夜の次は真昼間。朝は来ない




気付いたら、既に夜はどこかへ去っていた。まるでその代わりと云うように何本かの光が次々に虹彩を突き刺してくる。その急激すぎる変化に、アスランは何度か瞬きを繰り返した。
朝というわけではない。ただ充分に光の満ちた部屋の中だ。


「……漸く眠り姫はお目覚めか」
「―――イザーク?」
「腰抜けも良いところだぞ、貴様。いきなり倒れるなど、ザフトの赤服たるもの、体調管理くらい標準装備だろうが!」
「ちょ、っと。どいてくれないか」
「ああ?」
「まぶしい。し、五月蝿い」
「ッ〜〜良い度胸だ貴様ァ!!」


胸元に掴みかかった掌を呆然と見送ったまま、けれどアスランの意識は違うところを見ていた。
白い天井。蛍光灯。吊るされたカーテン。まっしろな部屋。


(ああ……)


「……戻って、きたのか」
「あ?」
「いや、なんでもない」


ここは夜じゃない。イザークが居る。俺はひとりしか居ない。
……そうだ。戻って来た。
戻って来たのだ。あのアスランに居場所を取られることなく、今のままの自分で、アスランは戻って来たのだ!
そうだここは、見慣れた(と云うのも問題があるが)救護室じゃないか。白で統一された病人や怪我人のための部屋。そうだここは―――夜じゃない。戻って来たのだ。


「――イザーク、だよな」
「……そうだが? なんだ貴様、どうしたんだ。まだ具合……」


熱でも測ろうと思ったのか、アスランの頭上でイザークが手を翳しかけたのを遮って、その腕を掴んだ。咄嗟のことだったので、掴んでから何もここまでしなくても良かったとは思ったのだが、既に思考は止まらなかった。
イザークは思いっきり眉を顰めている。そりゃ厭だろうと思った。だいきらいなアスランに、何でこんなことをされなきゃいけないんだという心境だろう。多分、きっと。それでもアスランは確かめなければならなかった。
そう、アスランが本当に戻って来たのなら、イザークはアスランを嫌いなはずだ。


「……なんだよ」
「俺が嫌いか?」


不可解なアスランの行動に口をへの字に曲げたイザークへ、アスランは間髪入れずに切り込んだ。


「―――は?」
「答えてくれ、イザーク……」
「なな、なななななななんだ貴様! ね、熱でもあるのか!」
「正気だよ。だからイザーク、お願いだ――」


掴んだ腕をそのまま引き寄せ、掌を頬に摺り寄せる。イザークの手は冷たかったけれど、それはアスランの頭に載せるタオルを冷やしていたからだと知っている。だから、温かかった。
その心地好さに閉じていた瞳をそっと開けると、イザークは何故か真っ赤になっていて、熱があるのはお前の方じゃないかとアスランは掴んでいた腕を放し、寝かされていたベッドから起き上がった。
そしてイザークの額に手を伸ばした瞬間、しかしイザークはずざっとものすごい勢いであとずさった。


「……イザーク?」


そんな、触れられるのが厭なくらい嫌われているのだろうか。
嫌われていることを確かめたかったのでそれはそれで良いような気もするのだが、こうまざまざと思い知らされるとさすがにすこしショックだ。
その態度の受け止め方に迷って、イザークの方を目を細めて見上げると、イザークはほんのすこしその視線に怖気づいたように更に一歩後ろに下がったあと、ぎっと睨みつけてきた。


「……き、」
「き?」
「嫌いに決まってんだろーが! バーカ!」
「は……?」


突然の大声にアスランが問い質す暇もなく、イザークは踵を返して走り去って行った。
ものすごい勢いだ。イザークが背を向けた瞬間、風が起きた気さえする。そしてダダダという足音が次第に遠ざかり、消えて行った。さすがは運動神経が良い。建物の中だと云うのに、足音の間隔はずっと変わらず短いままだった。と云うか寧ろ今のは新記録じゃないのか。


「……なんだったんだ?」


答え自体は予想通りだ。だか口調が、なんだかちょっと、イザークらしくなかった。いや、らしいと云えばらしいのだろうか。けれどとりあえず聞き慣れない感じだった。
そう今のは、なんと云うか……


「ガキ大将……」
「ぶっ!」


ごく僅かな独白になんだか変な声が返ってきたかと思ったら、イザークが居たのとは反対側のカーテンからオレンジが転がり込んできた。
いや、訂正。人の頭だ。
突然の襲撃に一瞬本気でひやっとしてしまったが、そんなアスランを余所にオレンジは何やら小刻みに震えている。


