二重奏
-duet-
見られたのは失敗だったか。
だがそう思ったところで既に今更過ぎた。
リヴァルは俺がそういう性癖であると知っていながらにして俺個人に興味があると抜かし、一切距離を置くことをしなかった。それに、何より屋上はそういう場所であると知っていながらにして俺を迎えにきたのだ。
そこでリヴァルが何を見、何を思ったとしても俺は何も悪くない。判断を誤ったリヴァルが悪い。この程度を気にするくらいなら、俺の側になんか居なければ良いんだ。
その辺りはさすがに判っているのか、リヴァルは屋上から俺を連れ出した後、ずっと口を噤んだまま何も喋らずにいた。あのお喋りなリヴァルが、だ。
それでも何かしら思うところがあるのか、ちらちらと気まずげにコチラを窺う気配を感じる。
リヴァルなら、訊いても良いことと良くないことを弁えているというくらいの信用がある。だから俺は黙ったままでいた。
どうしても気になるならリヴァルのことだから直球で訊いてくるだろうし、訊くべきではないと判断したのならそのうち諦めるだろう。
だが、思ったよりも早くその質問は成された。
俺には覚悟をする余地さえなく、リヴァルにしては唐突だなと思ったのは、声を認識した後、斜め下へ首の向きごと視線を投げてから漸くのことだった。
「なーあー、ルルーシュくんはさぁ」
間延びした口調からはふざけた気配は感じられず、おそらくリヴァルの迷いがそうさせたのだろうと察する。
全く、怖れるくらいなら最初から口に出さなければ良いものを。
そうは思うが、その辺りを判った上で果敢に向かってくる根性は、賞賛に値するものだとも思った。判らないくせに引っ掻き回すスザクよりは、よほど良い。
だから俺も大人しく「何だ?」と促してやる。できる限りの抑えたトーンで。
深く考えすぎたが故の気のせいだとは思うが、リヴァルからほっと息を吐いたような音が聴こえた。
「そんなにおモテになるくせに、なんで男としか付き合わねーの?」
……感心した俺が莫迦だった。
あからさまに眉を顰めた俺に気付いたのだろう、リヴァルは慌てた様子で、俺の隣から進行方向へと身体を滑らせた。それと同時、くるりと反転させた俺の身体を今度は背中側から止めにかかり、終いには腕を掴んでくる。
必死すぎるだろうソレは……
大げさな溜め息に肩が震えた様子が、掴まれた腕からダイレクトに伝わってきたが、残念ながらそんなものに罪悪感を感じる俺ではない。
「いやいやいや、ちょっと待てって! お前がこういう話題嫌いなのは知ってっけどさ。ちょっと今回は、さすがに、ちょっとさ」
ちょっと、何だ。
一体何のつもりだと促した半眼の視線に面白いほど怯まれたが、ここで振り返ってやっただけリヴァルは俺の中で優遇されている。もちろんそのことに気付かせてやるつもりはないが。
だが、リヴァルもそんな俺と今まで付き合いを続けていた実績があるだけあって、一瞬の後には何かを決意したような瞳を合わせてきた。
どうせ碌な決意じゃないであろうことくらいは、直前の本人の暴言から明白だったが。
「えーっと。その、さ。ちょっと俺、先日スザクからとあることを聞いてしまい、」
……。
リヴァルが何を云おうとスルーで押し通して、そのうち諦めさせるつもりだったのに、スザクの名を出されただけで根負けしてしまう自分がいっそ憎い。
「……ジノか?」
「え? ああ、今お前ジノと付き合ってるんだよな。それは知ってるよ、何しろ正に現場押さえたトコだし」
「ああ、それもそうだな」
あっさり頷いた俺に、リヴァルは一瞬変な視線を寄越した。
不満、にも見えるし、不可解そうにも見える。
要はどんなつもりなのか俺には良く判らないような、そんな曖昧な視線。
「まぁ、それにも思うところはいろいろとあるんだけど。……とりあえず違くて、っていうかソレより先にさ」
「何だよ」
返事をしてしまったからにはとっとと終わらせたい。だが一体何だ、このもやもやとした尋問は。
イライラした俺の口調に気付いただろうに、リヴァルは珍しく煮え切らない態度を見せた。
「ルルーシュはさ、別に男が好きなヒトってわけじゃないだろ? ……ああ、お願いだから怒んないでくれよな」
それは無理。
心の中できっぱり断って、しかし声には出さずとっとと先を云えと睨む。
リヴァルはそんなコトくらいとっくに判っているはずで、俺はそれを判ってくれた上で何も云わないから、リヴァルと悪友なんぞやっていたと云うのに。何故ココで敢えて声に出す必要があるのか。
しかしココで失望して見限るほどには、俺はリヴァルとは上辺だけの付き合いをしてきたつもりはない。
リヴァルが態度に反して、怯えの視線の中に真摯さを紛れさせていることに気付いてしまったからには、一方的には責められない。が、これ以上続けたら遠慮なく縁を切らせてもらおう。
そう決意した傍から、リヴァルはそれと知らず爆弾を落としてくれた。
「いや、お前って真性ってわけじゃないのに、男としか付き合わないなぁと思ってさ。女の子からもモテるんだし、付き合ってみれば良いのに」
「こんな男ばっかりの環境じゃ、皆おかしくなるってコトだろ。俺含めて」
「いや。一応ウチ併学だし、道路挟んだすぐ向かいに女子部があるじゃん。合同の行事もあるんだし、男子校の悪習みたいなのって、お前の周り以外じゃあんまり聞かないぜ」
