チェスのご褒美、イザークがちゃんと覚えててくれたのかなぁ、とのんびりと思う。だが、あのとき確かアスランは最後まで云い切ることができなかったはずだし、何より掴まれた腕の痛みがそうではないことを教えていた。 「えー、と。イザーク。とりあえず下、降りないか? お茶も入るし」 「いや、ここで良い。すぐに済む」 狼狽えたアスランがディアッカの方を見遣ると、ディアッカは呆れたような慈愛に満ちたような表情で肩を竦めた。それきり何も云わず、ただイザークが主導権を握った沈黙に包まれる。 「あの……」 「―――貴様が」 云いかけた言葉に重ねて、イザークが云い募ったので、アスランは押し黙った。ことさらゆっくり、威圧感を強調した喋り方だった。 「貴様が、何をうじうじ悩んでいるかは知らないが。この中で静養することで結論が出るのならと思い、放っておいたのは事実だ」 その、訊ねてもいないのに断定的な云い方に、アスランは眉を顰めた。だが別に何を云うこともなく、先を待つ。 「貴様が待つというなら、それも良い。だが、俺は絶対に来ないからな」 「……来たじゃないか」 「違ぁう!!」 思わず突っ込まずにはいられなかったアスランに、ディアッカがあちゃー、という表情をした。けれど別に良いじゃないかと思う。云わずにはいられなかったんだから。 「俺は! 貴様を裁きになど! 絶対に来ないからな!!」 「イザ、」 君は―――辿り着いたのか。そう、思った。 そういう選択肢もあるとは思った。イザークのことだ。なんだかんだで情の厚い、イザークのことだから、そういう方法を選ぶこともあるだろうとは、思っていた。だけどかけられる情けもないほどの、罪に塗れた自分のために、イザークまで泥を被ることはないだろうに。だけどそれがイザークなのだと、失望するどこかで安心してもいるのだった。 「俺は云った、なんとかしてやる、ってな。だが決して、こんな意味ではないんだ!」 ガツン、と、言葉に物理的な攻撃が赦されたのなら、アスランは後頭部にそんな攻撃を受けて、倒れていただろう。息絶えていたかもしれない。けれどそんなわけはないから、衝撃を受けるだけで済んだ。 それでも、身体のあちこちがじくじくと傷みを感じる。イザークの言葉はいつだってそう。アスランの中に余韻を遺して響くのだ。だから、アスランはイザークにこそ役目を託したのだ。 「大体、こんなうら寂れたような場所で、まともな考えでいられるはずじゃないんだ」 「おいイザーク、お前よりにもよって……」 アスランの思い出の場所で、とディアッカはつづけたかったのかも知れない。けれど実際の話、アスラン自身はそんなにこの家に思い入れがあるわけではなかった。だから無用な気遣いだと首を振った。ディアッカは痛ましそうな顔をしたけれど、イザークはギン、とアスランを睨みつけてきた。 「だってそうだろう! こんな……こんな、死者の気配が立ち込めたような場所で」 「―――イザー、ク?」 「そうだろう、アスラン。ここは、この屋敷自体が、パトリック・ザラの墓なのだろう?」 心が、まだこんなに重みを持って身体の中に在るなんて、なんだか信じられなかった。 そう思えるくらい、身体の真ん中で、ずしんと何かが落ちてきた。アスランは、それを心と呼ぶんだろうと思った。ずっと忘れていたもの。忘れようと、目を背けてきたもの。去り逝く魂に、必要の無いと葬ったつもりでいたもの。 「パトリック・ザラの墓って……そうか、戦犯として墓がつくられなかったから、それで、」 この花を…… ディアッカが漸く納得行ったように頷いた。何度も何度も。窓から望む、白く浮き上がる薔薇に敬意を払うようにして、目を細め。アスランはなんだかそれを、他人事みたいに見つめた。 「同時に、自分自身への手向けの花でもある。貴様はここには何かが足りないと云った。そりゃそうさ。ここには生けるものなんて何ひとつ居なかったんだから―――貴様でさえ」 「……ああ。どうせ命を補うなら、花の方が美しい」 これは消極的な自殺って云うのかな。アスランはたびたび、RUに話し掛けた。命の無いロボットに、まるで独り言のように話し掛ける、ひとりの死者。職業、墓守。RUはその度にピコピコと首を回し、眼を光らせた。それだけで、満たされていた。そのうち、たくさんの人の恨みを一身に受け止めて死ぬ日を夢見ながら、そしてその先頭にイザークが居るのを夢見ながら、アスランはこの上なく満たされていた。 今、その夢は儚く散った。墓は暴かれてしまった。―――だけど、どうしてだろう。光は、耀きは、変わらずにアスランの頭上で瞬いている。 「俺はアスラン、貴様を生かす。それを貴様が罰と受け取るなら、それでも良いさ。なんとでも思えば良い。だが、自殺の幇助などは絶対してやるものか!」 「それも……罰に、なるのかな」 「知らん。貴様で考えろ」 「そう、か……」 頷いたアスランの台詞に覆い被さるようにして、この場に相応しくない音が響いた。ピコン! RUが階下で待ち構えている。階段の上り下りは割かし消耗しやすいのだ。 「……お茶が、入ったみたいだ」 飲んでくか? 訊ねるアスランよりも先、イザークが「喋ったら喉渇いた」と云いながら階段を降りて行った。苦笑したディアッカがその後を付いて行こうとして、不意に優しい表情でアスランを振り返る。 「俺はね、アスラン。あんた生きててくれたから、別に引き篭もってても生きてるなら良いやと思ってたんだ。けどイザークが、それじゃ納得行かないみたいだからさ」 「え……」 「張り合いがないんだってよ。アイツ、アスランに勝つ勝つ云ってるけど、実際アスラン居ないんじゃ大人しいもんなんだから」 「それは……ディアッカにとっては、その方が都合良いんじゃ……」 ディアッカは一瞬きょとんとした表情をして、ニヤリと笑って見せた。 「それはそれ、これはこれ。相手は大変だけどね、イザークはその方が面白いからさ」 一拍置いてアスランが微笑むのを見計らったようなタイミングで、イザークが下から「早くしろ」と叫んだ。周囲をぐるぐると廻るロボットを邪険にはしてない辺り、実はこっそり気に入ってたりするのだろうか。 「……お前が、断罪者である限り、俺は、」 生きなければならないんだろう。 口調に対し、穏やかな表情でアスランは呟いた。その声を拾う者は、誰ひとりとして居なかった。 |
→ |