二重奏
-duet-


見慣れた扉の前まで来ると、賑やかな声が細い隙間から漏れていた。
一瞬だけ考えてから、ノブを引く。
華やかさは今は煩わしい気もしたが、ここまで来ておいてまさか逃げるわけにもいかない。
緊急の呼び出しということもあり、大人しく足を踏み入れた部屋に居たのは三人だけだった。


「あ、ルル! よかった、やっと来たー!」
「そんなに待たせたか、シャーリー」
「そうだよもう。ルルってば、なかなか電話出ないんだもん。今日は私も部活ないし、せっかくだから皆でどこか寄って行こうかって話してたのに」
「悪いな。マナーモードにしてたんだが、全然気付かなかった」


しかも今の今まで携帯なんて見ていなかった。
会話の内容から反射的に携帯を開くと、今日の日付で埋められた不在着信の画面が待ち構えていた。マナーモードと云ってもバイブですらなく、サイレントにしていたので自分から取り出さない限り気付くはずもないが、それにしても良く気付かなかったなと思うほどの量。
これでは責められるのも仕方ないのかも知れない。
だが思ったよりも静かだなと思った矢先、すぐにその原因に気付く。
そう云えば、率先して責めてきそうな人物が見当たらなかった。


「会長は?」
「何かね、今日は家の用事があるんだって。申し訳なさそうに帰っちゃった」
「へぇ?珍しいな。道理で俺に連絡が来るわけか」
「そう。会長が居ないなら、ルルじゃないとダメな書類があるから。放送かけてもらおうかと思ったんだけど、それならリヴァルが探しに行くって張り切って出て行っちゃって。ちゃんと来るのかなぁって心配だったんだから!」
「それは……信用ないな、俺たち」
「そりゃね。ルルも自覚済みでしょ」
「それに、どれだけ前科があると思ってんのよ」


カレンまでもが参戦して責め立ててくる。なるほど、生徒会室に至る直前の曲がり角、資料を取ってくるとかいう名目で傍を離れたリヴァルの思惑を今更思い知る。


「敵わないな」


困ったように首を傾げれば、同じような微笑みと呆れたようなため息で返された。部屋の隅でキーを叩いていたニーナまで手を止めて控えめに笑っている。


「ま、今回は急だから、遅くなったのは大目に見てあげるけどね」
「遅いも何も、俺はリヴァルに連れられて真っ直ぐ来たんだ。俺をなかなか見つけられなかったリヴァルが悪い」


実際のところ俺と屋上は割と見つけやすい組み合わせだと思うが、シャーリーの様子を見るに、リヴァルの奴は何処かで時間を稼いだらしい。フォローする気はないが、変に突っ込まれる要素も作らないでおくのが懸命だろう。


「リヴァルが見つけられないって……ルル、一体何処にいたの?」
「それについては、黙秘権を行使する」


だってまさか、人目を忍んで鍵のかかる屋上で男といちゃついてましたとは云えない。生徒会副会長の身で、一般生徒進入禁止のはずの屋上に堂々と侵入しているという事実を差し引いても。


「何ソレ。怪しいなぁ」
「気にすることないわ、シャーリー。どうせ、その場所が見つかったら色んな意味で困るだけでしょう」


さすがカレン、なかなか鋭い。見る目があると褒めたいところだが、シャーリーの「カレンはクールなんだから」という呟きを耳にして思いとどまった。
カレンの台詞はその総てが俺には嫌味にしか聞こえないので、冷めていると云うよりもむしろ暑苦しいほどねちねちしてると感じるのだが。


「でもとりあえず、まだ校内に居てくれて良かったぁ」
「そうみたいだな。急ぎなんだろう?」
「そうなの、コレね」


作業デスクの上でいくつかの小さな山を作っていた書類から、一つの束を渡される。それほど多くはなかったので不思議に思い、クリップで止められたそれをパラパラと捲る。


「これって、この前提出した……」
「数字が間違ってて、差し戻しになっちゃったの。だから急ぎ」
「ああ……後は俺か会長の承認だけか」
「そうなの。お願いできる?修正はしておいたから」
「判った。後は俺がやっておくから、皆はまだ明るいうちに帰った方が良い。寄り道して行くんだろう?」
「それは嬉しいけど……任せちゃって良いの?」
「もちろん。ここまでやってくれただけでも助かったよ。送って行けなくてすまないが」
「そんなの! 平気だよ。ね、ふたりとも」
「ええ。まだ時間も早いし、三人居るから大丈夫よ」


