空の青に彩られたシンプルなステンドグラスの張られた窓際、入り口側から向かって右側二番目の円卓。
それが、彼の指定席だ。
at Cafe'
卓番は2-2。
キッチンにそのナンバーを伝えるだけで逸る胸に、もうどうしようもないとアスランは苦笑した。
「どしたの? アスラン」
同じようにチケットをキッチンへ差し出し、「お願いしまーす」と叫ぶ脇できょとんとアスランを見遣る幼馴染に、すぐに気を取り直して「何でもないよ」と返した。
この幼馴染に半ば引き摺られるかたちで始めたこのバイトも、気付けば週4のペースで入っている。始めは長期休暇の間だけ、そしてそのまま辞めるつもりでいたのに、マネージャーに「土日、いや、片方だけでも良いから!」と懇願されて、それならばと続けることにしたはずではなかったか…? と遠い目をしてみたところで今更だ。何より自分が楽しんでいるのだから文句を云えるはずもない。今では幼馴染の妹までいつの間にか顔ぶれに入っている辺り、幼馴染の双子に嵌められたような気は拭えないが。
「そう? アスラン、今日ワンツーだよね。まだ上がりじゃないの?」
「クロージングは始めてるんだけど……今日忙しいから、マネージャー俺のこと忘れてるんじゃないかな」
「ええー? 僕云ってこよっか?」
「良いよ、どうせそろそろ客も途絶えるだろ」
時間的に、と見遣った時計は、2時半に指しかかろうとしていた。カフェとは云えランチタイム終了となれば、それまでぞろぞろと来てアスランたちを苦しめていた客も途絶えがちになる。そうすれば、と思いながらブレッド用のバタースクープを行なっていると、ゴメンゴメンと軽く何度か頭を下げつつマネージャーが駆け寄ってきた。
「ゴメンアスラン君、君1本目だったよね。そろそろ……今25分か。30分で上がって良いよ」
「はい、じゃあバタースクープだけやっときます」
「うん、宜しく」
「マネージャー、僕はー?」
「キラ君はラストだろ。しかも今日はランチだけじゃないか。諦めてフロア見てきなさい」
「ちぇッ。アスランと一緒にゴハン食べたかったのにー」
はいはい、とキラの背中を押すマネージャーも慣れたものだ。
キラはどんな場所でもいつも輪の中心に居るから、アスランはキラの隣に居ることでその輪の中での居場所を見出すことができた。この店でもそうだ。俺だったらマネージャーにあんな態度で出れないなと変なところで感心しながら、アスランは残された時間で少しでも多くのことをやっておこうと仕事に取り掛かる。この生真面目さが重宝され感心されていることに、アスラン自身は無頓着だった。
1時間半の休憩を終えてフロアに戻ると、アスランが上がった頃に比べて店内は随分と閑散としていた。
アスランのお気に入りのステンドグラスも、今は夕陽のオレンジ色に照らされて不思議な色合いを醸し出している。アスランはまず何よりも2-2の席を見た。
(良かった、誰も居ない)
誰も居ないということは、彼はまだ来ていないのだし、彼が来たらいつも通りその席へ案内することができるということだ。
そっと安堵したアスランの肩に、ぽんと手が置かれ不意を突かれたアスランは少なからずぎょっとした。振り返ると、キラが嫌な笑みを浮かべて立っている。
「アスラン、おはよう。何ぼーっとしてんのさ」
「驚かすなよ……おはよキラ、今日はこの時間暇そうだな」
入ったら時間に関わらず「おはようございます」と云わなければならない店の掟に従って、すこし崩した挨拶をしたキラとアスランはセンターエリアへ引っ込んだ。
「僕が捌いたの! さっきまで凄かったんだよ、人」
「何だ、そうなのか。俺良い時に入ったな。お疲れ様」
「ホントだよもー。あ、1-5に教授来てるから、コヒおか見てあげてね」
「りょーかい」
常連には本人の与り知らぬところで勝手な渾名がついているものだ。しかも特徴のある人ならば、尚更。しかもこの店の常連は、ほとんどフルで入っているキラによって名付けられたのがほとんどなものだから、その多くは巫山戯ていた。例えば教授というのは、大抵ランチタイムに小難しそうな本を一冊だけ持ってきて、じっくり読んで行くおじさんだからキラが「絶対教授だって!」と主張して広まり、いつの間にか定着した。本業など知るはずもない。始めこそ戸惑ったアスランも、スタッフの皆が皆それを自然に受け入れているものだから馴染んでしまい、今では相当失礼だと思える名でも裏で勝手に呼ばせていただいていた。
