『ねぇ、聞いてるの? ルルーシュ』
電話口から愛らしい声で拗ねた声を出したユーフェミアに、ルルーシュははっと我に返った。
「ああ、もちろん。それで、何時に着くって?」
『日本時間で云うと、そうね……朝の7時よ。あら、結構早く着いちゃうのね』
「そのまま直接出るとラッシュに重なるな……すこし空港のカフェかどこかで時間を潰そう。時差もあるし疲れてるだろうけど、その方が電車では楽なはずだから」
『電車! ねぇ、わたし電車に乗っても良いの?』
「あー……悪い、こっちの感覚でつい……タクシーにしよう」
『あら、良いのよ! 電車にしましょう。電車ね、電車。良いわ、ぜひ乗ってみたいわ』
浮かれた様子のユーフェミアの声に、もう今から不安が過る。うっかり口を滑らせたのがいけなかった。
いくら姉妹とは云ってもユーフェミアはルルーシュとは違い完璧にお姫様環境で育てられたのだから、電車というのはまずい。荷物もあるだろうし、そもそも切符の買い方知ってるのか。
「いや……危ないよ。ユフィは慣れてないんだし、コーネリア姉上に知られたら私が怒られる」
『大丈夫よ! お姉さまったらこの前、わたしにもうすこし世間のことを学ばせれば良かったなんてぼやいていたのよ。だからかえって誉められるわ』
「……まさか」
『ほんとうよ。一緒にお買い物に行ったときのことよ。いつも行くお部屋じゃなくて、普通にお店を周って、通り沿いのカフェに入ったの!』
「あー……」
なんとなく……というかしっかりばっちり想像が付いてしまった。
かく云うルルーシュも中等部で日本に来てから知ったのであまり責められはしないが、デパートは入った瞬間人の居ない奥の部屋へと案内され、そこで色々見たいものを持ってきてもらえるものなのだという感覚のユフィが、普通に入り口から入ってショップを見て周ったとは……。コーネリアも常識を弁えてはいるから知ってはいるだろうが……知識だけで慣れてはいないはずだ。そもそもあの二人の場合は足を運ばずとも販売員の方が訪れてくれる。その二人が、一緒に買い物をして、カフェ。……考えるだに恐ろしい。
『だから大丈夫よ。コーネリアお姉さまはルルーシュのことは信頼しているから、ルルーシュと一緒なら、って許してくださるにきまってるわ。今回わたしが日本へ行くってことも、ルルーシュが居るからしぶしぶOKしてくださったのよ』
「……ボディーガードは何人連れて来る予定だ?」
『あら、わたしひとりよ』
……考えるだに恐ろしい。
ユーフェミアのあまりの浮かれようにちょっと嫌な予感がして訊いてみれば、見事的中。思わず掴んでいた電話を取り落としそうになった。
しかしその向こうで必要無いでしょう? ときゃらきゃらと無邪気に微笑うユーファミアの声が聞こえて、遠くなりかけていた気を引き戻された。
そもそも急すぎるのだ。
この前シュナイゼルを見送ったばかりだと云うのに。
ユーフェミアからの電話自体は別に珍しいことでもないし寧ろ嬉しいのだが、さすがに開口一番『わたしもルルーシュに会いに、日本へいくことにしたの。今週末よ。よろしくね』は参った。続けてユーフェミアが愉しそうに話をしているにも関わらず、固まってしまいその話も耳に入ってこない有様だった。
しかも、冷静になってみれば確かその日は……
『ルルーシュ? ……なにか問題あるかしら?』
大有りだ。
でも一般感覚を学ばせようと本気で考えたらしいコーネリアの気持ちは判るし、そこはユーフェミアもルルーシュを納得させるために嘘をつくようなことはしないだろうからコーネリアはほんとうにユーフェミアをただの少女として送り込む気なのだろう。
かと云って何故私に押し付ける! というのが正直なところ本音だが、黙り込んだルルーシュにさすがに不安になったのかしおらしい声を出したユーフェミアは可愛い。それだけで負けそうになる自分にも問題があることは棚上げにすることにした。
