ずっとずっと欲しかったものがある。けれどそれが手に入る日は永遠に来ないだろうことは判っている。 それでも、アスランは復讐さえ云い訳にして、もう絶対に手に入らないそれを願った。 「そう、俺はもうずっと……それだけが、欲しかったんだ」 けれどそんなもの、手に入るはずも無い。だってはっきりとそれを願った頃、母は既に居なかったし、父も同じ場所へいってしまったのだから。 ―――けれど、それなら、アスランが同じ場所へ行きさえすれば良いのだ。 その結論に行き着いたのは一体いつのことだったか。既に思い出せないけれど、アスランはただそれを願っていた。我ながら、それは随分と子どもじみた願いであると思う。けれどそんな子どもじみた願いさえアスランには赦されなくて、だからアスランはただここで待っていたのだ。ただ夢だけを見て。それくらい、夢だけでも見ているくらい赦されるだろう。 罰を受けるべき存在だけれど、そしてそれを受け入れる覚悟は疾うにできているけれど、それくらいは……良いだろうと、赦されても良いだろうと、思った。 「あー、俺それ知ってる」 「ディアッカ?」 間延びした声を響かせたディアッカに、イザークは首を傾げた。 視線でその先を促しているけれど、ディアッカはそれをものともせずゆっくりと窓際からソファへと歩み寄ってくる。 「人間死ぬと、21グラムだけ軽くなるんだってさ。だからそれは、魂の重さなんじゃないかって」 「なんだそれは」 「軽くなるのはホントらしいぜ」 なぁ? と首を傾げて向けられたディアッカの呼びかけに、アスランはそっと微笑んで頷いた。 もう叶わぬ夢ならせめて―――命を終えた後くらいは 叶うのだと信じたい。 「……俺、団欒なんてしたことないけど」 「あ?」 「揃ったとして、レストランで格式ばったやつとかで、それが団欒だと信じきってたんだけど、」 ぽつりぽつりと漏らされたアスランの独白に、イザークは眉根を寄せて、ディアッカはソファに腰を落としながら一緒に苦笑も落としている。けれどそれ以上口を挟む気はないらしく、大人しくアスランがふたたび口を開くのを待っていた。 「……キラの、家で。俺は月では、母も忙しい身だし、キラの家でほとんどお世話になってたんだけど、そこでは皆揃って食事を食べるんだ。小父さんが仕事で遅くなって先に食べることはあっても、帰ってきたらちゃんと出迎えて寝る時間までは小父さんの食事に付き合ったりしててさ。始めはそれにびっくりしたんだけど、ああこれがほんとうの家族の団欒なんだなぁって、すごく羨ましくなって。しかも俺さえその枠組みに入れてくれるものだから」 「成る程。だから貴様はあいつにコンプレックスがあるというわけか」 「そう、なのかな。ああ、そうかも知れない……」 多分、アスランはキラとは親友でありたかったし、家族でもありたかった。アスランに家族を教えてくれた存在の、一番ちかくに居たかった。ほんとうの家族で叶えられない想いを、キラに叶えて欲しかった。キラなら叶えてくれるんじゃないかと無邪気に信じきっていた。 だけど実際はキラとは、お互いに求めるものが違っていたんだろうと思う。だからすれ違ってしまい、アスランはもう二度とキラにその役割を求めることはしないだろうと思う。……キラだって。 それが、決別だ。キラとの。過去との、決定的な決別だ。 「なんでだろうな。なんで、ああやって戦争に参加していれば、きっと家族がかえってくるなんて、そんな想いちがいをしていたんだろう」 母はもう既に、居なかったのに。キラとほんとうにプラントで会えるだなんて、本気で信じていたわけではなかったのに(だってキラの両親はナチュラルだ)。 力を奮って、だれかの家族を奪ってまで自分の家族を取り戻したかったアスランに、ほんとうに相応しい罰は、かつて家族が在った場所で、既に家族が居ないことを知らしめることだ。 だからアスランはずっと屋敷に居る。屋敷で、夢だけ見て現実との違いを見せ付けられている。 ―――けれどこのままここで、朽ちて。そうすればその先に父と母が待っていてくれる、だなんて。それこそ甘えだろうか。 「……判った」 「は?」 