まぁ、普通に考えて来ないだろうな、と思いながら、ルルーシュは一応夜伽の準備をして部屋で待機していた。
薄い着物に、重苦しい仮面。
もし来たとしても、さすがにこの仮面の女を抱こうなどと考えないだろう。最初の王の言葉からすると、面食いのようだし。この下には確かな美貌が隠れているとは云え、仮面だ。
ルルーシュにとって美貌と云われるのはべつに嬉しくも誇らしくもない……と云うか、むしろそんな噂を流されていることには腹が立つほどだ。ルルーシュにとって、"綺麗"と"可愛い"が禁句であることはブリタニアの皇宮内で有名な話だ。かと云っておとなしく自重している者はごく少数である……と云うより、実際にルルーシュを前にすると掟を忘れる者が多いため、結局ルルーシュはほぼ常に機嫌のわるい状態ではあるが。
しかし、母親は見掛けだけで云うならば確かに美人なのだろうと思う。髪の質感以外はルルーシュのツボに入らないが、一般的な評価としては。
普通にルルーシュを男だと判っている人間に、母親似だとか、母君そっくりに育ちましたね、と云われることは多いので、それも腹が立つが、それならばルルーシュも美人に分類されるということになるのだろう。中身が違いすぎてルルーシュ自身はそれほど似ているとは思っていないにしても。父親似だと云われるよりは何百倍も良いから、そういうことにしている。
しかし、どんなに女性である母に似ていようとルルーシュは男だ。そう、実際は姫でなどない。
もし日本の王が襲おうとしてきたなら、こんな仮面だというのにどんな趣味だ、女なら何でも良いのかと軽蔑するどころか哀れに思いながら、徹底抗戦するまでだ。
最悪男だとバレたとしても同性婚オッケーな国なら、と考えたりもしたが、国交のことを思えば虚偽の婚姻の約束など日本を怒らせるだろうし、女でないと世継ぎを産めないから拒否されるだろうと考え女を貫き通すことにした。しかもあの王は女好きのようだったから、何にしても良いことはない。良い判断だったのだろう。
しかし、本国で色々と準備をしているときの、ちょっと色っぽさは出しといた方が良いですよ! というジノの助言は一体何だったのだろう。仮面に色気も何もあるか、と云ったが、聞きやしない。
せっかく胸生えてるんだし、薄い着物なんだし、こう、ちょっとだけはだけさせて、項を出して、ギリギリで胸をチラつかせるくらいの感じでですね! ……なかなか良いなぁ、着物って。ドレスより脱がせやすいし、ローブやネグリジェよりも色っぽさ増しますね……
と危うい目つきになってきていたのでとりあえず股間を蹴り上げておいたものの。
一応、助言通りにしてみた。
何と云うか、もちろん王に抱かれる気なんて欠片もないが、そういう姿勢は見せておいたほうが良いかな、という判断の下だ。こっちはやる気満々ですよ、みたいな。
いや、男なので抱かれる側になりたいわけではもちろんないが、姫ということになっているのでいざというときはそういうことになってしまうのだろう。……抱かれる気はないが。もちろん抱く気もないが。誘って、押し倒される側だ。抱かれる気も抱く気もこれっぽっちもないが。
でっ、では一応こちらを! とジェレミアが何故か赤い顔をして差し出してきたのはスタンガンだった。
一応、受け取って隠しておいた。
(―――に、しても……)
この胸はなぁ……とため息を吐く。
そこそこの大きさの胸が、ジノの云った表現通り、生えて≠「る。詰め物をしているわけではない。
***
「ルルーシュ殿下、いまよろしいですか?」
ジノが執務室を訪れてきたとき、ルルーシュはちょうど一息つこうかと思っていたところだった。
このタイミングで仕事を持ってきやがったのか間が悪い男め面倒くさい、と思ってそのまま口にも出したが、いつものこととしてジノはへこたれない。公用と云えば公用かもしれませんがどちらかと云うと私用に近いような気がしますねと、ルルーシュからするともっと簡潔に云え、とイラつくようなことを云うので、仕方なく、じゃあ一緒にお茶にしつつ話すかと提案すると必要以上に歓ぶものだから、ああこいつは甘党だったなと思い。
メイドにティータイムの準備をするように云いつけ、テーブルにセットが整ったころ。
