簾の奥にはやはり不在のままではあるが、お疲れでしょうと云いながらもさすがに休憩よりは王とのご挨拶が先でないといけないだろう……と思い、ご案内する。……王、居ないけど。多分どっか遊びに行ってるんだけど。
しかしブリタニアの一団(姫を含め、たった三人だが)はあまり王のことを気にした様子はない。
あ、そう云えばうちの王、狂王だった。そういう話が広まってるんだった、と大臣たちは思い出した。気まぐれで残忍な面もありつつ酒池肉林の遊び人の割には、普段は結構無言で無表情なことが多いけど……
そんな王にお会いするのは、もしかしたら仮面の中で怖がっていたりするのかも知れない。ブリタニア皇族は美男美女揃いとの噂くらい聞いている。だからきっとあの仮面の下には怯える美少女が、と無理やり想像してみたらどうだろう。―――と、思ったが、やっぱり仮面のインパクトに負けた。
そんなふうに考えていた大臣たちが、御者を務めていた男が「あの、」と声を出したので、はっと我に返った。
簾の向こうで何も声がかかって来ないことを不満に思っているのかも知れない。


「如何されましたか」


恐る恐る、しかし話を引き延ばすようにして返事をしてみると。


「さきほど、お話しそびれてしまったことがありまして。ゼロ殿下は、幼いころのご病気の後遺症で大きな声を出すことができません」
「……そうなのですか?」
「はい。現在はその後遺症以外は問題なく完治しておられますし、声が出ないというわけではないので、近付けばお声を拝聴することができるのですが」


そうなのですか、という返事をしながらも、大臣たちは。
それって、ブリタニアではどういう扱いだったのだろう、とさきほどの歓喜がちょっと萎れてしまった。いや、大変失礼な勘ぐりだとは判っているのだけれど。
しかし良く良く考えてみれば、狂王の噂は当然ブリタニアにも届いているだろう。そんな中で婚姻関係を結ぶことができたのは万々歳だが、その相手に選ぶ姫と云うと……高位の皇女である、という認識は改めるべきかもしれない。


「そういうわけですので、殿下のお言葉は、私どもを介してということになることをどうかお許しいただきたい」
「そう、ですか……その、小声だとしても、お話するときにご苦労をされたりはしないのでしょうか?」
「ああ、痛みがあるですとか、そういうことでしょうか?」


この御者を務めていた男は話がだいぶ通じる上に、機微に鋭いようだと思ったので、姫を気遣うことも必要だろうと左大臣が頷いて御者の顔色を伺う。左大臣からすればそういう症状を持つ相手に会ったことが初めてであったので、どう反応したら良いのか……という戸惑いもあったのだが。


「そういう意味でしたら、大丈夫のようです。実際にブリタニア皇宮でこの仮面を被らずに生活されていましたときは、お話相手の方に近付いて普通に会話を愉しんでおられましたから」


あ、そうなんだ、いつもは仮面なしだったんだ、と大臣たちはほっとした。ということなら、そのうちこの奇妙な仮面はなくなるかも知れない。だって、いくら経っても慣れそうにない。
完全に同じことを考えている大臣たちの代表である左大臣はそうなのですか、と頷いた。


