窓を見つめたままでいるイザークに、アスランもなんとなくそちらの方へ目を向けながらふと口を開いた。無言の合間に、飲みやすい温度のはずだったお茶は随分と冷め切ったまま、彼らの手の中に放置されている。 ……それを感知したのかどうか。部屋の隅に控えていたロボットは、また無機質な電子音を唸り上げてキッチンへと去って行った。もしかしたらアスランが目に見えない何らかの方法で命令を下したのかもしれないとイザークは思ったが、今それを訊ねるのはさすがに不粋だろうと思った。だからちらりと目線だけアスランの方へと向けて、アスランの言葉を待つ。 口を開く気配がした数拍後に、漸く声が追いついた。 「軍人っていうのは暇なのか?」 「阿呆か。ンなわけないだろう」 「そうか? 戦争のない社会での軍人の役割なんて、民衆の気休めくらいのものだろう?」 「云ってくれるな。さすが、必要とされるべきところを弁えた奴は違う」 「……どういう意味だよ」 「必要とされるとき……即ち戦争が起きてるときだけ、自分にとって腰を落ち着けるべき場所を良く見極める奴だと云っているんだ」 「……仕方ないだろう。俺は、そうすることでしか、生きられない」 「体の良いプロパガンダは、貴様の意思だとでも?」 「もちろん、望んでいるわけじゃないさ、俺も。だけど……」 「だけど? そこで云い淀むのが、貴様の悪い癖だな」 「それは……知ってる、けど」 「所詮は力を持て余して強いものの云い成りになる。貴様はその程度だったってことか?」 容赦のないイザークの追及に、アスランはギリ、と唇を噛み締めた。 こんな話を、したかったわけではない。だけど心のどこかに一部屋冷静な場所があって、そこでは仕方が無いと思っている自分が居た。アスランが逃げているその話題それこそを、イザークは求めているのだろうから。そうでなければ、こんな場所に、しかもひとりきりでなど、来るはずもないのだから。 「悔しくないのか? 悔しいのなら、出て来いよ、アスラン。今度こそ、貴様自身の力を……俺の前に羽ばたいていたあの力を、見せ付けてやれ。こんなところで燻るべき力ではないだろう」 「……無理だよ、イザーク。俺はここから出られない。それに、それはお前の役目だ」 「何を……」 「お前の役目だ、イザーク。いつだって力を、奮うべき場所を、見喪わなかったお前の」 「貴様に適わなかった俺が……今更貴様を、超えろと云うのか」 「だめだよイザーク、認めちゃだめだ。それは諦めることと一緒なんだ。君は俺とは違う。君は諦めない。だから君は強い。君ならできる。―――なぁイザーク。君は、一度だって諦めなかっただろう? 俺を超えるって、息巻いていただろう? その時点で、俺はとっくに負けていたのに」 「だが貴様は……!」 「君は強いよ。……きっと、誰よりも。だから俺は、君に託したんだ」 「何をだ? 未来だとでも云うのか? それを云うならお前こそ、覇者になるべきだったのに。お前なら、きっとなんだってできただろうに」 「それは知ってるよ。俺はそうやって育てられたのだし、弁えてるつもりではいた。だけど、どうしてもだめなんだ。軍人も、君主も、俺には向いていない。攻めることも、守ることも、俺にはできやしないんだ」 激昂し、いつの間にか拳を握り締めソファから立ち上がっていたイザークは、目の前で体勢も表情も変えずそう吐き出したアスランに向けてそれ以上言葉を募らせることができなくて、一度力を抜いて、どかりと腰を下ろした。 伝わらない。どうやったって、伝わらない。この静かな瞳を前にして、一体何が云える? それに、それは今に限ったことではなくずっと昔からだったとイザークは知っていた。昔こそすかした奴だと思っていたが、単に感情を押し留めるのが上手いだけで(若しくは、感情を外に出すのが致命的に下手なのだ)、中身は決してそうではないと知っていた。だけどその中で渦巻いているものが、もしかしたらイザークと同じものかもしれないと思うのはとんだ傲慢だったのかも知れない。同じものを見ているようでいて、実は全く違うのかも知れない。ならば、伝わると思っていたものも伝わるはずもないのだ。 ……良く、判らなくなった。 伝えたいもの、アスランにこそして欲しいことは、依然として胸の裡に燻っている。それは変わらない。もしかしたら、出会ったときからずっと。 だけどアスランは刻々と変わってきている。本質はどうだか知らないが、イザークの知っている限り、アスランはこんな場所で、花を育てて満足するような奴ではなかったはずだ。 ―――これで見限ることができたら、どんなに良いだろう。そうでなければ、アスランが変わってきているのなら、理解したいと思うよりも先に、驕傲に道を正してしまおうと思えたなら、どんなに良いだろう。 勝ちたいと思っていた。負かしたいと、いつかこいつの上に立ってやると思っていた。だけどこんな決着は―――認めなくないだなんて。アスランではなく、自分がどうにかしてしまったとしか思えない。否、寧ろ、そう思ってしまった方が良いだなんて。……ほんとうにどうかしている。 力が在って、それを自覚しているくせにそれをつかいたくないと云う。つかい方が判らないと云う。イザークからしてみればそれはただの甘えにしか見えない。別に利用したいわけではなくて、アスランの強さを、そうイザークの前にまざまざと見せ付けられたあの力を、他の誰も、アスラン自身でさえ理解しようとしないのが辛い。それだけかと問われれば、それだけなのかも知れなかった。 「……貴様の方こそ、諦めなければ良かったんじゃないのか?」 「イザークは、守りたいんだろう?」 唐突な話題変換に思えたが、アスランの視線は依然として変わっていなかったので、イザークは大人しくそうだ、と答えた。そうだ。そのために、時には攻めることもある。コーディネイターを、プラントを、母たちがつくり上げたコーディネイターの楽園を守るために。 「俺はそうじゃない。ただ、静かでいたいだけだ。最早コーディネイターとナチュラルの違いも、プラントと地球の諍いも、ロゴスの所業も、父の言葉さえ、俺とは遠い場所に在る」 「貴様は諦めたんだな。それで……この場所から出てこないのか」 「出さないのはプラントの方だろう? ここはザラの家だったのに、外から鍵がかけられて、柵で囲まれて、体の良い監獄代わりだ。だけどそれは仕方の無いことなんだろう」 「それを、諦めると云うんだ」 「諦めることと受け入れることは別物だよ。イザークが云ったんだろう? 俺が覇者になるべきだったと。それは即ち、俺はそれだけの危険性を秘めた人物だってことだよ」 「……それは、逆に云えば……」 「なんだ?」 「……いや、なんでもない」 歯切れが悪いな、と云ってアスランは笑った。空っぽな笑いだった。 ここで云ってやれば良いのだろうか。それは逆に云えば、プラントを救う力を持つのはお前くらいだと、云えれば良かったのだろうか。だけどイザークにはどうしても云えなかった。矜恃が邪魔をしたわけではない。ただ、その言葉は何よりもアスランにとって切先の尖った凶器になるのだと、気付いてしまったからだ。 「じゃあ貴様は、出たくもない、ということだな」 「そう、なるのかな……うん、そうなんだろうな。ここに居れば、ずっと静かで居られる」 「変化は望まないのか?」 「こうやってお前が来てくれるじゃないか」 ああ、そうやって。上手い具合に、友好的な態度を取る。 だからいつもいつも、これで最後にしようと思いながらもイザークはまた訪れてしまうのだ。今度こそ意見に耳を傾けてくれるかも知れないという、一縷の望みをかけて。 |
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