「では、私と殿下はこれから秘密のお話をするために鍵をかけてしまうから、この辺りにはだれも近付かないように云っておいてくれ!」
あまりに晴れやかな笑顔でいきなりメイドに注意を云い渡したジノに、驚きすぎて反応が遅れた。
「ちょっ…ジノ!」
しかし慌てた様子でジノに縋ろうとした(実際はテメェ何云い出すんだという感じで胸ぐらを掴もうとした、が、身長差のせいで無理があった)、そんなルルーシュをメイドが見て、今度はにこにこと微笑むばかりのジノを見上げて、あたふたと顔を赤くさせたあと、かしこまりました! とやけに大きな声で返事をして急ぎ足で去って行った。
「……こうして、俺が色仕掛けでのし上がって行った説が濃厚になって行くんだろうな……」
アリエスの離宮内だったらまだ良かったのに、太陽宮の一角で……
「? どうしました、殿下ぁ」
元凶は本当にさっさと鍵をかけたあと、既に優雅に紅茶を飲んでいる。
おや、今日はレモンパイにピーチタルトにマンゴーのムースか、爽やかだな! スコーンにはやはりクロテッドクリームは必須としても、私はラズベリージャム派だ、などと無邪気にはしゃいでいるので、もう良いや、という気分でルルーシュも向かいに腰を下ろした。
どうせもう、何と云うか、遅い。ルルーシュはいま現在皇宮内で後ろ指差され率ナンバーワンだから、騒がれる要素がひとつ増えたところでもうどうでも良い。どうせ近くこの地を離れる身だ。
「―――で、何か用か」
「ああ、」
ジノがぱっと笑顔で顔を上げたが、いや、待てよ…? という顔になった。ものすごく判りやすかった。
そして、1! と人差し指を立てた。
「まずひとつ。私なりにちゃんと真剣に考えた結果ですので、どうかご機嫌を損ねないでいただきたい」
「それは約束しかねるが、前半部分は一応念頭には入れておこう」
ジノが難しい顔をしたが、ひとまず流すことにしたらしい。2! とピースを作る。
「……そして、ふたつめのお願いですが。やはり私なりに、ルルーシュ様のことを考え真摯に現実に向き合った結果ですので、どうか変態などと思わないでいただきたい。しかしそう罵ってくださるのはもちろん結構です」
「訳が判らない。前置きは良いから、とっとと話せ。どうせ俺の気分次第だ」
それもそうですね、とジノが持ってきていた紙袋と箱を何やらごそごそし出す。
「いや、殿下。女装をするにあたり、胸をどうするかとお悩みになっていたでしょう?」
「…………まぁ、そうだな」
怒らずには済んだ。機嫌は大いに損ねられたが。
まだ何を出してくるのか判らない以上、一応はジノなりに、どうしたものかと悩んでいたルルーシュのために何かできないだろうかと頑張って考えたのだと思っておこう。
「えっと、あの……あ、クロヴィス殿下! ―――が、デザインされたドレス、結構スタイルを強調させるようなものが多かったじゃないですか」
「おまえ、いま確実にクロヴィス兄さんの名前一瞬忘れていただろう……。俺からすればどうでも良いが、ラウンズとしてそれはどうなんだ」
「皇族方って、人数が多過ぎるんですよね。ルルーシュ殿下は黒髪も珍しく、他のどなたよりも総てが見目麗しく、シャルル陛下の一部分をとったお名前が、」
「殺すぞ」
「本気の眸は止めてくださー…い……」
カチャリ、唸った銃にジノがわりと本気で怯えた表情でホールドアップする。さすがはラウンズ、ルルーシュが一瞬で安全装置を解除したところも確認したのだろう。
「いや、その、ルルーシュ殿下は能力からしても特出しておられますし、ナナリー殿下の可愛らしさも群を抜いてらっしゃいますが。あとはほとんどその他大勢って感じで。ルルーシュ殿下とナナリー殿下より下に行くにつれ名前もだんだん適当にありがちな名前ばかりになっていくし、外見も性格も似たり寄ったりですからね。特に金髪の方は多いですし」
おまえもだろうが、とルルーシュが銃の狙いを外して足を組む。
「それでもクロヴィス兄さんは第三皇子で、それなりに重要なポストに居る上にある意味特出しているはずだが。まぁ、ナナリーを除外したから良い。話を戻すとして、ドレスに関しては、それはおまえの云う通りだ。女性目線でのデザイン云々はともかく、俺の事情を一切考慮していない、あのドレスな」
