嘆くにはまだ早い
一度チェックインし、かなり増えてしまった荷物を部屋に置いてからまた外へ出る。食欲は全く無いが、水分くらいは調達する必要があるし、どうせならアルコールも買ってしまえと思ったからだ。部屋の冷蔵庫の中身では物足りないほどに。自慢じゃないが年齢確認されたことはないし、まぁ上手く買ってみせる。
それと、もう一つ目的があった。
もうどうせなのでとラグジュアリーホテルを取ってみたので、素晴らしいほど風呂が広い。バスタブと洗い場が別にあるところにしたので、せっかくなら満喫したいというものだ。
俺は仕事に疲れたOLか、などと思いながら入浴剤を選ぶ。普段ナナリーと二人で生活しているお陰で、こういう売り場に抵抗がないばかりかナナリーのためにと率先して買い物をしているので知識も充分、何ら問題はなかった。
何より俺は稼いでいる。ほぼ身体を動かさずにして手にしている金ではあるが、俺自身が稼いでいることに変わりはない。だから、たまにはこんな風に自分のために贅沢に使ってしまうのも良いだろう。
今日と云う日が終わるまで、気持ちを落ち着かせる方法なんてこれくらいしか思いつかなかった。
明日になればきっと、すこしはましになる。当日じゃなければ、昨日はどんなふうに過ごしたんだなんてからかう余裕だってきっと生まれる。
だからあと少し。少しの時間を、何とかこのまま過ごしきりたかった。
しかし家に連絡くらいはする必要があるだろうと、今まで放っていた携帯を手に取る。
今日は普段忙しい母も休みで、予定もないので昼まで寝倒すらしいとナナリーに聞いたから、俺が外泊したところでナナリーを一人にさせて心配ということはないが。
そう思って電源ボタンを押し通信を開始した瞬間、実に二十通以上ものメールを受け取った。
「……何だ?」
ほぼ半分は通信会社から来る不在着信通知のようだ。次々と捲るように表示した画面に示された名前は、ただ一つ。
「スザク……」
一つだけナナリーからのメールもあったが。それはつい最近送られた、帰りが遅いので夕飯はどうしますかといういつもと変わりない連絡に加え、スザクさんからくまのぬいぐるみをいただいてしまったのですが、良いのでしょうか?という話だった。スザクは結局ナナリーにあげることを選んだらしい。しかも早速、スザクの誕生日当日のお届けだ。ナナリーが戸惑うのも無理ないだろう。そこにだけ今まで携帯を見ようともしなかった罪悪感を感じ、とにかく返事を打つ。
大学生になってからというもの、飲み会なり実験やレポートなりで今朝のような朝帰りも珍しくなければ、別件の仕事柄、食事を取って帰ることも多いので特に心配はされない。そもそも母親は放任主義だし、元々スザクの家に入り浸っていることも多かった。
さすがにホテル泊まりというのは何となく答えづらくて、連絡が遅くなった詫びと友達の家に泊まるから夕飯はいらないよということと、ぬいぐるみは気にしなくて良いとナナリーへひとまずの返信をしてから、何通にも及ぶスザクからの連絡を時系列順に確認した。
それは昼頃からついさっきにかけて、万遍なく時間を割いてメールと電話交互に送られている。
僕今起きたんだけど、もう起きた? に始まり、とりあえずくま持ってそっち行くね、ナナリーに聞いたけど寝ないで出掛けてるって、急に何かあったの? いつ帰ってくるの? とにかく連絡頂戴、云々。
はてお前デートはどうしたと訪ねたくなるほどのこまめさに、一体どう返事をすべきかと逡巡している間に、着信音が鳴り響く。直前にメールしたからナナリーかなと浮かんだ一瞬の予想は、同時に飛び込む視界に裏切られた。
これだけ着信が多ければ当然かも知れない。
通話可能状態になってすぐに掛かってきた電話相手を示す、液晶に浮かぶスザクの名前。それに眉を顰めることを止められないまま、通話ボタンを押す。
さすがにいくら気持ちがざわめいたとは云え、この量の通信記録を無視する気にはなれなかった。
「……もしもし」
『ルルーシュ!? 良かった、やっと繋がった!』
「悪いな。……充電が切れてたみたいだ」
通話に出たと同時に喚かれた台詞に若干圧倒され、咄嗟に云い訳をすればスザクは信じていないのかふうん、と憮然とした声を出した。
『こんな時間まで何やってたの? 寝るって云ってたのに』
「ちょっと、急用ができてな。寝る間もなかった」
『……急用?』
