Re;volver
星と野良犬



窓に掛けられたカーテンはとても分厚く高級そうな生地でできていて、朝の陽光を完全に閉め切っていた。
暗く鎖された部屋で、スザクは目を覚ます。
慣れないベッドと枕で上手く寝付けず、何度も夜中に浅い眠りから覚めてしまい、そのたびにまだ朝ではないのかとまんじりとしていたが、今回はもう朝陽が昇っているはずの時間だと、感覚で悟っていた。
もともと、スザクは朝には強い性質だ。目覚まし時計のベルなしでも、毎朝同じ時間に目が覚める。だからきっと、今も毎朝起きる時間……六時で合っているだろう。遮光カーテンのおかげで部屋は未だ薄暗いが、窓の端からは朝特有の爽やかな光がわずかに射し込んでいる。
だが、遠目にある時計が指し示す時刻まで読み取れるほどの明かりではないので、スザクはもそもそとベッドから身を起こすと、カーテンに手を添えた。
そうして勢い良く開けようとして―――はっと我に返って、手を止める。
それから……そっと、恐る恐る振り返った。


「―――ッ、」


何故、起きてからいままでスルーできていたのか。
いや、恐らく無意識下で反応してはいけないと思い込んでいて、本能がそれに従ったのかも知れない。
スザクは、さきほど自分が居たはずの場所から思ったよりも近いところにあったルルーシュの顔に、今更ばくばくと心臓を高鳴らせていた。

―――話は、昨夜に遡る。





     ***





「じゃあ、今日はもう遅いし……シャワーを浴びて、オレンジ君が淹れてくれたハーブティーでも飲んで、のんびり休んでくれ。明日の起床は何時でも構わないよ。起きたら、さっき伝えた使用人の部屋に電話を入れてくれないか。食事を用意するから」


話を切り上げて、部屋を辞そうとするルルーシュの、咄嗟に袖を引く。背を向けかけたルルーシュを見て、ほとんど反射的にそうしてしまったのは良いものの何も言葉が出て来ず、スザクはぱくぱくと口を動かした。
それを見て、ルルーシュが申し訳なさそうな表情になる。


「……枢木……? やっぱり、不安か?」


そっと気遣うように、けれどダイレクトにそう尋ねてきたルルーシュに、スザクは若干戸惑いながらもちいさく頷く。
ここは見たところ、本当にベッドとチェストしかなく、まるで豪華なホテルの一室のようではあるけれど、スザクの知るホテルと決定的に違う点があった。
それは、娯楽品がない、というところ。
テレビや本と云ったものが全く見当たらないのだ。あるとすれば、さきほど取り戻したバッグの底に入れられた、ブリタニアの旅行用ガイドブックが一冊。それだけだ。スザクは携帯電話も携帯ゲームも、時間を潰せるようなものは何も持っていない。
スザクとてさすがに疲れはたまっていると思うし、シャワーを浴びてベッドに横になれば、いまは冴えきっている意識も、眠くはなるかも知れない。
だけどここは、あまりにも静かだ。
ジェレミアの足音どころか気配さえ感じられなかったほどで、いまもルルーシュの声以外、何も聞こえない。そんな中で、ルルーシュが立ち去ってしまったら……ただそれだけの想像に、ぶるりと背筋が凍る。


「ここ……―――ここは、何もないし……いや、それは別に、不満ってわけじゃないんだけど」


慌てて自らの台詞にフォローを入れたスザクに、ルルーシュは傷ましそうな表情をするばかりで何も云ってくれない。
だから、必死で言葉を組み立てる。ルルーシュに、上手く伝わるように。


「俺は、疲れてはいるけど、緊張してるのもあってちゃんと寝られるかも判んないし……だから、居て、くれよ。ここに」
「枢木……」


ようやく口を開き、そう呼びかけたルルーシュが、振り返る体勢のままだったのをきちんと向き直ってくれた。


「それは―――つまり、一緒に寝ようってことか?」
「へ、あ……まぁ、そうなる……よな」


ベッドはひとつ。自然とそうなるなということに今更思い至る。
ルルーシュは、ナナリーやユーフェミアにはとても優しかったけれど、他人との距離は遠く取りそうな感じがするので、それは厭だろうか。
ダメかもな、という視線でルルーシュを見遣ると、ルルーシュはなんだか変な声を上げた。


