本当に最低だよね、君は。好きだって云ってくるなら誰でも良いのかい?どうせ君の顔に騙された一時の気の迷いがほとんどだろうけど……男同士ってことで、一応彼らは勇気を振り絞って告白してくるんだろ。それを君は良く考えもせず簡単に頷いて。それで結局合わないとか冷めたとか何とか云って、短い期間でポイだ。モテる自分に酔ってるの?ちやほやされて良い気分なんだろうけど……本当に、最悪だよ。人の気持ちが理解できないんだね。中には本気の奴も居ただろうに。男に告白されるのが厭なら、そう云ってやるのも優しさだよ。


判っている……判っているさ。
俺だって、人を本気で好きになる苦しみや、気持ちを伝える怖さくらい。
だけどそれを否定するのは、他でもないお前自身じゃないか。男同士で理解できないとか云って、俺の想いを可能性の段階から排除してくるんじゃないか。そしてそれを優しさだと云うんじゃないか。
確かに俺は気持ちを伝えることさえできない意気地なしだが、そもそも俺は吐き出す場所を持たない。お前自身の所為で。それだけの話だ。
それに……知っていた。
お前にこそ、本気で想っている人間が居ることくらい。そしてお前が、気持ちを伝える勇気を持った人間だというくらい。それを踏みにじり本心を明かさない俺は確かに、お前の中で最低で最悪の人間なんだろう。
だけど、本当に―――俺は俺で、お前への気持ちに見切りを付けるだけのつもりだった、そのはずだったんだ。

賭けをしましょう、ルルーシュ

人の気持ちを簡単に弄ぶ、そんな風に見えても仕方ない。実際に俺は、お前の心を賭けの対象にしたのだから。
だけどお前だって、俺の話なんて全然聞く耳も持たないで―――怒るのは当然だが、これでは謝ることすらできやしない。
その一方で、恋愛沙汰に関する以外のことならギャップに戸惑うほど優しげに接して来る。
この調子で居る限り、賭けの勝敗は宙に浮いたまま。あの頃の関係は止まったまま、何も動かない。
だけど、今動いて本心を明かしたところできっと―――待ち受けるのは、スザクへ向ける全ての想いとの完全な別離、それだけしかないのだろう。
だって、俺は

俺は―――





三重奏
-trio-









何かに急かされるようにしてはっと目が覚める。
あの頃の夢を見るなんて、最悪だ。
振り切ったはずの罪悪感が、今更になって俺を苛めてくる。それは俺自身だったり、俺に関係する人間だったり、色々な方向へ向けて。そのほとんどとは、はっきりと折り合いをつけたはずなのに。
結局は、何も振り切れてなどいないのだ。
夢見が悪い所為で身体と思考は最高に重かったが、目だけははっきりと醒めていた。鈍い思考に反し視界だけがやけにクリアで、そのアンバランスさに身体が戸惑いを感じている。
彷徨わせていた視線がベッド脇の時計を捉え、一瞬その角度を読み取れずに思考を固まらせた。


(……四時半、て)


しかも、朝の。
これが夕方なら夕方でまずい話だが、何せ今日は週末だ。
昨夜も早い時間に就寝したというわけでもないのに、まさかこの寝汚い俺がこんなに早い時間に目が覚めるだなんて。
あまりに悔しく、信じがたい。
だがもう一度目を閉じると嫌な映像が浮かんできそうで、それは避けたかった。
そうでなくても、この気分が残るままではこれ以上眠れやしない。仕方なく、のろのろと身体を起こす。
暫し呆然と意味も無く時計の針の進みを見送っていたが、いつまでもこうしているのも阿呆みたいだ。
こうなったらいっそのこと、最大限に時間を利用するしか手はないだろう。
そう思うのだが、こんな日に限って、特にすることが思い浮かばない。溜まった課題もないし、試験が近いわけでもない。普段から打ち込んでいるような趣味もない。
数分間、徐々に働きを開始する頭で考えを巡らせた結果、キッチンに立った俺は強力粉を取り出して量りにかけた。
気分も晴らせて、早く起きてしまった理由付けをする手段なんてものは、これしかない。
材料を一通り揃えて、わざわざ理由なんて考えるのも惨めな気がしつつ、腕捲りをする。
だがたまには、パンから手作りの朝食も悪くない。そう思うことにする。
パンを作るときの最大のコツ。それは、ムカつく奴の顔を思い浮かべることだ。
そうして思考に浮かぶその顔は、俺の中でもう七年もずっと脳裏に鎮座して不動の一位を誇っている。自分でも呆れるほどに、相当な年季だ。
そこにその見慣れた顔があると仮定して、クロワッサンのタネを思いっきり叩き付ける。想像でさえ相手は倒れてくれない。不毛だ。不毛すぎる。何より悔しいのは、それで気分が晴れるどころか不満が溜まる一方ということだろうか。
しかし、やはり休日の朝食は手作りの方が弟妹に好評だ。成分や衛生面でも安心だし、しかも昨日ジノに付き合わせた会員制のスーパーで、普段なかなか売っていない香辛料を見つけてしまったから、スープのレシピでも挑戦したいものがある。だから別にこれはそのために作っているのであって、決してサンドバッグのためじゃない。
そうだ、せっかくだから、ついでにジノとの約束を果たすべく、クッキーも作ってみようか。ナナリーが起きてきてから昼に一緒に焼くのも良いかも知れない。ナナリーもロロも今日は出掛けないと云っていたから、多めに焼いて一緒にお茶なんて素敵じゃないか。
思いついた我ながら良い考えは、しかし。リビングの窓の向こうに見えた人影に、あっさりと霧散した。