「ああ、悪かったな。今着信見たんだが、連絡くれてただろ?」
『そうだよ。ナナリーは行き先も帰る時間も知らないって云うし、全然連絡つかないしさぁ。ルルーシュ……今何処にいるの?』
「何処って……ホテルだが」
『……はッ!? 何、なんで誰と!?』
「誰って……別に、ひとりだが」
『ひとり? ……って、何で?』
「遠出だったんだ。遅くなって面倒になったからホテルを取った」
『え、じゃあホテルって……ラブホとかでなく?』
「……お前と一緒にするな。普通のシティホテルだ」
思わず低い声が出た。多分疑われたことに加え、大いなる嫉妬の気持ちも含まれていたけれど。するとスザクが慌てたように弁明する。
『いやいや、ゴメンって! ホテルってぼやかすからてっきり。それに、僕だってそんなトコ行かないよ』
「別に云い訳は良いんだが、何か用だったか?」
とってつけたようなスザクの台詞は今の俺の気持ちを荒らすばかりで、しかし電話に出てしまったからには早く通話を終わらせたくて先を促す。するとスザクからの返答には少しの間があった。
『云い訳じゃないし。それに、用って云うか……用がなきゃ、電話しちゃいけない?』
それは正についさっき俺が考え抜いていた答えの出ない問答そのものだった。それを気にしているのは俺ばかりだと思っていたので、スザクの方から切り出されて少なからず怯む。
「そういうわけではないが……用でもなきゃ、あの量の着信はないだろ」
『ああ、ゴメン。それは、全然連絡付かなくて心配だったから……まぁ、用も、ないわけじゃないけど』
「何だ?」
『うん……ルルーシュ。今日って、何の日かな……』
そう呟いたスザクの台詞は随分と頼りなく、自信がなさそうに聞こえた。もちろん電話なので表情は判らないけれども、垂れ下がった耳と尻尾が脳裏に思い浮かぶようだ。
ここでさすがに、今日のパーティー内で散々揶揄された納豆の日などと答えるほど俺は鬼じゃないつもりだ。
「何の日って……お前の誕生日だろ? おめでとうって、真っ先に祝ったじゃないか」
『うん……皆でね』
「何だ、不満か?」
『パーティーは愉しかったよ、もちろん。皆集まってくれて、ナナリーも電話で参加してくれたし。でもさ……』
そこで歯止めが悪く台詞を遮ったスザクに、俺は首を傾げた。一週間後の土曜日、絶対だからねと云っていた少女がきっと今頃スザクを歓ばせているはずだと思っていたのに、スザクはこんな時間まで俺の携帯に沈んだ声で連絡をしている。
つまり、その意味するところは。
「……スザク? どうした、落ち込んでるみたいだな。振られでもしたか?」
若干の、否多大な恨み節を込めてそんな風に無理に振る舞うと、スザクはうん、と拍子抜けするほどあっさり頷いた。
『そうだよ……ルルーシュ、君にね』
「は?」
何故俺の名前が出るのか、訳が判らない。訝しんで声を上げると、電話口からいきなり張り上げた声が響いた。
『ルルーシュ!』
「はい!」
思わず変な返事をしてしまったが、スザクは構わないようだった。
『今どこ!?』
「え、だから、ホテルに……」
『うん、だから、場所! ホテルの名前!』
「あ、ああ……」
勢いに押され、恐らくスザクも知っているであろう地名付きの有名なホテルの名を告げると、『何でまたそんなとこまで……』と盛大な呆れの溜め息が聞こえた。
「あの……スザク?」
『今……八時ちょい前か。うん、まだ全然間に合うね。じゃ、僕今からそこ行くから! 待ってて!』
「はッ!? おい、スザク!?」
名前を呼びきる前に、電話口からはツーツーという無情な音が聞こえていた。
「……本気か?」
独り言が、広い部屋に響き渡る。
だけど長年の経験で俺は知っていた。スザクは、やると云ったらやる奴なのだ。慌ててスザクの番号に掛け直したが、趣向返しのつもりかどうか、それは機械的な女性の声で通話不能を告げて来るだけだった。
きっかり一時間後。
かかってきた電話と、有無を云わせぬ声の強制力に反抗する術もなく部屋番号を告げると、すぐ後にインターフォンが鳴り響いた。あまりの早さに恐怖を覚えるほどだ。
俺がのんびりしてたとは云え、ここまで一時間半かかっていた距離をどうやってスザクは三十分も縮めたのだろうか。電車だと云うのに。色々突っ込みたいのだが、覗き穴から見えた意思の強すぎる瞳を前に、何も云えなかった。
大人しくドアを開けると、怖いほどの笑顔で「半日ぶり」と告げられる。
