この愛に啼け


ジノがスザクの部屋を出たときには既に彼の姿はなく、急いでエレベータに行くとちょうど電子板は1階を指していた。待つという気は更々ないらしい。苦笑しながらジノも1階まで降り、そこから先は駆け足で追い掛ける。
しかし彼はマンションを出てすぐのところをのんびりと歩いていて、急ぐまでもなくすぐに追い付いた。彼の斜め後ろで歩みを遅くしたジノに気付いただろうに、彼は振り返りもせず口を開くこともない。ジノもそのままの距離を保ち、横に並ぶことはしなかった。
そのまま数分歩いて、公園のような場所が見えると、彼は迷いもなくその中に入り噴水とベンチの間で歩みを止めた。既に空はオレンジがかっていて、彼の周囲はゆったりと空気が停滞しているように見える。


「……まさか、こんなところにいらっしゃったとは」


散々迷った末にそう言葉を吐いたジノに、彼はゆっくりと振り返った。


「なんだ、知っていたわけではないのか?」
「本気でたまたまですよ。同じ生徒会役員であるスザクの家に来ることになって。もう、貴方を見た瞬間、叫ぶかと思いました」
「へぇ、それはまた。運命か?」
「そう思っていただけるんですか?」
「まさか」
「……ですよね」


彼は非運命論者だったはずだ。なので今の台詞は精一杯の彼の冗談、若しくは趣味の悪い皮肉だろうと推理する。ジノと視線を合わせても表情を変えない彼に、ジノは苦笑して首を傾げた。


「可哀想に、ロロなんか泣きそうだったじゃないですか」
「知ってる。けど、あいつはちょっと俺離れをした方が良い」
「ロロを貴方で満たしたのは貴方自身でしょう? 全く、あくどい部分が綺麗に消えて、純粋に育ってくれちゃって」
「悪いことをしたとは思っている」
「……どのように?」
「ずっと側に居られるわけじゃない」
「……今みたいに、ですか?」
「そうだな」


初めて表情を僅かに歪めたが、ロロに対する感情ではないらしい、とジノは察した。


「私が見つけたからには、もうお遊びは終わりですからね」
「お前はそんなに融通の利かない男だったか?」
「―――ルルーシュ様、」
「なんだ。……ああ、ひさしぶりだな。その名で呼ばれたのは」


なかなか感慨深い、と頷いているが、決して嬉しそうではない。寧ろ苦虫を噛み潰したような表情だった。


「いくらでも呼んで差し上げますから……帰りましょう? なんでまた、スザクのところになんか……」
「なんだ、嫉妬か?」
「ええ、そうです」


きっぱりと答えたジノに、自分で聞いておきながらルルーシュは驚いたように目を丸くしていた。そんなに意外な答えだろうか、とジノは苦笑する。


「身辺整理の時間くらいは欲しいですか?」
「いや、寧ろ要らない。……が、まだ帰らないぞ、俺は」
「ルルーシュ様……我が儘も良い加減に、」
「最初で最後だ。あとすこし見逃せ」


微笑んだ表情は、未だかつてなく妖艶なものだった。ぞくりと背筋を奔る衝動を遣り過ごして、ジノは眉を顰める。


「……まさか抱かれたりしてないでしょうね、スザクに」
「さぁ?」
「……ルルーシュ様」
「勝手な想像で勝手に怒るな。アイツは俺を猫とか云っていただろう?」
「そうですね。その台詞に裏はなさそうでしたが」
「ならそうなんだろう」
「……判りました。とりあえず信じておきます」
「それは信じたとは云わないぞ」
「なんとでも」
「全く……暫く見ないうちに恍けるのだけは上手くなったようだな」
「ルルーシュ様には到底及びませんけどね」
「及ばれても困る。さて、良い加減戻らないとな。スザクの家の方に」
「……まぁ、私もまだ学生をやらなければならないのだとしたら、怪しまれないに越したことはありませんが」


ほんとうは今すぐにでも、このまま連れ戻してしまいたいという気持ちを抑えきれない。その場合、ロロがどうにか誤摩化してくれるだろうし。しかし結局、ジノはルルーシュの思うが侭に行動をしてしまうのだろう。そんな己を自覚して、ジノは肩を竦めた。


「まだお前、入学したばかりだろうが。当分高校生やってろ」
「……ルルーシュ様も居ないのに」
「それは仕方ない。それより、コンビニはどっちだ?」
「……は? 知らないで此処まで来たんですか?」
「ああ、適当に歩いてた。何分、スザクの家に来てから初めて外に出るからな」


当然、というような顔をされたが、ジノはくらりと目眩を感じた。鍛え上げた丈夫な身体だがこんな目眩は数多く経験している。何せルルーシュ絡みでこういう想いをすることが多いのだ。


「……充分箱入りじゃないですか」
「何か云ったか?」
「いいえ。スザクは貴方が外に出ているようだと云っていましたが?」
「ああ、荷物だろう? あれは配達人が居るからな」
「……配達人?」
「そうだ」
「……それは通販、とかそういうことではないんですよね?」
「つうはん? ってなんだ?」
「…………いや、私が悪かったです」


ルルーシュの心底不思議そうな様子に、ジノは溜め息を吐く以外どうしたら良いのか判らなかった。他の誰よりルルーシュの扱いには慣れているはずだったのだが、離れている間に随分と感覚を失ってしまったらしい。


「して、その配達人とは?」
「誰でも良いだろう?」
「良くないです。いくらルルーシュ様ご本人が選定したと云っても、近付く人間が総て善良とは限りません」
「心配しなくても、配達人が来た翌朝は新鮮なオレンジジュースが飲めるから俺は非常にありがたみを感じている」
「……まさか、ジェレミア・ゴットバルト?」
「オレンジですぐに繋がるとは、ジェレミアも不憫なものだな」
「そんなことはどうでも良いです! つまり、アイツだけはルルーシュ様の居場所を知っていたと……?」
「云っておくが、自分で突き止めたらしいぞ」
「そんな……」
「気にするな、ジノ。総ては偶然の産物なんだから」


そうだ、ルルーシュは非運命論者。どんなに自身が手を尽くして得た結果だとしても、己の功績とせず総て偶然で片付けてしまう。その懐の広さにジノは感銘を受け、同時にもったいないという想いを拭いきれずにいた、けれど。
今回ばかりは


「なら……ルルーシュ様、」
「なんだ?」
「貴方が今スザクの元に居ることも、偶然だとでも仰るのですか?」


ルルーシュは浮かべていた笑みを更に深くしただけで、何も答えない。これほどの深い絶望はないだろう、とジノは思った。ルルーシュがジノの元からなんの痕跡も遺さず姿を消したときよりも、ずっとずっと、深い絶望なんて。