「へぇ? 初耳だ」
俺に彼氏とやらが居る間はあまりないが、フリーになった途端どこから聞き付けてくるのか、校舎が同じ生徒からばかり告白が殺到するのは、この学校自体がそういう環境なんだろうと思っていたのだが。
じゃあ何か、俺が悪いのか。
無言の訴えに気付いたのか、リヴァルが若干呆れたように「そういうわけじゃないけど、」と首を振った。
「なんつーかさぁ。お前って、いろんな意味で特殊なんだろうな、きっと」
「……何が云いたい」
「だから、無意識に人を惹き付けるってコト。女子部ではお前のブロマイドがかなり出回ってるってハナシだし」
「ほう、明らかに肖像権の侵害だな。それで私腹を肥やしているであろう会長には、今度キツく灸を据えておこう。もちろん、斡旋が疑われるこっち側のスパイも一緒にな」
口元だけで嗤ってみせれば、あからさまに引き攣った笑いが隣から漏れてきた。どうせ、一緒は嬉しいけどとか余計なことを考えて答えに窮しているんだろう。
リヴァルも笑えるほどに年期の入った一途者だ。……俺と、同じ。だから気が合うだなんてことは考えたくないが。
「ま、まぁさ。だから女の子からもアプローチは結構あるんだろ?」
「多くはないが」
「あるってワケだ。でも女の子と付き合う気はない、と」
「ないわけじゃない。別に男に拘ってるわけでもない」
「え、そうなん?」
「ああ。どうせ、面倒なのはどっちも一緒だ」
「お前ね……」
女の敵! いや、男もか?
と大袈裟な身振りをつけてアホなことを抜かす悪友を置き去りに、スタスタと先を行く。
生徒会で急な呼び出しとか云って、俺を屋上から連れ出した割にリヴァルに急ぐ様子は全く見受けられない。足取りは確かに生徒会室へ向かっているから、嘘というわけではないようだが。非常にのんびりした様子で、待てってば、とか云いながらゆったりと俺の後に付いてくる。
その様子に何となく事態を察し、非常に気が進まないながらも歩を緩めてリヴァルに付き合ってやることにした。
「何だ。お前は俺に女と付き合って欲しいのか?」
「いや、それはそれで悔しいんだけど」
「何なんだ、一体」
「いや、だから何かポリシーでもあるのかな〜……と思ってさ」
ポリシー。その表現は何か違うとは思うが、ないわけではない。だからいつも莫迦な目を見る。
だが肯定して問いつめられるのは嫌だったから、適当に理由を探した。
「……別に、タイミングが合わないだけだ」
「タイミング、」
変に納得したように復唱したリヴァルに、そうだと頷いてやる。
「女子部には、俺の噂とやらは広まってないんだろう?」
「噂って、魔性のルルーシュ君のハナシ?」
「…………」
云うに事欠いてソレか。良い度胸だ。
だが俺が軽く横目で睨んだだけで、大人しくリヴァルは降参した。
「すみませんゴメンナサイ。まぁでも、云う通りだな。向こうではクールなルルーシュ王子様で通ってるみたいだぜ。会長あたりは知ってそうだけど」
会長が、のあたりはスルーする。あのひとが男子部の何を握っていたところで不思議でも何でもない。
「だからだろう。向こうは、俺が校内の誰かとつるんでばかりで女っ気がないからフリーだと思ってるんだろうが、生憎俺の付き合いはこの男子部内で完結している。と云うわけで、恋人が居る期間に告白されたところで、俺は何もしてやれない」
「あー……なるほど。つーかお前、恋人居ない期間ってほとんどナイじゃん」
「寧ろフリーになった途端押し掛けてくる男子部の情報網は、一体どうなってるんだ?」
「一応云っとくけど、さすがに俺はソコには関与してないぜ。お前が目立つからってコトだろ」
「そういうことにしておくか」
俺が逐一報告するのはスザクに対してだけで、スザクから漏れたとは考えにくい。アイツが簡単に人のことをぺらぺらと喋るとは思えないからだ。
同時に、確かにリヴァルもこういう内容は云い触らさないだろう。いつの間にか知っているのはともかくとして。
しかし別に俺は犯人探しがしたいわけではないので、これ以上追求する気はなかった。
それよりは、もうずっと、リヴァルがこの話題をわざわざ出してきたその理由の方がよほど気に掛かっている。
「―――で?」
「え?」
「それが、何でスザクの云っていたことと繋がるんだ?」
「ああ……だから、何でルルーシュは女の子と付き合わないんだろうって。今なんとなく解決しちゃったけどさ。そんな話をこの前スザクとしてて、そしたらアイツ、何か云ってたから」
「……何か?」
厭な予感がする。その先を聞いてはいけないような気がする。
だが俺が制止をかける前に、リヴァルはごく自然に口を開いていた。
「まだ忘れられないのかな、って」
「ッ……」
まさか。
忘れられないも、何も。
「なぁ、どゆコト? お前、彼女居たっけ?」
ズドンと何かが胸の奥を圧迫したような感覚。その所為で声が喉の奥でつっかえる。
息ができない。空気が入って来ない。頭の中が真っ白で、何も考えられない。考えたくない。くるしい。
何かが身体の中で蠢いて、思考ごと凍結した俺をその場に縫い止める。何
リヴァルがまだ何かをつづけているようだったが、その細かく動く口元は見えるのに何も聴こえてこない。
「……ア、」
ひゅう、と喉が鳴る。
何かを
何かを云いたいのに、声になってくれない。
―――でも、一体何を?
