移動した御用邸は、大臣たちが手狭だと云っていたわりにはじゅうぶん広いように感じられた。人数が少ないのだから元より広さなど気にしていなかったが、受け入れ可能人数はルルーシュたち一行よりももっと多そうだ。
これを手狭とは。
謙遜だったのか、あるいはブリタニアってもっとすごいんでしょ? 的な勘違いをしているのか。正妃をとにかく持ち上げておかなければ、という精神が根底で働いていることには違いないだろうが。
妙な具合に日本風とブリタニア風の折衷だった正妃用の部屋は落ち着かなかったが、この御用邸はほぼブリタニア調だ。むしろ周囲の街並みからすると浮いてさえいる。当然御用邸自体は木々と柵に囲まれて隠されているので外からは見えず、目立つということはないのだけれど。ここに移動するまでに見てきた、この国の一般的な建物とは一風違っているので着いたときは多少驚いた。
ブリタニアや、その周辺諸国の要人のための貴賓室としても使われてきたのだろうか。
外観だけではなく、中も床が畳ではなくフローリングや絨毯なので、靴のまま過ごすことができる造りだ。和室もあるにはあったがほんの数部屋で、ほとんどの部屋の窓は障子ではなくカーテン。それでいながら、風呂は洗い場と湯船が別にあり、スペースもじゅうぶんに広い。さすがに温泉ではなさそうだが、シャワーだけで済ませることの多いブリタニアにおいてできるだけ湯に浸かっていたルルーシュは、ここでならゆっくりバスタイムを愉しむことができそうで嬉しい。
そういった外観や内装はブリタニアの貴族の館にありそうなものだったが、中庭の造りは和風で、美しい日本庭園を眺めることができた。実のところルルーシュは、庭園に関しては花が咲き誇る左右対称の幾何学的なブリタニア式よりも、落ち着いていて、配置は不規則なのに計算され尽くしている日本庭園のほうが好きだ。中庭だが、不思議と館と調和している。しかも奥の方に見えるのは茶室だろうか。
案外良い場所だな、と思いながらいざ荷をほどいて、というときに、調度品も浮かない程度に日本ならではのものを使っていることに気付いた。和紙を利用したシェードランプには感心したし、桐箪笥や行李なんてものもあった。貴賓室として使用する場合、こういうところで日本の伝統をアピールするのだろう。上手いやり方だ。
建物は年季が入っているし、定期的に手入れをしているという程度のようなので、さすがにブリタニアの姫の輿入れに合わせ、姫を遠ざけるためにもともと用意していたとは考えられないが。この御用邸は神殿から馬車でもほんの一時間程度の距離しか離れておらず、咄嗟に用意したわりには都合が良すぎて向こうの思惑は見え見えだったが、それはこちらからしても同じことだ。
移って一〜二日ほど経ってから、自由にさせつつ付いて来させていた鷹のガウェインの足元に文をつけて飛ばす。
呼び寄せて、まず開口一番。
「……胸がない……」
不満そうなジノの頬にはバシッとオレンジが投げつけられたのでまぁ良しとして。
「何だ、その服装……」
「いや、さすがにずっとラウンズの制服ってわけにはいかないでしょう? 元々サバイバルさせられるなどと思っていませんでしたし、私服は必要だろうと判断しましたが普段着しか持ってきていなかったんですよ。判ってたら訓練着にしたのに」
訓練着とかはどうでも良い。ラウンズでもそういうものを持っているのか、とは思うが。
「普段着……」
それが? と頸を傾げる。
あっ、殿下は世間知らずだから流行りを知らないなぁとかなんとか云っていて、一抹の不安を覚えるがそれはともかくとして。
「……風呂、入ってきて良いぞ」
ルルーシュが見せた珍しい優しさに、しかしジノがしゅん…とする。
「……においますかね、私……。川で水浴びはしていたんですが」
「ああ、道理で……においはいつものコロンで消されているのか特に感じないが、何というか、ボロボロで見ていられない……」
泥だらけだ。しかも私服のセンスはおかしいし。
「ひどい!」
「いや、軍の訓練の一環として、サバイバル経験くらいはあるだろうから平気なものかと」
「大貴族の私は華麗にスキップしました」
そんなキリッとされても呆れるばかりだ。
「お気楽なものだな、一般兵からしたらさぞ恨めしいことだろう」
「皇族であられる殿下に云われるのも微妙な気分ですが」
ちょうどタイミング良く、咲世子がお風呂の準備が整いました、とルルーシュたちが集っていた居間に入ってきた。
「ああ、ご苦労。ジノはその汚い身体をとっととどうにかして来い」
「殿下がサバイバルなど強制する所為ですからねッ!」
と捨て台詞(?)を残してジノが一目散に風呂に向かって行く。
「―――あ、そうだ。当然日本式の浴室だから、湯船に浸かって身体温めてこいよー」
と背中に声は掛けておいた。
***
ジノが風呂から出てきて、すでに三つ編みは完成させているくせにシャツ一枚にスラックスというアンバランスな出で立ちで、まず最初に云ったことは。
「胸は一体どうしたんですか?」
そこか、と思い嘆息するが、ジノは一連の経緯を知っているので仕方がないと思えなくもない。
「昨日の朝起きたら消えてた」
「えー、タイミング良すぎません?」
「それは俺も思った。あの魔女、水晶でも使ってこちらを覗いているのではあるまいな」
「……ありそう……」
「俺から云い出しておいて何だが、冗談に本気のトーンで返すのは止めてくれ。こちらもそんな気になってしまうだろう」
ルルーシュが飲んでいる紅茶とは別のものを用意して、咲世子がジノに手渡す。
「ココア…! ココアだ…! あったかいココアだ…!」
異常なほど感動している。泣き出す勢いだ。
簡易的なものではあるが湯沸かし器くらい用意していたと云うのに。
「気候はそんなに悪くなかったと思うが、それで一応身体の中からも温めておけ」
「一応も何も、さすがに夜は冷えて辛かったですよ。しかも用意されてたキャンプ用品、全部ファミリー用でしたからね。虚しさ四倍」
「四人用だからな……」
一人用にしておいた方が軽いし良かっただろうか、と思うけれども。元々大所帯のブリタニア皇室だ、四人用があっただけでも奇跡に近い。
つまり、倹約家のルルーシュはこのためだけにわざわざ新品を用意する気は全くなかった。
「トリスタンの存在が私をどれだけ癒してくれたか……」
馬か。馬と会話していたのか。
判らないでもないが、トリスタンには悪いことをしてしまったな、と思う。結構な距離を走らせていたのでちゃんと休ませてやりたかった。疲れていただろうに、ジノの相手をしてくれていたのか。いまは、馬車をひいていた馬と一緒に、ここの馬舎に紛れこませているが。
「ところで、ソレ飲んだら早速頼みたいことがあるんだが」
「……さすがに人遣い荒すぎませんか」
「そのためのお前だろう。何故ラウンズの中からお前を選んだと思っているんだ」
「……チャラいから?」
「お前が一番俺の云うことを聞く犬だからだ」
「……歓んで」
またオレンジが飛んできていたが、そこはべつに良かったんじゃないかな、とルルーシュは思った。