- - - - - 7 Years ago. - - - - -







―――此処もか。


心の底で人知れず舌打ちをして、ルルーシュは気取られない程度に肩を竦めた。
呆れるより外無い。
けれど、強気でありたいと願う心とは裏腹に足は引けていたし、身体は竦んでいる。びくりと震わせてしまった肩を、一瞬のこととは云え恐らく気付かれてしまっただろう。そういうことに関しては天才的に鋭い連中だ。
情けない、とは思うけれど身体が付いて行ってくれないのだから仕方ない。
ルルーシュは覚悟を決めて、息を吐いた。それは諦め以外の何物でも無かったけれど。
だがルルーシュは何もしていないのに、日本人ではないという見てくれだけで目を付けられ理不尽な暴力を受け。何より、それに反抗もできない弱い自分をまざまざと思い知らされて。
そんな、悪夢のような時間は、けれどひたすらに耐えつづければそのうちに過ぎ去ってくれるのだと、幾度となく繰り返される暴力を遣り過ごす中で学んだ。
だから、今ここでルルーシュにできることは、ただ諦めて奴らが飽きるまで静かに現実を受け入れることだけだった。


(―――神社の境内でなら、こういう手合いも居ないだろうと思ったんだけど、)


甘い考えだったらしい。
集団にならなければ力など無いに等しい連中は、集まりさえすれば、この場に漂う一種厳かな空気にさえも勝てるような気になっているのだろうか。この場が神聖な場所であるということくらい、日本に来て間もないブリタニア人のルルーシュにだって判ることなのに。
そう云えば、日本人は特定の宗教を持たないのだったか。それでも土着の信仰のようなものが生活に密着しているようだったから、此処は安全な場所だと思い込んでいたのだけれど。


(それとも……僕が居る所為かな)


いつもは奴らを遣り過ごした後になって、這々の体でこの境内まで逃げて来ていたから、此処まで奴らが追って来ることはなかった。それに、元々祭りでもない限り、この神社で人の姿を見掛けることは滅多にない。だから此処を訪れるときはいつも、ルルーシュはこの場を独り占めしていた。
しかし、今日に限っては奴らの姿を認めた時点で踵を返し、此処で奴らが居なくなるのを待つか遠回りするかしようなどという、狡賢いことを考えてしまったからいけないのだろうか。
ルルーシュが来たときには既にこの場に屯っていた、いつもルルーシュに突っかかって来るのとは別の連中は、それまでは単に仲間同士、巫山戯合い笑い合っていただけのようなのに。ルルーシュの姿を認めた途端、目の色が変わってしまった。
と云うことは、ルルーシュさえ此処に来なければ、もしかしたら此処は人を踏みにじって高笑うような場にはならないままで居られたのかも知れない。場の空気を穢してしまった要因は、他でも無い、ルルーシュ自身なのかも知れない。

―――けれど、だとしてもやっぱり。何処に行っても自分は邪魔者でしかないだなんて


(大人しく納得、できるものじゃ……)


ないけれど。

ただ、ナナリーが一緒に食べましょうねと云ってくれたプリンだけは、崩れないでいてくれると良いなと祈って、ぎゅっと胸元に抱き締めた。
どうせルルーシュ自身の傷や痛みについては懸念するだけ無駄というものだ。抵抗する分だけ痛めつけられるのだから、自分の身を護る必要なんてない。寧ろ逆効果だ。
それに、耐えることには、もうすっかり慣れてしまっている。
でもプリンさえ無事でいてくれたら、目の見えないナナリーにはきっと上手く誤摩化せるのにと、奴らが嗤いを深める間にそんなことを考えていた。
一番先頭に居た、ルルーシュよりも遥かに年上であろう人物が手を振り上げた気配を俯いた視線の上に悟って、ぎゅっと目を閉じる。
ただ、耐えて。遣り過ごせば、きっといつかは終わる時間だ。
諦めてさえいれば、傷みも、哀しみも、憤りも、悔しさも、きっと少なくて済むだろう。
閉じた瞼の薄闇に、更に黒い影が翳り。
ああ、来るなと思って、ルルーシュは思わず身体を強張らせた。


―――けれど。


覚悟していた衝撃は、いつまで経ってもルルーシュに襲いかかることはなく。
奇妙しいと思い、閉じ込めていた意識をそっと浮上させた途端、ルルーシュの間近で険のある声が空気を切り裂いた。


「こんな弱っちそうな奴に、良い歳した奴らが寄ってたかって何してンだよ」


高いけれど、迫力の在る声だ。
場の空気を一気に支配したその声に、恐る恐る瞼を抉じ開け顔を上げれば、其処に在ったのはルルーシュの狭い視界を埋め尽くす、真っ白く力強い背中だった。
それは、まるで。


(ヒーローだ……)