「……まぁ、そうだな。とりあえず、入るか?」
「普通、ここでは入れよって云うもんじゃないの?」
しまった。ついスザクと二人で向き合いたくないという本音が漏れ出ていたようだ。しかしほんのニュアンス程度だと云うのに、こういうときのスザクは妙に鋭い。アレか、動物的勘というヤツだろうか。
莫迦なことを考えている間に、スザクはするりと身を滑り込ませてきた。
「一応、部屋での面会はこの時間じゃ避けるのが常識だろ?」
黙っているのもアレなので、念のため反撃してみる。
「授業サボりまくり、オンライン上では法律も何もない君が、今更常識を説くの?」
……痛い追撃をされた。
全く今日のスザクはいつにも増して第六感が優れている。今日で十九歳になって、年齢と共にパワーアップでもしたのではないかと思うほど。そんな遣り取りをしている間にも、スザクはとっととドアを閉めて部屋の奥まで入り込んできていた。
恐らく急いで来ただろうと思うのに、息も身だしなみも乱れた様子一つない。まぁ、髪の毛はもともと跳ね気味だから抜かすとして。
「説くべきは、俺じゃなくてお前だろう。まさか、今日ばかりは常識は問わないなんて都合の良いことを云うつもりか?」
「都合良いかなぁ……? でも、その点は大丈夫だよ」
「何が」
妙に自信のある様子のスザクに、何故か厭な予感が湧き起こる。
「ちゃんと今、フロントで部屋取ってきたからね」
「……は!?」
「ルルーシュの取ってる部屋を二人に変更してもらおうかと思ったけど、そしたらルルーシュに確認行っちゃって、断られるのがオチだと思ったから」
何故そんなところだけ律儀で周到なのか。
しかし、それを実行されていたとしたら、このダブルをシングルユースしている部屋で男二人と云うのは……キツい。だがここでスザクを褒めて良いものかどうかは甚だ疑問だ。
「……無理に押し掛けて来た自覚はあるのか」
「そんな云い方しなくたって良いじゃないか。ただ、そう云えばルルーシュの返事聞かずに来ちゃったなーって、電車の中で考えてたんだ」
ちゃんと電車で来たのか。良かった、走ってきたとか云われなくて。
と、そんな変な方向に向かっている俺の思考を、ソファに腰掛けたスザクの強い視線が遮る。
「……でも、良かった」
俺の脳内と全く同じ台詞がスザクから出たので些か驚いたが、さすがに意味合いまで同じなわけがないので首を傾げた。当然だ、スザク自身電車でここまで来たのだから、俺も電車で来たことにスザクが疑いを持つわけがない。
「何が?」
「ちゃんと、ルルーシュが一人で」
「……それは厭味か?」
「全然。安心したんだよ」
安堵の溜め息と共に漏らすその台詞はスザクの本音ではあるようで、不意に優しく微笑んで肩を撫で下ろす。俺はと云えば、そんなスザクの反応が怪奇すぎて首を捻るばかりだ。
「俺の方は、お前が一人で居ることが疑問だけどな」
「え、何で?」
「何でって……それは、」
「うん」
スザクが、心底疑問だと云うように首を傾げているのに、瞳ばかり凪いでいるのが不思議だ。スザクはこんな複雑な表情を作れる奴だっただろうか。
「……さっきお前が、自分で云ってたじゃないか」
「何を?」
「今日は何の日だ?」
「ああ……うん、そうだね。でもそれがどうして、僕が一人で居るのが変ってことになるの?」
「……誕生日なら、一緒に過ごすべき人が居るだろう」
「―――ルルーシュ? それ、本気で云ってるの?」
「俺は冗談は云わない」
「それは知ってるけど。僕が云いたいのは、本心から云ってるのかってことだよ」
―――それこそ。
冗談じゃない。と、云いたかった。口に出せなかったのは、スザクの応酬の上手さに舌を巻いたからだということにしておこう。
強気なように見えたスザクは、しかし、俺が眉根を寄せて首を傾げただけで、その勢いが萎んでしまったように見えた。
「……答えはくれないの?」
はて。
答えてくれないのかと聞くのではなく、何かに対する答えをくれと要求する響きで尋ねる。
妙に引っ掛かる云い方だとは思ったが、その真意まで問いつめるつもりはなく、俺は緩やかに首を振った。
「いいや。ただ、少し……驚いただけだ」
「驚く?」
「ああ、何というか、会話のテンポが良すぎたから」
「ええ? 何ソレ」
「お前を云い負かせることなんて、もっと簡単だと思ってたのに」
