空の青に彩られたシンプルなステンドグラスの張られた窓際、入り口側から向かって右側二番目の円卓。
それが、彼の指定席だ。
at Cafe'
「アスラン・ザラは、私がいずれ結婚する方ですわ」
ラクスのその発言に一番驚いたのは―――恐らく、アスラン自身だった。
「……は!?」
思わずオーダーを取るためのハンディーを落としそうになって、アスランはラクスを呆然と見つめた。
「ラクスー? アスラン驚いてるけど? マジで云ってんの?」
「……あ、もう呼び捨て?」
元よりの性格の所為か、誰よりも先に我に帰ったのはラスティで、ミゲルが面を喰らっていた所為か、何処か違う箇所に反応を示した。
「マジですわ」
お嬢様は驚いて固まる一同(アスラン含む)に構わず悠然と微笑み、「それがどうなさいましたの?」と宣い、それが益々面々を唖然とさせた。
「ラ、ラクス。あの……」
「はい」
名を呼ばれたことで嬉しそうにアスランの方へ身体ごと視線を向けたラクスに、アスランの声は詰まった。
(た、確かにそうと云えばそうなんだけど……)
アスランの家もラクスの家も何と云うか、つまりは金持ちというやつで、しかもお互い財閥のトップ争いをする仲だ。とは云え業種が違うので、特に睨み合うというよりは腹を探り合いつつもお互いの親交を必死で深めている。
アスランとラクスはパーティーなどの度に親に呼び出され、そこでお互いの親に紹介されて知り合った。パーティーに参加するような同世代は他にほとんど居ないので、どうしてもフリータイムは二人で過ごすことになってしまう。序に云えばお互いのホームパーティーやお茶会などにも呼んだり呼ばれたりで、家も行き来する仲だ。ちなみに、ラクスが来たときに丁度隣家の双子が来ていることが多かった(と云うか双子がほぼ入り浸っている)ので、ラクスはキラやカガリとも親しい。
アスランは父親の反対を押し切り、普通の公立校に通っているので普通なら知り合えるはずもないそんなお嬢様との交流を持てたことを純粋に嬉しく思っているのだが、どうもお互いの親は違うようだ。無理に二人の時間をつくろうとする態度を見ればすぐ判る。先進的な考えでもって常に時代の最先端をゆく財界のツートップは、しかし、こんなところでの考え方だけは妙に古めかしかった。
―――つまりは、一人しか居ないお互いの子に家柄も人柄も良く後ろ盾の強い伴侶を、と。
お互いがお互いの子を気に入っているようで、その上アスランもラクスも容姿や能力の面では云うことなしな上、両家の繋がりを深められるのだからそりゃ本気にもなるだろう。
だが、まだはっきり云われたわけではない。そりゃ態度を見れば一目瞭然だが、一応今時婚約者など嫌がる若者の気持ちくらいは弁えているのだろう。だから別に婚約者というわけではない―――はずなのだが。
そうやってラクスとの関係を思わず両家の繋がりから遡って確かめていたアスランの胸を、ひとつの厭な予感が過ぎ去った。
(……もしかして、シーゲル様はとっくにラクスにそうだと云ってるんじゃ……)
ラクスの態度も変わることなく高校生という年齢にまでなってしまったので、アスランが自活できるようになってからこっそり打診されるんじゃないかと思っていたけど。若しくは、この思春期に自然とお互いに恋心でも芽生えて文句のないようにするつもりじゃないかと。思って、いたんだけど。
……しかし。
(それで、口下手で無口な父上が俺に何も云えないままなだけなんじゃ……!)
それは相当最悪なシナリオだ。
しかもそんな重要なことを、彼の前で気付かされるなど。その方が寧ろショックだ。
あわあわとしているアスランは、しかし、表面的には無表情のままだったので黙り込んだアスランを周囲は不思議そうに見ていた。
「アスラン? どうかしましたか?」
「あ、いえ……。それは、まだ確かな話ではないはずじゃ……」
「あら、確かですわよ」
(やっぱり……!)