ちょうど今朝、家を出る前に見たテレビで、悪い敵を蹴散らしてくれていた頼もしいヒーローのようではないか。
理不尽な悪をすがすがしくやっつけてくれるにヒーローに、ルルーシュはこっそり憧れていた。
だけど、自分がヒーローに変身できると思うほど夢見がちな子供というわけでもなかったから。
いつもいつも此処に逃げて来る度、信仰は違うけれど、此処に居る神がルルーシュのことを見つからないように守ってくれているような気がして。その御礼と、これ以上いじめられませんようにというお願いを兼ねて、見様見真似で祈っていた。
僕のところにも、ヒーローが助けにきてくれますようにって。
それが、まさか叶えられたのかと思って。
縋るようにそっと伸ばした腕は、しかし。
振り上げた手をそのままに、ぴしりと固まった粗野な連中になど構うことなく、振り返ったヒーロー当人にばしッと振り払われてしまった。
それに戸惑う余裕もなくぱっちりと合ってしまった視線に、その毅さに。ルルーシュは漸く、目の前に居るのはヒーローなどではなくただの変身前の人間なのだという事実に意識が至った。

―――かと思えば。


「お前もお前だ!」


その人物が急に、ルルーシュに向かって叫ぶ。
現実と幻想との間を行き来していたルルーシュは、目の前の翡翠がルルーシュを認めた瞬間ギッと鋭さを増した瞬間を、どこか遠い気持ちで見送った。


「ちょっとは抵抗くらいしろよな! そんなんだから目を付けられるんだよ」
「んなッ……!」


しかし続いた台詞にさすがに血が上った頃には、さっきまでルルーシュを囲んでいた連中も我を取り戻していたようだった。
だが、振り上げた手を止めておきながら、ルルーシュを庇うわけでもないその人物の態度には、彼らも困惑しているようだ。


「何だお前、邪魔すんじゃねーよ。折角これからって時によォ」


先頭に居た奴が真っ先に勢いを取り戻していたが、何やらその周囲の方の様子が変だ。ルルーシュに声を掛けたそいつの腕を咄嗟に引き、何事かを囁いている。
ルルーシュは訝しんでその様子を窺っていたのだが、ひそひそと潜められた声はルルーシュまで届くことはなかった。
どうやら、ルルーシュの前に立ちはだかる人物をちらちらと気にしているようではあったけれど、真意は良く判らない。
しかしそのうちに話し合いが落ち着いたらしい彼らは、注目していたはずの闖入者を無視してルルーシュの方へ鋭い視線を向けると、「覚えてろよ」と何とも反応し難い棄て台詞を遺して、すごすごと神社の階段を降りて行ってしまった。


「え……?」


一体何なのだろうか。
ルルーシュに何も判らないうちに、とんとん拍子に展開が進んでしまったけれど。


「すげーな。あんな台詞、今時マジで云う奴居るんだな」


状況が理解しきれなくて、彼らが消えた方を向きながら首を傾げていたルルーシュに、感心しきったような声が掛けられる。
ぎょっとしてその方向を見たルルーシュは、そう云えばコイツが居たんだと漸く思い至った。
しかし、彼が未だ此処に留まる理由が判らなくて、首を傾げたまま、まじまじと見つめてしまう。
その人物はいざ落ち着いてから実際に向き合ってみると、ルルーシュとあまり背丈は変わらない、同い年くらいのただのこどもだった。
いや、ルルーシュの方が幾許か背は高いかも知れない。
今のルルーシュは戸惑いの所為ですこし背を丸めていて、反対に彼は胸を張っていたから同じくらいに感じるけれど。
しかしふたりきりになったことで、彼の迫力のあった声も今は影を潜め、声の高さはそのままにしても落ち着いたトーンでルルーシュと対峙している。


「なんだよ、人のコトじろじろ見て」


不機嫌そうに寄せられた視線は、丸く大きな瞳にしては信じられないほどの鋭さでルルーシュを射抜いた。
心の奥を覗き込むようなその眼差しにどきっとしたルルーシュは、咄嗟に視線を逸らして、けれどそのままでもいれらなくて必死に言葉を探す。


「……え、っと。あの、」
「ったく、うじうじしてんなよ。ブリキは御礼も云えないのか?」


唐突な、しかも無遠慮な台詞にルルーシュは何も云えなかったのだが、そのまま「折角助けてやったのに」と続けられて。


(えっと……今の、助けられたうちに入るのかな……?)