「流行りが取り入れられつつもクラシカルな上品さが感じられて、デザイン性はさすが……えっと、クロヴィス殿下と云ったところですが。確かに完全に女性向けでしたね。社交界で競い合う女性たちはひとめ見るだけで欲しくなってしまうでしょうけど、何のためのドレスなのか忘れていませんかと突っ込みたかったです」
ルルーシュ様が物理的な攻撃で突っ込んでいたので私はおとなしくしていましたが、とジノが真面目くさった顔で云うので、やはりおまえも同じ気持ちだったかとルルーシュは頷いた。だったら加勢してくれれば良かったのに、と付け加えながら。ルルーシュひとりのヒットポイントでは撃沈しても結構早く生き返ってしまった。打たれ強さだけはあるから面倒くさい。
ジノはさすがに……と勘弁してくださいのポーズをとり、取り成すように続ける。
「とは云え、一応はルルーシュ殿下のことを慮ったところもありましたよね。首元までは布があったじゃないですか。喉仏を上手く隠すような」
「そのわりに、胸の谷間のあたりがシースルーだったがな。まったく、あの男の好みがよく判って気色が悪い」
「……まぁ、それはともかくとして。結局のところサイズは殿下ぴったりなのですし、アレを着るしかないのですよね」
「俺の身長からすれば、他に合うサイズのドレスなどはないだろうからな」
「どちらかと云うと腰の細さの問題かと思いますが」
「俺の身長ほどの女性は少ないだろうから、結局はオートクチュールになってしまう。しかし、もうそんな時間はない。―――と、云うわけで、クロヴィス兄さんデザインのアレを着るしかないだろうな」
ルルーシュが故意に聞き流した腰の細さについての話を持ち出したジノは、これは怒らせたなと思ったが割合いつものことだ。気にするまでもない。
「……まぁ良いや。でも、確かに。私もそうですが、殿下の周辺には皇族の方にしろ軍人にしろ背もガタイも大きい人間ばかりなので、殿下は細身ということも手伝っていつもそれほど背が高いとは感じませんが。普通に女性と比べれば、細長いですね」
「アァ?」
「すみません云い間違えました。女性ではほとんど見ない背の高さとスタイルです。モデルかスポーツ選手ならありえるかもしれないですが」
でもそれじゃあ、ドレス選びも既製品では無理ですねぇ、とジノがのんびりと云う。ルルーシュはどんなにジノが云い繕ったところで先ほどの暴言をもちろん忘れない。
「おまえらがでかすぎるんだ。シュナイゼル兄上と一緒に着ぐるみで山を歩いてみろ。一発でビッグフットの伝説が真実になる。俺くらいならまだ人間だ」
「殿下ならスレンダーマン本当に居た! となるでしょうね」
「あ?」
ルルーシュがぴきぴきと浮かせた青筋に、さすがにジノが降参のポーズを取る。
「いや、小さいとも云ってないじゃないですか……年齢からすれば一般的な、むしろ平均よりは高めの身長でしょう。細すぎるというだけで」
ジノはいちいちひとこと多い。悪気があるのかないのか掴みにくいのが厄介なところだ。
「―――とすると、俺の身長ほどの女性はおまえの云う通りいくらブリタニア人と云えど実際少ない。とりあえず日本の首脳陣には、日本人からすればそもそもブリタニア人は大きいものだと、むりやり納得させるしかないとして。そう、ドレスにしても、この身長と……チッ 体格では、確かに既製品では無理だ。かと云って今更クロヴィス兄さんのドレスを突っ撥ねたとして、何とか間に合わせるとしても他の者に採寸し直されるのも厭だ。面倒くさい」
「…! それはそうですね! 確かに、採寸とは云え殿下のウエストに手を回すとか許せません!」
「おい、胸の話をしているんじゃなかったのか」
ルルーシュが低い声で指摘すると、ジノがハッとした。
「そうでした。いや、サンプルとして用意された総てのドレスの胸元がシースルーではないにしても、胸が詰め物だとやはりどうしても不自然になってしまうではないですか」
「ああ……そうなんだよな。ちょうど良いものはないかと悩んでいたのは確かだ。何かの拍子にずれてしまう可能性もあるし」
「そういう懸念もありますね。―――と、そういうわけで、私はこんなものを探し出して来たのですが」
じゃーん! という要らない効果音と共に何かを差し出される。