愕然となったアスランだったが、対照的にラクスはのほほんとしている。
そして、ラクスの知り合いの面々は興味津々といった様子でもう口を挟むこともせずに状況を見守っていた。
「確かに、はっきりと決まったわけじゃありませんけれど。すっかり周りもその気でいらっしゃるじゃありませんか」
「……それは、そうですけど」
とりあえず、パトリックがアスランに云っていなかったわけではなかったのだと思わずほっとしてしまった。父のことはもちろん尊敬しているけれど、その辺りに関しては信用がないものだから。
「それともアスランは、お厭なのでしょうか……?」
のんびりした中にお嬢様特有の芯のつよさを垣間見せていた雰囲気も一変、ラクスは哀しげな表情で項垂れた。
そんな態度を取られてしまっては、アスランもどうして良いのか判らなくなってしまう。
……それはもちろん、特別厭なわけでは決してない。ラクスと結婚することになるんだろうなと幼少の頃から薄々予測はついていたのだから、それを当然のこととして受け入れて育ってきたわけで。だからこそ、ラクスよりも身近な女の子であるカガリの好意にも気付かないふりをして受け入れていないわけで。学校などの女の子からの告白は、もっと受け入れる気などない。
けれど、ラクスに対しての気持ちを考えると、一緒に居ると落ち着きはすれど恋しているわけではないんだろうなと思うから。―――何だかそのままでは、申し訳ないような気もしているのは確かだ。胸の高鳴りは……そう、今目の前で静かに佇む彼に対してだけ、感じるものだし。
とは云え、ここで厭だと答えるほどラクスのことを迷っているわけではない。かと云って厭ではないと答えてしまったら……何だか、そこで婚約が本決まりになってしまいそうな気がして怯んでしまった。
それでも女性に恥をかかせるわけにもいかないし何か答えなければと思っていると、思わぬところから助け舟が出された。
「あっれー? ラクス?」
「「キラ!」」
アスランの肩口からひょこ、と顔を覗かせたのは、まだ入る時間ではないはずのキラだった。
「何でお前……」
「カガリと代わったんだよ。ラクス、久しぶりー」
「お久しぶりです。キラもカガリも羨ましいですわ。アスランといつも一緒で。……バイト先まで」
「僕がひとりはヤだって云って巻き込んだんだよー」
アスラン僕に甘いから。仕方ないなーなんて云いつつ付き合ってくれたんだ。
にこにことラクスと話をするキラにアスランはため息を吐いただけだったが、すっかり蚊帳の外にされたラクスの連れは気付いていた。―――ラクスとキラの笑顔の合間に、バチバチと火花が飛び交っているのを。
「アスラン、僕ココのオーダー取るよ」
「は?」
「あんね、アスランフェチが来てんの。良い加減うっざいしホントは行かせたくないんだけどさー。奴、アスランが居るの気付いちゃったから。アレ、アスランが行くまで意地でもオーダーしないね」
「ああ、またか……」
長くバイトに入ってると、結構お客も顔を覚えてくれたりして、それは喜ばしいことなんだけれど。アスランのファンになってしまった者が多いのだけは辟易していた。名前を覚えてくれていたり、アスランが卓に行くと話し掛けてきたりするだけなら別に構わないし嬉しいことなのだけれど、困った客というのも中には居る。
アスランフェチとそのまま名付けられた男(その性別もアスランの気が重くなる要因だが)は、誰がオーダーを取りに行っても「まだ良いです」を連発し、さすがにそれがつづくとお代わり自由なコーヒーだけを注文する。それで別にお代わりを頼むわけでもない。しかし、アスランが通りかかると話は別だった。アスランにだけは速攻で注文(しかも食事など結構な量を)し、例えアスランが遠くに居ても手を挙げて呼び、追加オーダーやお代わりを頼むのだ。
アスランとしては厭なことこの上ないのだけれど、自分が行きさえすれば別に長居するわけでもなくたくさん頼んで帰ってくれるので、仕方なく行くしかないのだ。そのままだと他の従業員に迷惑もかかるのだし、とアスランはふっとため息を吐くとじゃあ頼む、とキラに場所を譲った。
「ラクス、キラの方が優秀ですから任せることにします。またカガリ連れて挨拶に来ますから」
「まあ残念ですわ。でもお仕事中ですものね。長々とお話してしまって申し訳ありません」
「いいえ。意外な場所でお会いできて嬉しいですよ。じゃあ、また」
何となく居心地が悪くてアスランフェチのことも忘れて颯爽とセンターエリアへ戻るアスランを、キラと6人の瞳がじっと見つめていた。
「……やってくれますわね、キラ」
「何がー?」
「ご自分の胸に手を当ててお考えになったら如何ですか?」
いきなり低い声になったラクスに、皆がぎょっとアスランに向けていた視線を戻した。とは云っても別にラクスの声に驚いたわけではない。名門私立の生徒会に名を連ねている彼らは、議会などの際に発揮されるラクスのこういった態度には最早慣れっこだ。ただ、もちろんラクスが普段学園のアイドルとして温厚な性格を貫いていることも知っているし、さきほどのアスランに対してもそのままだった――寧ろお嬢っぷりに拍車をかけていた――ので、バラしちゃって良いの!?