「…? おい、ルルーシュ?」
「その目は、卑怯だ……」
「え?」


何と云ったか良く判らなくて聞き返したスザクに、ルルーシュはしかし、云い直すようなことをせず、ため息を吐きながら肩を落とす。ため息とは云っても、呆れている様子はなさそうだった。


「仕方ないな……良いよ」


呆れてはいないけれど、何かを諦めたかのように。
けれどスザクにとっては、態度よりもその内容が重要だった。


「え、……良いの、か?」
「ああ。確かに、この部屋には本もテレビも端末もないし……ひとりで過ごすのは辛いよな」
「え、あ、まぁ……」


その点に関しては、まるでねだっているようにも聞こえて答え辛かったので濁したが、ルルーシュは気にしていないようだった。


「ベッドはクイーンサイズだし、こどもふたりなら余裕で寝られるだろう」
「ああ、うん。すげーでかいよな、このベッド」
「君の成長を考慮に入れたら、順当だと思うが」


その台詞にすこし引っ掛かりを感じたが、スザクは気にしないように努めた。
―――このベッドくらいの大きさに、成長するまで。
それまでスザクは、ブリタニアを離れることはないという暗示なのだろうか?
その懸念を敢えて見過ごす。


「……そうか? 俺、こんなにでかくなれるかな。ほとんど力士サイズじゃん、コレ」
「力士って、」


ルルーシュが、ぶはっと吹き出した。しかもそれ以降、ずっと笑い続けている。お腹まで抱えていた。
斜に構えたような態度を見せるルルーシュがそこまで笑うことがなんだか意外だったが、それはとても年相応な気がして、気持ちが温かくなる。
ルルーシュは笑いながら、すこし苦しそうに話し出した。


「だ、大丈夫だ。横はそんなにならないだろうが、背はそれなりに伸びるだろう」
「そっかな。ルルーシュよりでかくなれる?」
「さぁ、どうかな」


横に並んだとき、地味にスザクの方が若干小さいのが気になっていたのでそう云ってしまうと、ルルーシュはニヤリと微笑むだけで誤摩化した。


「なんだよ」
「いや、べつに。そんなに背が高くなりたいなら、寝不足は良くないと云うし、ちゃんと寝ないとな」
「お、おう」


そう云いながら、またバスルームに姿を消したルルーシュをなんとなく追い掛けると、ルルーシュがタオルを差し出してきたので反射的に受け取った。


「先にシャワーを浴びていてくれるか? 僕はその間に、部屋から着替えを取って来るから。シャワーも部屋で済ませてきても良いけど、せっかくだから今日は僕もこっちを使わせてもらおうかな」


シャワーを浴びている瞬間、特に目を瞑ってシャンプーしているときなんかが、実はいちばん怖いのだが……
ここまでのあいだルルーシュの前で弱い部分をずいぶん曝け出してしまっていたので、さすがにそろそろ取り繕わないと、スザクにもプライドというものがある。
だから、心細いと云う気持ちを抑えきって頷いた。


「ああ、判った。ルルーシュの部屋は、こっから近いのか?」
「うん、隣だ」
「……へ? 隣?」


意外にも近い……近過ぎる距離に、唖然としてスザクが首を傾げると、ルルーシュは手を掲げ、何かの形を表すジェスチャーをした。


「ああ。この離宮を羽の拡げた鳥と例えるとしたら、玄関ホールや食堂があったところが胴体で、ここは左翼の端の方だ。母とナナリーの部屋は、右翼の方。ちなみに使用人たちが基本的に詰めているのは別棟だから、宮殿に住んでいるのは母とナナリーと僕、今日からは枢木の四人だけだ」
「え……そうなのか?」


確かに、人の気配はすくないし、マリアンヌも似たようなことは云っていたが……これだけ広い宮殿なのに、いままで三人だけだったなんて改めて呆気に取られてしまう。
しかも。


