四重奏
-quartetto-
***
湧いた騒ぎから察するに、ジノが行ってしまったようなので、スザクはこっそりと用具入れから顔を出した。
サボっていたわけではない。ちゃんと整理をしていた。だから平気、と自分の中で云い訳をしながらジノの消えた部室を見回す。
ほとんどの部員はぶつくさ云いながらジノの出て行った出入り口を眺め、それでもストレッチを再開させていた。ついさっきまで捲し立てていたくせに、所詮彼らにとっては、大会の二の次の話らしい。
自分も早く練習に加わらなければと輪に入ろうとしたところで、クラスメイトに「大丈夫かスザク」と声を掛けられた。
「うん。何が?」
何かしらは察しながら、けれどそれ以上突っ込ませない笑顔で答える。
すると期待通り、相手は「いや、別に」と口ごもりながら視線を伏せてしまった。
片腕の肘を曲げながら頭上に伸ばして、もう片方の手で引っ張りながら適当に話を続ける。
「ジノが折角来たと思ったのに、帰っちゃたね」
「ああ、アイツ、明日はちゃんと来る気だろうな」
「どうだろう」
正直云って、部員からのジノの評判はあまり良くない。
練習に加わらない上に、試合では完全にその場の空気をモノにする彼に反発するなというのは確かに無理のある話だ。最初から練習に乗り気でないジノを説き伏せ、弓道部に入部させたのはこちらなので、皆面と向かっては文句も云えない状態であることが、更に不満を加速させている。
スザクもジノの性格と弓道の腕は気に入っているものの、風紀を乱すところは少し気に食わない。日々鍛錬に励み、部員同士結束してこそ、良い結果が出るものなのに。
とは云っても、憎めない性格をしているし、練習に出れないのも家の用事ということが多いようなので、スザクも最後には許してしまって、強くは出れないのだが。
副将がこんな調子では……とも思うのだが、ジノの性格は奔放過ぎて把握するのは難解な話だ。
金持ちのイケメンというのは、我が侭で性格が悪いとばかり思っていたのに、むしろ全く逆で天真爛漫、溌剌すぎて眩しい。付き合いやすいというよりも、こちらのコンプレックスを容易に刺激してくださる。そう感じるのはスザクだけではないようだ。
その上、ジノはルルーシュの彼氏という羨望のポジションを手に入れている。スザクが居るおかげでルルーシュが弓道部に顔を出す機会は多いが、この部で過去ルルーシュと付き合えた奴は他に居ない。そういう意味でも、彼は悪意の的になってしまっている。
今隣でクラスメイトがジノへの不満をぶつぶつ云い始めるのも、普段は悪口などに厳しいスザクでも、さすがに諌めることはできずにいた。
それは今の己の心境のせいも幾分かあったかも知れないが。
「でもヴァインベルグの奴、スザクの云うことはそこそこ聞くよなぁ」
「…え。そうかなぁ」
とてもそうとは思えないのだが。
クラスメイトはうんうんと頷いているので、とりあえず、云われてみればそうかもねと肯定しておいた。この中でジノと個人的に親しいのはスザクが一番だろうから、そういうこともあるかも知れない。
複雑な心中までは読み取れなかったらしいクラスメイトは、「絶対そうだって」と頷いている。
「だから明日はお前が迎えに行ってこいよ」
「え?」
「スザクが云えば、ヴァインベルグも来る気になるだろ」
「……どう、かな」
スザクの心情を知る由もないクラスメイトは、「お前が直接云えば絶対だ、よろしくな」などと無責任なことを云ってくださる。
はは…と思わず漏れた空笑いも、ことごとくスルーされる。
重い責任が肩にのしかかった気がした。
「あとは……ルルーシュは、どう思ってんのかなぁ」
出された名前にどういう意味かと、一瞬身体が凍る。
「え?」
「いや、ほらさ。ルルーシュから云ってもらうのが一番だろうけど、肝心のルルーシュが、部活は出ずに一緒に居る方が良いとか思ってたら、頼めないからさ」
「ああ、そういう……」
云いたいことは判った。
だが、そういう恋愛に対する可愛らしい思考と、何事にも冷めているルルーシュの言動がスザクの中ではイコールしない。
他の連中に比べれば、目の前のクラスメイトはクラスが同じという余裕があるのか、ルルーシュへの羨望も控えめだと思っていたけれど。
結局は、ルルーシュに夢見がちな男のひとりだったらしいとそんな情報を今更得る。
得たところで、今のスザクにどうすることもできないのだけれど。
「ルルーシュもしっかりしてはいるけど、真面目ってわけじゃない奴だからさ。どうかなぁ」
