「つまんないわねぇ」


独裁政権を誇る女王のその一言で、生徒会室が凍った。


この愛に啼け


否、正しく云えば2人を除いて。


「何云ってるんですか、会長。こんなに書類溜ってるのに」
「そうだぜミレイ。こんなにやることあるんだから、つまんなくはないだろ」


うわぁ、さすが天然とお貴族様はちがう。と、リヴァルとシャーリー辺りは思ったが口には出さなかった。
捌いても捌いても減らない書類ばかりの中で、さすがに今回ばかりは、会長のいつもながらに唐突な台詞にも頷きたい気持ちにはなっている。だがそれを素直に云ってしまうと、このお祭り好きの会長が同意を得たとばかりに何を云い出すか判ったものではないから、黙っておくに限ると彼らは判断した。
そう、会長を暇にさせるとヤバイ。
そして今の台詞には確実に何らかの思いつきが続きそうな気配がした。
それを生徒会メンバーは身を持って知っているはずなのに、何故学ばないんだろうかこの2人は。こういうときは適当に流すのが一番なのに何故そんな真面目に返してしまうのか。
カレンなどはもう半眼でスザクとジノを睨みつけている。ものすごい判りやすい警告だと思うのに。


「だーかーらぁ、ちがうわよぉ! ずっと同じ部屋に閉じこもって似たような書類とばっかり向き合ってたんじゃ、やる気もなくなるわねってコトよ」
「それは、気持ちは判りますけど……。でもがんばれば、その分早く終わりますよ」


ね、だからがんばりましょう、と笑顔で優しくガッツポーズをつくったスザクを見て、リヴァルは感嘆の溜め息を吐いた。もう全部任せてしまおうかと思うほどだ。しかしそれはそれで、笑顔の裏に何やら黒々しいオーラが湧き起こるであろうことを知っているので実行に移す気はないが。
それよりは会長だ、と思って当の本人を見ると、彼女はそんなスザクにすっかり食いついているようだった。彼女に恋心を寄せるリヴァルとしては複雑だが、とりあえず今回の被害者はスザクひとりのようなので安堵しておくことにする。


「なによー、スザク君ってば。最近やけに早く帰ろうとするわよね」
「え。そうですか?」
「そうよぉ。何、自覚ナシ? それとも恍けてるの?」


後者だろうな、とリヴァルは思ったが、何気にシャーリーやジノは何事かと瞳を輝かせ始めている。ニーナでさえも気になるのか、さっきまで集中していた書類からちらちらと視線を投げていた。
スザクは確かに、一見人当たりは良さそうだが実際は告白してきた女のコの顔さえ覚えていないほど冷めているというのは、生徒会メンバーなら知っていることだ。それを外にほとんど出さない分、紳士と云えなくもないのだろうが。
そんなスザクが早く帰ろうとしているということはつまり、アレか。興味の対象ができたということだろうか。
さすがにその辺りはリヴァルも気になった。なんか最近やけに付き合い悪いよな、くらいは思っていたが、スザクが素直に話すわけがないと思って放置だったのだ。
そうと決まれば、ナイス会長。
そう思ったのに、しかし。なんのことだか、と首を傾げたスザクに、ミレイはあっさりと、「あっそ」と軽く返事をしただけだった。
身を乗り出していたシャーリーやジノはかなり不満そうだ。とは云え、ミレイがこのまま引き下がるとも思えないのだが。
そう思っていると、案の定彼女はにんまりと笑ってみせた。


「ねぇねぇ、どーせこのままでも気が乗らなくてペースは落ちる一方じゃない? なら、手っ取り早く場所変えるってのはどぉ?」
「え?」
「場所変えるって、図書館とかカフェとか?」
「それともまさか、前みたいに合宿してってことですか?」


今までの例からすればまだまともなミレイの発言に、以前の合宿時には居なかったジノやアーニャが興味を示したが、前の地獄を見た経験済みのメンバーはげんなりと肩を落とした。


「合宿……泊まり込むの?」
「そんなことやってたのか! ちょっと愉しそうだなぁ」
「いや、愉しいことは愉しいけど、やってることは仕事だしね」


アレは苦肉の策だったのだ。しかもわざわざ荷物を運んで山に籠ったような。気が。
リヴァルやシャーリーやニーナ、カレンまでもが厭な予感を抑えつつ会長を見ると、彼女はううん、と首を振っていた。


「さすがに合宿は急には無理よ。それに図書館じゃ、話し合ったりして五月蝿くしちゃまずいし、テスト前だから多分グループ閲覧室もいっぱいだと思うし。こんな大人数だとカフェってのもちょっとね」
「そうですよねぇ。何かアイディアあるんですか?」


シャーリーも今回ばかりは会長の意見に乗り気なようで、率先して話題を振っていた。確かにこんなにずっと同じ部屋に籠っているというのも気分的に疲れる。


「そこで、よ!」


パァン、と乾いた音がしたのでそちらを見ると、ミレイが手にしたものでスザクを指していた。そのハリセンは一体どこから。いつから仕込んで、というのは全員の代弁だったが、だれひとりとして口には出さなかった。


「え、僕ですか?」
「スザク君、確かひとり暮らしだったわよねー?」
「え″!?」


スザクはまさか、という表情で立ち上がったミレイを見上げていたが、ミレイはそんな視線を軽く去なして「ほーっほっほっほ」と高笑いをしていた。手にしているのはいつの間にかハリセンではなく扇子だ。しかもものすごい色合いの。制服姿なのに何故か彼女に良く似合ってはいたので何も云えないが。


