Re;volver
星と野良犬
この丘を越えて、その先にある白い建物がそうですよ。
かなり大雑把な説明を受けて向かわされた離宮までの道のりは、いくら体力自慢のスザクとは云え、まだまだ子供の枠に入る身体からするとかなりの距離があった。
確かに云われた通り、緩やかな丘の頂まで登れば、それらしき建物は見えた。けれど、そこからどんなに歩いても近付く気がしない。
一応、目当ての建物は本宮から同じ敷地内にあるそうだが、これは普通ならば車などの手段で移動すべき位置関係だろう。ブリタニアの文化に造詣などないスザクからすれば、皇宮でそういうものを使って良いのかどうかは知らないが、この雰囲気ならすくなくとも馬車くらいはありそうに思える。
地続きに他の建物もあるし、道も整備されているが、かえってその所為で、まるで別の敷地に存在するように見える。どこかのテーマパークのようだ。
―――あそこの人間は、滅多にこちらには来ませんから。
スザクへの説明を担当した人間による、文句ともスザクへのフォローとも取れる呟きの真意は判らなかったが、その道のりをたったひとりこうして歩かされている時点で、スザクのここでの立ち位置はもう決まったようなものだった。
だがもう、それを哀しいと思う気持ちもどこかへ行ってしまった。
どうせ日本でも、スザクの居場所などなくなってしまったのだ。そのショックで、ここへ来たからと云って、歓迎されるだなんていう甘い期待を抱くことはできなかった。だからこんな程度、想定の範囲内だ。
そもそもスザクは、何故自分がブリタニアに送られたのか、その理由もいまいち判っていない。
厄介払いされたということくらいは判るのだが、そこにどんな政治的な思惑が絡むのか、きちんと勉強しなければと思っていた矢先のことだった。
日本の政治家は表向き世襲制はないとしているが、実際のところ二世議員などゴロゴロしているのだし、スザク自身、代議士の息子という目で見られることにはもう諦めを感じている。政治家になるつもりはなくても、そんなスザクの意思に反して、周囲の期待は大きい。反発するにしても、それなりに渡り合える知識くらいつけなければならないだろう。そんな将来をぼんやりと、想い描いていた。
そんな現状にあって、ブリタニア行きを命じられたのは本当に突然のことで、勝手に部屋を片付けられ始めたのも、スザクがまだ意味を理解しきれていないときだった。止めようとしても、片付けくらい自分でやると云っても聞き耳を持ってくれず、結局スザクが日本を立ち去る前に何もなくなってしまった部屋は寝具もないほどで、ブリタニア行きの日まで土蔵で寝起きすることになった。
土蔵は幼い頃から秘密基地にしていた場所なので慣れ親しんではいたものの、まさかそこで夜を明かすことになるとは微塵にも思っていなかったので、その惨めさったらなかった。悔しいと思う気持ちすら情けなくて、涙を堪えるので精一杯だった。
元々部屋を勝手に触られること自体が厭だったのだが、案の定、スザクに情などあるわけのない使用人たちはスザクが大事にしていた持ち物さえ、顔色一つ変えずどこかへ遣ってしまった。
否……アレは片付けなどしていたわけではない、どう見ても捨てていたのだ。
それ即ち、久々に対面した父に渡されたブリタニア行きのチケットは、永遠に片道通行なのだろうと云うこと。もし万が一、例えばブリタニアとの関係が悪化して送り返されるようなことが起きたとしても、戻って来たところでそこはもうスザクの居場所ではないと云うこと。
説明も何もないままにその現実だけを叩き付けられて、それでも自我を保っていられたのは、意外にも土蔵の居心地が良かったからだ。いや、夜は寒いし、埃まみれだし、生活環境という点では最悪だけれど。
何故だろうか、どことなく淡くあたたかな、やさしい光でもって、ひとりぼっちのスザクを包み込んでくれていた。
なくしてしまった宝物たちのショックから、なんとか立ち直れるくらいには。
そうやって、いくつかのひとりきりの夜を過ごした。その間、父に面通りすることができたのは一度だけだ。