「姫のご負担になられないということであれば、安心致しました。貴方がたを介しての会話でももちろん構いません」


彼は誠実そうなので、姫の意志と違うことをこちらに伝えるようなことはしないだろう。本音は、仮面に顔近付けたくない、という気持ちが大きかったが。


「お心遣いに感謝致します。申し遅れましたが、私はジェレミア・ゴッドバルトと申します。辺境伯ではありますが、殿下が国を離れるとあっては居ても立ってもいられず、護衛としてお連れいただけないかと殿下に申し出ました。お輿入れするにあたり男が、しかも護衛だというのは失礼かとは存じておりますが……私は、殿下が幼い頃より忠誠を誓った騎士でありまして。忠義を尽くすまでであって、決して不埒な想いを抱いているわけではありません。ブリタニアの騎士とはそういうものなのです。ご理解いただけませんでしょうか」
「あ……いえ、ブリタニアの騎士の制度というのは、承知しております。慣れない土地で、信頼できる方がいらっしゃる方が姫もご安心なさるでしょうから、大丈夫です。ただ、護衛として仕事をするようなことはないと、そこはお約束致します」
「ありがとうございます。貴国のご意志としましては、身の回りの世話をする者としてお付きの者を、ということであることは我々も承知しておりますので、こちらの者がその役割を果たさせていただきます」


メイド服を着た、普通の女性が一礼する。
仮面に惑わされてばかりいたが、彼女は……


「篠崎咲世子と申します。何卒よろしくお願い致します」
「もしかして……あ、いえ、失礼しました。こちらこそよろしくお願い致します。姫のお付きの方に関しましては、文化が違うでしょうから、貴国の方のほうが良いだろうと判断したのは確かでして……。ただ、そのお名前や容貌からすると、篠崎様は日本出身でいらっしゃいますか?」


正しくは、日系ブリタニア人ですと咲世子が説明する。


「正直に申しまして、ブリタニアという国で純ブリタニア人ではない者が生きるには厳しい環境がございます。そんな私を救ってくださったのが、ゼロ殿下です。私は騎士でこそありませんが、殿下には忠義を尽くしております。元より殿下の住まわれる宮殿で働いておりましたし、日本よりもブリタニアの文化に親しんでおりますので、殿下のお世話役は私にお任せください」
「なるほど……姫はお優しい方なのですね」


そう云うと、お付きの二人が大変嬉しそうに、誇らしげな表情を見せた。
少なくとも人望はあるようだと安心した大臣だったが、





「何、その仮面。気持ち悪いんだけど」


「おっ……王?」
「昨夜から吉原一の美人と愉しんで、せっかく気分良く帰ってきたとこなのに。なんでこんなの眸に入れなきゃいけないんだよ」


こんなタイミングで帰ってきた王に、大臣が慌て出す。
せめて、簾! 簾の奥から入って来て!
と祈ったし、あっ、何とか王じゃないって誤魔化せないかな! と思ったが、驚きのあまり最初に王! って云ってしまっていた。しまった、遅い。
案の定、さきほどまで友好的な態度だった忠義の騎士の表情が変わる。


「枢木王、でいらっしゃいますか?」
「そうだけど? 判んないの? 神殿の中まで入り込んでる奴が」
「おっ…王! こちら、ブリタニアよりいらしたゼロ殿下と、その臣従の方でっ…」
「は? …ああ、何か結婚だとか勝手にアンタらが決めてたっけ。今日だったんだ。姫って、もしかしてこの仮面? それともこっちのメイド? どっちにしても悪趣味な趣向だな」
「姫のご実家のしきたりで、仮面を被られているだけでっ」
「ああ、じゃあ仮面の方なんだ。……気色悪い。いくら王の責務とか云っても、こんな仮面と結婚しなきゃならないんだ。そっちはわざわざ来てやったくらいの気持ちなんだろうけど、僕の方が余程可哀想だな」


明らかに言葉を如実に現す表情で、手を適当に振る。
姫の反応は判らないが(何せ仮面なので)、騎士は表情までは変えないながらにしっかり青筋を浮かせていた。メイドは無表情のままであったが。
しかし、反応が判らないにしても姫は動かないので、何を話す必要もないと判断されているのだろうか。恐らく、何か話すとしたら騎士なりメイドなりに合図を送るだろうし。
―――と、大臣たちが思っていたら。
姫が王に向かって一礼をした。それはもう、美しい姿勢で。
さすがに王も面食らっていたが、すぐに眉をひそめて、ま、好きにしたら良いよ、と去って行ってしまった。



マスカレードだからねタイトルね。