「そんなわけでスザク君、我々に場所を提供してくれたまえ!」
「い、厭です! ッて云うか無理ですよそんないきなり!」
「何なに? 汚いとか? 平気よ、なんなら気分転換兼ねて掃除手伝うくらいはしてあげちゃう」
「いやそんなことはないですが!」
「あら、じゃあ女子高生が見てはいけないものがあるとでも云うのかしら! 愉しみねぇシャーリー、カレン!」


何故そのふたりが名指しなのだろう、と全員が首を傾げたが、その辺りをミレイが言及することはなかった。


「それに男子高校生のひとり暮らしの部屋ってちょっと気にならない?」
「あ、それは判るかも」
「シャーリー!?」
「スザクの部屋がどうかってのはともかく、確かに場所変えるってのは良い案だと思います」
「カレンさん!」
「そう云えばスザク君の部屋って、すごい広いって聞いたね」
「ニーナまで……! て云うかそんなこと誰が!」
「え……っと、リヴァルだけど……」
「リーヴァール〜……」
「俺かよ!」


いや確かに前、リヴァルは夜遅くまで飯食ったり遊んだりした日に噂のスザクの部屋に泊めてもらったことがあって、すげー広いなーと思って会長とニーナが居るところでそれを漏らしてしまったことが……あったような気はするが。
しかし大分前のことだし、そこを責められても困る。
とリヴァルは視線で切実に訴えたが、すっかり頭に血が上っているらしいスザクには通じなかった。


「そうよねぇ、そうよねぇ。さっきからずっと黙ってるけど他は? ロロは?」
「僕は場所はどこでも……」
「んもう、もっと我が儘云って良いのに! ならロロ、生徒会室でこのまま仕事するんだとしたら、お姉さんを視覚で愉しませるためにスカートでも履いてみる?」
「いえ、枢木先輩のお部屋が良いです。うわぁ、愉しみだなぁ」
「そんな無理矢理! って云うかロロ、棒読みすぎだから!」
「よーし! アーニャは?」
「記録……して良い?」
「良いわよ!」
「ダメだよ! 何記録する気なのアーニャ!?」
「なら行く……」
「え、僕の話スルー?」
「さて、もう既に過半数越えたけど。リヴァルやジノは?」


もう一気に纏めて、という気分でスザクの叫びなど聞きもせずミレイは事の成り行きを見守っていた2人に向き直った。
ちょうどテスト前でもあるし誰かの家に集まるというのはそう珍しいことでもないのでリヴァルは全く構わないに決まっていたし、ジノは元から庶民の家に行ってみたいと云っていたから反対のわけがない。
ミレイによるイベントにはいつも困らされてはいるものの、その性格がこうやって気を回してくれる結果になったりもするから、生徒会メンバーとしてはそれを有り難く感受しているのも事実だ。今回は被害者がひとりほど居るが。


「意義なーし」
「ちょ、リヴァル! じ、ジノは……!」
「そりゃ私も構わないさ。女性陣が良いのなら」
「そ、そうですよ会長! 男の一人暮らしの部屋に女の子が来るなんてダメですよ」
「あら、生徒会役員よ? そんな問題あるって事前に思う方が問題だわ」
「それとこれとは……」
「別なわけないでしょ。もちろん、ちゃんと遅くなる前には片付けて帰るわよ」
「それは当然ですけど、でもですね」
「あらなーにぃ? スザク君、もしかすると帰りを待ってくれている可愛いコちゃんでも居るのかしら?」


ばさり、と扇子を振って会長は視線を鋭くした。
ああそこに話が繋がるのね、と全員が思ったが、最早スザクに感じるのは哀れみではなく、期待だけだった。


「いえ、その」
「あらヤだ本気?」
「あわわ、違いますが、その、ひとりではないことは確かで……」
「え? どういうこと?」


視線をめいっぱい逸らしたスザクの台詞にはリヴァルも驚いた。前に行ったときはホントにひとりで暮らしているようだったのに、いつの間にそんな面白……いや、厄介なことになっているのだろう。


「何、同居人? ルームシェアとか?」
「いえ、あー、と。猫……」
「なら気にするコトないじゃない! なーんだぁ。猫苦手なコ居るー? アレルギーとかない?」


会長は速攻で反応したので聞いていなかったようだが、比較的スザクの側に居る男性陣はばっちり聞いていた。
スザクの「猫……」の台詞の後に、「のような……?」という言葉が続いたのを。そこでリヴァルとジノはあれ、やっぱそういうことなのかとやっかみ半分、このままでは皆にバレることになってかわいそーという揶揄半分の気持ちを抱いた。しかしロロだけは純粋に首を傾げ「ネコ科の何かかな?」と呟いていて、その瞬間リヴァルとジノはこの子を一生護らなければならないと心に誓った。
そんな葛藤を気付きもしないスザクはまだ諦めていないようで反論を試みている。


「いえ、あの! それもそうなんですが、その猫……の方が、他人が領域の中に入ってくるのが苦手で……」
「あら我が儘ね。この辺りで矯正させちゃいなさい」
「それも思いましたけど、でもそんな我が儘なところが可愛いんで良いんですよこのままで!」


女性陣は微笑ましいような眼で拳を握るスザクを見ていたが、リヴァルとジノは非常に居たたまれなかった。ロロが「良いなぁ、枢木先輩には懐いてるってことですもんね」と云うので余計に。
まさか硬派だと思われていた枢木スザクがこんな。こんなことって。
しかしあまりに面白いのも事実なので、お互い無言のうちに口を出さないことを了承し合った。
そうこうしているうちに、この人数相手にスザクひとりで勝てるわけもなく。あっという間に枢木邸行きは決定し、ミレイの采配により書類を分け合ってメンバーは生徒会室を出たのだった。項垂れたスザクの背中をむりやり押しながら。