「問題と云うか……日本に着いてからは百歩譲って良しとしても、飛行機なんかはひとりなんだろう? それは心配だ」
『まぁ、わたしだってひとりで飛行機くらい乗れます!』
いやだからそういうことじゃない。
それももちろんあるが。荷物預けるってこと知ってるかとか、そのカウンターまで行けるかとか。だが、それ以上に。
「……自分の立場、判ってるか?」
『あら、それを云うならルルーシュもでしょう?』
……この世で一番強い武器は、もしかしたら天真爛漫なのかも知れない。
そうは思っていても、いざ空港へ迎えに来てみればやっぱり待合ロビーで誰よりも(きっと恋人を待っている人よりも)そわそわしてしまっている。しかも、心配より期待の方が大きいことだって認めざるを得ない。
「ルルーシュ!」
ゲートから出てくるユーフェミアが、やっぱりどんな人垣の中でだってひときわ耀いて見えるのは身内の欲目だけではないだろう。
勢い余ってルルーシュの胸に飛び込むような格好になったユーフェミアを優しく抱きとめてやる。
「良かった。ちゃんと来れたな」
「まぁ、ひどい。あんなに大丈夫だって、わたし云ったでしょう?」
「そうだったかな」
もう、と頬を膨らますユーフェミアに心がほっこりしたが、ほぼ同時に後ろの方にいかにもな人たちがこそこそこちらを窺っていることに気付いてげんなりしてしまった。あれはコーネリア姉上の手の者だ。顔を見たことがある。
ユーフェミアは気が付いていないようなので良いのか悪いのか……とりあえずどこまで着いてくる気なのか、そちらの方が大問題だ。
けれどつんつん、と腕をつついてくるユーフェミアの方が大事なので、一旦意識から外すことにする。
「ルルーシュ、ごめんなさいね。うっかりしてたわ。今日は平日だから学校あるんでしょう?」
「ああ、気にするな。一日くらい何とかなるし、せっかくユフィが来たんだからな。こちらの方がよほど大事だ」
「ルルーシュったら。でも、ありがとう。ほんとうは空港まで迎えに来てもらわなくても、と思ってたんだけど、やっぱり不安だったの」
「当たり前だ。全く、こんなに急じゃなければ荷物も先に送れば良かったのに……」
空港を歩く他の人が抱えるスーツケースと大きさもほとんど変わらないのに、ユーフェミアが転がしていると何故かとても重そうに見えてしまう。
助けてやりたい気持ちはあるのだが、何せ力はルルーシュも自信がない。交代で持つことにでもするしかなさそうだ。まさかあの黒ずくめのお兄さんたちに任せるわけにもいかないし(ユーフェミアの気持ちをむだにしてしまう)、スザクを連れてくれば良かったかも知れない。学校のある平日に荷物もちのために呼び出す気はさすがになかったが。
「これでもがんばって減らしたのよ。ナナリーと一緒に大騒ぎ! ルルーシュの家に泊まるなら借りれば良いんだからあれも要らない、これも要らないって、まるでお友達のお家に泊まるみたいでわくわくしたわ」
「そうか。私も、昨日張り切って掃除をしたりユフィの分のシーツを干したり……ちょっとはしゃぎすぎだなって、自分でも思ってたんだけど」
「まぁ、一緒ね。わたしたち」
「そうだな」
ユーフェミアがひとりで飛行機に乗ってルルーシュに会いに来日。なかなか感慨深かった。これがナナリーだったらルルーシュは泣いてたかも知れない。
「それにしても、なんでまたこんなに急に? 何か用があったのか?」
ユーフェミアが来てくれたことは嬉しくは在るが、あまりにも急なのでもしかしたら何かあったのだろうか。
今までは驚きと嬉しさと心配とで気にならなかったが、顔を見たらそんな考えが浮かぶのだから全く現金だな、とルルーシュは自分に呆れた。
