い唇が開かれ表情に命が吹き込まれるその一瞬まで、いくらでも見ておきたいと思うくらい。


「ヨーグルトは消費期限切れでアウト。牛乳は明日までだ。少し使ったが、あとちょっとあるから飲みきっておけ。あと卵が一体いつからあるのか恐ろしくて触れない。お前、箱捨てるなよ」
「あー……大丈夫。まだ一週間くらい、なはず」
「充分古い。ちゃんと把握しておけよ」
「んー、ルルーシュが判ってくれてるから良いや」
「判ってないから云ってるんだろうが」
「あー、美味しい。何コレ、すっごい美味しい。酸味としょっぱさが丁度良い。また作ってよ」


ルルーシュの半ば呆れたような反論が聞こえたが、全然頭に入ってこないくらいには美味しかった。じゃがいもの古さなんて微塵も感じさせないサラダはもちろん、キャベツともやしと豚肉の味噌炒めなんて最高すぎて、これからパスタが出てくるのは承知の上でご飯が欲しくなる。夢中でがっついている僕にルルーシュも諦めたのか、すぐに溜め息をついて「何を入れたかも既に覚えてないから無理」と吐き捨てられた。大丈夫、予想通りだ。きっと半月後とか微妙なタイムスパンを置いて、似たような料理を作ってくれるところまで。だから傷ついたりなんかしてない。していないとも。


「―――世の中の皆さんはさぁ、」
「なんだいきなり。お前に一般論が語れるのか?」
「……どういう意味」


思わず半眼になってしまったが、ルルーシュは「さぁ」と軽く肩を竦めて鍋の様子見に戻ってしまった。まぁ僕も、ついこの間彼より年上になった身として大人げない対応はいただけないので、素直に流すことにする。


「なんか、外食イコール嬉しいとか、美味しいものを食べる特別な日ってイメージみたいだけど。それって、いつもご飯つくってくれるお母さんに失礼じゃない?」
「そうじゃなきゃ外食産業が成り立たないだろう」


さっきから出鼻をくじかれてばかりだ。でもいつものことだし、ルルーシュに口で勝てるわけがないのでいちいち落ち込んではいられない。


「そうかも知れないけど。ルルーシュのご飯をいつも食べさせてもらってる僕からすれば、外食なんてつまんないものなんだけどな」
「それは仕方ない。世間一般の家庭料理のレベルは、俺ほどではないだろうから」
「あー、それもそうか。僕が外食に興味を持てないのは、ルルーシュの手料理食べてるからか」


もともと何でも良いから会話の糸口を見つけたかっただけなこともあり、僕はあっさり納得した。
うちに訪れてきてからのルルーシュはなんとなく不機嫌と云うか、様子がおかしい気がしたのだが、そんな気がしただけでルルーシュはやっぱり傲岸不遜、平常運転のようで安心した。自意識過剰じゃなくて、寧ろそれほどの自信があってさえ、過小評価のような気がしてしまうのがルルーシュのすごいところだ。
だがふと会話を思い返してみると、僕はけっこうアレなことを云ったと思う。なのに照れもしないというのは一体。普段学園でからかわれたときは、そのまま隠しちゃいたいくらいツンデレ属性の照れ屋っぷりを発揮するというのに。


「その割に、納得の行かなさそうな顔だな。何か文句でも?」
「んーん、じゃあルルーシュは良い奥さんになりそうだなぁって」
「そうだろうとも。家事炊事家計のやり繰りまで完璧だ」


……ここは、「な、何を云っているんだこの莫迦ッ!」って云って、顔を赤くしながら背けて欲しかった。ノリの良いルルーシュなんてルルーシュじゃない。
期待した分の落胆が僕の心に重く伸しかかる。このまま僕の奥さんになっちゃえば良いのに。最初から口に出そうとは思っていなかった台詞は、キャベツと一緒に喉につかえた。




