「なんでそんなルルーシュだけ、マリアンヌさんとナナリーと、部屋が離れてるんだよ?」


至極真っ当だと思われることを聞いたスザクに、ルルーシュがわずかに複雑そうに目を伏せる。


「……リスクは、分散しておくに限るからな」
「どういうことだ?」
「――――――ここは、広いだろう?」
「ああ、うん。三人で住むには、広すぎるな」


スザクの質問の答えにはなっていないが、と若干不満を覚えながらも、きょろりと視線を巡らせて頷く。マリアンヌとナナリーの部屋がある方角を向いたつもりだったが、当然この部屋の景色が見えるだけなので滑稽になってしまった。スザクのそんなちいさな葛藤にはさすがに気付かなかったルルーシュは、そうだよな、と些か重い口調で同調した。


「だから、全員揃ってまとまった場所なんかに居たら、偏ってしまうからな。……それだけのことだよ」
「偏るって……何が?」
「んー……バランス?」


誤摩化すように……と云うか、どう説明したら良いのか判らない様子で首を傾げたルルーシュに、スザクは仕方なくそれで納得することにした。
ルルーシュが口を濁すということは、スザクに云いにくいことなのかも知れないし、そもそもちゃんと説明してくれたところで、スザクに理解できるかも怪しいし。
ルルーシュは、不満そうにしながらも「そっか」と呟いたスザクにすこしほっとしたように息を吐くと、だから、と先を続けた。


「だから、君の部屋はこちら側にさせてもらった。バランスは、そのほうが良いだろう?」
「まぁ、そうだな……左右にふたりずつの方が……」
「うん。だが、明日にでもこの離宮の全体を案内しようと思っているが、ここに慣れてきて、もし他に気に入った部屋が見つかれば、いつでも移って構わない。何せ部屋なんて有り余ってるんだから」
「え、ああ……」


確かに、これだけ広いのにそれだけしか人がいないなんて、じゃあ他の部屋は一体何に使われているんだと疑問に思いはしたけれど。


「……でも、ルルーシュはこの隣の部屋、気に入ってんだろ?」
「え? まぁ……ずっと同じ場所だが、変えようという気はないな」


スザクから視線を遠くに投げて考え込むようにし、うん、と頷いたルルーシュに、スザクはそれなら、と考える。
それなら、ルルーシュがこの隣を離れないのなら、スザクも移動することはないだろう―――きっと。
照れくささやら何やら、いろいろな理由からスザクはそれを口には出さないまま微笑んだ。
ルルーシュはスザクのそんな様子を最初こそ疑問符を浮かべるように首を傾げていたが、スザクが機嫌良さそうにしているので、つられたようににこにこしている。


「じゃあ、そういうわけで。部屋に戻ると云っても、隣だからすぐなんだ。枢木は、バスタブはないとは云え、ゆっくりしてくれて構わないからな」
「ああ、判った。でもあの……ルルーシュは、忙しいんじゃないのか? 呼び止めちまったけど……」
「いや、今日は元々休みだったから大丈夫だよ……―――あ、」


謝ろうとしたスザクを安心させるように微笑んで、ルルーシュは何かに気がついたように双眸を貶めた。


「! なんだ!?」


スザクはそれに即座に反応したが、ルルーシュからの返答は鈍い。


「……何でもない。枢木のスケジュールが急に決まったのは、それに合わせたということなのかと思って……」
「は?」


どういう意味かと首を傾げたスザクに、ルルーシュは微笑んだままでゆるゆると首を振る。


「いや、だから何でもないんだ。枢木は気にしなくて良い。明日も、午後からは判らないが、それまでは僕は暇だから」
「そう……か? ホントに?」
「本当だよ、嘘はつかない。だから、大丈夫だ」


もういちど、気にしないでくれと云ってルルーシュは手を振った。そこに無理をしている様子はまったく見えなかったから(もちろん、まだスザクにはルルーシュの本心を探ることなどできないけれど)、仕方なくスザクも引き下がる。忙しいルルーシュを、スザクの我が侭で引き止めるのは気が引けるが、それでもやはりこの静謐が満ちる部屋でひとりは辛い。
ルルーシュはお湯の出し方などをていねいに説明してくれてから、バスルームを出て行った。続くように、もう一度ドアの開閉音がしたので、恐らくはこの部屋を出て行ったのだろう。けれど、隣だと云う割には、スザクがどんなに耳を凝らしても、それ以降ルルーシュが戻るまでは、足跡も、隣の部屋のドアの音も何も聞こえてはこなかった。