「も、もーダメ……」


ギリギリ、というようにそう声を絞り出したかと思ったら、突然大爆笑し始めた。
しかもなかなか止まらないし、アスランの寝るベッドをばしばしと叩いている。さっきのイザークも意味不明だし、アスランは混乱のあまり割り入るタイミングを逃しつづけてしまった。しかしその内に相手の笑いは収まったらしく、涙目のまま戸惑うばかりのアスランを見上げてくる。


「いやぁ、笑かしていただいた」
「ラスティ……」
「やっほうアスラン。身体はダイジョーブ?」
「あ、ああ……」


オレンジ―――もといラスティは、今までの大爆笑も何のその、涼しげな笑顔を見せて手を振ってきた。なるほど、イザークのように怒鳴られるより、こちらの方がよほど現実に居るという実感がある。おかげで、今自分がここで何をしているのか考える思考力が戻ってきた。


「何、まだ寝ボケてんの?」
「いや、俺、どうしたんだ……、っけ?」
「覚えてねーの? 実習中にいきなり倒れたんじゃん。もー大慌てだったよ、俺らも教官も。ナイフ放させろー! とか、とにかく火消せ火! とか」


ラスティは誰かの科白になると何かしらの物真似をしつつ臨場感を出してみせた。しかし、如何せん誰の物真似なのかが判らない。
要はノリだろう。アスランも流すことにした。


「え……そんな、大規模な演習なんかやってたっけ?」
「んーにゃ。調理実習」
「調理……?」
「てかアレ、キャンプ用の非常食確保訓練?」
「あ、ああー……思い出した……」
「アスランしゃがんで何か取ろうとしてたらさー、そのままふらーって、頭から。しかもその時ナイフ持ってたろ。左手、見てみなさいね。自覚なさそーだから」
「……あ、」


云われた通り左手を掲げてみると、そこにはしっかり大袈裟じゃないかというほどの包帯が巻かれていた。左の掌はすっかり覆い隠されているし、切った記憶もないのでどのくらいの怪我なのかはいまいち判らない。けれど一度気付いたらなんだか切ったような傷が痛んでいる、ような気もしてきた。


「まぁ、左手だから良いか……」
「そんなあっさり!?」
「いや、自業自得だし……。それにしても俺、そんなんで倒れたのか……。ごめんな、迷惑掛けたみたいで」


座ったままぺこりと腰を折ると、ラスティもつられてお辞儀を返してきた。


「え? いえいえ、そんなご丁寧に……ってちがくて!」
「なんだ?」
「そんなことは良いんだよ。それより本当に大丈夫か? 今は具合、どう?」
「いや、平気だよ。倒れたのはきっと頭下げたから、それでだろ」


包帯の巻かれた左手で頭に触れてみる。そんなアスランの行動に、ラスティは厭そうに表情を歪めた。


「や、それだけのことで倒れるのがなかなか問題なわけで」
「貧血気味だったんだ。最近うまく深く眠れなくて寝不足だったっていうのもあるし」
「……そうなの?」
「そう。情けないな、俺。そんなことできっと食事を台無しに……」
「だからそれは良いっての! 大体そこで食事を気にする必要ナッシング!」
「そ、そうか……?」
「心配は大いにかけらせられたけどな、全く迷惑じゃないよ。ニコルも相当心配してたんだぜ? まぁ、教官は微妙にお冠だったけど。もーちょい休んだら、あとで一緒に謝りに行こうな」
「そんな、ひとりで行くよ」
「ダーメ。同室の俺も体調管理に関しては連帯責任なの。実際ゲームで夜遅くまで付き合わせたしなぁ」
「それこそ自己責任だろう?」
「頑固だなぁ、アスラン。じゃあ本音云うとね、またどっかで倒れられても困るからね」
「う……」
「そんなわけで。ほら、横になって。俺もサボリついで……いやいや、今更戻るのめんどくさ……じゃなくて、眠いし、此処に居てやるからさー」
「本音隠す気あるのか?」
「まぁまぁ」


呆れつつも、ラスティがほんとうに心からそんな理由ばかりつけているわけじゃないと判っている。だからアスランも、特に何も云わなかった。
云わなかったが、とりあえずアスランの横に潜り込もうとしてくる身体は蹴り飛ばしておく。