「……ルルーシュは、きちんとけじめをつけない奴は嫌いだから。きっと協力してくれると思うよ」
「お、そうか! やっぱ副会長様だもんな」
「うん」
大丈夫だよと太鼓判を押す裏側で、スザクはもっと別の、違うことを悶々と考え続けていた。
そう、ルルーシュは公私はちゃんと区別できる人だから、そこは信頼して大丈夫。だけど―――ルルーシュは、もうスザクの知るルルーシュではなくなってしまったのかも知れない。
じゃあお願いしてみようと若干嬉しそうに話すクラスメイトは、ルルーシュと話す切欠が欲しかったようだ。そんな彼を見て、自分もこういう目でルルーシュを見ることができていたら、何か違っていただろうかとそんなことを思う。美形のお坊っちゃんで、周囲からは愛されるばかりのくせして、ジノとは真逆に性格が捻曲がっている幼馴染はスザクにちっとも夢を与えてくれない。
近過ぎる距離がそうさせるのだと判っていても、割り切れないことはある。それでも優越感の方が勝ってしまうのだからやってられない。
それからは話をしていたクラスメイトからも離れ、黙々とストレッチをしていたスザクだったが、そこに明るい声が掛けられたことで思考を中断した。
「お、いたいた。スザク!」
「……リヴァル? どうしたの?」
クラブに所属していないリヴァルがこんなところまで訪ねてくるのは珍しい。
入り口から手を挙げてスザクを呼ぶリヴァルに近付いて、スザクは首を傾げた。
「いや、ジノに用があってさー。こっち拉致られたって話聞いたんだけど、見当たらないから」
「……随分、噂早いね」
「かなり目立ってたらしいぞ」
「あー…でもジノなら、さっき何か叫びながら出てっちゃったよ」
「え? マジで?」
「うん。十分くらい前かな」
「何だ、入れ違いかよー……」
がっくり肩を落としたリヴァルを労り、「お疲れ様」と声を掛ける。
「ホントだよなもう。気付きたくなかったけど、俺完全にルルーシュのパシリでしかないじゃん」
「…え? ルルーシュの用なの?」
やっぱりリヴァルめ、ルルーシュの居場所を知っていたのか。
スザクの恨み節に気付いてすっとぼけているのか、それともスザクの考えすぎなのか。リヴァルはきょとんとした表情で、いや、と首を振った。
「厳密には違うんだけど。アイツ、生徒会には顔出してきてさ、」
「ほ、ほんと!? 具合は?」
「お、おう。まだ本調子じゃなさそうだけど」
噂じゃ顔色も悪かったと云うし(元気ハツラツなルルーシュというのもあまり見ないが)、ルルーシュは本当に体調が悪かったのだろう。だったら帰れば良いのに……と思ったスザクは、少しでもリヴァルから情報を得ようと食いついた。
「無理してるんだ……まだ生徒会室に居るの?」
「いや、休ませてる。本人は仕事するって言い張ってるけど、さすがに帰らせたいんだ。でも俺のバイクじゃ余計酔わせそうだし、ジノにでも送らせようと思ってさ」
「……そっか……うん、それが良いよね」
トーンの下がったスザクに気付いたのだろう、リヴァルが切り替えるように顔を上げる。
「でもスザクが居るんなら、スザクに頼んだ方が良さそうだな。お前ら家近いんだろ? 部活終わるくらいまでなら、普通に寝て待ってると思うけど」
「ううん、……ジノの方が、ルルーシュは良いと思うよ、きっと」
「そっかぁ?」
「うん。ジノの居場所なら、多分三号館の屋上じゃないかな?」
「……スザク、知ってんの?」
「え、うん。多分ジノもルルーシュ探してるんだと思うから、そうだろうなって、」
「そうじゃなくて。そこは普段、ルルーシュの隠れ場所じゃん。そこ、知ってんの?」
「え……うん」
「そ、っか……お前、知ってたのか……」
「あの、何か、僕……」
神妙な様子で頷くリヴァルに、スザクは何を云ったかと首を傾げたが、リヴァルは振り切るように首を振った。
「いや、何でもねーわ!」
「え……でも、」
「いやホントに。じゃあ俺、ちょっ早でジノ追いかけるから。練習邪魔して悪かったな!」
笑顔で捲し立てるリヴァルに、さすがのスザクも先を責めることはできない。
「ううん、頑張ってね。あと、その、ルルーシュをよろしく」
「おう、ジノにも伝えとくよ」
「……うん」
賑やかで明るい笑顔を残像にリヴァルが去って行った鍛錬所の空気は、それと対照的にますます暗く、淀んで見えた。
もっとも、部員たちは大会に向けて目を輝かせながら鍛錬に励んでいるので、それはスザクの心情以外の何者でもなかったが。