-どうかどうかどうか-
DaZZLe
























夜闇に、ぼんやりと白い薔薇の花が浮かんでいた。アスランが今2階の窓から見下ろしているのは、裏庭だ。イザークも足の踏み入れることのない、裏庭にはただ白い薔薇だけが植えられている。いや、その云い方は語弊があった。アスランが自分の意志で植えたのだ。何も無い、踏み荒らされた土を柔らかく耕し、そこに薔薇の木々を植えた。長い時間を掛けて漸く咲いた花は、雄弁に何かをアスランに語りかけているようにも見える。けれどアスランはその声を聞こうとはしなかった。
足元で、ピコン、とRUが鳴いた。機械は良い。余計なことを云わない。ピコン、ピコン、目が青色に光る。


「うん、寝る時間だな」


答えると、もう一度ピコ! と鳴いて、するすると機械は離れて行った。ひとりになる。否、最初からひとりだった。
だからたまに人に会って喋ったりすると、その人の声や姿の余韻が大分長いこと神経を冒してくるので疲れてしまう。今日も、ずっとイザークの声という声の記憶が、文章を成さないまま頭の奥に響いていた。それらはへばりついたまま、なかなか離れてくれない。意識が現実と想像の狭間を行き来する。おかげで、イザークはアスランの云うことを理解してくれたのではないかという気になった。だけどすぐに違うと思い直す。別れ際の表情、あれは明らかに判っていなかった。

なんでだ、イザーク。俺はずっと、待っているのに。

もしかしたら、判っているのにその役目が厭で判っていないふりをしているのかな、と思った。うん、それは在り得る。アスランだって一応、無茶で、そして未だ嘗てなく我が侭なことを頼んでいる自覚はあるのだから。
ふと、キラやラクス、カガリはオーブで元気にしているかな、と思った。ここには通信手段が無いので、消息を知ることができない。電波ジャックできないでもないが、そこまでする気は起きなかった。元気にしていて、できればアスランのことなど思い出してくれないでいてくれればそれで充分だ。アスランも、彼らを思い出したのも随分久しぶりのことに思える。ここに時間は無いに等しくて、イザークが訪ねてくる間隔も麻痺しているくらいだけど、時間の経過は彼らの顔を薄らぼんやりとしか思い出せないことが浮き彫りにしていた。それでも、キラの幼い頃の顔だけ、厭に鮮明に思い出せるのだから記憶なんていうものは当てにならない。要は、なんてことないあの頃の記憶を、自分の中で美しいものに仕立て上げ過ぎてしまったのがいけないのだろう。おかげで、あの頃以上の幸福なんてどこにも無いような気さえする。
彼らは恵まれている、と、今まで何度となく駆け巡った考えが再び頭を擡げた。彼らは、決定的な部分でアスランより恵まれているのだ。実際、彼らは彼らだけで上手くやってしまった。アスランひとりを遺して。俺は仲間じゃなかったんだな、と、そこはすこし一緒に闘ったこともある存在として物哀しくもなるけれど、仕方の無いことだろうと思ったし、何より置いていってくれて良かったと思った。どうせアスランは、彼らと一緒にオーブへ行ったとしても満足はしなかっただろう。糾弾を受ける前に、自分たちで勝手に罰としてオーブに行って、それで満足している彼らはほんとうに恵まれている。
白い薔薇の声が煩くなってきたので、アスランは裏庭に向けていた視線を逸らし、寝室へと足を向けた。
寝ながら、そのまま闇に溶け込んでしまえれば良いと、毎晩考える。だけどアスランにそんなことは赦されていない。アスランは罰せられるべきだ。パトリック・ザラの息子であり、二度もザフトを離反し、何よりプラントを第一に考えられなかった、そんなアスラン・ザラは罰せられて然るべきだ。
だけど民衆というものは期待できない。ラクス・クラインの言葉ひとつに簡単に心動かされてしまうような、所詮は癒しを求めているような連中だ。ひとりひとりはどうであれ、集合体というのは得てしてそういうものである。アスランを罰するものは、トップに立つ者に簡単に惑わされるような、そんなものではいけない。ならば実際のトップはどうだとも思ったが、混乱を極めた今、アスランへ対し冷静な判断を下せるトップが現れる確率に賭けるわけにはいかなかった。
だからアスランはただひとりを選んだのだ。
ただひとり―――戦友であり、ライバルであり、アスランを認めながらも、決して赦さないであろう人物……イザーク・ジュールを。


