四重奏
-quartetto-











     ***










弓道部は教室棟の校舎からはすこし離れた場所に、独立した建物として存在している。
その周囲は運動系のクラブの練習場がひしめき合っており、剣道やら柔道やら、はたまたバスケやらテニスやらのジャージやユニフォームに身を包んだ生徒ばかりが行き交っているため、制服姿の俺は逆に悪目立ちしていた。
何故かスザクにはひとりでこの辺を歩くのは危ないから気をつけてと何度も云われているのだが、ここにいるのはまともに練習して部活動に没頭している奴らばかりだし、まだ明るい時間帯、しかも校内だ。それほど心配することもあるまい。心配性にも程がある。それにいくら生徒会の副会長として、予算の申請をぶった切ったりしていたとしても、さすがにそこかしこから恨みを買っているわけでもないのに。
まとわりつく視線をかいくぐりながら、弓道部の日本武道よろしく入り口にかけられた簾を通り抜けると、さすがに大会前だけあって、ここへ歩いてくるまでに眺めた他のクラブよりも、緊迫した空気を感じる。
自由形態の練習時間らしく袴姿の部員たちが規則性もなく弓道場に散らばっている中、視線を巡らせるよりも早く、奥からこちらを呼ぶ声が響き渡った。


「あ、ルルーシュ! ルルーシュだ!!」
「え、嘘。 本当にルルーシュ!?」


……俺は珍獣か何かか。
だがまぁ、探し回らなくても済んだだけ良しとしておこう。
どうせ最初から目立ってしまっているのは判り切ったことなんだし。


「煩い、喚くな。そしてジノ、人を指差すな」
「だって嬉しいんだ!」
「ハイハイ。だが残念ながら、俺はお前に会いにきたわけじゃないぞ」
「そんな!」


うろうろと俺の周りを歩き回るジノを適当に手で追い払い、どうやらジノと一緒に練習をしていたらしいスザクに近付く。
なんだかんだで上手くやっているようだ。最初にジノが叫んだことで俺に気付いたスザクは、穏やかに笑っていた。


「どうしたの、ルルーシュ」
「ああ、この前主将に預けた書類をな」
「…え、書類なんかあったっけ。いつのこと?」
「いつかと云われると、まぁお前らが大騒ぎした日だな。ちょうどその直前だ」
「うぐ。そ、その節は本当にすみませんでした……」


しおらしく肩を落としたスザクとは対照的に、ジノが耳聡く聞き付けて騒ぎ出す。


「あれ? じゃあルルーシュ、もしかしてあのときはウチに来てたのか?」


ジノの云い方に思わず反射的にスザクを振り返ったが、本人は「何?」と頸を傾げている。―――莫迦め。
あれほど弓道部に対し他人行儀を貫いていたジノが弓道部を『ウチ』と称した、その意味をコイツが気付くのは一体いつの話になるのやら。


「……そう。主将からジノはどうにかならないのかと愚痴を聞かされているところだった。あとスザクがいっぱいいっぱいの様子だから励ましてやってくれって」
「え、うわ恥ずかしい。ホントにごめん」


主将にまで気を遣わせていたのだと反省して更に縮こまるスザクを尻目に、ジノは何処までも莫迦だ。


「なんだ、じゃあ私がルルーシュに会いに行ってたのはー…」
「全く意味がなかったな」


ばっさりと断言してやれば、必要以上にショックを受けたらしいジノは「意味ないなんて寂しいこと云うなよ」と両手の人差し指を交差させてもじもじとしている。可愛いとは思ってやらない。
それよりは、と不意にスザクを見遣ったそのとき。
一瞬だけ、ひどく険しい視線と交錯した。
それは本当に振り返ったその瞬間のことで、俺がちゃんと向き直るまでにすぐに和らげられたけれど。
スザクの視線の方向に居るのは、俺とジノだけ。
俺は練習の邪魔をしに来たわけではないと判っているはずだし、雑談をしていたと云っても大した長話はしていないと思う。ならばジノ? 未だに、ジノの軽い発言は許せていないということだろうか?
だがそれにしては、温度差が違う気がしたが。


