この愛に啼け


なんだかんだで環境を変えるというのは役立ったらしい。
最初こそ飲み物を配ったりお菓子を開けたりゼロを気にしたりしていたのだが、随分新鮮な気持ちで仕事に取りかかることができた。一度スイッチが入ってしまえば、それからは無言だ。スザクがゼロに関し頑として口を開こうとしないので、早く終わらせて問いつめようとしている思惑は見え見えだったが、まぁ仕事が早く終わることに越したことはない。
そんなわけで、今までこんなにも真面目に書類をしたことがあっただろうか、というほどに全員が真剣だった。スザクはスザクでどう質問責めを回避しようかと思い悩んでいるために必死なのだろう。
僅かな質問や確認だけの声が行き交い、お菓子より飲み物ばかりが減って来たなと思っていたころ。そろそろ集中力も途切れ、お菓子に手を出すタイミングをそれぞれが見計らい始めていると、仕事を始めてからは一言も口を発していなかったスザクが叫んだ。


「うわッ! 何!?」
「……スザク?」


スザクの声には驚きながらも、あまりに仕事のことばかり考えていた所為ですぐには反応できなかった視線をのろのろとスザクに合わせ、そして自分たちも驚いた。


「ゼロ?」


スザクの顔の真横にゼロの顔がある。
しかも驚いたスザクがその横の方を向いているため、触れ合うんじゃないかと思うほどにふたりの距離は近かった。何処が、とは敢えて云わないでおくが。
スザクはゼロの眠るソファに背を向けて床に座っていたので、ゼロはソファに乗ったまま上半身だけ乗り出してスザクを、正しくはスザクの手に在る書類を見つめている格好だった。そのまま無言でいるゼロを、スザクは困惑したように見ていた。


「どうしたの? 自分からそんなに寄ってくるなんて珍しいね」


自分から、ってどういうことだろう。
ものすごく気になったが、ものすごく訊きたくない。こんな矛盾した気持ちもあるもんだなぁ、とリヴァルは自分自身のそんな感情に感心した。


「ゼロ?」
「ここ、」


漸く一言だけ口を開いたと思ったゼロは、腕を伸ばしてスザクの書類上の一ヶ所を指した。


「え?」
「間違ってる」
「嘘ッ!?」
「嘘云ってどうする。お前ソレ単純な計算間違いじゃないだろう。今までのも全部、計算方法からして間違ってるんじゃないか?」
「そんなぁ」
「大体、借方と貸方が一致してない試算表なんて有り得ないだろうが」
「ええー……」
「ちょっとスザク君、ソレ本気?」


ふたりの雰囲気も気になるが、それ以上に聞き捨てならない台詞にミレイが真っ先に乗り出した。そしてスザクの持っていた書類を受け取り、見る見るうちに表情を強張らせて行く。


「……スザク君に会計書類を任せるべきではなかったかしら」
「その通りだな」


ミレイの呆然とした呟きに悠然と返したゼロに、ミレイがそっと視線を投げる。


「―――ゼロ、だったかしら?」
「何か?」


意外にあっさり、彼は返事をした。ほんの僅かではあるが我が儘っぷりをこの眼で見たことと、スザクが猫と称した通り確かに気まぐれそうに見えたので、スザク以外とも話をしようとしたことになんとなく感動した。


「貴方、やるわね」
「確かに俺はできる男だが、それが何か」


うわぁ、と思ったがなんとなくそんなオーラが見えなくもなかったので誰も何も云えなかった。


「その頭脳を是非私たち生徒会のために」
「却下」
「……最後まで聞きなさいよ」
「そんな義理はない」


飄々と答えた彼は、そのまますっと立ち上がる。そしてすたすたとリビングを横切り玄関の方へと歩いて行った。あまりにもな彼の態度に全員それをなんとなく見送ってしまったのだが、真っ先にスザクが我に返った。


「ちょ、何処行くのゼロ!?」
「コンビニ」
「え、外出るの? 平気?」
「……何処の箱入りだ俺は」
「そりゃ、いつの間にか物が増えてたり減ってたりはするから何処か行ってるのかなとは思ったけど。でも、ほとんど出ようとしなかったのに!」
「気にするな」
「するよ!」
「それ以上はウザいぞ、スザク」
「そんな! 心配するのの何処がいけないって云うんだよ!」
「あ、じゃあ私が付いて行こうかな」


飼い主と猫というか、恋人同士というか、過保護すぎる父親と辟易している娘というか。
そんな会話が止めどなく繰り広げられようとしていたが、のほほんという声がその進行を遮った。


「ジノ?」
「もう飲み物もなくなってきたし、買ってくるよ。スザクは主人なんだから家を離れちゃダメだろう?」
「と云っても……」
「もちろん……ゼロ? 彼が、良いのなら」
「勝手にすれば良い」


それだけ云うと、ほんとうにそれしか思っていないのかゼロは止めていた足を躊躇無く進める。なんとなく無言で見送ってしまうと、遠慮なくバタン、というドアの閉まる音が響いた。


「あー……行っちゃった……」
「心配性なんだなぁ、スザクは。大丈夫、ちゃんと送り届けるから」
「……ホントは人に任せるのは厭なんだけど。まぁ良いや、頼んだよジノ。鍵コレね」
「りょーかい。じゃ、すぐ追いかけるんで!」


バタバタと立ち去ったジノの足音と、スザクの大き過ぎる溜め息がリビング中に響く。スザクは有り得ないほど肩を落としていたが、普段と変わらないような全くちがうような、なスザクの様子に、誰も声を掛けられなかった。