確かにカレンが居るなら大丈夫だろう。何せスザクも通う道場でスザク並に名を馳せている女だ。


「じゃあゴメンね、ルル。次の集まりは来週の定例で良いみたいだから」
「判った。ニーナは何か作業が残ってるのか?」
「ううん、大丈夫。丁度日報打ち終わったところ。来週が期限の書類も、ついでだからちょっと進めておいたから」
「ありがとう。助かるよ」


言葉通りちょうど終わるところだったようで、ニーナが立ち上がったことを切欠に皆荷物の整理をし始める。どうやら早く出掛けたくてそわそわしていたようだ。いくら緊急とは云え、悪かったなと思う。
何となく一人になってから作業を開始しようとうだうだ準備をしていると、後はもう荷物を持って出るだけになったシャーリーがそう云えば……と振り返った。


「そうそう、冷蔵庫に差し入れでもらったマカロンが入ってるの。ルル、良かったら作業の合間に食べて」
「ああ。皆は?」
「私たちはとっくにいただいたわ」
「リヴァルも一緒にね。だから残りは全部どうぞ。どうせ帰りはスザク君と一緒でしょ? 二人で分けてね」


一瞬心が凍り付いたように固くなったが、平静を装ってお礼を述べる。


「ああ、食べてる暇がなかったら持って帰るようにするよ。ナナリーも歓ぶし」


嘘にはならないよう慎重に言葉を選んだお陰か、皆は俺の真意に気付かないようだった。


「あ、そうだね。よろしく」
「じゃ、後お願いね」
「これ、ミレイちゃんから預かってる鍵。渡しておくね」
「ありがとう。提出して戸締まりしておくよ。気をつけてな」
「うん。また今度ね」


慌ただしくスカートを翻し、三人が出て行った生徒会室にドアの閉まる音が響く。
道路を挟み男女に別れた校舎の、男子部側に建てられたクラブハウス。併学という特性上、男子部と女子部で合同になっている生徒会室に通う女子生徒会役員は、こちらの生徒の憧れの的らしい。
確かに生徒会役員ともなれば人望も厚く、大抵が成績優秀者だ。その上、今期のメンバーは特に見目麗しいらしい。彼女たちが来るときは、毎回男子部内でちょっとした騒ぎになるほどだ。
そんな彼女たちに囲まれた環境に居て、男とばかり付き合う俺はなるほど確かに何処か欠陥品なのかも知れなかった。だが別に男に興味があるわけじゃないし、女嫌いなわけでもない。
ただただ、俺の興味がたった一人にしか向かっていない、そのせいと云うだけだ。


(望みなんか、最初から無かったのに)


幼馴染の親友という点だけなら、執着されている自覚はあった。要はその事実に俺が酔い過ぎただけなのだろう。
パタパタという足音も遠ざかった後の生徒会室に、静寂ばかりが走る。
慣れた空間ではあるが、何か重いものがどんよりと淀んで溜まっているような気がして、早くこの空間を抜け出そうと書類に手を掛けた。
承認だけなのでそれほどの仕事量ではない。
残り三分の一というところまで云った辺りで、扉の向こう側からノブを引く音がした。
ノックがないということは、心当たりはただひとり。


「お、皆もう帰った?」
「……リヴァル。逃げたな、お前」
「いやいや。何のコト?」
「しらばっくれるつもりならそれも構わないが」
「しらばっくれるも何も、俺は資料庫行ってただけだぜ?」
「別に今日のところは必要の無い資料、な」


すかさず突っ込んでやると、あっさりバレた? と笑っている。


「散々シャーリーに詰られた。お前、俺を捜しに来る前どこかで油を売っていただろう」
「ラブラブなとこ邪魔しちゃ悪いかなぁ、と。気を遣ったつもりなんだぜ?」
「はぁ? お前が俺に?」
「いーや。シャーリーに」
「シャーリー?」