「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」


当然の結果、と云っても良いだろう美味なスープパスタを二人前ほど一気に平らげた後、さすがにもう満腹、と思ってお皿をテーブルの端へ追いやった僕の視界に、コトンと音をたててまた物が置かれる。
一瞬もう勉強開始かとひやりとしたが、何のことはない、湯気と香りのたつお茶だった。口直しにと、牛乳プリンまで作ってくれている。完璧だ、いろいろと。もう当分は何も通らない、と思った喉にするっとプリンが滑り込む。甘すぎず、さっき作ったばかりのはずなのに何故か丁度良い弾力もあって美味しい。


「……亭主関白。いや、大和撫子?」
「良妻賢母のほうが正しいような気がする」


僕の意図はしっかり伝わったらしい。そしてやはり、照れたりはしてくれないらしい。
そもそも、あまりに僕が最近こんなことを云っては撃沈してばかりなので、つまりルルーシュのほうも慣れてきてしまったということだろうか。
しかしそれにしても今の台詞は、どう受け取ったら良いものか。
つまり僕が夫?と口にしようとしたけれど、それが面白いほど声になってくれなかった。


「僕は息子ですか」
「さすがに愛犬というのもな、傷つくかと」
「え、それでも良いけど」


咄嗟に返した台詞に、ルルーシュは一歩どころか椅子をひとつ移動してまで僕から遠ざかった。


「…………お前、大丈夫か?」
「何が? 僕は全然、何もかも平気だよ?」
「そうか成る程。お前自身の道徳に問題があることは判った」
「だってルルーシュ女王っぽいじゃない。ルルーシュの犬なら僕はべつにいいよ!」


さすがに自分でも結構アレかと思う台詞だと思ったが、本心であることに変わりはないので自信を持って頷く。息子よりはずっと良い。するとルルーシュは何かを考えるように視線を宙に逸らせた。


「……大和撫子だと云ったり、女王だと云ったり……」
「あ、そう云えばそうだね。一環してないや」
「そこは自覚なしか」
「だってルルーシュ、僕が息子とするとだよ?」
「ああ」
「父、いや夫は誰になるんだって話だよ」
「まぁ普通に考えて、ゲンブどのか。いやぁ、それはなかなか」
「なかなか、何」


そんな満更でもなさそうな顔で、のんびりとお茶を啜らないで欲しい。丁度良い温度のように見えるが、それでも猫舌のルルーシュには熱かったらしく、ちょっとびくって肩が跳ねたのは可愛かったけど。可愛かったけど!
無言がやけに長いような気がしたので、ルルーシュも想像してちょっと思い直してくれたのかと思った。ら。


「―――調教し甲斐がありそうで、実によろしい」


暗黒の笑みでお茶をふーふーしていた。ギャップが凄まじすぎてどう反応したら良いのか判らない。
普段はあんなに天使のこの子が、悪どいこと考えるときこんな顔になるんですよ奥さん!と教えてあげたい。誰にだろう。会長…は知ってそうだし、知ったところで遊びそうだし。シャーリー…泣いちゃうかも知れない。可哀想だ。カレンやニーナは、なんかときめきそうなので却下。ナナリーに教えたらルルーシュに殺されてしまう。
まぁ、そんなルルーシュのギャップも可愛いし、どうせこんな二面性をはっきり見せてくれるのは僕にだけだと判っている上での妄想だ。


「ルルーシュも大概変態だよね」
「俺の犬が良いとか宣うお前にだけは云われたくない」
「何それ。僕だって怒るんだからね。調教してくれるって云うなら赦してあげるけど!」
「なんでちょっと嬉しそうなんだ。大体、お前が命令してどうする」
「あ、それもそっか。じゃあ始めても良いの? 女王様と犬ごっこ」
「そんなにやりたいのか。別に構わないが」
「ホ、ホントに!? マジで?」
「デジマ。マジデジマ」
「うん、今日のルルーシュは変なテンションだからやってくれるらしいと判断した! それではご主人様、僕は何を致しましょう?」
「とりあえず己の責務を果たしてから用を窺え、この下等生物が」


わお、ノリノリ。だが果たしてそれだけかと疑うほどの視線のキツさで積み上げられた参考書を見遣る様子に、僕は大人しく白旗を上げた。怒っているのは判ったが、一体いつからだったのか、心当たりがありすぎて判らない僕は友人失格なのかもしれないが、犬としては成功している気がしないでもなかった。