「土曜なのに教授来てるのか。珍しいな」
「授業あったんじゃない? この辺の大学なのかな」
「そもそもホントに教授かも判んないだろうが……」
「まあまあ。あ、『すいません』て聞こえた」
キラは何だかんだで良く動く。
アスランより多く入っているのだから当然と云えば当然だが、始めた時期は一緒なのに、とアスランはすこし情けなくなりつつ補充を始めた。この時間帯ならば客は長居することが多いし新規は入らないから、二人でも充分店が回る。キラがフロアで接客し、アスランがセンターエリアで補充、それは何を云うでもなく二人だけで入っている間は自然と決められた構図だった。チームワーク(二人だけだけど)も完璧で、こういった時間はマネージャーによって二人で入れられることが多い。
「3-1に新卓2名様でーす」
「はーい」
「ごめんアスラン、パフェ2つ入っちゃった……」
「お疲れ、じゃあ俺フロア見てくるから!」
「あ、ヒドッ!」
パフェはキッチンではなくウエイターがつくる。面倒だし時間かかるしで、オーダー数の割にウエイターの間では鬼門のメニューだった。
いくら几帳面なアスランでもちまちまつくるパフェは御免蒙りたい。キラの云い方から任されそうだと悟ったアスランは咄嗟にフロアを申し出た。
「別に酷くない。オーダー取った奴がつくるのは当然だろ」
「うわーん!」
「じゃ、頑張れよ」
嫌味たらしく笑顔で手を掲げれば、キラが不貞腐れているのが目に入る。まあ普段から甘やかしすぎだし、と笑いながらフロアに出ると、丁度入り口のドアが開かれるのが目に入った。
「いらっしゃいませー」
キラの云う通り今日は随分入るな…と辟易しかけたアスランは、入って来る人物を見遣って思わず前言撤回した。
彼だ。
淡く輝く、肩口で切りそろえた銀髪に、美麗な貌立ち。すっと伸びる背丈は、アスランよりもすこし高い。その姿を見止めただけで思わず数秒固まりかけたアスランだったが、すぐに気を取り直してフロントまで急いだ。
彼が来たとき丁度フロアに立っていたなんて、今日はついてる。
「いらっしゃいませ。1名様、喫煙席で宜しかったでしょうか?」
「……ああ」
もうアスランが覚えていることを、彼も覚えているらしい。
ふっと一瞬微笑って、いつもの席の方を見遣ったのが判った。
「ご案内します」
逸る胸を抑えつつ、2-2の席へと案内する。
彼の瞳と同じ色のステンドグラスを前に、くらりとした。
「ああ、メニューは良い。アイスコーヒーを」
「畏まりました」
この、ほんの一言。
この会話とも呼べないかも知れない遣り取りを楽しみにこのバイトをつづけているのだと云ったら、人は嘲笑うだろうか。
「アイスコーヒー入りましたー」
「はーい。あ、もしかして王子?」
「そう」
必死に抑えたアスランの声に、パフェの仕上げ段階であり最も面倒でもあるアイスを乗っけていたキラが顔を上げた。
そこに居るだけで目立つ彼は、当然、スタッフの注目の的でもある。週1、若しくは2回の割合で来る彼にキラが名付けていないわけはなく、しかし、いつも捻った名を付けたがる割に今回の彼の場合はそのまんまだよなとアスランは伝票を出しながら思った。
彼が背後に陽を浴びる姿は、まさに王子だとアスランも思う。
始めこそ無関心でいた昔が懐かしいくらい、今は彼に関係なく彼の居るフロアに出るだけで緊張してしまう。
「あ、僕行く僕!」
「は?」
「王子のアイスコーヒー、僕持ってくよ」
「パフェは?」
「もー出来た。アスラン、3-1にお願い」
「……はいはい」
キラはいつも王子の接客をしたがる。
キラ自身は「いつも取り澄ました顔してるからさー、崩してやりたいんだよね。絶対いつか会話してやる…!」と決意を新にしているが、アスランはどこか靄々とした気持ちを拭えずにいた。
確かに常連客は既に「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と相手しているが、彼はどうもそれを許しそうな雰囲気がない。だから気持ちは判るのだが、何となく、アスランはキラもアスランと同じ気持ちなんじゃないのかなぁと思っていた。