今までアスランはあまりふたりのことを見ていなかったが(多分、過去だとかそういうものを見ていた)、イザークの思いつめたような声に、はっと我にかえって意識をそちらに集中させた。 視線だけはイザークの方を元から向いていたので、ぼんやりとしていた景色が段々とはっきり鮮明を帯び、色づいてゆく。 その景色の中、イザークもディアッカも思ったよりも優しい顔をしていた。 「貴様、俺の家に来い」 「……は?」 いきなりなにを云い出すのか。 アスランはイザークの云った意味が判らなくて、まじまじとイザークを見つめた。けれどイザークはそのあからさまな視線をものともせず真っ直ぐにアスランを見ている。 「今、俺は軍のちかくでひとり暮らしをしている。とは云っても高給取りだからな、広い。部屋も余ってるし、ひとり増えるくらいどうってことないさ」 「……自分で云うなよ」 「なッ、俺は隊長だぞ!」 「知ってるよ……」 やっぱり意味が判らない。 アスランは明らかに首を傾げて、その意思を示した。 するとイザークは途端厭そうに表情を歪めて、コーヒーを一口啜る。 もったいぶらずに云えば良いのに、と思うアスランを翻弄するように、イザークは殊更ゆっくりと口を開いた。 「貴様は家事でもしてろ。で、俺が帰ったら一緒に食事を摂る」 「は……?」 呆気に取られたアスランとは真逆に、ディアッカはそれまでソファにだらしなく預けていた身体をがばっと起こしてイザークに掴みかかった。 「ちょっ、イザーク! それはなに!? プロポーズ? プロポーズなの!?」 「アホか!!」 ディアッカを引き剥がして思いっきり否定するも、赤面していたのではあまり迫力は無いとアスランは思った。 それにしても、そんな赤面するようなことを云っていただろうか? ゆっくりと記憶を手繰ってイザークの言葉を蘇らせる。そうゆっくり……イザークの台詞と、ついでにディアッカの突込み、を…… 「はあぁぁぁぁ!?」 いきなり叫んだアスランに、イザークとディアッカはぎょっとしてアスランを振り返った。 「アスラン?」 「あー、さては今更イザークの台詞の意味理解したんじゃないの?」 「……鈍すぎだ」 呆れるふたりに反し、アスランは大慌てで意味もなく手を顔の前で振ったりした。 「ちょ、え、なに云ってるんだイザーク!?」 「そのまんまだ。家族では無いだろうが、まぁこんなところで根暗な生活を送っているよりはずっと良いだろう」 「ネクラって……」 「そうだろうが。ああ、金も気にするな。貴様ひとりくらい養ってやれる」 「わー、ホンキでプロポーズだー」 「くどい、ディアッカ」 ぐるぐるぐる イザークの言葉が頭を駆け巡る。 なんだかもう良く判らないので最初から考えることにする。 イザークは、アスランに罰を与えるという役割を放棄した。その代わり、アスランにとって一番辛くて難しい……"生きる "という役目を、逆に与えた。そこまでは良い。理解の範疇だ。 だが……それが、こんな方法に打って出ることは無いだろうに。そんな見張るようなことをしなくたって、生きることが償いだと云われたからには、アスランは生きるのに。 「俺、ここでも充分生きていけるけど」 「どこがだ。半分死んだような顔しやがって」 「でもイザークが生きろって云ったから、きっとこれからましになるよ、多分」 「そんな当てにならない台詞で俺が納得すると思うな。大体、俺も忙しいんだ。そうそうここに来られるわけじゃない」 「……別にわざわざ来なくても良いと思うけど」 「それで、俺好みの味の紅茶をずっと飲みつづけるのか?」 「ぐ……」 ばれていた。 さすがに咄嗟に設定を変えさせることはできないと踏んだのだろうか。いや、問題はそこじゃないんだけど。ただ自分で納得しての行動だったはずなのに、本人にばれてしまうとむしょうに恥ずかしい。 「でも……」 「難しく考えるな。ただ場所を移すだけだと思え」 「ばしょ……」 この家に、思い入れは然程無い。思い入れるほどの思い出も無い。在るのは家では無く墓の方だ。アスランに辛い現実を見せつける屋敷ではなく、夢を見せてくれる、墓の方だ。 