四重奏
-quartetto-
***
一ヶ月の弓道部強化練習をルルーシュに告げたら、クールに「頑張って来い」と送り出されてしまった。
大変そうだなと細めた眸は心底ジノを気遣っている様子なので、それ以上ワガママを云って駄々をこねることもできず。
「寂しい」
「ハイハイ。なんでお前らはそんで俺んトコ来るかなーもう」
「ルルーシュも、もっと寂しがってくれても良いと思うんだ!」
「俺の言うコトは完全無視かい」
生徒会室で何やら書類に塗れているリヴァルを横目、ジノはソファに横たえていた身体を勢い良く起こし、リヴァルの方向に顔の前で手を合わせた。パン、という乾いた音が二人以外に姿のない生徒会室に響く。
「リヴァルからも云ってくれ!」
「ヤだって。面倒くさいって。ハイ終了」
「ひどい!」
ぎゃあぎゃあ喚くジノに軽く溜め息ひとつ吐いたリヴァルは、こちらに視線を向けることすらせずに書類を捌いている。
そういう仕事はルルーシュの専門だとばかり思っていたジノは、文句を云いつつそんなリヴァルの姿を物珍しげに眺めていたが、当のリヴァルが視線を感じ取った様子で嫌々とジノに向き直った。
「…何?」
「さっき云ってた。お前らって、どういうことだ?」
なんでお前らは自分のところへ来るのかと、さっきリヴァルはそう云っていた。そのときすぐにはジノは判らなかったが、後々何かがおかしかったと思い返して気付く。
「こういう時だけ耳聡いのな」
「ルルーシュのことだったら嬉しい、と思って」
「別に寂しがってたわけじゃねーけど。暇だっつって、構えってうるさい」
「なんだそれは! 可愛いな!」
ジノがソファの背もたれをバンバン叩いて身悶えてるのを横目、リヴァルは呆れたように溜め息を吐く。
「ワガママって云うより、アレただの脅迫だから。マジ怖いから」
何かを思い出してリヴァルは遠い眸をしていたが、ジノは都合良く右耳から左耳へ聞き流して顔を上げた。
「ルルーシュはまだ来ないのか」
「さてねぇ、何処で油売ってんだか。来ないってことはナイと思うけど、てかとっとと部活行って来いよお前」
「嫌だ。ルルーシュの顔を見てからじゃないと無理だ。ルルーシュ欠乏症なんだ、私は」
「お前はそれで良くても、俺がスザクに睨まれんのは御免なんですー」
「大丈夫だ、リヴァルには迷惑が掛からないようにするから!」
「ここに居る時点で既に、俺も共犯疑われてんですけどね」
疲れたように肩を落としたリヴァルに「お疲れ様」と声を掛ける。空気を読めよと睨まれてしまい、リヴァルの機嫌を損ねることでここを追い出されルルーシュに会えなくなるのは勘弁なので、ジノは大人しくそれ以上は口を噤んだ。
ルルーシュの現在の居場所が判らない以上、校内を無闇に探し回るのは、一体どこ経由で弓道部にチクられるか判らないので得策とは云えない。
その点、生徒会室はルルーシュを優先する会長の独断が及ぶ治外法権なので安心だと、ジノはルルーシュ待ちと称して生徒会室に居座っていた。
その会長本人を始め、女性陣たちはいまは出払っている。代わりとばかり、部屋中に書類やダンボールが散乱する生徒会は、いまは忙しい時期らしい。サボり癖のあるルルーシュも、さすがに最近はちゃんと仕事に取り組んでいるようだ。
ならば仮令いま弓道部が忙しくなかったとしても、どうせルルーシュとは生徒会の仕事で一緒に過ごせなかったと云うことになるので、弓道部の強化練習も結果オーライだったのかも知れない。
でもその仮定は会いたいという気持ちを清算してくれるわけではないから、ジノはそこのところはしっかりと欲望に忠実でいたかった。
何せ、それほどの人気を集めるルルーシュを手に入れたのだから。