ユーフェミアの様子からしてそんな不安がることもないだろうに、と思ったのだが、ユーフェミアはルルーシュに云われた瞬間、う、とちょっと詰まったので思わず不安が過る。
「ユフィ?」
「……だって、ルルーシュ、この前シュナイゼルお兄様とデートしたでしょう?」
「……ああ、でもお兄様は仕事だったから、その合間に一緒に食事と買い物をしたくらいだけど」
それにしても、なんでまたデートと云われるのか。
自分が好んで使用した表現ではあるものの、ここまでデートという単語に纏わり付かれると敏感にもなってしまう。
「お兄様ったら、帰ってきて散々自慢するんだもの。ルルーシュが元気そうで安心したとか、あ、それはもちろん良いんだけど、ルルーシュに似合う服を買ってあげたんだとか、ルルーシュと一緒に行った日本食はなかなか口に合っただとか、ルルーシュは相変わらず綺麗で可愛かっただとか、もうひたすら!」
「……へぇ」
嬉しい。
いや、ユーフェミアはなんだか怒っているので顔には出せないが。
それにしても何をそんなに怒っているのだろう。ルルーシュばかり甘やかされてしまったから? けれど、ユーフェミアはそんなにシュナイゼルのファンだっただろうか、と首を傾げていると、可愛らしく眉を吊り上げたユーフェミアがルルーシュを覗き込んできた。
「それで、お兄様ばっかりずるい! って思って。私だってルルーシュと一緒にお買い物したいもの。だから日本に来ることにしたの」
「……それだけか?」
「それだけよ」
―――やっぱり、無垢と天真爛漫は最強だ。しかも行動力の強さまで兼ね備えているのだから、勝てるわけがない。
ユーフェミアがルルーシュの元を訪れた次の日の土曜からは三連休だったので、その間ずっとユーフェミアと日本の案内を兼ねて出掛けることにした。
今回はあまりに急に思い立っての旅行だから、月曜の夜の便でユーフェミアはブリタニアへと帰ってしまう。だからその間めいっぱい遊んでおかなくては、というわけで、ルルーシュはいつになく慌しい休日を送ることになった。
それでも丸3日とすこしあるわけだから、それなりに周れるだろう。
ちなみにあのコーネリアの手下たちはいなくなった。ルルーシュの家にまで押しかける気はないようで一安心だ。ルルーシュが一緒に居るなら平気、ということならまたユーフェミアが帰るときに現れるのだろうけれど、ではそれまで一体何をしているんだろうか。案外日本観光でもしているのかも知れないな、とこっそり苦笑する。
何も知らないユーフェミアはどこで仕入れたのか東京のガイドなんてものを広げて愉しそうに話をしている。そんな愛らしい妹を眺めながら、ルルーシュはさてどうしようかと首を傾けていた。
「なぁ、ユフィ。明日なんだが……」
「なあに? 明日に何かあるの?」
「いや、ユフィの好きなところに行くので良いんだが、午前のうちにちょっとだけ私の用を済ませて良いかな。10時くらいから……そうだな、1時間もあれば平気だと思うんだけど」
「あら、もちろんよ! わたしが急に我が侭云ってルルーシュを連れ出しているんだもの。他には? それだけで良いの?」
「ああ、充分だ。それに用と云っても学校だから、ここからも街中からもそんなに離れていないし……」
「学校! ねぇ、それってわたしも一緒に行って良いのかしら。どこかで待っていた方が?」
「いや、構わないよ。ちょっと練習試合があってそれを見に行くだけだから、外部の人間でも私服でも目立たないし、大丈夫だ。それにユフィをひとりにしたとばれたらコーネリア姉上に怒られる」
「もう、ルルーシュもお姉さまも過保護なんだから。わたしが云わなければばれやしないわよ」
いや、困ったことにそれがばれるんだ。
とは、姉の信用を露ほども疑っていないユーフェミアには云えなかった。それにユーフェミアはもうそんなことはどうでも良いらしく、次のことを考えて瞳をきらきらとさせている。
