四重奏
-quartetto-











     ***










ルルーシュの呼吸が落ち着くのを待って、その間に言葉を捜す。
ベンチに横並び。ルルーシュの横顔は疲労を色濃く残してさえ整っていてずるいと思う。元々体調が悪かったと聞くし、その上でマラソンを強いられた身体はさすがに無理が祟ったのか顔色を青くさせていたが、崩れるどころか儚さをスパイスに美しさが凄みを増していた。
心理効果なのか、薄闇の夜の色に彩られたのかまでは知らない。
ただただ美しい。
それを間近で眺める特権は、ユフィの居ない今完全に自分のものだと信じ切っていた。
ルルーシュは男の恋人とは触れ合わないことで有名だったから。
なのに。


「……ジノは?」


スザクからその特権を奪った存在の名を出すと、ルルーシュの肩がぴくりと震えた。


「帰った」
「そう……」


それきりまた黙り込んだスザクをちらりと見たルルーシュは、地面に視線を戻して先を続ける。
ルルーシュの呼吸は既に平常に戻っていた。それよりも随分前に落ち着いていたはずの自分の胸の鼓動の方が煩い気がして、スザクはルルーシュの声に意識的に耳を傾ける。


「見送りに下に出たら、丁度帰ってきたロロとかち合ったんだ。それで、お前が凄まじい顔して猛ダッシュで去って行ったと聞いて。ナナリーも呆気に取られていたし」
「凄まじいって……」


ひどい云われようだ。まぁ元からロロからの覚えは良くはなかったけれど。
彼にとって、大好きな兄と一番仲の良いスザクは、目の上のたんこぶの存在らしい。ルルーシュの部屋に遊びに行くなり、休みの日にふたりで出るなりするたび、ものすごい目で睨みつけられた。
だがそれを云うならば、今、ロロが目を光らせなければならないのはスザクではなくてジノの方なのに。
自分の考えが支離滅裂になっていることに気付いたスザクは、話を元に戻そうと必死に言葉を捜した。


「……えっと。それで、良く追い付いたね」
「お前がぼーっとしてただけだろ」
「嘘、今何時?」
「八時」
「うっそぉ!?」
「本当」


部活が終わってからルルーシュの家を訪ねたのは、精々七時かそこらだったと思う。ルルーシュやスザクの家からここまでは、自分の足で走ったなら精々十分。しかもロロが驚くほどの猛ダッシュだったのだから、もっと新記録を叩き出していたかも知れない。
じゃあ何か、自分はそんなに長い間考え込んでいたのか。時間の感覚が全然湧かなかった。
大体ここは、家からも随分離れた河原だ。考えごとをしていたとは云え、河原を終着点に走ってしまうなんてどこの青春高校生だろう。いや、年齢的には青春で正しいのかも知れないが、どこかその単語は自分からはほど遠いもののような気がした。


「……なんでここが判ったの?」


大きく婉曲する川のほとりに広く場所をとるこの公園は、昔から何度かルルーシュとも遊びに来たこともあったけれど、別に毎回お馴染みの場所というわけでもなかった。
どうしてこれほどの距離と時間のブランクがあってさえ、ルルーシュはスザクの居場所を見つけることができたのだろう。
だがルルーシュは別段何でもないことのように「簡単だ」と嗤った。


「お前ほど猪突猛進な奴はいないからな」
「……どういう意味?」
「一本道。俺は真っ直ぐ来ただけだ」
「…あー……」


なるほど。
確かに走ることだけ考えて、変に道を曲がったりしなかった、かも知れない。


(なんだ……)


思った以上に平凡だった答えに息を吐く。そして、ふと。
今この瞬間、確かにがっかりしていた自分に気が付いた。


(あれ…僕は……)

―――何を、期待していたんだろう?