「……別に、ソレは関係ないんだけど」
人気があるからルルーシュを好きなのではなくて、例えばルルーシュが学園じゅうから嫌われていたとしてもジノはルルーシュに惹かれていた自信がある。いや、だがルルーシュがルルーシュだからこそそんなことは有り得ないわけで、まぁ人気があるというのも恋人としては誇り高いポイントのひとつではあるのだが。
云々と考えに没頭するジノに、リヴァルがやや間隔を開けて鬱蒼と顔を上げる。そこにはうるさいという文字が有り有りと書いてあった。
「…は? 何、なんか云ったか?」
「いーや、独り言」
「でっけー独り言ですこと」
「別に聞いてくれても一向に構わないんだぞ! つまりルルーシュが素晴らしいという話だから!」
「つまり惚気ってワケ。あのね、俺いま忙しいことこの上ないの。お判り?」
「そりゃ見れば」
書類に埋もれる勢いのリヴァルを見れば一目瞭然だ。
頷いたジノにリヴァルは深い溜め息をつく。
「ならせめて俺の邪魔しない。ルルーシュの邪魔もしない。顔見たら部活直行。オーケイ?」
「イエス・マイ・ロード!」
元気の良いジノの返事に満足そうに頷いたリヴァルがよし、と気合いを入れ直した瞬間。
タイミング良く廊下と生徒会室を繋ぐドアが開いた。
「ル―――!」
「こんなトコで何やってんだジノッ!」
「じゃなかった……」
がっくりと肩を落としたジノに、慌てたのは全く関係ないはずのリヴァルの方だった。
ガッコーン! バキッ! となんだか有り得ない音をそこらじゅうに響かせたドアの有り様はいっそ見ない方が良いのかも知れない。肩を怒らせ入り口に仁王立ちするスザクにそれを指摘する気を一気に無くしたリヴァルは、傍観に徹することを決めた。
君子危うきに近寄らず。
一方で全く気にしていないどころか、がっかりしたように肩を落としたジノの様子にカチンときたらしいスザクがジノに突っかかって行ったのをリヴァルは言葉でさえ止めず、書類に向き直る。元々、なんとなく今日のスザクは機嫌が悪そうだったので、触らぬ神に祟りは無い、はずだ。
余裕綽々の体を崩さないジノはリヴァルのその様子に「冷たい」と一言零したが、さすがにスザクに胸元を掴まれてからはそちらに意識を集中させていた。
「部・活・に・来いッ! もう何度目だと思ってるんだ。良い加減主将の怒りも爆発してるんだからな!」
「行くさ、行くとも。ルルーシュの顔を見たらな!」
「だからッ…! 君は判ってるのか!? 他の部員たちは、態度の悪い君に不満を募らせてるんだ!」
「そうなのか。気にしたコトなかったけど」
ふうんと鷹揚に頷いたジノの様子に、スザクは少し眉を寄せて怒らせていた肩を落とした。
ジノはその様子にようやく落ち着いたかと思うだけだったが、リヴァルはあちゃあ、という顔をしている。当然、その表情はお互いに集中しているジノもスザクも眸にすることはなかったが。
「間に挟まれる僕の身にもなれ」
「スザクに迷惑を掛けてしまったか。それは済まないことをしたな」
「ッ…それ、だけじゃなくてっ……。弓道だって、個人競技だと思うかも知れないけど、結局は団結力なんだ。個人のタイトルだけじゃなくて、部のために頑張るって気持ちがないと、」
「面倒だなぁ、スザク」
台詞の途中で肩を竦ませたジノに、スザクの目尻が吊り上がる。
「…何?」
「そういうの。疲れないか?」
お手上げのポーズで溜め息をついたジノに、からかう調子は全く見えない。つまり、本気でそう思っているということだ。
「ッ貴様…!」
「ちょっ、ちょー待てスザクッ!」
拳を握りしめ振り上げたスザクに、さすがにリヴァルが慌てた様子で止めにかかる。
だがスザクは一振りでその制止を振り切った。