「でも、ルルーシュの通ってる学校って興味があったの。実は外からでも見られたら、なんて思っていたのよ。入れるなんて嬉しいわ」
「学校って……どこもそんなに変わらないと思うけど」
「そんなことないわ! ルルーシュはそこでほとんど過ごしているんでしょう? ブリタニアを離れて連絡もほとんどくれないくらい愉しんでいるみたいだから、気になるにきまってるじゃない」
「ユフィ……」
「―――ごめんなさい。ちょっといじわるだったわね」
ぺろりと舌を出すユーフェミアは可愛いが、そんなことを思われているなんて心外だ。
連絡を取らないのは、ユフィの方から取ってくれるのでそれに甘えていただけだし、そもそも性格の問題だろう。
「でもナナリーといつもルルーシュの通う学校やそこに居る人たちを羨んでいたのよ。わたしたちはふたりしてルルーシュのファンなんですもの!」
「そんな、私だってナナリーやユフィ、君がだいすきだよ」
「ほんとう?」
「当たり前だ。ひとりだから色々と慌しくてなかなか気が回らなかったけど、でも決して蔑ろにしてるわけじゃない」
「ふふ。判ってるわ。ちょっと寂しくて我が侭云ってみただけよ。ごめんなさい、ルルーシュだって見知らぬ土地で大変なことは判ってるのに」
「大分慣れたけどね。だからこうしてユフィを歓迎できるんだし」
「そうね、今は一緒にこうして居られるんですものね。愉しまなくっちゃ」
明日たのしみね、念を押すようにもう一度ユーフェミアは呟いた。
元から旅行は行けど他国に行くというのは滅多になかったから、そのことも手伝ってほんとうに愉しいのだろう。それならルルーシュも愉しい。
だけどなぁ、と明日のことを考えて幽かにルルーシュは憂鬱になった。
ダン、という音と沢山の駆け足が響き渡る。
体育館全体が振動しているようだ、とルルーシュは思った。
(バスケってこんなに迫力のあるものだったんだな)
体育の時間と、部活で練習しているのを遠目でふと見かけるくらいで、ちゃんと試合を見るのは初めてだ。そもそも自分ができないからスポーツ観戦の趣味も無いのだし。
なのにどうしてこうやって休みの日に学校へ来てまで観戦しているのかと云うと、それは生徒会役員が率先して部活動を盛り上げていかないでどうするの! と既に卒業したはずのミレイにけしかけられたのと、後はスザクに応援に来て欲しいと懇願されたからだ。
スザクはバスケ部員ではないはずなのだが、その身体能力と良く判らないが見栄えの良さからこの時だけ! と引っ張り込まれたらしい。部員でもないくせに良くボールを手にした姿を見かけることと、そのフォームが素人目のルルーシュから見てもきれいだったので正規バスケ部員の気持ちは判らないでもない。
スザク本人に云わせれば、「慣れてないから自信ないんだけど、頼まれちゃったから勝たないとっていうプレッシャーがあって。ルルーシュが応援来てくれたら頑張れる気がする」ということらしいが。
私居ようが居まいが関係ないだろう、と思いつつもこうしてユフィを連れてまで来ているんだから、なんだかんだでスザクに甘い自覚はあった。いや、でもスザクの方がユフィより先に云ってきたんだし、とむりやり自分を納得させる。ユフィから連絡があった時点で全部の試合を観ることはできない、とは告げてあったし、元より「気が向いたらな」などと可愛げのない返事をしてしまっていたから、いい加減スザクからは飽きられそうな気はするのだが。2階のギャラリー席からは遠く離れたコートに居るスザクと目が合ったような気がした瞬間、嬉しくなる自分を抑えられないのが悔しい。
悔しいので、ユフィに話掛けることで気を紛らわせることにした。
「ユフィ。悪いな、こんなことに付き合ってもらって」
「何云ってるの、愉しいわ。私も学校には通っているけど、なかなかこうやって他の人と一緒に盛り上がることってできないもの。こういうのって憧れだったの。今日はお休みでしょうに、結構来てるのね」
