ロマンチストと夜を語らう |
世界は夜だった。 それは己の髪の色を象徴してのことなのだろうか。だとしたら、己は随分とロマンチックな人間だったらしい。或いは心の明るさをそのまま映写したのだとしたら。……また随分と、鬱蒼とした人間ができあがったものだ。我ながらため息が出る。 なんにしろ、アスランを取り巻くのは完璧な夜だった。天も地も無く、深く蒼い絵の具を水で溶いて、そこにキラキラしたものをいっぱいに敷き詰めたような。 宇宙空間というわけでもない。そこはただの夜だった。それ以外のなにものでもなく。 ぐるりと視線を一周させようとして、止める。前後不覚な景色の中、立っているというより浮いている今の状態では、それこそ天も地も判らず落ちてしまいそうだと思ったからだ。文字通り、底なしの闇へと。 どうせ目の前の男以外、景色は何も変わらない。 アスランは観念して、目の前で相変わらずにこにこと笑っている男を見遣った。 見慣れているようでいて、そうでも無い。変な感じがする。素直に云ってしまえば、あまり良い気分ではない。 当然だ。 毎日身だしなみのために鏡を見ることくらいはあっても、基本外見を気にする性格ではないので、そうまじまじと見ることはなかった。 それに、そもそもこんな風に、自分自身の顔を客観的に見ることなんてそうそう無い経験だろう。 (綺麗、なのかな……。良く、判らないな) 良く云われる誉め言葉を記憶から引っ張り出してみるが、実感は湧かなかった。この場合、アスランの美意識がおかしいのか、それとも単なるお世辞だったのか。 (それくらいしか誉めるところが無いと云うのなら、あながち間違ってはいない) それでも、普段こんな風に笑顔を浮べている自信は無かったので、やはり違うだろうと思った。 首を傾げながらそんな感想を抱いていたアスランに、しかし、目の前の人物は抑揚のない微笑みをつづけるばかりだ。その微笑の意味するところは判らないが、愉しいわけではないように見える。 胡散臭い。そうだ、それが一番近い。けれど態とそういう表情をつくっているのだと云われれば、納得できるような気もした。自分の顔なのに、良く判らない。それはとても不思議なようでいて、全く真理であるとも思う。 彼が一瞬口を開き、何かを喋ろうとして逡巡する様を、アスランはただぼんやりととりとめもないことを考えながら見つめていた。 「――そのうち来るだろうと思ってね。……想像よりは、遅かったけれど」 「それは……誉めてるのか、貶してるのか?」 彼との出会いが、予定よりも遅れたこと。それはこの目の前に佇むもうひとりのアスランにとって良かったのか、悪かったのか? その答えが欲しかったのに、彼は小馬鹿にするような笑みを見せた。 「さぁ。お前が思った通りだろう」 それはそうだ。 なんたって目の前のアスランは自分自身に他ならない。多分、彼の云っていることは正しいのだろう。けれど今は別個として存在している。事実、目の前のもうひとりのアスランが一体このアスランに何を云ってくるのか、アスランには想像もつかない。けれど向こうのアスランには判るとでも云うのだろうか。だとすると自我の境界は、一体どこにあるのだろう? 混線し始めたアスランに、アスランはそっと微笑んだ。今度は優しげな笑みだった。 「そう難しく考えることは無いんだよ」 すっかり見透かされているようだ。けれど不思議と厭な気はしなかった。ただ、不利だと思うだけで。 同じアスランなのに、判っている者と判っていない者が居るというのは、不利だ。人生はきっと、色んなことが判っていた方が生きやすい。だからアスランは知識は惜しみなく吸収してきたし、周囲は皆判ったような顔をしているのに自分だけが取り残される虚しさと悔しさも知っていた。 けれど目の前のアスランが判っているのなら、アスランだけが取り残されているわけではない。彼もアスランであることに変わりは無い。だから、決して厭なわけではない。だがそれでも湧き起こる複雑な想いに、渋面は隠せなかった。 「オレたちは同じもの。けれど今は分かれてしまっている。それが何故かくらいは、判るだろう?」 そう、目の前のアスランと、今の自分自身であるアスランは同じものだ。それが今こうして対面している理由なんて、厭というほど自覚している。しかし、それは向こうのアスランに判っているものが、こちらのアスランには判らないことの理由とは直結しない。 幼子にそっと云い聞かせるような口調は気にならなかった。だってあれは自分なのだ。そしてその理由を、理不尽だと思いながらもアスランは判っているのだ。 きっと縋るように見返したのだろう。向こうのアスランは、苦笑している。 「もうすこし……時間が必要なのかもな」 困ったような微笑み。すこしだけ、首を傾げて。 自分が良くする表情だ、とアスランは思った。きっと、こんな風に自分は微笑っているのだろう。 それが判っただけで、今は充分だ。 多分、同じような表情を浮かべたアスランを見て、もうひとりのアスランは何かに気付いたかのように顔を上げた。 「ああ……帰るのか?」 「そうだな。呼ばれてる、気がする」 「オレはそればっかりだ。確証なんて低俗なものを持ったことは、一度も無い」 「低俗か?」 「いつだって大切なものは自分の意志、ただそれだけだよ」 「……そう在りたい、けど」 いつだって自分の意志は何かに裏づけされていないと動けなくて、けれどそんな自分を見透かされることだけは厭なのだ。 しかし目の前のアスランは、自分の意志だけで動くと云う。今ここにいることさえ、彼の意志だとでも云うのだろうか? (……―――オレの、ではなく) 眉を顰めたアスランに、アスランは笑ったようだった。 「そりゃそうさ。だからオレたちは違うものなんだ」 「お前は、それでどうするんだ?」 やはり、心の中まで見透かされているらしい。けれどそこは流すことにして、アスランは自分自身へ問いかけた。その状況を言葉にしてみて、まるでモラトリアムのような表現だと思ったが、それはそれで面白いと思えるくらいの余裕は出てきたようだ。 「時期を待とう。……ああ、安心して良い。オレにはオレの役割がある。お前の場所を奪う気は、今のところ無いよ」 「今のところ、な」 「そう。お前はお前のやりたいようにやれば良いさ。オレはただ、待ってるから」 「――時期を?」 「お前がふたたび、ここへやって来るのを」 アスランがまたここを訪れるとき。そのときは、ここはやはり夜のままなのだろうか。明るい場所に居る自分をアスランが見ることは叶わないのだろうか。 そんなことを考えているうちに、視界は反転していた。 世界が廻る。夜が目まぐるしく動く。星が忙しく瞬いている。アスランはその流れに身を任せて瞳を閉じた。 さて、もうひとりのアスランは、そのまま夜に溶けて行ったようだった。 |
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