「邪魔だリヴァル! 一発殴らせろ!」
「いやまぁ今回はジノが悪い。それは俺もそう思うけど、とりあえず待てって!」
ジノの胸ぐらを掴んだスザクの片手を押しのけて、ふたりの隙間に入ろうとするリヴァルにスザクが退けとばかり怒鳴りつける。
「なら良いだろ!」
「ダメだ、ストップ! あと五分くらい、とりあえず、なッ?」
「なんだ、リヴァルまで酷いな。五分したら私は殴られるのか」
いまにもスザクの拳は勢いをつけて振り上げられようとしているのに、ジノはあくまでも落ち着いた様子で笑っている。その態度が更にスザクの怒りを買ったことに間違いはなかった。
「いまに始まったことじゃないけど、ジノは先輩に対する態度がなってなさすぎるんだ。普段は良いとしても、部活上でのけじめはちゃんとつけろよ!」
「と、云われても。スザクはともかく、他の部員たちは弱過ぎて、私に指導してくれるわけでもないし」
「だからその考え方が問題なんだよ!」
「でもなぁ。私は堅苦しいのは苦手なんだ。愉しくできればそれで良いじゃないか」
両手を上げて語られたジノの言葉に、スザクの眉がぴくりと動く。
「……君の中では、所詮弓道なんて遊びの延長でしかないってわけ?」
「そこまでは云っていないが……スザクは真面目に考え過ぎだな。もっと楽に構えて良いんじゃないのか?」
「生憎、性分なんだ。君ほどいつも楽観的ではいられない」
リヴァルに腕を引っ張られることでジノから少し遠ざかったスザクは、そう吐き捨てた。
しかしそれさえもジノは嘲笑い捨てる。
「それが堅いって云うのに。だからルルーシュも離れて行くんだよ」
「…何?」
ジノの声色が変わったのと同じタイミングで、スザクが低く唸る。
「大体、スザク。お前が私を殴りたいと思う理由は、本当にそれだけなのか?」
「は…?」
「その拳を振るう相手は、お前の中で『真面目』に部活に出ない後輩』というだけなのか?」
違うんじゃないのか? と。初めて挑戦的に睨みつけられた眸に。
咄嗟に反応したのはスザクではなく、ジノが口を開いてからは静観していたリヴァルの方だった。
「それ以上煽るな、ジノ。……スザクも、拳引っ込めろ」
「……でも、」
「良いから。引けって云ってるわけじゃない。何か話し合うことがあんなら、とりあえず生徒会室は止めておけ」
「でも……俺が、いままでどんな気持ちでッ…!」
「……スザク?」
「ルルーシュが……どんなつもりか、なんて……何を考えてるのか判らないのは、俺だけじゃない癖にッ…!」
雰囲気の変わったスザクにリヴァルが息を呑む。
だが煽った張本人であるジノは、ただ静かに佇んでいるだけだった。その視線の剣は先刻よりは緩められてはいたけれど、鋭さを欠いたわけではなく。
「そうだな。でも私は、目を背け続けたお前よりは判っているつもりだよ、スザク」
「ジノ!」
リヴァルの制止は全く意味を成さなかった。
ジノが薄く笑って告げたその言葉を、ふるふると震える身体でスザクは真っ向から受け止める。
「お前、なんかッ……どうせ、弓道と同じで、ルルーシュのこともゲーム感覚に思ってるんだろッ!?」
「―――だったら、どうだと云うんだ?」
「………―――お前ぇぇぇ!!」
リヴァルがスザクの身体を抑え付ける暇はなかった。
一歩出遅れたリヴァルの制止をすり抜けて、スザクの握り締め続けた拳が振り上げされる。その瞬間は、三人の眸にスローモーションに見えた。
怒りにぶれるスザクの動きは特に動体視力の優れたジノの眸にはしっかりと見えているだろうに、避ける様子はない。
勢いにジノの前髪がふわりと舞い、そこにスザクの拳が打ち付けられようとした、その瞬間。
「―――止めるんだ、スザク」