ユーフェミアがきょろきょろと見遣った先ではミレイが盛り上がっていた。もちろんその周囲にはシャーリやカレン、あまりこういう場所が好きそうでないニーナの姿まである。
ミレイは生徒会がどうのなんて云っていたが、自分が来たかっただけのことに正当な理由が欲しかっただけじゃないだろうかと思ってしまう。
自分の家が経営する学園が盛り上がるのが嬉しいという気持ちもあるのだろう。そもそもミレイは家のことは関係なく学園を愛しているのだし。
一応ルルーシュはユーフェミアを連れて人の少ない後ろの方を陣取っていたが、だからこそ試合だけでなくギャラリーの盛り上がりようまで良く見えた。
「ああ、うちのバスケ部もそうだけど、相手校も結構強くて、人気あるみたいだな。うちの生徒はもちろん、相手校の子なんかも来てるんだろう」
「そうなの、やっぱりね。観たくなる気持ちは判るわ。わくわくするもの」
「そうだな、今までは観に来たことなんてなかったけど、意外に夢中になるものだな」
「ええ。だけど女の子の方が多いのは、きっと皆お目当ての男性でも居るのね。スポーツしてる男性って格好良いもの!」
「……そうか?」
もちろんユーフェミアの観察眼は正しい。実際キャーキャーと叫びを上げミーハーかと突っ込みたくなるほど騒いでいる女子が多いのだし。もちろんその中にスザクの名が含まれていることもルルーシュは気付いていた。
だがそれにしてもそのユーフェミアの発言はなかなか、コーネリアの卒倒しそうな台詞ではないだろうか。ルルーシュもちょっとびっくりした。そう云えばユーフェミアも年頃の少女だった、という考えが今更思い浮かぶ。
「だってお兄様がたや弟たち、そうお父様も、私の周りに居る男性の方って、皆スポーツをなさるイメージはないんだもの」
「あー……」
なるほど、そっちか。
もしかして今ルルーシュが新鮮な気持ちでいるのも、根底にそのイメージがあるからだろうか。
でもユーフェミアが続いて呟いた、できそうもないし、という台詞にはちょっと皆が憐れになった。
「敢えて云うならギルフォードとかかしら。でも汗を流して爽やかな感じはしないわよね」
「……まぁ、そうだな。スポーツではなくあれは鍛錬だからな。もちろんやればできるんだろうが」
「そうよね。観てるだけでもこんなに愉しいものだってこと、初めて知ったわ」
「確かに……」
二人してちょっと黄昏れた。
その眼下では変わらずに白熱した試合が繰り広げられているわけであるが、今ルルーシュとユーフェミアを包むものはミーハー魂よりも純粋な感慨だった。
そう、男性って本来こういう逞しいものだよな、という。
そんなわけで暫く無言で試合の行方を見つめていたのだが、タイムのホイッスルが鳴ったタイミングでユーフェミアが口を開いた。ちらりとスザクがこちらを振り返るような気がした瞬間だったのだが、その瞳を見ることなくユーフェミアの方へと向き直る。
「ねぇ、白いユニフォームの方がルルーシュの学校よね」
「ああ、そう。だから応援するなら一応そっちを宜しく」
「ならきっと白い方のだれかね」
「は?」
「ねぇルルーシュ。そろそろ教えてくれても良いと思うわ」
「? なにを?」
「とぼけないで。誤魔化そうとしてもむだなんですからね」
「だから、なにを」
「もう、しょうがないわね。はっきり答えてちょうだいよ」
「うん?」
「……ねぇ、あの中のどなたが、ルルーシュの彼氏さんなのかしら?」
ぶはっと。咳のような息が漏れた。飲み物を口に含んでいなくて良かったと心から思う。
そんなルルーシュの目の前ではにこにこと、けれどその奥に何故か迫力を感じる笑顔でユーフェミアが微笑んでいる。
……そう云えば、ユーフェミアはルルーシュの妹という以上に、年頃の少女だった。