……普通に、普通の胸のように見えなくもない。パッケージに入った、双胸。
「……これは?」
「擬似胸……と云ったら良いのでしょうか。シリコン製で、女性が胸につけてサイズ合わせをするものらしいですが、殿下のお悩みにちょうど良いのではないかと」
思っていたよりは、まともな提案が出てきた。出てきたそのものは、決してまともとは云えないが。
まさか自分で買ってきたのか。……いや、生粋の貴族であるジノのことだから、それはないにしても、これこれこういうものを、と指示して人を遣わせる姿を考えると、
「―――この変態」
「あー、それそれ! それが良いんですよー、ありがとうございます!」
「礼を云われるようなことをした覚えは一切ないんだが」
「殿下に罵られるのはとても良いものなんですよ、極上の至福です。そう思われていないのであれば」
「いや、心底そう思っていなければ普通口にはしないぞ」
「まぁまぁ殿下、とりあえず試してみませんか!」
一応、そのために人払いをしたと云うのであればまぁ許せなくもないか、という気分になったルルーシュは、そうだな、と上半身の服をがばりと脱いだ。
「わお、思ったより豪快。もっとじっとりと、ゆっくり時間を掛けて脱いでも良いんですよ? 手伝って差し上げましょうか?」
「おまえが莫迦なことを云っているあいだに脱ぎきってしまったわけだが。で、これをどうするんだ」
残念、と一度はしょんぼりしたジノだったが、ルルーシュの云いつけには素直に従い、とりあえずパッケージを開けて取り出したブツをルルーシュに預け、説明書を読む。
「うーんと、普通に、そのまま胸に貼り付ける感じで、」
「ふむ……確かに、ぴったりとくっつくような感触にはなっているが……」
単体で見る分には物珍しいものくらいの気持ちだったのだが、自分の胸に当てると何とも云えない気分になったルルーシュは顔を歪ませた。
「しかしこれは、恐らく胸が小さいことにコンプレックスを持っている女性が、大きく見せかけたい場合につけるものだろう?」
「ええ、きっとそうなのでしょうね」
「俺は当たり前だが、この通りのまな板だ。Aカップどころか……と云う話で、そんな胸でもくっつくものだろうか。ジノが持ってきたにしては良い案だとは思うんだが……おいジノ、ちょっと手伝え」
「そのお言葉をお待ちしておりました!」
張り切ったジノが擬似胸をルルーシュから受け取って、このあたりですかね、と位置を合わせる。
「うーん、仰る通り、上手くくっつかないなぁ」
「ぺったんこだからな。普通ならそのままひっつくようだが、何かで抑えるしかないか?」
「ブラジャーの紐のようなものということですか? でも、あのドレスって上半身は余裕のないぴったりしたデザインでしたし、あまり線が浮き上がるのは……」
「確かに。上品ではないな」
「テープのようなものでもやはり外れる可能性がありますよね」
「そうだな。そ、それに……」
急にすこし頬を赤らめて云い淀んだルルーシュに、ジノがどうかしましたか、と腰を屈めて顔を覗き込む。
「その……剥がすときに痛そう、と云うか……」
滅多に見られない照れた様子の可愛いルルーシュの姿に見とれつつ、ジノはひとつの可能性にたどり着いた。
「ああ、乳首とか感じてしまいそ、」
「蹴り上げるぞ」
一瞬にして般若の形相になったルルーシュに、ジノがすみません、と殊勝な態度で視線を逸らす。
「どこを、とは訊かないでおきます……」
「懸命だ」
「はい……。しかし、私としても我ながら良い案だと思ったのですが、やはり無理があったのでしょうか……。でもコレ、殿下の胸わしづかみにして乳首いじってるみたいで興奮しますね」
「全く反省してないな、おまえ。一応真剣だと云っていたのはどこのどいつだ」
「それはもちろん私ですけども。人間ですから、意見がひっくり返ることとてあります」
「そんな自信満々に開き直ると云うことは、俺も存分に機嫌を損ねて構わないということだな」
「うっわ! それは勘弁してくださいよ殿下ぁ! 一応はちゃんと手伝っているではありませんか!」
「やけにもみしだきながらな」
そんな感じでジノと一緒に四苦八苦していたら、
「―――なんだ。やけに面白そうなことをしているな」
ルルーシュ(女王様)とジノ(変態)のターン