「……スザク?」
「え、あ、ええと! ロロって、随分帰りが遅いんだね!」


……さすがに不自然だっただろうか。
ルルーシュはぴくりと眉を動かしたが、スザクの突然の疑問にそれを指摘することはしなかった。


「……中等部は体育祭が近いからな。特にロロのクラスは、仮装に力を入れて練習が大変らしい」
「ああ、仮装かぁ。あったね、そんなのも」


仮装行列は中等部の体育祭における伝統行事だ。
何故体育祭なのに仮装なのだろうと今になって疑問に思うけれど、あの頃はそんなことなんて関係なく夢中でいられた。
それは今のように隣で口をへの字に曲げて理屈を捏ねる幼馴染と、いつも朗らかに微笑んでいるユフィと三人で。
自分たちの仮装姿を思い出すだけで、自然と笑みが零れる。


「……あの頃は、愉しかったね」


ただ毎日、興味を引かれることばかりを追い掛けて笑っていられた。年月にすればたったの三年。だけどそこに横たわる溝はあまりにも大きい。


「……そうだったかな」


ルルーシュが苦笑しながら漏らした台詞を耳聡く聞き付けたスザクは、驚愕の表情でルルーシュの方を向いた。


「……違うって云うの?」


あの頃笑っていたのは、ルルーシュも同じなのに。それは変わらないはずなのに。
ルルーシュはあの日々の思い出ごと、辛い記憶に置き換えてしまっているのだろうか。
まさか、そんな。―――そんなことは、許さない。
激情を裡に抑え込むスザクとは対照的に、ルルーシュは落ち着いてベンチの正面を見たままだ。


「……いや、そうだったのかも知れない。愉しそうなスザクや……ユフィを見ているのは、俺も愉しかったよ」
「る、ルルーシュ……」


彼の口からユフィの名を聞いたのは久しぶりだ。
ユフィがこの地を去ってから三年、一度もその名前はルルーシュの唇から漏れることはなかった。つまりスザクとルルーシュは三年も、ぎこちない関係を続けてきたということだ。
今ルルーシュが遠い目をして見ているのは、そんな二人の間に置いて行かれた日月なのだろうか。それともユフィの記憶そのものだろうか。


「……スザク、」
「な、何…?」


かしこまった雰囲気で口を開いたルルーシュに、自然と背筋が伸びる。何とも表現しがたい、不穏な空気がそこにはあった。


「―――ずっと、謝らなければならないと思っていたことがあるんだ」
「え…?」
「あの、な……」


ルルーシュはそれきり瞼を伏せ、暫しの間何かを考えるように微かに首を俯けていたが、スザクが先を促す前にすっと立ち上がった。
スザクの正面を向く方向に立ち直ったので、スザクも腰を上げかけたが、そのままでいろとルルーシュの掌で遮られる。
自然、スザクはルルーシュを見上げる形で視線を合わせた。
そこにあったのは、月を背後に、悲哀のような。こちらの胸をぎゅっと掴まれたような、そんな見たことのない表情だった。
それはルルーシュの決意の現れだったのだろうか。


「―――すまなかった」
「何…?」


きっちり九十度に腰を曲げたルルーシュの流れるような動きに、黒い艶やかな髪がはらりと舞った。


「お前の……気持ちを、弄ぶようなことを、した。本当に、すまないと思っている。俺は何も、弁解などできる立場じゃない。けど、ユフィは、そうじゃないから」
「うん……」


あの日。
それまで嘘みたいにただ愉しかっただけの毎日が、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
あの瞬間感じた絶望は、今も息苦しいほど鮮やかに胸に蘇る。
曲げていた腰を上げてスザクを真っ直ぐに見つめるルルーシュの瞳は、あの日のように淀んではいない。
……ルルーシュの中では、もう整理がついているということだろうか。


「だから、あの子までは、恨まないでやってくれ」
「……別に、恨んでるわけじゃないよ」


囁くようなスザクの返事に、そうか、それは良かったと。
ほっと一息ついて、安心したように微笑んだルルーシュは、けれど何一つとして判っていないとスザクは思った。
『あの子』という、心を許したような形容がずしんと胸に圧しかかる。ルルーシュがその心を明け渡した、唯一の
だけどスザクが恨んでいるわけじゃないと云ったのは、その真意は、何よりもルルーシュを相手としての話だったのに。


(―――ルルーシュ。僕は、君を恨んでるわけじゃない)


ルルーシュがスザクにずっと謝りたいと思い続けてくれたように、スザクもまたそれをずっとルルーシュに伝えたかった。その筈だった。
なのに、どうしてだろう。

晴れやかなルルーシュの笑顔に、その先の言葉を掛けることは、どうしてもできなかった。





 ルルーシュ
 それを僕に告げるということは、あの裏切りは君の中ではもう終わったっていうことなの?