-どうかどうかどうか-
DaZZLe
























光を吸い取った水滴は、ばら撒かれた瞬間にアスランの虹彩を刺激して、そして飛散した。その軌跡をゆっくりと辿る。無数のそれらを総て目線で追うことはとても難しくて、けれどその中からたったひとつを選び取ることはひどい侮辱のような気がしたので、アスランはひとつとして見逃すことはないよう努めた。
難しいが、骨の折れる仕事ではない。ここでは、時間はとてもゆっくりと流れている。だからこの水もそんなに急いで地に落ちることはないだろうにと、アスランはホースを握る手に力を篭めた。その場合水が逆らうことになるのは重力だろうか、時間だろうか。その馬鹿馬鹿しい思考段階に合わせるようにして、飛散する水滴の群れは面積の形を変えていった。
意味の無い、アスランの中でだけ派生しそして解決されぬまま完結されてゆく問答。それらはきっとその数だけ、この庭に薔薇として咲き誇っている。
いわばこの薔薇は未完結の物語のほんの一遍だ。アスランはその薔薇に水を遣って育てて、時折その断片を救い上げる。


ああ毎日は、


なんて―――愉しい。





「毎日まいにち、精の出ることだ」
「……あれ、」


振り返りざま、思わず手にしたホースごと向き合おうとして、アスランは慌てて左腕の場所を固定した。そして首だけ、声の闖入者の方へと向ける。


「イザーク」


怜悧な瞳。水の耀きにも劣らない、―――銀髪。……ああ、彼は変わっていない。すくなくとも、アスランにはそう思えた。イザークの方はアスランを見てどう思ったのかは知らないが、完璧に調えられた眉の形をすこし歪めてアスランの手元から滴り落ちる水の流れをじっと見据えている。


「久しぶりだな。いや、そうでもない……か」
「君の時間では、そういうことになるのかな」
「どういう意味だ?」
「判らないなら、それで良い」


ふいと興味を無くしたかのように視線を背けたアスランに、イザークはこれ以上の追及は徒労に終わるだろうと肩を竦めた。ふと見遣った視線の先には、アスランの背後に聳える色とりどりの花が咲き誇る庭園が在り、更にその奥に荘厳な造りの屋敷が構えている。
一見しただけでは全貌が掴めぬほどに、広い。そしてそのほとんどを、花という花が埋め尽くしていた。


「こんなに花ばかり育てて、どうするつもりだ」
「精一杯の償いだよ。若しくは、皮肉だ」
「―――何に対する?」
「聞きたいか? お前の嫌う、俺のぐちぐちした話だぞ?」
「……自覚、あったのか」
「俺も嫌いなんだ。だからさ」


なら治せ、と云いたかったが、それ以上にアスラン自身がその台詞にまるで汚物を吐き出したかのように厭そうな貌をしたので、イザークは黙り込んだ。代わりに、留めていた歩をすこし進めて、アスランの隣に立つ。アスランの手に握られたホースから、霧状の水がキラキラと舞っている。


「改良を重ねた育てやすい品種だろう。こんなに水遣りの必要があるのか?」
「気分の問題なんだ。愉しいからやってる」
「……やりすぎて腐らせるなよ」
「それこそ杞憂だ。丈夫な花だよ」


俺なんかより、ずっとね
水音に掻き消された言葉を、イザークは故意に聞き流した。アスランの表情は、一貫して変わらない。愉しそうでもあったし、つまらなさそうでもある。つまりは無表情だ。声にも抑揚がないので、イザークの来訪を歓迎しているのか鬱陶しがっているのか、それさえ判らない。


「それより、ここは来訪者に茶も出さないのか」
「看守に囚人が茶を出す牢獄なんて、聞いたことないけど」
「……貴様……」


飄々と告げられたアスランの台詞に、イザークは肩を、そして声を怒らせた。多分、今までになかったくらいの鋭い視線でアスランを射抜く。けれどアスランは怯む様子も無く、大した表情の変化もなしにひょい、と肩を竦めた。―――唯一彩られていたのは苦笑だったが、それはイザークの反応に対してか、それとも自分自身の発言に対してだったのか、イザークには推し量る術も無い。


「―――冗談だよ」
「……また随分と、趣味の悪い」
「イザークは気にしすぎなんだ。忘れてしまっても罪にならない、色んなことをね」
「貴様ほどではない」
「なら良いけど」
「良いものか」
「ほら、気にしてる」
「………」


この際、ほんとうに気にしているかどうかは最早問題ではない。ただアスランに云い負かされかけているというその事実、それがイザークにとって一番悔しかった。


「胃に穴が空くのはまだ良い。円形のハゲでもできたら、俺は泣くからな」
「何故貴様が泣くんだ。大体、段階としては逆だろう」
「そりゃあ……君の美しさが損なわれるようなことは、この世に在ってはならないからだよ」
「はぁ?」
「行こう。お茶の用意はできてる、はずだ」


会話とも呼べぬ遣り取りの中で、既にホースの片づけを終えていたアスランはイザークを屋敷へと誘った。アスランが育て上げた、計算され尽くした庭園を抜ける。イザークは感心したような、呆れたような、どちらともつかない表情で薔薇の木々に見入っている。しかし、アスランにとって、イザークがどう感じ取るかは大した問題ではないのだ。
償いか、皮肉だとアスランは云った。事実、このザラ邸の終戦後の有様と云ったら酷かった。元が高級住宅街だからそう荒らくれた人間が入ってこれるわけではなかったが、それでも好き放題戦争の捌け口にされた跡が色濃かったし、そうでなくとも放置されていた伸び放題の庭園は、朽ち果てた廃墟を連想させた。人が住まないだけで、家は一気に寂びれるものだ。
今はアスランが住み、そして花を育てていることで景観は随分と改善されている。だから、これは償いだ。既に夢見ることさえ叶わない、むかし以上の「ホーム」を形成することができない償い。それは母に対してかもしれないし、父に対してかもしれないし、嘗て多く住み込んでいた使用人たちに対してかもしれなければ、庭や家そのものに対してかも知れない。けれど同時に皮肉でもある。だって、昔家族三人とメイド、多くの人が住んでいたはずのときでさえ、こんなに花が咲き誇っていたことはなかったのだから。