「……スザク?」


さっきまで想像の中でパンのタネを投げつけていたので若干気まずい。いや、それだけじゃなくて、今はあまりスザクの顔を見たくなかった。
だけど、こう直接来られてしまっては避けようがない。
スザクはジャージ姿で、苦笑したような表情で庭先に立ち、外からリビングの窓を形だけノックしている。時間的な問題で気を遣っているのか、音は立てない。
こんな朝からトレーニング中だったのだろうか。朝焼けに照らされた髪はいつもよりも明るく見える。きらきらと反射した光は、汗の所為か単純な心理効果か。どちらにせよ咄嗟に反応できなかった俺に、その口元は、開けてくれる?と問いかけているような気がした。
―――大丈夫、大丈夫だ。
時間帯はともかくとして、週末にスザクが尋ねてくるのは良くあること。だから、いつもと同じように対応していれば大丈夫。諦めきれる、俺は、もう変な期待を抱いたりしない。
ぎゅっと閉じた胸に云い聞かせて、粉まみれの手を叩いてリビングへ。


「どうしたんだ。こんな早くに」


意識していることを見せないよう努力しながら窓を開けると、朝特有の冴えた空気が身体を突き刺して来る。既に陽は昇りかけ、朝露が鍵部分の金具を濡らしていた。
いくら過ごしやすい季節だとは云え、この時間ではまだ肌寒い。スザクを招き入れるように中へ促すと、ありがとうと静かな感謝が聞こえた。


「冷えるだろう。待ってろ、今何か温かいもの入れてやるから」
「良いよ、気にしなくて。こんな時間に突然押し掛けたのは僕だし……それに、ランニング中でね。動いてたから、実はそれほど冷えてないんだ」
「……ランニング?」
「そう」
「こんな朝っぱらから?」
「だから良いんだよ。空気が気持ちよくて」
「ふうん?」


スザクにしか判らないことだと思ったので、興味も無さげに(実際、無い)相槌を打つと、愉しそうにスザクが笑った。


「ルルーシュもどう?」
「謹んで遠慮しておく」
「云うと思った」


スザクの息は全く乱れていない。それ即ち、もうとっくに運動で火照った身体は落ちついているんじゃないのか。
だが何と云うかスザクなので、俺もそういうものなのかも知れないととりあえず頷いておいた。スザクなので、なんでだかは判らないが、きっと大丈夫なのだろう。何せ、スザクなので。いまフルマラソンの距離を走ってきた後なんだと云われても信じられる。
だがジャージは割と薄めの素材だったので、やはり気になってしまった俺は温かいレモネードを入れてやることにする。スザクもそれは素直に受け取って、ソファに腰を落ち着けていた。


「なんかね、二階の部屋とリビングのカーテンは開いてるし、起きてる様子だったから。こんな時間から何してるんだろうって思ったけど、インターフォンを押すのは迷惑だと思ってさ」


こんな時間の訪問自体は迷惑ではないらしい。
全くスザクらしいと思ったので、責める気も起きなかった。


「ああ……そうだな。ナナリーやロロはまだ寝てる」
「だよね。ルルーシュはどうしたの?こんな早くから起きてるなんて、どこか出掛けるとか?それとも……まさか、寝てない?」


最後をやけに強調されたので、お前の頭の中で俺はどうなっているんだと聞きたかった。実際聞きそうになったが、どうせ聞いたところで返ってくるのは説教のような気がしたから咄嗟に黙り込む。
そうして飲んだ息を整えてから、慎重に言葉を選んだ。


「莫迦。ちゃんと寝たよ。だけど、予想外に早く眼が覚めてな。二度寝するにも、妙にばっちり目覚めたもんだから、なんだか眠れなくて」
「へぇ?珍しいね」
「ああ。何やらムカついたので、せっかくの時間を利用して普段作らないような、手を掛けた朝食でも作ろうかと思ったわけだ」
「……なんて云うか、君らしいよね」