「……なぁ、ラスティ」


気を取り直してアスランが横になったベッドの脇に腰を下ろし、アスランの肩を布団越しにそっと撫でているラスティに、しかし眠りにつく前に確かめたいことがあった。


「んー?」
「お前、いつから居たんだ?」
「およ」
「およ、じゃなくて。大体、なんでそんな変なところに居たんだ」


ラスティが転げ落ちてきた側は、何と云うか、壁だ。正しく云うと隣のベッドがあるのだが、そのカーテンの向こうには隣のベッド用の棚があるはずだった。救護室の入り口はもちろん逆の、イザークが居た方。つまりラスティが居たはずの場所は普通は人が立つところではないはずだ。ラスティの行動は良く考えずともイザークより謎だった。


「そりゃ、見てたよ? アスランとイザークのラブっぷりを、しかとこの眼で」
「その眼、腐ってるんじゃないか?」
「そんなバカなー。曇りなき純粋な瞳ですよ。てかさ、アスランすげー積極的だったじゃん! 問い詰めに手を取って駄目押し! アレはイザークじゃなくても誰でも落ちるよー」


始めっから落ちてるけどねーとか云う良く判らない独語はとりあえず聞き流しておく。


「何の話……って、お前、ホントに最初から居たのか……?」
「うん。始めは俺がアスランについてたんだ。けど眠いしなー添い寝してやろーかなーとか思った瞬間、イザーク入ってきてさ。俺既に潜り込む体勢だったし、怒られそうじゃん?」
「起きてたら俺も怒ってる」
「だから咄嗟に隠れたんだよ。ベッドの下にね!」


アスランの半眼のツッコミを華麗にスルーして、ラスティはイイ笑顔で親指を立てた。
そこで誇らしげにする意味が判らない。


「……それで?」


しかし突っ込みを入れても無駄だと今までの経験から悟りきっているアスランは、そのまま先を促した。ラスティはちょっとだけ物足りなさそうな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻りハイテンションでサムズアップのまま口を開く。


「イザークも『なんだ、ラスティ居ないのか』って呟いただけで、後は静かにアスランの看病してやってるし、つまんな……心配することもないかぁと思ったから出ていこうとしたらさ、丁度アスラン目覚ましたみたいで、タイミング失ってそのまま」
「ふうん……? なんか、悪かった、のかな?」


良く判らない。本音が見え隠れしているような本音ばかりのようなラスティの説明では、ラスティの意図もイザークの意図も推し量ることはアスランには難しかった。


「いや、それは面白かったから別に?」
「そうか? なら良いんだけど……いや、良いのか?」
「良いんだよ。この世知辛い世の中、須らく面白くあれば良い」
「ラスティの信念か?」
「うん、今決めた」
「……へえ」


つまり、何事も本気に相手をするだけ無駄だということだろう。ラスティが本音を語ることはすくない。追及したところで、どうせ上手く煙に巻かれて終わりだ。そう早々と判断すると、横たえた身体が休息を脳に訴えていることに気付いた。どうせもう講義には戻れないし、このまま、その欲求に身を任せることしようか。
そう思って身体の力を抜いた瞬間。
その隙をつき、すかさずラスティが切り込んできた。


「けどホントにさ、どうしたんだ?」
「……なにが?」


身体よりも思考の方が早々と休息モードに突入していた所為で、返事が僅かに遅れた。普段なら気にせずそのまま沈んでいく思考に鞭を打ったのは、思いがけずラスティの声音が真剣だったからだ。


「さっきのアスランだよ。イザークと話してるとき、なんか夢見心地ってか上の空ってか……寝惚けてるわけじゃなさそうだったけど、ちょっと変だったって云うか」
「ああ、別に……起きてはいたよ。ちゃんと覚えてるし」
「じゃああの態度と科白の意味も?」
「そう……って、俺そんなに変だったか?」
「うん。いつものアスランじゃなかった」
「いつもの俺、って……」


首を傾げたアスランの意図を正しく理解したらしいラスティは、うん、とひとつ頷いてなにかを思い出すような表情をした。


「いつものアスランは、イザークの相手まともにする気ないっしょ」
「いや、そんなことは……。って、そんな風に見えてる、のか?」
「え、あれで相手してやってるつもりなの?」
「いや、別にどっちでもないけど」