     ***





昨夜の遣り取りを思い出して、スザクは今更になって顔の中心に熱が集まるのを感じた。どうしてあんなに昨夜は素直になって……なれて、しまったのだろう。
たぶん、鏡を見たらこの顔は真っ赤に染まっているのだろう。けれどいまはカーテンも閉まったままだし、スザクの顔色など見えないから大丈夫だ。
意味も無く無駄にほっとしながら、カーテンに手を掛けていた窓際から離れ、元居た位置に戻りベッドの上に座り込むと、ルルーシュの寝顔を見つめる。
と云っても、もちろん、部屋の中は薄暗いためしっかり見えるわけではない。
距離が近いがゆえに判る程度だ。けれど、だからこそルルーシュの肌の白さは際立って見えた。
単純な白さの話で云えば、当然シーツの方が白いのだけれど、ルルーシュの肌の白さはそれに近いほどで、けれどもっと深みがあって綺麗だと思った。それに、肌はキメが整っていて……―――触れたらきっと、シーツよりもシルクよりもすべすべと気持ち良いんじゃないかと思う。


(……って、何考えてんだ、俺)


ルルーシュの寝息は規則的で、安心して眠りに就いていることが窺える。その隣で大人しくはしているものの、さっきからごそごそと動いているスザクにぴくりとも反応する様子は無い。
人のことを云えないのは判っているけれど、良いのかそれで、と思ってしまう自分がいる。ブリタニアの皇子が、こんな日本から出て来たばかりの初対面の奴に、そんなんで良いのか。
かと云って、警戒心をバリバリ持たれてしまうのも、もちろん淋しいと思ってしまうし、厭なんだけど。
そう云えば、ユーフェミアもそうだった。スザクが来るという話を聞き及んでいる様子だったにしても、スザクがそう名乗っただけであっさりと信じて、案内までかって出てくれた。
もしかして、ここの人間は警戒心というものを知らないのだろうか?
ユーフェミアはユーフェミアで、人を疑うということをしなさそうだし、ルルーシュはさすがにそういうわけではなさそうだが、スザクを受け入れるまでが早過ぎる。なんだか、見ていられない。

かく云う、自分も……

ルルーシュの口車に乗せられて、と云ってしまうと人聞きが悪いかも知れないが、いつの間にかすっかり打ち解けてしまっていることに、自分でも驚いていた。
それは実のところずっと、かくれんぼで匿ってもらっているときから既に感じはじめていたことで、けれど認めていいのかどうかという気持ちが鬩ぎあっていたけれど。ルルーシュが云うところの、本来のスザク≠ヘすっかり、そのほとんどをルルーシュの前で曝け出してしまっている。それどころか、きっと日本に居たときは強がって隠してしまっているような本音まで。
それは、もう認めざるをえないことだ。
ルルーシュの美貌と直面してしまうと息が止まってしまうと、未だ一日も経っていないながらしっかり学んだスザクは今朝もルルーシュの方を見ないよう無意識下で避けていたが、けれどちゃんと隣に在ってくれた温もりと、静かな寝息に、確かに安心していた。……それは、いまも。
なんだか複雑な気持ちになって、がしがしと頭を掻いてみたが、余計居たたまれなくなった。
しかしルルーシュは、起きる様子はまったくない。
そう云えば、午前中は予定がないと云っていたし、スザクにも起床時間はいつでも良いとも云っていたが……ここには目覚ましもないし、大丈夫なのだろうか?
スザクは、慣れない環境と、自分で誘っておきながら隣にルルーシュがいるということに緊張してしまってなかなか寝付けずにいたし、いちど眠りに入ったと思っても、夜中に何度もはッと目を覚ましてしまったが、いつもの習慣のおかげかもうぱっちり目覚めてしまっているし、眠りが浅かった割に意外にも意識ははっきりとしていた。眠気はもう全くと云って良いほどないので、また横になったところで眠りに就けるかは微妙だ。
いろいろ迷った末、スザクは一応ルルーシュに声を掛けてみることにした。