「っな、ななななな」
「だってわざわざわたしを連れてまで観にくるんだもの。わたしにも見せたかった、というのなら嬉しいけど、でもルルーシュ今まで来たこと無いって云ってたわ」
それっておかしいわよね、と顔に手を当てるユーフェミアの仕草はあまりにも優雅だ。
こちらの方が余計に慌ててしまう。
「そ、それは、生徒会役員が率先して盛り上げないと、と」
「それなら今までの試合だってそうでしょう? だから、最近恋人ができてその人が出ているから、って考えた方が自然だわ」
「んな、」
開いた口が塞がらないというのはこのことだ。
なんだその飛躍した思考回路。なのに合ってるってのはどういうことだ。
だが静かに慌てるルルーシュに、ユーフェミアは何かを気付いたかのように顔を歪めた。
「あ、……もしかして」
「な、なんだ?」
「ごめんなさい。ひょっとしたらまだかたおもいなのかしら」
その台詞に、単語に、胸を抉られたような気がしただなんて、気付きたくなかった。
「……結局、教えてもらえなかったわ」
ぷう、と頬を膨らますユーフェミアを連れて、ルルーシュは試合終了後の熱気に沸く会場をとっとと抜け出していた。
むだに敷地の広いアッシュフォード学園は校門までの間も趣向を凝らした造りになっているため、ユーフェミアの気を惹けそうだと思っていたのだけれど、意外に彼女は拘っているようだ。
「でも、確かだと思うのよ。ルルーシュがコートを見る眼、なんだか熱っぽかったもの。試合が終わって、アッシュフォードが勝ったって判った瞬間も嬉しそうな、優しげな瞳だったわ」
「……そうか?」
「ええ。わたしやナナリーに見せてくれるのとおんなじような、だけど違う眼よ。恋してるひとの瞳だわ」
ユーフェミアがそんな話をするということだけでもどこかまだ違和感を感じると云うのに、その内容ときたら。気付きたくない、むしろ自覚さえもなかった痛いところをつついてくれるものだ。
「……ユフィ」
「なあに?」
「どこに行こうか? まずはランチかな。何か食べたいものは? なかったら、どうせだから日本食にしようか。まだブリタニアの味が恋しくなる頃でもないだろう? 日本食は味付けはちょっと薄いかも知れないけど、ヘルシーでなかなか美味しいよ。で、その後はショッピングをしよう。そうそう、日本文化にも触れたいんだったか? 明日に寺や神社なんかを周るとすると一日取られてしまうから、欲しいものは今日中に買っておかないと。折角お揃いの服を着ているんだから、お揃いの髪飾りでも買おうか? 私がプレゼントするよ。ああ、お茶もしような。美味しい紅茶とケーキを出す店を知ってる」
「……もう、そんなに必死に誤魔化そうとしなくても良いじゃない。でも、良いわ。今の提案、全部魅力的だもの」
「誤魔化そうとしてるわけじゃない。時間を無駄にするわけにはいかないだろう?」
「……判ったわ。でも、そしたら今日の夜にしっかりお話を聞かせてもらいますからね」
「え゛、」
「女の子同士の恋のお話は、夜にパジャマで、って相場がきまってるわ」
「は?」
なんだそれは。
どこで聞いてきたんだそんなこと。
けれど諦めてくれたかと思ったユーフェミアはすっかり自分の提案に乗り気なようだ。
「そうよ! ルルーシュの想いびとがどんな方か直接見ることはできないけれど……もうそれは仕方ないわね、ルルーシュはきっと照れているのでしょうから諦めて……」
「ルルーシュ!」
ユーフェミアの爆弾トークにいちいち被爆していると、遠くからルルーシュの名を呼ぶ声が割り込んできた。
おかげでユーフェミアの話は止まってくれたが、声の主をわざわざ確認せずともそれが決して救いの声ではないことが判る。
このタイミングで来るなバカが! と云いたいところだが、嬉しそうに駆け寄ってくるスザクと、しっかりあらあらとそちらを既に振り向いているユーフェミアを見てしまっては、ルルーシュに云えることなど何一つとしてなかった。