そもそも相手をしてやるとかしないとか、その云い方からして何かおかしい気がする。そうアスランは思ったのだが、ラスティはぱっと顔を耀かせた。


「あ、そうそう、その感じ。イザークに興味なさげ〜な感じ」
「そういうわけじゃないけど……ただイザークは俺のこと嫌いみたいだから、俺の相手させるの悪いなって」
「は?」
「だからせめて気を悪くしないようにしてたつもりなんだけど。そうか、そんな風に見えてたのか……」


今までのイザークに取っていた態度を思い出して遠い眼をしたアスランだったが、何故かラスティの方が遥か遠くを見るような眼をしていた。はて、とアスランは首を傾げたが、ラスティの眼差しは曇るばかりだ。


「うーわー……いやいや、うん。あー、かわいそうに……」
「え、俺の態度ってそんなダメか?」
「いやぁ、なんていうかね。そんなことあるけどそうでもないって云うか」
「ぜんぜん意味が判らないんだが」


ラスティは何やら複雑な表情をしていたが、最終的には苦笑に落ち着いたようで、ひとつ息を吐き出すと片腕を首の後ろに当てて(それはラスティが何か困ったことに出逢ったときのポーズだった)、静かに呆れを混じらせた声音で話し出した。


「……まぁ、そんなにイザークに気を使う必要もないってコト。イザークこそホントに気に入らない奴は完全無視のタイプだと思うし。今も俺が見る限り、ちゃんと看病してたぜ? あのイザークが、嫌いな相手にそんなことしないって。倒れたお前をここに連れてきたのもアイツだしさ」
「え? そうなのか?」
「ああ、そうそう。アイツがそこまでするんだから嫌ってはいないよ。ライバルって意味で気に入らないってのはあるかもしれないけど。って俺なにこんなにアイツのフォロー入れてんの?」


イザークについて語るままのノリで、そんなことを自分で突っ込んで厭そうな表情をするものだからアスランは思わず吹き出してしまった。
けれどそのおかげで変に考えすぎることもなく、純粋にラスティのその見解を受け入れようかなという気になってくる。


「そっか……。じゃあ、あんなこと訊いて変な奴だと思われたかな」
「ああ、そうそう。あれって結局どうしたんだよ」
「いや……ちょっと、夢見が悪くて。今俺起きてるんだよなって確かめようと思ったんだ。……ああ、今思うと確かに、ちょっと寝惚けてたのかも知れないな……」
「なんだぁ。イザークにすっげー好かれる夢でも見たー?」


夢とは限らないけどねーという良く判らない呟きは深く考えないことにして、けれどラスティの科白のどこかに変な引っ掛かりを覚えた。どこかは判らない。ちくんと音を立てた胸が、哀しみを訴えたのか郷愁を覚えたのか、はたまたなんらかの期待を感じ取ったのか、それさえも判らない。どの痛みも味わったはずだし、その僅かな違いも知っているはずなのに読み取れないのは、眼を逸らしたいのかどの答えも外れているのか。
もどかしさに答えを急く心が、しかし、同時に無理に結論を出すべきではないとも伝えている。


「……どうした?」


急に黙り込んだアスランを訝しんだのだろう、ラスティが首を傾げてアスランを覗き込んできた。
その声に沈みこんでいた考えが頭を擡げる。そうだ、いまは結論を出すよりも現状を理解することの方が先決だ。だから今の傷みを、いつかひとりきりゆっくり考える時間に出逢ったときのために、覚えておくことにしよう。


「いや……だとしたら夢から覚めたはずなのにイザークから嫌われてないって、やっぱりなんかまだ夢の中に居るみたいだなぁって」
「ふうん……アスラン、さぁ」
「なんだ?」
「イザークに嫌われてないの、そんなに嬉しい?」
「……え?」


一瞬、何を云われたのか判らなかった。
ラスティは厭に真剣な貌でアスランを見つめている。が、アスランがそうと認識した次の瞬間にはにぱ、と表情を崩した。


「いや、やけに拘るしさ」
「いや、そりゃあ……イザークの俺への感情は揺るぎないものだと思ってたし……」
「なんで?」
「まともに取り合わなければ、印象も変わらないのが当然だろう?」
「んんん? まともに取り合おうとしないのは自分からだろ?」
「進んで嫌われたくもないから、危ない橋は渡らないだけだ」
「やっぱり嫌われたくないんじゃん」
「だってイザーク、俺のこともっと嫌いになったらもっと煩くなるんじゃないかな、とか」
「………」
「思ったり、とか」