「ルルーシュ……おい、ルルーシュってば!」
「え、あ…、何……だ?」


肩に触れて何度かゆさゆさと身体を揺すってみると、ルルーシュは小さな声で反応を返した。


「朝だぞ、起きろよ」
「あさって…なんじ…」


舌ったらずの口調が可愛いなぁ、なんて思いながら、スザクは壁にかけられた時計に遠目を凝らす。


「六時ちょっと過ぎ」
「早い」


いきなりはっきりとした声で、鋭く返されてしまった。スザクの語尾を遮ってまで。しかし、目はしっかりと閉じられ、掛け布団も被ったまま。
これは、アレだ、女王モードだ、と理解したスザクはため息を吐きながら尋ねる。


「じゃあ、あとどんくらいしたら起きるんだよ」
「う、ん……あと、五、」


ふたたびむにゃむにゃとした口調に戻ったルルーシュがそう云うのを聞き取って、あと五分って云う奴がその通りに起きることってあんまないよな、と思っていたら、


「ご、じかん……」
「長過ぎんだろ!」


つい大声で突っ込みを入れ、肩をガシッと掴んでしまった。
その声にようやく重そうな瞼を上げたルルーシュが、のっそりと上半身……いや、頭から胸の辺りまでだけを起こす。


「……早いな、枢木」


ものすごい迷惑顔に怯みながらも、スザクは普通を装う。
ぶすっとした表情ではあるが、寝起きだと云うのに表情以外ルルーシュは何もおかしいところがなくて、つまり顔がむくんだりしないし髪もぼさぼさになっていないし……だと云うのに目だけが潤んでいて、何と云ったら良いのか、つまりは破壊力が強かった。


「や、なんか習慣でさぁ…。いつもこの時間に起きて鍛錬してるから」
「それは……良いことだ、な……」


また眠るんじゃないかとスザクが心配しているところで、ルルーシュがはッと顔を上げる。と云っても、はっきりと目を覚ましたというわけではなく、単に眠りに落ちそうになった猫が寸でのところで体勢を立て直すのに似ていた。


「疲れが残っていないのなら、良いことだ。ああ、そうだ……もう起きる気なら、カーテンを開けて良いぞ」
「え、良いのか? 大丈夫か?」
「ああ、僕は明るくても寝られるから……」
「寝んのかよ」


思わず突っ込んでしまったが、目をこしこしと擦るルルーシュの様子にそれ以上は何も云えなくなってしまう。確かに、いつもの時間とは云え付き合わせているのはこちらなのだし……


「枢木は、もう起きるんだな?」
「ああ、すっかり目覚めちゃったから」
「ふうん…。もし身体を鍛えに行きたいなら、部屋を出て右にちょっと歩けば、階段があるから……そこを降りて、正面の扉から中庭に出られる。好きに使ってくれて良い」
「え…良いのか?」
「ああ、それなりに広さがある。機具とかは何もないけど……」
「や、ちょっと走ってストレッチでもできれば、それだけで良いや」
「そうか、それなら……行ってこい。俺はまだ、寝る」

(……俺?)


突然そんな口調になったルルーシュにすこし違和感を感じたけれど、寝ぼけてんのかな、と思うことにした。そしてそのまままた横になろうとするルルーシュを、咄嗟に呼び止める。


「っで、ルルーシュはいつまで寝てんの? まさか本気で、昼まで?」


スザクの問いにルルーシュはちゃんと顔を上げてくれたかと思うと、ふわりと微笑んだ。


「いや、冗談だよ、さすがに。鍛錬が終わって、シャワーでも浴びて準備ができたら起こしてくれ。一緒に朝食に行こう」
「お、おう。判った!」


不意に向けられた微笑みと、朝食を一緒にという誘いにスザクは気分を良くしたが、ルルーシュはスザクの返事など聞いていないかのようにさっさと布団に包まってしまった。
それくらいの時間で起きる気なら、確かにいまのうちにカーテンを開けても良いだろうと判断し、ルルーシュから遠い片側だけを、レースを残して開ける。レースの向こうに窺い見た空は、爽やかに晴れ渡っていた。
良い天気に気分が良くなり、急いで適当に身支度をしたスザクは、ベッドに近寄り、そおっと、起こさない程度にルルーシュの髪に触れた。