「……スザク?」
「うん、何?」


表情だけ笑顔で頸を傾げるスザクの声音は怒ってもいなければ笑っても居ない、普通のトーンで。だからこそ、おかしいと感じた。普通すぎるのだ。


「……書類。主将から預かってるわけではなさそうだな」


結局、俺は未だ弱いままなのだろう。ジノの居る目の前で、それを真っ直ぐ訊くことができないのだから。
一体俺がこれ以上、何を恐れると云うのか。
それでも仕事を優先させたのは、これは逃げではなくて根が真面目だからということにしておこう。自分自身に猶予を与えるその行為こそ、逃げだと主張する自分の中のもうひとりの俺を必死に奥へ追いやって。
それをどう受け止めたかは知らないが、スザクは話の内容が内容だけにすこしだけ困ったように、けれど表面的には穏やかに笑っている。


「え、うん。どんな書類? 主将、いまちょっと席外してるんだよね」


やはり上滑りに感じる声。けれど仕事に関係することだから、それが普通と云われればそうなのかも知れない。俺が考え過ぎなのだろうか。


「タイミングが悪かったか。大会の日、授業アリの土曜だろう。公欠の申請書と、あと学バスの利用申請を出すようお願いしていたんだが」
「あ、そっか! バタバタしてて忘れてたよ。出さなきゃだよね」
「そんなことだろうと思ってな。忙しいだろうし、当日大会に行くメンバーだけピックアップしておいてくれれば、後の申請は俺がやっておくと云ってある」


大会前の人間でそこまで気が回る者はそうは居ない。だからギリギリか後になって教師陣に泣きつく奴らも相当数居る。
特に男子運動部にそういう輩が多いという経験を踏まえ、前もって声掛けするのも生徒会役員としての仕事の一環だ。
それでも、俺自身が書類を届けて取りにまで来ている辺り、弓道部を優遇していることは否めないが。


「わああああありがとうルルーシュ助かる! 主将もう書いたのかなぁ、ちょっと心当たりのある場所探してみるね」
「ああ」


パタパタと慌ただしく駆けてゆくスザクの背を見送りながら、書類の話になって慌て出した途端、スザクらしさが出たなと思い返す。やはり、その直前まではどこか取り繕っていた。


「副将が駆け足しちゃダメだろー」


朗らかに笑うジノに、お前は単純で良いなと心の中で毒づく。
ジノが真実ただの単純莫迦であるとは思っていないが、この程度、恋人の可愛い文句だとそう思っておいてもらいたい。


「それにしても、申請とかいろいろムズカシイんだなぁ」


ジノが溜め息を吐きながら頭の上で腕を組んでいた。それを見上げ、またスザクの消えた方向へ視線を戻す。


「俺の苦労が判ったか」
「判った判った! とりあえず、ルルーシュは人気者ってことだよな! すごく実感したぞ」
「……一体何をどう頑張るとその結論に至るんだ」


思考回路が全く判らない。訂正しよう、コイツは単純莫迦ではない、複雑莫迦だ。
だがそれが判ったところで対処法となるとこれがお手上げなわけで、ニコニコと笑うジノに「愉しそうで良いな」とこれは声に出して毒づいた。


「おお! 愉しいぞ。ちゃんと部活に出ると、設備も整ってるし、思ったより皆優しかったし、うちでひとりで練習するよりもずっと愉しい」
「……それは結構だ」


嫌味のつもりだったのに、すごく爽やかに返されてしまった。
だがそれは事実良い傾向だと思ったので、俺も拍子抜けしながらも素直に良かったなと笑う。
色々なものに恵まれ、無意識に人のコンプレックスを刺激するジノは、その裡で真剣に打ち込めるものが実はないのではないかと常々疑っていた。だって何をやっても大抵はこなしてしまうし、手に入ってしまうのだから。
そんなジノが、弓道の他にもスポーツや武道に通じているようなのに、それでも弓道部に留まった理由は、きっとスザクが居たからだと俺はそう信じている。
やりがいのある相手が居たから、弓道への興味を失わずに済んだ。俺のことは関係なくスザクと友好関係を築いていたジノの本質は、きっとそこにあると思う。
だからジノとスザクが仲違いするのは心苦しかった。一時はそんなふたりを引き離そうと思っていたのに、我ながら都合の良い話だ。
そんな俺の独善的なお節介だけでむりやりまとめてしまったと少々悔いていたが、少なくともジノに関しては良い方向に向かっているようなのでひと安心する。
だが、あちらはまだ問題が残っているらしい。
俺が口を出して良いものか、そもそも俺は関係あるのかどうか迷っているうちに、スザク本人が紙をひらひらとさせながら戻ってきてしまい思考はそこで中断する。