なんだか固まってしまったラスティに、慌てて「だって俺静かに生きていきたいし」と弁明した。しかしその度に、ラスティは徐々に苦虫を噛み潰したような表情になってくる。


「……なんだかな……悔しいのか可哀想なのか、俺、自分で自分が判んないよ」
「俺もラスティが何云ってるのか……?」
「や、深く考えなくて良いけど。良いんだけど」
「なんだよ」
「アスラン、もーちょっと周り良く見て……いや、見ない方が却って良いのかなぁ?」
「だから、なんなんだよ」
「うーん? まぁ、とりあえずアスランなんともなさそうで良かったな〜」
「? だからただの寝不足だって」
「ああ、それはもちろんなんだけどね。他の色々と、内部的なこととかね」


良く判らないことをべらべらと捲し立てている割に、アスランをからかうような色は全く見当たらなくて。寧ろその表情は優しげだったから、アスランはラスティの真意をまた汲み損ねた。
けれどもうすっかりラスティは僅か滲ませた感情を奥へ奥へと閉じ込めてしまっていたから、どうせならと思いここはひたすらに鈍いふりをしておくことにした。ラスティもまたそれを望んでいるような気がした。
代わりに、話をすこしだけ戻すことにする。今自分がここにいる状況は判ったものの、詫びもお礼もちゃんと伝わっているのか微妙なところだ。


「……めいわく、」
「じゃなくて?」


瞬時にアスランの云いたいことを読み取ったらしいラスティは、しかしものすごくにこにこしながらこちらを見ていた。
云いたいことは判る。と云うか云わせたいことは判る。いくらなんでもそれほど鈍くはない。けれど、照れくさかったり申し訳なかったりで、普段なら受け流す状況だ。しかし、今日はラスティも赦してくれそうになかった。


「ご心配、お掛けしました?」
「ん。で?」
「すまなかった。次は気をつける」
「一言決定的に足りないけど……まー良いか、及第点。そんなわけで寝なさい寝なさい」
「お前のせいで寝れないんだが……」
「まぁまぁ。戻って来たのは良いものの入るタイミング失って困ってる奴にチャンスをあげようと思ってさ?」
「なんのことだ?」
「さぁねー。アスラン自分で気付くまでかなり時間かかるかもねー」
「は?」


自分ばかり気付いていないことがあるというのは不利だ。そう云えばつい最近、同じような感情を味わった気がする。その記憶との相乗効果で更に眉を顰めたアスランを、ラスティは笑顔で躱していた。内緒話をするかのように立てた人差し指を唇の前に翳す。


「でも今日かなりヒントあげちゃった気がするから、せめて一緒に寝ようね」
「せめての意味が判らないんだが、とりあえずベッドからは出ろ」
「ええ? 良いじゃん、ごほーび。俺最近ちょー演習がんばってるし」
「別に戻れとは云ってないだろ。隣のベッドが空いてる」
「それじゃ意味ないし!」
「身体を休めるという意味では最善策だ!」
「ええ! 良いじゃん、アスラン絶対普段も一緒に寝てくれないしー」
「当たり前だ!」


狭いベッドの上で何をやっているのかという気がしなくもないが、アスランは必死だった。しかしそれ以上に、ラスティも必死だった。
こんなにひとつの事態に固執するラスティなんて初めて見たんじゃないだろうかというほどの勢いだ。凄まじすぎて、結局必死の抵抗空しく力尽きたアスランがぱたりとベッドに崩れ落ち、「もう好きにしろ……」の一言でラスティに勝利の女神は微笑んだのだった。アスランとラスティの対決も、さっきから救護室に入りたいのに入れない、しかも微妙にショックを受けている人物とラスティの対決も。
しかしラスティとてアスランを休ませるのが第一目的ではあったのでアスランの邪魔はしないよう努め、同時に様子を窺う気配にこの状況を見せつけるように努めていた。そんな無言の攻防など露知らず、アスランは既に穏やかな寝息を立てている。
夢見が悪いと云っていたが、今度はちゃんと寝入ることができているのだろうか。
夢なんて見なければ良い、とラスティは思う。夢なんて見ないほど深く、ふかく眠りに堕ちれば良い。そうすれば身体も休まるし、変に悩まされることもないし、イザークとアスランの関係が変わることもないだろうに。


深い眠りの淵、星の明かりだけを道標に夜を歩く。行き着いた夜の終わりにあるのは、きっと鏡だ。そこには同じような夜が、しかし左右反転に映し出されている。静かな気配につられるように瞳を閉じれば、そんなアスランの姿が見えるような気がした。