「ルルーシュ! 来てくれたんだね!」
「……約束だしな」
ぎぎぎ、と音のしそうなぎこちなさで振り返る。
スザクとユーフェミア、両方の視線が痛い。
必死に逃れようと違う方向へ視線を走らせてはみるが、しっかり二対の視線が追いかけてきていることが判った。
「昨日休みだったから無理かなって思ってたんだ。風邪じゃなかったの? 平気?」
「ああ……別に、用があったんで、体調が悪かったわけじゃない」
「そっか、良かった。来てくれて嬉しいよ」
「……まぁミレイ、先輩にも云われていた、し」
「あ、そうそう、ミレイさんたちが探してたみたいだけど、もう帰っちゃうの? まだ試合いくつかあるよ」
「……お前が出たのは観られたから、良い」
「ルルーシュ……!」
何やらスザクは感動しているようだったが、ユーフェミアがそんなスザクとルルーシュを交互に見遣っているのが非常に居たたたまれなかったので、スザクの感動の理由などどうでも良かった。
「それに、元から全部は無理だと、」
「そっか、そうだったよね。ゴメン、ルルーシュが来てくれたのが嬉しくてすっかり忘れてた。それにしても今日のルルーシュ、すっごく可愛いね! ワンピース姿なんて初めて見たけど、そういう格好も似合う」
「……お前な……」
相変わらず恥ずかしい奴だ、と反応に困っていると、ユーフェミアが急かすようにちょいちょいとルルーシュの袖を引っ張ってきていた。
まぁ、気付いてしまって我慢しきれなくなってしまったのだろうが、今はちょっと助かった。……どうせ助けられた先も薮蛇だが。
「ああゴメン、ユフィ。時間だな、行くか?」
「違うわよ!」
さすがに誤魔化せなかった。
ユーフェミアは今のルルーシュの故意のすっとぼけにすっかりへそを曲げてしまったようで、もう観念するしか手はなさそうだ。
「あれ……ともだち? 見たことない子だね。うちの学校?」
しかもお前も今更気付いたのか。
気付いたら気になるらしく、スザクはそわそわとユーフェミアを見ている。
ルルーシュは仕方なく、そっとルルーシュの腕に絡んでいたユーフェミアの手を剥がすとスザクに向き直った。
「いや、妹なんだ。ユーフェミアと云って、普段はブリタニアに居るんだが、昨日から遊びに来ていて、」
「妹さん!?」
「なんだそんなに驚いて」
「あ、いや、その」
「それからユフィ、この暑苦しいのが枢木スザク」
「暑苦しいって……」
スザクはげんなりとしていたが、ルルーシュはスザクがそこで反応してくれたおかげでスザクとの関係を敢えて口に出さなくても良さそうな展開になった気がしてほっとしていた。
何しろさっきからのユーフェミアの反応では彼氏と云うのは気恥ずかしいし、すぐ別れることになるかも知れないのに妹に紹介なんかして、スザクに独占欲が激しい女みたいに思われるのは厭だ。かと云って友人やクラスメイトと云うのも……
その葛藤には構わず、ユーフェミアはにこりと微笑むと一歩踏み出してスザクに手を差し出した。
ルルーシュからはユーフェミアの表情は見えない格好になるが、スザクはなんだか知らないが緊張してその手を握り返していた。まぁ日本人には握手は慣れないものかとむりやり自分を納得させる。
「ユーフェミアです。よろしくお願いしますね、枢木さん」
「え、いえ、こちらこそ。ユー、えと」
「ユフィ、で構いませんよ。皆さんそう呼んでくださるんです」
「は、はい。なら僕のこともスザクと」
「良いのですか?」
「枢木、って云いにくいですしね」
気さくに話が進んでいる。良いことだ。
だが、ちくん、という胸の痛みを同時に自覚する。
常々思っていたことだ。スザクの好みはルルーシュのような可愛げのない女ではなく、ユーフェミアのような女の子らしい子なんじゃないかと。