「―――……おやすみ」


横向きに寝ている所為で、頬に掛かっていた髪を後ろに流せば、それは想像した以上にさらさらと心地良い感触をスザクに齎した。
その瞬間、もやっと何らかの衝動が湧き起こってきて……それを振り切るようにスザクは部屋を飛び出て、そのまま中庭を何週も走り続ける羽目になった。
あまりにもスザクが戻ってこないので、逆に先に起き出したルルーシュに迎えに来られるまで。
走り回るスザクを怪訝そうに呼び止めたルルーシュを見て、起こす役割を失ってしまったとショックを受けたのは、もちろん本人には内緒だ。





     ***





全員揃った朝食を終えると、まずはユーフェミアが残念そうにこれから学校なのだと辞して行った。
その姿を見送ってすぐ後、マリアンヌも仕事があるらしく、急いでコーヒーを飲み、「スザクごめんねー」と云いながら大荷物を抱えて去って行ってしまう。皇妃らしくないパンツスーツ姿で、しかもその荷物と云うのも、お洒落なバッグとかトランクでは全然なくて、ぶっちゃけ頭陀袋を抱えているようにしか見えない。


「……サンタさん?」
「残念ながら、あの中には夢も希望も詰まっていない」


スザクの疑問に、どう受け止めたら良いのかよく判らないルルーシュの答えが返って来る。


「……なんであんな大荷物?」


スザクがそう聞くと、ルルーシュがため息を吐きながら答えた。


「さぁ。一週間は帰って来ない気かもな」
「え!? 良いのか?」
「そういうひとなんだ。常識では縛れない」
「ああ、それはまぁなんとなく判るけど……」


でも、と思いながらナナリーをちらりと見る。こんな小さな子が居るのに……
使用人たちが居るから、普通の家と違って不審者が来るわけではないし、構わないのだろうか……いや、だが母親の存在というものが大事なのであって、それとこれとは違う気がする。
食後のミルクティーを飲んでいたナナリーはスザクの視線に気付いて、にこりと微笑んだ。それは何も憂いなどないような朗らかさで。


「いつものことですよ。お気になさらないでくださいな。……あ、でもやっぱり寂しいから、今日はナナリーもお兄様のお部屋で一緒に寝ても良いですか?」
「ああ、もちろん。おいで」


全然寂しそうには見えないけど。
ナナリーはそれですっかり満足してしまったように、にこにこと嬉しそうに、お茶請けで一緒に出されたチョコレートを摘んでいる。母親が一週間くらい居なくたって全く気にはならないらしい。
それは当然ルルーシュも同じことで、予想していたようなのに気にしないどころか何も尋ねる様子さえもなく普通にマリアンヌを送り出していたことからも、彼らの真意は容易に窺えた。
けれど、ナナリーは普通に母親に懐いている様子だったのに……
これ以上問いつめるのも野暮なのだろうか、と思いながら、スザクもチョコレートに手を伸ばした。
実家でも食後にお茶を出される習慣はあったけれど、こんなにのんびりと、お菓子まで用意されたことはないのでなんだか新鮮だ。
しかもいまは、朝で。いつもは朝食さえ食べ終わったらバタバタと学校に向かうだけだし、休日だったらそれはそれで、藤堂の道場か遊びに行くか、行き先の違いがあるだけで結局慌ただしいのは変わらない。


「今日って……あれ、月曜だっけ?」


考え込むスザクに、ルルーシュが、そう、と割合あっさり頷く。


「今更な質問なんだが、時差は大丈夫なのか?」


ルルーシュからの質問に、ああそう云えば、時差があるから曜日が良く判らなくなったのかと納得した。


「んー……確かに、云われてみれば変な感じはするけど、ま、そのうち慣れるだろ」


実際、眠いとかそういうことはない。飛行機でもあまり眠れなかったのに。アレか、まだ神経が昂っているのだろうかと自分の身体に疑問を覚えていると、ナナリーがぱっと明るい声を上げた。