それがあるから、かろうじて罰がアスランを襲いにくるまで生きようとしていたのに、ここを離れたらアスランはどうなるだろう? それに、アスランがここを離れたら、あの薔薇たちは? 薔薇の中に眠る、父は? どうなる? 「花の世話くらいだれか雇っても良いし、貴様自身が通ってくれば良いだろう」 「い、良いのか?」 「貴様は別に犯罪者では無いんだ。動向が見張られてるというのは否定しないが、別に自分の家に来て薔薇の世話するくらいなんだって云うんだ」 「しかし……俺は、」 「どっちにしろ、アスラン。お前ちかいうち引っ張り出されると思うぜ」 それまでニヤニヤしながら成り行きを見守っていたディアッカだったが、突如として真剣な顔をして割り込んできた。 その内容と表情に、アスランはざわついたものを覚えて顔を顰める。 「え……?」 引っ張り出されるというのは、やはり良い加減閉じ込めておくばかりではまずいとでも……だれかが、若しくは皆が、思ったからだろうか。 それは―――厭だと、思った。咄嗟に、厭だと思った。なんてことだ。いざそのときが来るとこんな風に怖気づいてしまうなんて。 それに……それに、アスランに罰を与えるのは、イザークだけで良い、のに。 「ちょっとそういう動きが出てるんだよね。別にまずい方向ではなさそうなんだけど、なんにしてもアスランは厭だろう?」 「俺にとっては、ここを出るということ自体がまずい」 「そうなんだろうけどね。でも良い加減、プラントも指導力不足でさぁ。形振り構ってられないんだよ」 「だからと云って、俺……アスラン・ザラを?」 「ロゴスのスパイだってのが冤罪なのは完全に立証されてる。脱走もその辺上手くやるんじゃん? 親父さんのことだって、途を違えたからこそ第三勢力に加わったんだって見方の方が強い。それに、ザフト内ではお前の人気、高いんだよねぇ」 「……は?」 「なんたって未だにアカデミーの記録さえ破られてないんだし。後は、お前と面識ある奴らが武勇伝を触れ回ってるもんだから」 「武勇伝……?」 「MSを自由自在に操って宇宙を駆る勇士から、昔イザークと遣り合って施設半壊の様子まで事細かに」 「なッ……なんだそれ!!」 「云っとくけど俺じゃないぜ。お前は俺らくらいとしか接点無いくらいに思ってんのかも知れないけどさ……お前に決起された奴ってのも、確かに居るんだよ」 呆気に取られつつアカデミーの頃からを振り返るアスランに、イザークもため息をつきながらディアッカに同意した。 「まぁ、それだけ……影響力在るってことだろ。不本意ながらな」 「不本意って……それはイザークが?」 「さぁな」 不機嫌そうな顔を一転、しれっと腕組なんかするものだから、アスランはがくりと項垂れた。 「でも俺は……人前に立つようなことは……」 「うん知ってる。プラントだって自棄になってることは否めないしね。云いなりになったってどうせお前苦労するだけだよ。だからその前に、イザークんとこ逃げちゃえば?」 「に、逃げるって……」 「ここに閉じこもってる間はどうにかできるんじゃないかって思われるだろうけど、イザークの元に居れば、自ずと意思も伝わるってもんでしょ」 「あ、ああ……成る程……」 「な?」 「別にそれだけでも無いんだが……」 イザークは納得しきれない微妙な顔をしていたが、アスランはそれもひとつの手かも知れないと思い始めていた。 唸るアスランを複雑な気持ちで見守るイザークの肩に、ディアッカがぽんと掌を置く。 「イザークの想いは多分伝わってないと思うぜ。だから手元に置いてさ、段々判らせていくしかないって。ほら、一石二鳥」 「お前な……」 こそこそと話すイザークとディアッカに、アスランははたと気付いて首を傾げた。 「なに? なにか云ったか?」 「うん、もう一押しだなって」 「え?」 「こんなところでひとりにさせとくの、良い加減俺らも不安なわけで。そりゃあんた毅いの知ってるけど、ひとりで居れば居るほど余計なこと考えて弱くなるだろ?」 「……はっきり云うな……」 「ホントのことだし?」 ディアッカはけらけらと笑っていたけれど、こうやって軽く云われるからこそ頷けるんだろうとアスランは思った。これがイザークにきつく云われていたら突っぱねていたかも知れない。 「判った。