何故ャーリー?
だが判らずに首を傾げる俺に、リヴァルは呆れたような笑みを寄越してきた。


「だって俺が行かなきゃ、自分が行ってやるくらいの勢いだったぜ。万が一屋上に踏み込まれてみろよ。血を見る結果になるからな」
「大袈裟な」


せいぜい悲鳴をあげられるくらいだろうと思ったのだが、リヴァルは何処か疲れた様子で「ホントだって」と力説している。


「デリカシーがないなぁ、ルルーシュは」
「堂々と踏み込んできたお前に云われたくはないが」
「俺は良いとして。シャーリーは可哀想だって」
「まぁ、見ていて気分の良いものではないか」
「そういう問題でもないけどさぁ」


溜め息を吐かれたが、真意が良く判らない。いくら何でも校内で、女子高生の目に危険なほどの行為をしているわけでもなし。
まぁ、だとしても、シャーリーよりはリヴァルに見られる方がよほど良いには決まっているが。


「それでも、それで俺が責められるのは、何か納得が行かない」
「そうだとしても、これは俺なりの優しさなのー」


良く判らないが、これほどしつこく云ってくるのでそういうことらしい。


「だが今逃げた理由にはならないだろう、ソレは」
「あ、やっぱり? 逃げたのは正直認めるよ」


案外あっさり頷いたリヴァルは、つかつかと机まで近寄ってきて書類に手を掛けた。ほとんど終わってるじゃん、と口笛を吹く様がわりと本気で頭に来る。


「何故そう飄々としていられるんだ、お前は」
「いや、捕まってたんだから仕方ないだろ」
「捕まってた? 誰に?」


教師とかそういう訳じゃなければ制裁を加えるぞという意味を込めたつもりの視線は、しかし、若干複雑そうな表情の前に意味を成さなかった。


「伝言」
「は?」
「ジノから。一緒に帰りましょーって」
「ああ……なんだ」


そう云えば呼ばれるがままリヴァルに付いてきてしまったから、ジノには軽い謝罪しかしていなかった。
俺が携帯をサイレントにしていることを知っているジノが、直接帰りの約束をすべく追いかけてきたところでリヴァルと遭遇、とか、そういうシナリオだろう。


「どうせ無理だと思うぜって云っておいたけど。アイツ待ってるとか云うから」
「は? 何故お前が勝手に答えるんだ」
「何故ってお前。まさか一緒に帰る気?」


正に驚愕の表情で、呆気にとられたようにリヴァルは俺を見つめて来る。理由は判らないでも無いが、驚き過ぎだ。


「そのつもりだが」
「え、だって。お前、スザクは?」
「さぁ。部活の人間とでも帰るんじゃないのか?」
「え、えー――……」
「……なんだ、その驚きようは一体」
「だってお前。俺が何度同じような伝言頼まれて、そのたびに無理って断ったと思ってんだよ」


そんなに云うほどだったろうか。確かに、俺はその依頼を今までずっと無下にしてきたけれど。


「俺は今までの相手にはちゃんと、最初に云っていたぞ。一緒に帰ることはできないとな」
「……ああ、だから皆、お前に直接じゃなくて俺に云うのか」
「俺の下僕だと思われてる良い例だな」
「茶化すなって。本気でそう思ってきてるところなんだからさ……」
「自他共に認めるというヤツじゃないか。下僕が主人の許可も取らず、勝手に返事をするなよ」
「でもお前、スザクも待ってるんじゃないのか?」
「それはないだろう」


そんなわけがない。スザクが俺を待ってるなんて、今までだってそんなことなかった。


「……なんで。お前、誰と付き合ってようと下校は絶対スザクと一緒だったじゃん」


それは俺が率先してスザクを部に押し掛けてまで迎えに行っていたからだ。絶対一緒だなんて、スザクがそんなつもりでいたわけじゃない。それに、


「そのスザクに、今回ばかりは祝福された」
「はぁ?」
「だから、大事にしろと」
「何だよソレ、だからジノとは一緒に帰るってか?」
「そうだ。だから、ジノは今までとは別枠なんだ」