「あったあった、内政の人が持ってたよ。一応埋めてはあるみたいだけど、ちょっと確認だけして良いかな。急ぐ?」
「いや、それくらいは構わない。むしろ抜けがないよう、しっかりチェックしておいてくれ」
「はは、了解。ちょっと待ってね、えっと、」


ずらりと並んだ名簿と照らし合わせながらスザクが真剣な顔つきになるのを、ジノが周りをうろついて興味深そうに見入っていた。
邪魔になるのなら嗜めるところだが、特にスザクは気にしていないようだし、ジノは単純に書類の方が気になっているだけのようなので黙っておく。
過保護だと思われるのは我慢ならない。ジノに対しても、スザクに対しても。
だが待つこと自体は別に構わないのだが、如何せん手持ち無沙汰だ。仕方なく副会長らしく練習風景でも眺めていようかと振り返ったところで、何人かと眸が合った。
どうやら注目されていたらしい。
珍しいことではないし、部外者が居れば気になるのも判るけれど、練習に集中しろと軽く睨んでおく。
副将が隣に居るのに俺が注意するのもおかしい話だが、部員たちは気まずそうに視線を逸らすとちらほらと練習に戻って行った。
そこでようやく広がった普段通りの光景に満足して眺めていると、不意にジノが呟いた。


「大会って、土曜だったのか」


お前、それは。
俺が突っ込む前に、ふうんとジノが呟いたところで、さすがに集中していたスザクが顔を上げていた。


「……君、そんなことも把握してなかったの?」
「う、で、でも、来たら練習練習練習で、作戦会議も私は出れないし、知ってる暇がなかったんだよ」
「……はぁ、判った。つまり、いままで練習に出てなかったのが悪いってことだね」
「え、そうなるのか?」


なるでしょう、と神妙に頷いたスザクに、俺も同じように頷く。
それがジノの視界に入ったようで、何やら慌て出したジノは「スザクスザク、」とスザクの名を連呼した。


「何?」
「部活終わったらでも良いから、大会について教えてくれ! 良く考えたら私は相手校のことなども知らない」
「ああ、だろうね……」


呆れているのか怒っているのか、半眼のスザクにジノがしゅんと肩を落とす。
その無言の合間、わずか数秒。
相変わらず落ち込んだ様子のジノに、スザクがくすりと笑う気配がした。


「―――良いよ、部活後ね」
「本当か!?」
「うん。でもそれまでは、ちゃんと練習に集中すること。だから、とりあえず君はルルーシュから離れる!」


笑顔から一転、キツく睨み上げるスザクに、ジノが慌てるどころか不満声を漏らす。


「えー……」
「何、早速約束破るの?」
「い、いや! 練習する! あ、でも!」


賑やかな奴だ。元々だと知っているけど、特にまた最近はテンションが高いような気がする。
それを他人事のように見ていたけれど、練習に向かうのだとばかり思っていたジノがいきなり方向転換で俺に向かって来たのでびっくりした。


「な、なんだ?」
「大会土曜日ってことは! ルルーシュは応援に来れないのか!?」
「「……あ。」」


スザクと揃って間抜けな返事をする。
そうだ忘れてた。俺が応援に行くくらいで機嫌を直してくれるのならそれくらい、と軽い気持ちで約束してしまったが、そう云えばそうだった。
公欠の申請には考えが行ったくせに、何故かすぽーんと抜けていた。