という心境だ。
だがキラは特に驚いた様子もなく云われた通りにハンディーを持ったまま胸に手を当てて、判んないなーと飄々と笑って見せた。
「ラクスこそ。アスランがここに居ることくらい、知ってたんじゃないの?」
お嬢様は気になるひとのためなら興信所くらい使っちゃいそうじゃない? というキラの台詞に、ラクスが悔しそうに手を握り締めた。
「いいえ、残念ながら。だから悔しいのです」
「成程ねぇ。でも僕、アスラン止めさせる気もなければ、君たちの学校に転校させる気もないからね」
「……貴方は我が侭過ぎます」
「アスランは僕に甘いからね。それとアンタ」
びしッとキラが指差したのは、呆けたまま状況を見守っていたラスティだった。
「え? 俺?」
「アスラン口説こうだなんて、身のほど知らずも良いところ」
「は?」
「さて、気も済んだし。……ご注文はお決まりですか?」
ギラギラした瞳を一瞬にして和らげたキラに、ラクス以外の面々は一瞬呆けたあと堰を切ったように捲し立てた。
「え。てか、話が見えないんですけど」
「つーかお前こそ何なの?」
「……ラクス、いくら何でも人が変わりすぎじゃありませんか……?」
「アスラン君行っちゃったしなぁ」
「…………」
各々の反応に、キラはわざとらしいほどににっこりと笑って見せた。
「僕はさっきの彼の幼馴染。で、ラクスは僕の幼馴染の婚約者を名乗ってるだけ」
「判ったような判らないような」
冷静なミゲルの突っ込みに、キラはえー? まだ? と無駄に可愛らしく首を傾げ、しかし非常に似つかわしくないふてぶてしい声でハンディーを掲げた。
「……彼はアスラン・ザラ。あのザラ財閥の会長の御曹司ですわ」
キラの様子に思わずメニューを持ち直しオーダーに取り掛かろうとした面々は、しかし、その場に響いたラクスの静かな声に固まった。
―――ザラ財閥?
あの、金融界に特にその名を馳せ、そこでの資金を元に今も事業を幅広く展開中の?
今の会長が継いでからと云うもの、冷酷とも云われるほどのやり口ではありながら先代で相当下落した持株の市場価格を一気に高騰させたという、あの?
しかもさっきの美人が、そのやり手の会長の息子?
「え、その……マジで?」
「マジですわ」
さすがにひきかけたラスティが希望に縋ってみるも、妙に真剣なラクスに一蹴された。
「そう云えば……」
「どうした、ニコル?」
「云われてみれば、僕、パーティーで彼を見かけたことがある気が……」
「何、ニコルパーティー参加したことあんの?」
「ピアノを弾いてくれって云われて。最近は旧家でもなければ息子だからどうのってあんまりないですし、僕くらいの年代はあまり居ないはずでしょう? だから、同じくらいのひとが居るんだなって思って、しかもあの容姿だから何となくですけど覚えてます」
「へー……ホントなんだー……」
「ですから、彼はアスラン・ザラであり、私の婚約者なんです」
「いい加減にしたら? ラクス、アスランはちっともその気ないみたいだよ」
「貴方に云われたくはありませんわね」
ラクスのこの女帝オーラには慣れている。慣れてはいる、が……
(((((何だかなぁ……))))))
すっかり、学園祭の話し合いのことなど忘れて、ラクスにアスランのことを根堀葉堀聞いてしまうメンバーだった。
しかし、その中でイザークだけが飄々とコーヒーを飲み、盛り上がるメンバーを冷たい瞳で諌めている。
キラは時折、オーダー品を持って行くついでに注意深くイザークの様子を窺っていた。
(自分の権利を主張するお嬢様より、興味津々に話に突っ込んでくるヤツらより、こういう何考えてるのか悟らせないタイプが一番要注意、かな)
ラクスと同じ学校だということは、彼らの校舎とこの店は最寄駅を挟んで存在していることになる。
学生街ということでたくさん店がある中で、ひとつの店に、しかも駅の反対側にわざわざ渡ってまで固執するように通う目的など、そう思いつくものではない。
(そう例えば……美人な店員サンとかね)
じゃあアイツと同レベルじゃん、と、今もアスランを呼び止めているアスランフェチに目を向けながら、キラは思った。
でも、アイツと王子の違うところ。
それは何よりも、アスランの彼らそれぞれに対する心象に他ならない。
(王子って、イザークって云うのか……)
アスランは彼の名を、キラよりも先に知ってしまっただろうか。
それはちょっとヤバイかも知れないと、不本意ながら、極力アスランをアスランフェチにかかりっきりにさせることで、彼らの輪に近付かないようにさせるキラだった。