と云うよりは……スザクが本気になるのは、ユーフェミアのようなタイプなんじゃないだろうか。
そんなことを考えているルルーシュに、一通りの挨拶を終えたらしいふたりが向き直った。
「妹さんが来てるのに、無理云って試合見にきてもらっちゃって悪かったかな」
「ああ、いや、」
「まぁ、良いのですよ。愉しかったです」
「それなら良かったです」
ほんわりと微笑むユーフェミアにつられたのだろうか、スザクも申し訳無さそうな顔を一転させて微笑んだ。
「ねぇルルーシュ、スザクさんてさっきの試合で一番活躍してらした方よね?」
「ああ、そう。良く見てるな」
「そんな……」
スザクは恐縮して見せたが、ユーフェミアはスザクと云わず試合に出た全員の顔を把握しているのだろう。
だがスザクが活躍してたことに間違いはないので、ルルーシュは迷わず頷いた。スザクはそのルルーシュの答えに一瞬反応したが、緊張は解けきっていないようだ。普段は人懐っこいのにどういうことだろう。敬語なのはユーフェミアの口調に合わせてのことだろうが、どこか固い。
「ところでスザク、お前試合終えたばかりなのに抜けて良いのか?」
「あ、忘れてた。ルルーシュが出てくの見えたから慌てて来ちゃったけど……。まぁ良いんじゃない?」
「あのな……いくら正規のバスケ部員じゃないからって」
「あら、そうなの?」
「え、ああ。僕は助っ人ですよ」
「その割にはお上手でしたね」
「あ、ありがとう」
普通だったら、ルルーシュはきっと体力バカなんだろう、なんて云ってスザクをからかっていただろうけど。
なんだか今はそれができなかった。代わりにただ馬鹿みたいに、話を弾ませるふたりを見つめている。
「あ、ゴメンルルーシュ、引き止めちゃって。もう帰ろうとしてたってことはふたりでどっか行く予定だったんだよね」
「まぁ、適当に案内するだけだから急いでいるわけじゃないが」
「あら、でも急がないと周りきれないわ。スザクさんも戻らないといけないんでしょうし、そろそろ行きましょうか、ルルーシュ」
「……あんまり私を疲れさせない程度にしてくれよ」
「良いじゃないの。たくさん行きたいところがあるのよ。それにルルーシュとお話ししたいことが増えたもの!」
それはつまりスザクのことだろう。
さりげなくぐっと手を回された腕が痛い。判ってるわよね? の意思表示だ。
スザク自身は密かに話題にされているとは気付かず、微笑ましいものを見るような目でルルーシュたちを見ているが。
「仲良いんだね。そう云えば、服もお揃いだし」
「そう! そうなんです。ルルーシュと一緒にお揃いを着てデートがしたくて、ブリタニアからふたりぶん持ってきたんですよ。似合ってますか?」
「うん、とても」
スザクはユーフェミアに聞かれたのにルルーシュの方を向いて答えている。これはユーフェミアに直接云うのは気恥ずかしいということだろうか。
そんな考えが浮かんで、ふと気付いた。スザクが緊張している理由に、だ。
そりゃあ、……そうだ。好みが具現化したような女の子が目の前に居たら緊張だってするだろうし、その子がよりによって暫定とは云え今の彼女であるルルーシュの妹ではやりにくいだろう。
ああ、だから厭だったんだとルルーシュは思った。
だからユーフェミアのことを気遣っただけじゃなくギャラリーでも後ろの方に居たし、終わった後もとっとと去ってしまおうと思っていたのに。
見ないふりをしてきた痛みと想いを、その理由を、ここにきて漸く認めることにする。
そうしてみると、今まで可愛いと思っていたはずのスザクの笑顔も途端男らしいと思ってしまうから不思議だった。
そうか、これが恋か。
これが、好きってことか。
その言葉は思っていたよりもすとんとルルーシュの胸に落ちた。
それは同時に失恋でもある、恋の始まりだったけれども。