俺が素直にそう告げると、スザクは一瞬きょとんとした後、くすくすと笑い出した。この部屋で顔を合わせて以降、本当に笑顔を見せたのはこれが初めてだ。
俺は随分な厭味を云ったと思うのだが、それで笑うなんてコイツはどうかしてるんじゃないのか。
「そうかな? ルルーシュに認められるなんて、すごい成長だよね。きっと、ルルーシュに鍛えられたんじゃないかな」
「何だ、俺の自業自得だと云いたいのか?」
「そこまで深読みしないでよ。それくらい、僕たちが一緒に居るってことを云いたいだけなんだから」
「いや、何故そうなる?」
「だって、弁舌で右に出る者は居ないルルーシュとずっと話してれば、自然と鍛えられるじゃないか」
妙に自信ありげに誇らしくしているスザクに、俺は眉を顰めた。
話をはぐらかしたのは俺自身とは云え、また随分と話題が飛んだ気がするが、軌道修正する必要は無い。それはそれとしても、ここは突っ込んでおかなければ俺の気が収まらなかった。
「……もし、そうだとしたら、」
「うん?」
「……逆に、俺にもっと体力がついていても良いだろうが」
ひと呼吸置いて。
腹を抱えて爆笑するスザクなんて久々に見たので、これ以上どう突っ込むべきか逡巡する。
「……おい」
「ご、ごめ……。ルルーシュがそんなコト云うの、珍しくて」
ひーひー云いながら苦しそうに云い訳をしている。そんなことを云われても、俺は別に面白いことを云ったつもりはなかった。
「……そんなコト、って」
「そんな可愛いこと。まぁルルーシュはいつも可愛いけどさ」
「お前、さっきから云ってることがおかしいぞ」
何がどう飛んで、俺が可愛いとかいう話になるのかさっぱり判らない。オールの後、大人しく昼までは寝たようだが、まだまだ睡眠が足りてないんじゃないのか。
ベッドを促そうかと思ったが、そう云えばコイツはコイツで部屋を取っているらしいことを思い出したのでその提案は引っ込めた。せっかく取った部屋なら、有効活用させてやらなければ。
そのためにどう追い出そうかと話の運び方を幾通りもシュミレートしていると、その僅かな合間にスザクは落ち着いてしまったらしく、深い溜め息を吐き、元通りの表情で俺をじっと見据えた。
「ちっともおかしくないよ。ルルーシュは可愛い」
「はぁ?」
まだ云うか。さすがに何とかしてやろうと思ったのだが、その瞬間に腕を掴まれた。
スザクはソファに腰掛けていて、俺はそんなスザクの横で立ちすくんだまま、左の手首だけがスザクの掌と触れ合う。
それだけなのに、身体総てを縫い止められてしまったかのように、動けない。
「おい……スザ、」
「……可愛すぎて、たまに憎らしいくらい」
更にぎゅっと、力を込められた。
「い、たッ……」
「痛い? ……痕残っちゃうかな。ルルーシュの肌は真っ白だから」
そんなことを云って心配そうな表情をしておきながら、放す気配はない。
それどころかぐいっと力を入れて引っ張られた。今まで全く動けなかったはずの俺の身体は、不意を突かれたことでこの瞬間だけ従順になり、当然の法則に従ってスザクとの距離が近づく。
そのまま座る体勢のスザクに倒れ込みそうになったところを反射的にぐっと踏み止まると、スザクはそれを予期していたかのように少しだけ身体を起こし、まるで縋り付くような体勢で、手首を掴んだのとは別の腕で俺の腰を抱いた。
スザクは顔を俺の腹に埋めているので、その表情は見えない。だけど腰に回されたその手は僅か震えている、ような気が、した。
「……スザク?」
「……でも、それも良いかな。ルルーシュに痕残せる奴なんて、きっと他に居ないよね」
「おい?」
「……ねぇ。居ないよね?」
正直に云おう。
俺は何のことだかさっぱり判らなかった。
けれどスザクの拘束は強まるばかりで、俺はほぼ反射的に、本能的に、逃れる術としてそっと肯定した。
ただ確かなことは、ちょっとした衣服の摩擦だけで肌が赤くなるような俺では、きっとこのスザクが掴む左腕は長いこと痣として残るだろうということだけだ。そしてそんなことを俺にするのは、スザクしかいないということだけ。
俺の判断は正しかったのか、それなら良いんだと囁いたスザクが、ふふっと笑った気配がした。けれど体勢はそのまま、顔を上げる素振りも無いのでその表情は判らない。
「ねぇ、急用って何だったの?」
「は?」
「こんなところまで来てさ。しかも君、寝てないんでしょ?」
「……なんだいきなり」
「いきなりじゃないよ。ずっと考えてた」