「すごいですねスザクさん!」
「え?」
「私、旅行で海外へは行ったことはありますが、時差ボケには勝てませんでしたよ」


ナナリーの感嘆に、ルルーシュがふむ、と肯く。


「鍛えてると順応も早いのかも知れないね」
「そうですね、羨ましいです。私も鍛えたいです」
「ナナリーは可憐だから、筋肉がつくとしたらほどほどにして欲しいな」
「お兄様もお母様も体型は同じくらいですから大丈夫ではないでしょうか」
「体力をつけること自体はもちろん反対しないが…何事もほどほどにね?」
「はい!」


ルルーシュは始終笑顔で、お前その声どっから出してんのってくらい聞き慣れない優しい口調で、可愛らしく憤慨するナナリーといちゃついていた。


(シスコン……)


口に出してしまえば、昨日のような応酬になってしまうかも知れないと思ったので、抑え込むようにカフェオレに口をつける。
だが、それにしても。


「ルルーシュもナナリーも、外国行ったことあんのか。俺、海外なんて今回が初めてだ」


スザクがそう呟いたことで、ラブラブしていた兄妹が顔を上げる。


「私は、その一度くらいですよ、旅行なんて。お兄様は、各エリアの他に中華連邦やEUにも、良く行ってらっしゃいますよね?」
「仕事だよ。シュナイゼル兄上に連れて行かされるだけだから、遊んだり観光したりはまったくできないし、あまり海外に来たという感じはしないかな。だから旅行なんて、僕もナナリーと一緒でその一度だけだ。普通はそれでも十分なくらいだろう」


本当に、全然驕ることをしないんだなこの皇子は……ということを何となく実感しつつ、確かにそうかもと頷く。普通は、それでもあくまでも前置きをして。


「ま、クラスメイトでも旅行で海外行った奴なんかあんまりいねーか」


彼らの皇族という立場を考えれば、一回だけでも旅行が許されるだけで意外な気がするくらいだ。ルルーシュの仕事はともかく、もしかしたら彼らはスザクよりもずっと自由に過ごせているのかも知れない。
しかしスザクのそんな憧憬に対し、ルルーシュはすこし疲れたような表情を見せた。


「ちゃんと予定を立てていればね……きっと」


は? とスザクが訝しむと、すかさずナナリーが先を続けるようにして口を挟む。


「すごかったんですよ! お母様が三週間くらい帰って来ないと思ったら、急に、『もうダメ、海に行きたい!』って叫びながら帰ってきて。お兄様と私は朝食を食べているところだったんですけど、今日はもう休むことにしたから、すぐ行きましょうって腕を引っ張られて、気が付いたら飛行機の上でした」
「……へ、」


呆気に取られたスザクを、ナナリーが満足したように誇らしげに見ていた。スザクを驚かせたことが嬉しかったのかも知れない。その続きを、呆れた調子を崩さないルルーシュが引き継ぐ。


「結局そのまま、一ヶ月近くあちらに居たかな。母は働き過ぎだと思うし、息抜きのためにもバカンス自体はもちろん良いんだけど……あの計画性のなさは、すこし困る……いや、かなり困る。正直置いてってくれて良かったのにとさえ思う」


ルルーシュの疲れたような表情の意味を悟り、スザクは感心したようにため息を吐いた。


「でも、すげーなその行動力。見倣いたい」
「付き合わされる方はたまったものじゃない。でも、まぁ……」
「……なんだよ」


じっと瞳を見つめられて、居心地がわるくなる。


「しばらくは、君も振り回される側の仲間入りだ。いくら同じように振る舞いたくても、到底敵わない相手だから」
「う、」


確かに、そうだろう。
だがとりあえずは何日か帰ってこなかったりするらしいし、大丈夫――、かも知れない。
ルルーシュとナナリーが、マリアンヌの不在をそう残念がっても居ない気持ちが早々に判ってしまい、なんだか項垂れてしまったスザクだった。





     ***