どの辺りが。
気にはなったが、どうせ嬉しい回答は得られない気がしたから、お前こそと返してやる。
お前こそ、俺の嘘に気付かないなんてお前らしい。心の声をひた隠しに微笑う。


「……お前こそ、休日の朝からトレーニングとはさすがだな」
「うん、まぁ……」


若干の趣向返しはあったものの、一応素直に褒めたつもりでもあったので、スザクの歯切れの悪い、濁したような返事は何か気に掛かった。


「?どうかしたか?」
「いや、別に何かあったわけじゃないんだけど、さ。なんか、ルルーシュと普通に話すの久しぶりだなぁって思ってさ」


一瞬息を呑み。だけどそれは一応予想されたことだっただろうと自分に云い聞かす。


「普通に、って?」
「えと、まぁ、こんな風にだよ。最近は何だか、君はジノばかりだし……や、付き合ってるんだから仕方ないかも知れないけど」
「ああ、まぁ……そうかも知れないな」


スザクと距離を置こうとしていることも。それをスザクが薄々気付いていたことも。それがジノと付き合い出した所為だと云うことも。そのどれもが、仕方の無いことだ。全てが俺の選択の結果。その果てにどんな未来が待ち受けているとしても。


「今日は、約束してたりしないの?」
「ああ、今日は別に……のんびり過ごそうかと思ってた」


変な意識が働いているのか、休日にジノとわざわざ顔を合わせたことはない。長くはない付き合いだが、それは確かに不自然なのかも知れなくて。だけどそれをスザクに云う必要は無いはずだった。
だから今日の予定は、クッキーを作ったり、愛すべき弟妹とお茶をしたり。確かに最近、平日はスザクの云う通りジノと居るばかりだったから、真面目に掃除もしていない。今日はどうやら良い天気のようだから、シーツなどまとめて洗濯もしてしまおうか。
とりとめも無い計画を頭に描きながら、そこにスザクの姿が無いことに不意に気付いて我ながら意外に思い、しかし。


「なら、折角だから一緒に買い物に出掛けない?ほら、ルルーシュ、季節柄薄手の上着が欲しいって云ってたじゃないか。僕もスニーカー見たいし」


これから訪れる夏に向けて、照り付くような陽射しとクーラーの風に弱い俺は、夏でも着られるような上着が欲しいと、確かに云った。ああ云ったさ。
だけど、そんな。そんなの。
俺さえも忘れていた、日常に埋没する一片の風景でしかないそんな小さなことはしっかり覚えているくせに、どうして今ここで俺の怯むような様子に気付かないのかと。
―――見て、いないから。簡単なことだ。
だからお前はムカつくんだ。無意識のうちに俺の葛藤や努力、それらを総て意味のないものにするから。そんな俺の調子には気付かないくせに、一番の友人面をするから。
俺にパン作りの標的にされても仕方ない。
だけどそれ以上にムカつくのは、嫌だと思いながら何処かでその提案に魅力を感じている俺自身だ。


「ああ……たまには、外出も良いかも知れないな……」


結局のところさしたる抵抗も無く、その返事はするりと俺の中から抜け出て行く。


「本当?良かった。隣の駅のショッピングモールで良いかな。それとも、どうせだからちょっと遠出する?」
「どっちでも。とりあえず朝食を食べてからにしよう。もうすぐ発酵が終わるから、お前も食べて行け」
「パンも手作り?すごいね」


想像上のお前の正面顔にぶつけまくったパンを食べさせるのは、せめてもの抵抗だ。
じゃあちょっとシャワー浴びて着替えて来るよ!と張り切って出て行った背中に投げる悪態は、もう俺の中には残っていなかった。




























結局のところ、疲れたんだ。それに尽きる。

賭けをしましょう、ルルーシュ

あのときから俺の中で繰り返される一方的な駆け引き。勝敗なんて、最初から判りきっていて。負けを覚悟で、臨んだはずだった。
総ては、大切な人たちの倖せのために。
なのに出されることのなかった答えに、捨て鉢だったはずの希望が芽吹いてしまった。
このままでは答えなんてもうきっとずっと出ない。ただ期待を膨らませては、やはり裏切られて、それを一定期間でループするだけの日々。
そんな、神経を摩耗するばかりの日々に唐突に投げ渡された光明は。とてもとても眩しく、また頼りがいのあるものだったから。
あまりに疲れ果てた俺が二度目のチャンスに賭けたものは、自分勝手にも俺自身の倖せ、だったのだ。
そのときの瞳は、それを赦してくれていたから。だから、任せてみようと、そう思った。