「失敗だったか、な……」


だがイザークはアスランの思惑を理解しなかった。それどころか、赦そうとしている。一度危険物扱いして閉じ込めておいたアスランを、今一度引っ張り出して父が嘗て立っていた場所と同じ場所に立たせようとしている。……プラント市民でさえ。
だからアスランはここを出るわけにはいかないのだ。罰せられるまでは、決して。大人しく、判決を待つ囚人でなければいけない。もしそれがプラントの復興の手助けだと云うのなら、それはそれで受け入れよう。ただ、過去の罪を見なかったふりで、人の上に立つことはできない。
寝室へのドアを開けようとした先で、RUがピコピコピコー! と喚いているのが聞こえた。そう云えば搭載したはずのこの音が示すのは……警報?


「おい、RU……」
「―――見つけた」


踵を返し階段を駆け下りようとした、そのときに。唐突に腕を掴まれ、無理やり向き合わされた。驚くよりも混乱が勝る。


「イ、イザーク……?」
「貴様……広すぎだ、この家、」


珍しくぜーぜーと肩で息をする彼は、だが不思議と、どこも衰えてはいなかった。すこし髪が乱れているくらいだろうか。だが、眼光は一層鋭さを増して、アスランを突き刺しているように感じた。そう、その耀きに、アスランは見たのだ。―――理想を。


「だいたい、だな……きさま、闖入者の気配に気付かんとは、軍人としてどうなんだ」
「元、だよ。それに、俺は元から鈍感だ」
「開き直るな……腰抜けが」


僅かな間にイザークは既に息を整えていて、アスランは困ったように首を傾げイザークがそれ以上何を云うのかを待った。時は満ちたのだろうか。いや、疾うに満ちていたとアスランは思う。後はイザークの覚悟を待つだけだった。だけどこのイザークの様子は、何か違うことを云い出しそうな予感を孕んでいた。
だが、イザークが口を開いた瞬間、些か間延びした声がその断罪の刻を遮る。


「よぉイザーク、アスラン居たか〜?」


ディアッカがのっそりとした歩調で、階段を上がってくる。階段を背にしているアスランの姿は、彼から見れば寧ろイザークよりも先に目に飛び込んでくるだろうに、ディアッカは悠長にイザークに問い掛けていた。


「……RU?」
「ちょ、アスラン、それひどくね?」


趣向返しのつもりは無いが、RUが大人しくディアッカの腕に抱かれていることの方が気になってしまってそう声を掛けると、ディアッカはがっくりと項垂れた。RUは、そんなディアッカに構わず腕を万歳の体勢で上げていた。どうやら喜んでいるようだ。目がピンク色に点滅している。


「……嬉しそうだな、RU」
「ロボットに感情があってたまるかぁ!」
「ちょ、力入れるなよ……」


掴んだままの手に力を篭められて、アスランは思わず抗議の声を上げたが、イザークは寧ろ憤懣やる方なしといった風情で肩を怒らせたままでいる。


「あ、やっぱ嬉しがってんの、コレ?」
「ああ、多分……随分、懐かれたな」
「マジでー? すげーな、コレ。マジで茶淹れてくれんの?」
「は? ああ、イザークに訊いたのか……。ちょっとイレギュラーな事態だから、どうかな。RU、紅茶……いや、コーヒーかな。3人分淹れてきてくれ」


ピコン! と黄色に光った目で了承を示したRUは、今度はじたばたとディアッカの腕の中で暴れ、下ろすよう訴えている。ディアッカは「はいはい」と云って大人しく床に下ろそうとして、はたとアスランの方を振り返った。


「……階段下まで、連れてった方がい?」
「いや、自分で降りるよ」
「へぇ?」


床に下ろされたRUはウィーン、と云いながら階段へ向かうと一度止まり、


「うをッ!? 足出た! 足!」


ガシャコン、ガシャコン、とボディ内に引っ込められていた足を下ろしつつ、階下へ降りて行った。ディアッカはしきりにすげーすげーと感心している。


「いやぁ、あんたやっぱすごいわ。敵わないわけだよな」


イザークはそんなことで比べられるのは如何なものかと思ったが、今はそれより大事なことがあるので黙っていた。アスランも何か違うところで感心されている気が否めなくて、どう反応したものか困ってしまう。ただ、とても懐かしい、と思った。こうやって3人、余計な邪魔者もなしに肩を並べる日が来るなんてことが叶うなんて思わなくて、それがすこし、嬉しかった。