だからジノが望むなら登下校も一緒にする。


「……お前、それさぁ」
「何だよ」
「そんなにスザクの判断が基準になるなら、もういっそスザクと付き合えば良んじゃね?」
「死ね」
「はッ!?」


割と本気で。殺意が湧いた。


「死んでしまえ」


人に向ける台詞ではないと判っているが。無理だ。そんなことを云われたら、俺はまともではいられない。
もっとも、そんな俺の殺意を一気に受け止めたリヴァルの方がよほどショックを受けているようだが。全くフォローする気も起きない。


「……は、そこまで云う?」
「俺より先にスザクの前で云ってみろ。既にもう命はないぞ」
「いや、それこそないと思うけど……」


何故そう思うのかと疑問には思ったが、突き詰める気はなかった。男同士の恋愛が有り得ないものと思ってるスザクにそんな話を持ち掛ける勇気など、俺には到底ない。


「そういうわけで、俺は帰る。お前、俺を不機嫌にしたお詫びにコレを職員室に届けて来い」
「いや、お前が勝手に不機嫌になっただけ……まぁそのくらいはいーけど」
「とっとと行ってしまえ。それでそのまま帰れ。片付けは俺がやっておくから」
「へーへー。あ、ジノは図書館に居るってよ」
「判った。伝言ご苦労」
「ちなみにスザクは教室」
「は?何故知ってる?」
「見掛けたからな。誰かを待ってる感じだったから、てっきりお前だと思ってたんだけど。約束してるわけじゃなかったのか」
「ああ、別に……アイツ、もう部活終わったのか」
「みたいだな」


それを知ったところで、俺はどうすることもできない。
リヴァルの云う通り俺を待ってるわけはないから、じゃあ妥当なところで誰かからの告白待ちか。
男子部の教室棟までは女子は入って来れないし、まさか男からの告白だろうか。
ただの時間稼ぎや忘れ物を取りに戻ったとか何かなら良いが、もし本当にそうだとしたらどうなのだろう。


(……莫迦か。もう俺に関係はないのに)


スザクがそこでどんな返事をするにしても。
何も口に出す勇気がなく、ただ距離を置くことしかできない俺には、誰も責められやしない。


「じゃーな、ルルーシュ。明日には機嫌直しておけよ」
「それは保証しない」
「嘘でもするって云っといてくれよソコは」


リヴァルが不服そうに、渡した書類をひらひらさせながら出て行く。全く今日のリヴァルはムカつく存在でしかなかったなと思いながらその背を見送る。図書館と教室、その二つの選択肢を残していった背中を。
もちろんそんなもの、迷う暇もなく答えは出ているけれども。
仕事も終わったので片付けようとして、出していたペンケースをしまうべく開けた鞄。その中に整然と並べられたテキストやノートにふと違和感を覚え、今日と明日の時間割を思い浮かべながら中身を確かめる。
明日も被る授業の分は教室に残してきた。だがそう云えば、違和感の正体、明日提出の数学の課題があったことを思い出す。
そのノートは……教室だ。
それだけで簡単に揺さぶられてしまう心。長年の恋心はこんなところでも駆け引きを生み出してしまう。
だけど、俺は。


(今日一日で、初めてリヴァルに感謝しても良い気持ちになったな)


何も知らなければ、迷いなく教室に寄っていただろう。
そこで何も見ないとしても、スザクとは顔を合わせることになってしまう。ダメだ。諦めようとした矢先、直接ふたりきりで会うわけにはいかない。会ったら、挙動不審になってしまう。そしてそんな俺の態度は、スザクを少なからず傷つけるはずだ。友人にそんなことをされたら、アイツなら傷つく。
だって、俺は。
スザクの幼馴染で親友、その地位だけは今でもそうだと思っているのだから。
だから、今俺の中で気持ちが落ち着くまでの間、スザクを避けていることは悟られてはならない。何より俺は多分今スザクの瞳をまともに見られない。
だから、ダメだ。
気持ちだけはずっと教室に向けたまま、それでも俺の足は図書館へと向かっていた。