「……授業があるな」


眸を泳がせた俺にジノが阿呆かというほどショックを受けた表情で「そんな!」と叫んで、一瞬絆されそうになった俺にスザクがすかさず胡乱気な眸つきで窘めてくる。


「サボるのはダメだよ、ルルーシュ」
「判ってる。土曜はヤバい」
「それは自業自得でしょ……」


仕方ない。土曜はどうせ半日だし、週の最後で力尽きていることが多いのだから。だがその分、土曜にしかない授業が鬼門だ。LHRなんかを単位に組み込まないでいただきたい。
まぁ俺の青春の心の叫びはいまはどうでも良いとして。
さてどうしようと仰ぎ見た周囲。
ジノが目尻をだらりと下げて残念すぎる表情になっているのはまだ良いとしよう。さっきからこれでもかと自己主張をしているのだから。
だが、何故近くに居た部員たちまで似たような顔をしているのか。
もしや、俺が応援に来るということそれそのものが残念なのか。うるさいから? 生徒会の奴が来るなんて鬱陶しい? いやでも、さすがにそれはネガティブすぎか。だが。
逃げるように彷徨わせた視線、その先に。
何かを訴えかける、いつか見たのと同じ眸。
ぼんやりとした疑惑が俺の中に生まれて、それは答えを出さないまま一瞬消えかけたけれど、逃してはならないと咄嗟に思った俺は、瞬時に頭をフル回転させてその片鱗を掴んだ。
―――サボるのはダメだとか偉そうに云っておきながら。
それでもきっと来て欲しいと思って、それを眸までは隠しきれずにいるお前はやっぱり莫迦だ、スザク。
もしかしたらそうなのかも知れないと気付いておきながら、けれど信じ切れなかった過去の俺は道を間違ってしまった。だから今度こそ間違えたくないと思う。
お前が俺に来て欲しいと思ってくれているのを感じたなら、きっとそうなのだ。それは俺の自惚れなどではなく、スザクが誤魔化す表情なんかよりも、一緒に過ごした時間の長さ、それによって培われた勘を信じて良いんだ。そうすればもう間違えることはない。
だから、俺は自分の直感を信じることにする。
ジノとリヴァルと、生徒会の皆やこの弓道部の奴らなんかと、それからあの子が笑い合う中で。俺とスザクも、同じように普通に愉しく笑っていたいから。
スザクだけで良いと思っていた世界が、もっと広いのだと教えてくれたジノが、俺が本当に望むものを気付かせてくれたから。
だから。


「……書類。チェックは終わったか、スザク?」
「…え? あ、うん。大丈夫みたい、だけど……」


話を切り替えた俺に戸惑った様子のスザクの後ろで、あからさまにがっかりした表情のジノが眸に入る。それに、大丈夫だと笑いかけてやった。幸い、それは書類に視点を切り替えていたスザクの眸には映らなかったようだ。
スザクが持ったままの書類を覗き込むようにして、ざっと眸を通す。


「行くのは、選手だけか?」
「そうだね。たくさん補欠を入れられるほど層がないし、学バスも一台借りるのが精々だから人数制限もあるし。勉強と手伝い兼ねて一年生も何人か行ってもらうけど」
「ふむ…マネージャー要因は?」
「それが居ないんだよねー、ウチ弱小だから」


その弱小部を、一年足らずで周囲の学校にまで存在を知らしめるまでに至らせた張本人が何を卑下しているんだろうとは思ったが、面倒なので指摘はしないでおく。
複雑そうに笑う周囲が居るから、それで十分だ。
……いつの間にか周囲まで話の輪に入っていることはとりあえず置いておくとして。


「―――なら、最後の余白。そこに入れておけ」
「何を?」
「俺の名前」


一瞬、静かになって。
瞬間、やっぱり不安になって。
けれどすぐに湧いた歓声に、歓迎の意思を感じ取ってほっと安堵する。


「る、ルルーシュ……それって、」
「べ、別に俺は! 生徒会役員として、人数の少ないクラブにサポートとして付いて行ってやるだけなんだからな! 公欠扱いにすれば、単位も心配ないし!」


スザクにじっくり確認するように指摘されて、何となく居心地が悪くなってしまった俺は咄嗟にそう叫んだが、すぐ上からジノに頭を抱き込まれてしまった。


「ツンデレ…! 可愛い!」


意味が判らない。
と云うか人前で何をするのか。
案の定ジノは速攻で部員たちにひっぺり剥がされて、軽くリンチを受けていた。本人が愉しそうなので別に良いが。
さすがスポーツマン、皆硬派なのだろう。
そうこうしているうちにスザクはいそいそと俺の名前を書き込んでいて、俺に渡してきた。
他の奴の名前はボールペンなのに、最後の俺の名前だけサインペンなのか異様に濃くて太い。これは主将とスザクの筆跡の違いだろうとそう思い込もうとしていた俺の耳元で、スザクが


「消されちゃったら困るからね」


と囁く。
その、はにかむような笑顔を見て。
やはり、俺は間違っていなかったらしいと確信する。部員たちに弓でアーチまで作られる熱烈な見送りを受けながら、俺はひっそりと笑みを浮かべていた。