そんな疑問は大いに感じながらも、奴らが去ったことは確かなので、とりあえず大人しく頷くことにした。


「いや……ありがとう。助かっ、た?」
「よし」


ルルーシュからすれば、僕も怒鳴られたのに……という気持ちは止められない。そのためあまり気持ちは篭められなかったのだが、目の前の人物はそんなことには構わず誇らしげに頷いた。
笑顔ではなかったが、何処か嬉しそうなその様子に、変な反応だな、とルルーシュは思った。
そのまま反応に困って視線を逸らしていると、相手はそんなルルーシュに構わずにじっとルルーシュを見据えて話し掛けて来た。


「……なぁ」
「な、何か?」


あまりに真っ直ぐな視線に、思わずたじろぐ。けれど相手はそんなルルーシュにはお構いなしだった。


「お前、いつも此処に居るだろ」
「え?」
「俺、其処の木の上にいつも居るんだよな」
「……え」


木の上って。
云われて、指差されたその木を見上げてみたが、そこに聳え立っていたのは樹齢何年かというほどの大木だった。
ルルーシュにはとても登れそうにない。
と云うよりは、これは所謂御神木ではないのかと思ったのだが、突っ込む気にはなれなかった。
こんな大きな木の上に居ただなんて、いや登れるのも驚きだが、これでは気付かないだろう。
驚いたルルーシュに少年は何故か満足げにすると、今度は眉を潜めて首を傾げる。くるくると目紛しく表情を変える、なかなか器用な奴だ。


「いつもはボロボロだったけど、今日は平気か?」


しかもしっかり見られている。
ひとりきりだとばかり思っていた空間が実はそうではなかったと知り、その上熱心に祈りを捧げるルルーシュを見られていたと判り、唐突に恥ずかしくなったのだが相手の視線はルルーシュに誤摩化すことを赦さなかった。
どんなに逃げようとしても、絶対に追い掛けてくる。だけど不思議と、煩わしいとは思わない。
だからルルーシュは仕方なく、戸惑いながらもそっと頷いた。


「へ、平気。何もされてない……」
「……膝、擦りむいてっけど?」
「う。こ、これは……」
「アイツ等に何かされたんじゃないのか?」
「違う。これは、単に転んで……」


最初に見掛けた奴らから逃げるとき、気ばかり急いて転んでしまったのだ。
プリンを気にするあまり上手く受け身を取れなくて、見事流血してしまったが、殴られたり蹴られたりする傷や、心を抉られる傷なんかに比べたらこんなの全然痛くない。
少年の指摘通り擦りむいているだけで特に深い傷にも見えないので、そんな気にするものじゃないだろう。
とは思ったのだが、少年の表情は些か心配するような色が含まれていた。


「転んだって……ドジだなぁ」
「五月蝿いな。痛くないから、平気だよ。適当に水で洗い流せば……」
「ダメだ!」
「―――え?」


急に声を荒げられたのでルルーシュは呆気に取られてしまい、今まで逸らしたり合わせたりを繰り返していた視線を、しっかりと少年に合わせた。
すると、少年は今度は呆れたような表情でルルーシュの傷を見ている。


「ったく、しっかりしてそうだと思ったのに、全然そんなことないんだな」
「は……?」
「ちょっと来い。ウチ、手当の道具くらい揃ってるから」


そう云って、ルルーシュの腕を戸惑い無く掴む。そのまま引き摺られて行きそうな少年の足取りに、ルルーシュは咄嗟に足を踏ん張ることで静止を掛けた。
ルルーシュの力では少年の足を止めるまでには至らなかったけれど、意志は伝わったようだ。少年が振り向き、その眉間にはしっかりと皺が刻まれていた。


「あ、の……」
「……なんだよ、ブリキは日本人の世話になんかなりたくないってか?」
「そうじゃなくて……その、僕……」


ルルーシュが日本人の世話になりたくないのではなくて、寧ろ逆なのではないのかと。相手の方こそ、ルルーシュのことが、気持ち悪くないのかと。
それだけじゃない。もしこの少年の家になど連れて行かれたら、その家族が厭な想いをするのではないかと。
色々云いたいことはあったのだが、上手く纏めきれず、しかも正直この強引な少年がその辺りのことを判ってくれるのかどうか自信がなかったので、ルルーシュは口ごもった。
―――の、だが。
少年はそんなルルーシュの表情を見て、掴んでいた手の力を緩めると、張りつめていた声のトーンを下げ、ルルーシュの顔を下から覗き込むように話し掛けて来た。


「……この神社の裏手に、俺が通ってる道場があるんだ」


唐突な台詞運びに、ルルーシュの頭脳は思考を放棄した。
だが少年の表情は真剣そのもので、ルルーシュもその様子に呑まれたかのようにその先を待つ。


「稽古中は怪我なんかしょっちゅうだから、救急箱くらい置いてある。それに、今日は稽古のない日だから人は先生しか居ない。その先生も、この時間は走り込みとか、道場の外で鍛えてる時間なんだ」
「え……」
「だから、平気だ。誰にも会わない」
「でも……」
「もし誰かに会ったとしたら、また追っ払ってやるから。それにその傷、泥ついてるから、これ以上放っとくとバイ菌入ってあぶねーぞ」
「わ……わかった」


大人しく頷いたルルーシュは、どうせまた少年はふんぞり返りそうだと思ったのだが。少年はほっとしたようにすこしだけ微笑んで、またルルーシュを掴む手に力を篭めた。
その手が、痛いというよりもただあたたかくて、ルルーシュもぎゅっと握り返した。
繋がれた手を放したくないと思ったのは、家族以外では初めてだった。