「お、おい、ルルーシュ」
リヴァルが慌てたように手を伸ばし、傾きかけた俺の背中を支える。その所為でリヴァルとの顔が近くなった。
今更そんな後悔するような顔をするのなら、最初から話題になんかしなきゃ良いのに。必死そうなリヴァルを見ながら、俺は何処か不思議な気持ちになる。
そうだ。全くリヴァルは、何をそんなに慌てているんだろう?
俺にその話題がタブーなことなんて、当たり前のことなのに。特にスザクはそれを判っているはずなのに、何を今更。
……今更、口にするなんてどういうつもりだ?
「どうしたんだよ、お前」
どうしたもこうしたもない。
俺はその話題だけは冷静を保てなくて、だから口にしないからスザクの他には誰も知らないはず、で。
つらつらとそんなことばかりが頭を駆け巡って、不意に気付く。
―――そうだ。
云わなきゃ、知らないのなんて当たり前だ。
言葉にしなきゃ、行動だけじゃ何も伝わらない。
俺はそれを良く知ってる。
知ってるから……俺は、この胸に秘めた想いを、伝えてはならない想いを、もう誰にも告げないと誓ったのだ。
だから、リヴァルが判らないとしてもなんの不思議もないじゃないか。
なぁ
「ユ、」
……ユフィ。
お前が折角示してくれた道なのに。俺にはできることはもう、何もないんだ。
記憶に咲く笑顔を思い出して、漸く一息吐く。
空気は正常に肺を出入りしているようだ。
さっきは循環器がおかしくなったような気さえしたけど。
「ルルーシュ? 大丈夫か?」
気付けば、辛そうな顔をしたリヴァルが下から覗き込んでいた。
どうして俺を追いつめた張本人のリヴァルの方が辛そうなんだ。俺の方がよっぽど泣きたいのに。
「……悪い」
「おい?」
リヴァルが支えて来た力を利用して腕を引き、その反動で倒れるように見せかけて、唇を翳める。すぐに離れたそれは、温度さえも伝えないような軽いもの。
―――別に俺は構わないのだが、これではリヴァルとジノが間接キスだな、とかそんな阿呆なことを思って、その事実の恐ろしさに鳥肌が立った。
やっぱり男同士でキスだなんて気持ちが悪い。
俺にだってそういう、一般的な感覚はある。俺のような、幼い頃どころか今でも散々女顔だと揶揄われるような貌ならともかく。
そう、だから、スザクの主張はとても正しい。
女顔で、やたら細くて、運動下手で、体力がなくて。男にばかり気に入られる俺を嗤う奴らが居ると、真っ向からその拳で打ちのめしていた。正面から告白するでもない卑怯で邪な奴も、スザクの鉄槌を受けてボコボコにされていた。
一方で俺への糾弾の手も緩めなかったわけだが、それはあくまでも俺の態度に由来するもので、性癖に対するものではなかった。
スザクはあくまでも公平で、奴の中に差別はない。
俺を揶揄かった奴らへの報復も、単なる正義感か、或いは男に対してそんなことを云う気持ちが全く判らなかったせいなのだろう。同性愛というものを理解できなくても、その心に対して否定はしない。
俺はそんなスザクの行為に、いつだって護ってもらっているような気がして、スザクを頼もしく思って、それで勝手に期待して。
「……ルルーシュ?」
惚けたような顔をしたリヴァルが面白くて、俺は薄く笑って弁明してみせる。
「口止め料、だ」
「……何の?」
「スザクへの」
俺がその質問に揺さぶられてしまったことを、絶対にアイツに教えないでくれ。
判ったのか判ってないのか、リヴァルは一転して神妙な表情を作ると、重々しく頷いてみせた。
そこには微かに心配そうな気配と、そして歓喜の色が垣間見える。
―――全くどうして。
欲しくない愛ばかり、俺の周囲に積もり積もってゆくのだろう。