―――そんな心配せずとも、向こうはお前を歓迎するだろう。
白々しいせりふを聞き流しながら、スザクは云いたかったはずの言葉のたくさんを喉に詰め込んだ。
結局父の前で声に出したのは、最初の「おひさしぶりです」、ただそれだけだった気がする。父もスザクに何かを語りかけて来ることはすくなく、ほとんど父の秘書がべらべらと捲し立て、それに父が頷いているだけだった。
衣食住の心配だけは確かに心配しなくても良いらしいが、初めて親に買ってもらった、色の剥げた合体ロボや、今までこつこつ集めて来たチョコに入っていたシールや、お小遣いをためて買ったゲームなんかは、もう遠い世界なんだろう。あれらはお金があったところで、取り戻せるわけではないものたちだ。それに、金で解決する我が侭だけはどんなものでも大抵叶えられる環境に居たが、これからはそんな甘いことは云っていられなくなるんだろう。いまのうちからとすべて捨てられてしまったように、あちらでは私物さえ持てるのかどうかさえ怪しい。
そうだな……それならせめて、柔らかい場所で寝られると良いよな。
それくらいの気持ちで踏みしめたブリタニアの地面は、まるで捨て置かれたような存在のスザクを拒絶するように感じるほど綺麗に整備されていて、すこし離れた場所には目を愉しませる広い花壇もあり、確かに美しい景色だとは思ったけれども、まるで自分には似合わないものだという認識を強くさせた。
綺麗で、荘厳で、けれど人の温かみなど皆無な無機質さ。……自分の実家がそうでなかったとは、云わないけれど。慣れ親しんだ和風さが欠片も感じられないだけでも、取り残されたような気分になる。
そんな景観に阻まれ自然と重くなる足取りで、それでも向かわないわけにはいかないのだからとスザクはひたすらに目的地を目指した。
立ち止まったところで手を差し伸べられるわけではなく、それどころか助けを求められるような人影も近くにない。追い払われるように出て来た場所に戻るわけにもいかず、もしこのまま進まなければ、こんな良く判らない場所で何もないまま夜を明かさなければならなくなってしまう。こんな大国の凄まじく広い皇宮で、変な場所に入り込むわけにもいかない。
スザクの乏しい想像力でさえどんなものも気を重くさせるばかりで、けれど明るい話題などは到底思いつかず、ずしりと重い気がする足を上げて機械的にただ進んでいたスザクは、不意に、何か今まで聞かなかった音を聞き付けて足を止めた。
「……なんだ?」
反射的に耳を澄ませると、ガサガサと、道なりに並木になっている植林から音が近付いて来るようだ。今まではスザクに向かって吹き付ける風と、それに揺れる木々以外の音はほとんどなかったのに。
猫か犬か……いや、音の大きさからすると人だろうか?
皇宮内を歩いていてちらほらと人影を見掛けることはあったけれど、それは遠目であって、しかもスザクには近寄って来ないこともあり、こんな近くに人の気配を感じるとは珍しい。
わずかに不安を覚えたが、スザクは云われた通り歩いているだけで、何も悪いことなどしていない、はずだ。すこしキョロキョロとあたりを見回すくらいはしてしまったかも知れないが、それは単に見慣れない場所の道を確認しようとしただけで、中を探ろうとしたわけでもないし。
だから、責められる要素は何も無い。もし云いかがりなんかつけられたとしたら、そう素直に話せば良い。ブリタニア語くらいはさすがに学んできたが、家庭教師相手に話をしたくらいで実践はまだまだ足りず、思っていることを上手く伝えられるかどうかは自信がないが、仕方ない、勢いでなんとかなるだろう。
そんなことを咄嗟に考え、けれどすぐにここまで迫るわけでもない距離にすこし身構えていると。
「きゃあ! どいてくださぁーい!」
「え…!?」
スザクの目の前に、ピンク色をしたかたまりが突然、降って湧いた。
その残像が、やけに長く感じるタイムラグを置いて、緩やかな風にふわりと舞い降りる。