でも……イザークに迷惑がかからないか?」 「迷惑だと思ったらそもそも最初からこんなこと云ってない」 「それもそうか……」 「あ、納得した?」 「うーん……」 「とりあえず来い。戻りたかったら戻れば良いが、そう簡単に戻ろうと思えないようにしてやるさ」 「なにする気だよ……」 不穏な台詞だ、とアスランは思った。数刻前、全く同じことを全く真逆のベクトルでイザークが思ったとは露知らずに。 「今までがどうしようもなくひとりだったってことを、知らしめてやる」 「これから一緒だとか云わない辺りがお前らしいよ……」 「一緒に暮らすとは云っても、貴様が求める家族とは違うだろうしな。でもまぁ、ひとりじゃ判らないこともあるだろう」 「そう、かもな……」 「じゃ、行くぞ。用意しろ」 「え、今から!?」 「早い方が良いだろう? それに、そんな荷物も無いくせに」 「え、えっと、とりあえずコイツな!」 「……」 指さされて、RUがピコン! と返事した。それをものすごく厭そうな顔でイザークが見遣る。 「便利なんだよ。ちゃんと足にモップだってついてるんだ!」 「……そもそも、お茶請けロボットじゃなかったのか?」 「そこは、ほら。技術者は完璧を追い求めてしまうものなんだよ」 「訳が判らん」 「後はそうだ、ハロ……売る」 「は?」 「俺だってイザークに養ってもらうなんて情けないことは厭だし。ラクスが持ってるの見て結構人気あったみたいだし。あ、流行遅れかな……」 「……とにかく、」 「うん?」 「着替えとか、その辺の必需品を揃えて来い」 「……それもそうだな」 呆れ顔で告げられた台詞に大人しくアスランは頷いて、部屋を出て行った。バタバタという足音が遠ざかり、そこにはイザークとディアッカとRUが遺された。 そしてRUは徐に動き出すと、キッチンの方向へと消えてゆく。なんとなくRUが遠ざかるのを待ってから、ディアッカは口を開いた。 「……随分、思い切ったことしたねぇ」 「それくらいしないとアイツは判らないだろう」 「まぁ、確かに。来たときの顔暗かったもんなぁ。これで改善されると良いけど」 「させるんだよ」 「かっこ良いこと云うねぇ。でも良いなぁ、奥さん」 「貴様……」 「なぁイザーク、もう一部屋くらい余ってなかったっけ?」 「転がり込む気か貴様!!」 「いやいや、だってアスランはその方が歓びそうじゃん?」 人数多い方がさ〜と云う悪魔の囁きに一瞬流されそうになりつつ、イザークは持ちこたえた。冗談じゃない。 「そんなことが在って堪るか」 「なに、結局はアスランと同棲生活送りたいだけじゃん」 「なんだと!?」 「良いよ、じゃあ俺、間男しちゃおう」 「おい…!」 「お待たせ……って、なにやってるんだよ掴みかかって」 プロレスごっこか? 首を傾げるアスランにすっかり気を削がれて、イザークはディアッカの胸倉を掴んでいた手の力を抜いた。 「早いな。それで良いのか?」 「好きなときに戻れって云ったのはお前だ。足りないものがあったら取りに来るさ。どうせ薔薇に水やらないといけないし」 「……まぁ、それもそうか」 それでもなにか、アスランのことだから感傷でも湧くんじゃないかとイザークは思っていたが、予想に反してアスランはあっさりしていた。 ほんとうに、思い入れは無いのだろうか。それとも、単に事態を良く呑みこめていないのだろうか。それとも……気付かないようにしているのだろうか。 どれでも良い、とイザークは思った。どれだって、アスランがやっとここから出る気になったのならイザークはそれで構わない。 アスランの望む、そのままのものは与えてはやれないだろうが、大事なものはそれだけじゃないってことを判らせないといけない。生きることがアスランにとっての償いなら、生きさせることがイザークにとっての償いだろう。 しっかりRUを呼びにいったアスランに(どうやらロボットはお茶のお代わりを用意していたらしい。全くもって良くできている)、食事はロボット任せではなく自分でつくるように念を押しておいた。 |
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