お前にとってそうでも、俺からすればいきなりだ。
だが何だか良くない流れになっていることに良い加減気付きかけている俺は、いちいちそこまで突っ込むつもりはなかった。もしそれを口に出していれば、少しだけ会話の幅が延びて、猶予ができることは判っている。だけどそれは自分の首を締めるだけ。いつになく感覚の尖ったスザクはきっと、俺をじわじわと追いつめるだろう。スザクにその自覚があろうとなかろうと。
スザクにどんなつもりがあるのかまでは読めないが、俺の進むべき方向は判っているので、どんなスザクでも躱すことは簡単だ。それさえ見失わなければ、いくらでも逃げ切れる。
そう、この期に及んでも俺はまだ逃げようと、逃げたいと思っている。
だって、俺は―――
「……仕事だからな、仕方ない」
「仕事?」
「ああ、急に打ち合わせが入ったものだから」
もちろん嘘だが、最低限仕事ができるモバイルノートは持ってきているし、いくらでも誤摩化しは効く。そもそも、スザクは俺の仕事を表面的にしか理解していないので、今までもそう云えば大抵のことは解決できた。身一つでカジュアルな服で出掛けたような時だって、「そういうものなの?」と納得する。……もちろん、毎回が毎回嘘というわけではないが。
実際、スザクは今まで上げようともしなかった顔を上げた。しかし納得も行っていないような表情で俺を見定めようとしてきている。―――まだ疑うか、失敬な。と思い、苦笑しながら先を続けることにした。
「それで、何せこんな場所まで連れて来られたからな。打ち合わせ自体はそれほど時間はかからなかったんだが、せっかく来たしと思って、ついでに買い物やら何やらしてたら疲れ果ててこの様だ」
嘘を付くなら、二割程度の真実を混ぜて。基本中の基本だ。
我ながら疑う余地もないと思うほどの完璧な理由なのに、スザクときたら未だ疑わしそうにしている。だが、別に約束をすっぽかしたわけでもなし、何をそんなに気にする必要があるのか。誕生日に連絡がつかなかったことがそんなに悔しいものだろうか。
「―――本当に?」
「……何を疑うことがあるんだ?」
スザクが何を気にしているのかが判らないので、俺はそのままを訊ねた。
俺がスザクの傍へ行くことにも理由が必要で、逆に行かないのにも理由が必要で。
スザクの誕生日を祝うことに理由なんて必要ないと思いたいけれど、だからと云って独り占めして良い理由にはならないから、他人の計画したパーティーにかこつけて祝った気になって、空いた時間はこうして仕事だったからなんて云い訳をする。―――鬱陶しいと、思うのは確かだ。真綿で徐々に締め付けられるような息苦しさを感じる。
けれど結局は、スザクの瞳の奥に巧妙に隠された、この縋るような響きに負けてしまうんだ。
俺はスザクを心底慈しみたいと思っていて、スザクがこんな俺でも必要とするなら、出来得る限りの協力を惜しまないつもりでいる。哀しませたいわけではないのだから。
ただそれはもちろん、スザクの方こそ俺を鬱陶しいと思うのなら、俺の方から断ち切る覚悟をしているのと同義だ。スザクは情に弱い分、幼馴染の俺を振り切るとすれば、自分自身が傷つきかねないから。
今回のことで、誕生日を彼女と過ごそうとするスザクに、思ったよりも大きな衝撃を受けた俺の覚悟など、随分と薄くて脆いものだったということが実証されてしまったが。
今のところ、結局こうしてスザクの方から会いに来てくれる限りは、俺は自惚れていて良いのかも知れない。
それでもやはり、そんな俺の気持ちはどうでも良くて、スザクは彼女という存在こそ優先するべきだし、俺という存在なんて徐々にスザクの中で薄れて行って良いのだと、そういうものなのだろうとも思う。
だから、俺が寂しく思ってはいけないんだ。
俺は幼馴染の親友としてスザクの誕生日を祝い、彼女との時間を祝福していれば良い。
そう結論付けたのだが、結局、スザクは意外にも俺が思っていた以上に優しかった、ということらしい。連絡が付かないくらいで、ここまで心配するなんて思ってなかった。
だから素直に、勝手に切なくなって逃げ出して、携帯の電源まで切っていたことを悪いと思う。嘘を付くのは、あまりにも本来の理由が恥ずかし過ぎるのと、それを伝えたところでスザクが困るだけであることを良く知っているからだ。
そう、だからこれが一番良い方法。ここでスザクが納得すれば、俺の中ではあっさり解決のはずだった。