云われた台詞と、咄嗟の判断からさっと脇に避けてしまったが、ソレはスザクと数十センチも離れていない至近距離に突然姿を表したので、あとすこしで激突していたのではないだろうか。
危ないな、急に……などと思いながら、それが落ちて来たと思われる木と、スザクの正面のモノを何度か見比べる。そしていろいろとスザクなりに迷った挙げ句……結局スザクは、手を差し伸べることにした。
人だと云うのは最初から予想していた。けれど着地は上手く行っていたようだし、怪我などの心配はなさそうだった。
スザクがこの場でどう扱われるか判らない以上どう接するべきかを考えたのだが、結局のところ、自分と同じくらい(それか、すこし下か)の女の子らしき人物を、このまま見捨てることはさすがにできない。
「あの、大丈夫……です、か?」
喋り馴れない言語の敬語が喉に支えるが、少女はそのスザクの問いかけにようやく俯いていた顔を上げた。
「―――ええ、すみません。人が居るなんて思わなかったから、びっくりしちゃって」
そこで初めて視線を合わせたその容貌は、驚くほど可愛らしく、スザクは声を詰まらせてしまった。肌は透き通るように白く、髪も色鮮やかなピンクだし、目鼻立ちはくっきりとしていてまるで御伽噺から抜け出たような造形だった。日本人にはこんな顔立ちの者はいない。
「あの……?」
何も云えないスザクに少女が首を傾げ、そこではっと我に返ったスザクは、差し伸べていた手をうろうろと彷徨わせて、咄嗟に謝った。
「いえ、すみません。こちらこそ……」
「あら、何を謝られるんです? 悪いのは私です。ごめんなさい、ちゃんと確認せずに飛び降りちゃって」
「はぁ……やはり、飛び降りたんですよね……」
もう一度、少女が飛び降りて来た木を見上げる。
スザクにとっては簡単に登れる高さではあったが、それにしても目の前の少女のようなひらひらした服で飛び降りるには、それなりに厳しい高さがあるように感じた。
さすがに場所や年齢、何より本人のせりふや表情などから考えれば、自殺だなんてことはないだろうけれども。
「ええ、近道のために。貴方こそ、怪我などしていませんか?」
「それは……はい、大丈夫です。避けてしまいましたし……すみません」
「何を云うんですか。それで正解ですよ。私はどいてくださいと云ったんですから」
「あ、そうですね……」
喋り方こそほわほわしているが、何処か意思の強そうな少女だ。
何者だろうかと一瞬考えたが、この場所を考えれば正体など不思議でも何でもないことにすぐに気付いた。
けれど、それならば尚更、接し方が判らない。ブリタニアの皇族だか貴族だかの相手なんて、いままでちゃんと習って来なかったし、そんな機会が訪れるとも思っていなかった。
「ところで、貴方はどなたです? 見掛けない顔ですね」
スカートの裾をパンパンと軽く叩きながら、少女が首を傾げる。警戒心が薄すぎないだろうかと余計な心配をしながらも、スザクは必死で頭の中で文章を組み立てた。
「あ…はい、あの。今日からこちらにお世話になる、日本から来た……」
「ああ! もしかして、くる……くるくる……」
思い出せないのか発音できないだけか、必死にくちびると格闘する少女にすこし気分を解されながら、スザクは助け舟を出した。
「くるるぎ、です。枢木スザク。どうぞスザクと」
「ああ、そう、そうでした。スザクですね。私はユーフェミア・リ・ブリタニアです」
やはり、と思いながらスザクは復唱する。
「ユーフェミア殿下……」
「止めて下さいな。聞いたところだと、スザクは私たちの兄弟になるのでしょう?」
「え、っと。……でもそれは、書類上の話で……」
「同じことです。そもそも兄弟が多過ぎて、私だって全員は把握してないのですもの。だから気にせず、私のことはユフィと呼んでくださいね」
にこにこと微笑むその表情には、何故だか人を強制させる迫力があった。それに気圧されるかたちで、スザクはそっとちいさな声でつぶやく。
「ユフィ……」
「はい!」
にこりとうれしそうに破顔した表情には何も裏などなさそうで、スザクはすこし……そうほんのすこしだけ、不安が消えてゆくのを感じた。