「眠れないんですけど」


ルルーシュがそろそろベッドに入ろうかというタイミングで部屋のドアが開いた。相変わらず間が悪い。いつだって間が悪い。
ノック音は一応聞こえたには聞こえたが非常に小さく、何か作業をしている途中だったり既に寝入っていたりしたら恐らく気付かなかっただろう。そして、絶対に部屋に入れなかっただろう。
しかし、いやだからこそなのか、侵入者は部屋の主人であるルルーシュの返事を待たずに勝手に入ってきた。ノックはそっとしたくせに、鍵をかけたノブはガキッと思いっきり力の限り捻り、鍵をぶっ壊して。
侵入者とは云ってもさすがに危険人物では……いや、ある意味危険だが、邸宅に入り込んだ不審者というわけではない。把握している顔だ。
だが、不審者には見える。
様々な意味を込めて、ルルーシュはギロリと睨みつけたあとに深くふかいため息をついた。


「…………どこから突っ込めば良い」
「え? 何かおかしいところでも?」


大男がクマのぬいぐるみを抱えて、パジャマ用の帽子まで被っていて何もおかしくないとでも思っているのだろうか。出で立ちはパジャマではなく、リラックスした部屋着という感じのシャツにスラックスだが。


(……シンプルなセンスも持っているのに……)


昼間のアレは何なのか。いや、いまもサンタ帽のようなものを被っているから同じか。
しかし三つ編みはそのままだ。


「俺は敢えて放置の道を選ぶとしよう。しかし、眠れないも何も、そもそも眠る準備をしているようには見えないんだが」
「そんなことはないですよ! キャロラインに添い寝をお願いして一度は横になったのですから!」
「キャロライン……」


何だろう、その名に厭な郷愁を感じる。


「殿下が添い寝をしてくだされば何の問題もなかったのですが……」
「問題だらけだ!」
「仕方ないので、いつも殿下の身代わりにキャロラインを抱いて寝ているのです」
「待て。今日の話をしていなかったか、最初は」
「それはそうでしたが、いつもの話でもあるのですよ。だって毎日殿下に添い寝してくださいーなんて拝み倒していたら、きっと殿下には蹴っ飛ばされて、全身をガシガシ踏まれていたことでしょう」
「良く判っている。ああ、俺のことも、自分の弁えるべきラインも、良く判っているな」
「長い付き合いですから。しかしそのやりとりがもし露呈してしまっては、私は変態だと皇宮で噂されてしまうではないですか」


何と答えたら良いのか、ルルーシュは迷いに迷った。と云うか、まず最初に驚いた。


「……おまえは、客観的に見て自分が変態ではないとでも……?」
「え!? 何をひどいことを仰るのですか殿下!」


いやひどくない、真実だと云ってやりたい。
本気で驚いた。変態には、変態の自覚がないらしい。変態は変態なりに、自分の変態さを愉しんでいるものと思っていたのに。
と云うか、ルルーシュに変態と云われて歓んでいなかったか。周囲には思われたくないということか。
……いや、変態談義などどうでも良い。
しかし、ここでジノが皇宮で実際どういう印象を周囲に持たれているのか、真実を教えてやるのが優しさだろうか。
だが、優しさはときに残酷にひとを傷つけてしまうこともある。


(……………………放置で良いか)


そうしよう。きっとルルーシュの精神的にもいくらか良い。


「しかし、キャロラインとは……なんだか、ずいぶんと懐かしさを感じる響きと云うか……」
「それはもちろん、殿下から初めていただいたプレゼントだからですよ!」


覚えていらっしゃらないのですか! とジノがそのキャロラインとやらを前に突き出して哀しそうな表情で嘆く。
いや―――思い出した。
ナナリーにあげようと用意したテディベアがあったが、それよりも良さそうなものを買った後に見つけてしまったことがあった。当時小さいナナリーにとっては、最初に用意した一般的なテディベアよりも、ふかふかして包み込まれるほどの大きさのもののほうが歓ぶのではと考えたのだ。テディベアは一生のお友達だと良く云うが、自分で名前をつけ、どこへ行くにも連れていくようなぬいぐるみはそのときのナナリーにはまだ早いかも知れず、当時まだ信頼を寄せていたマリアンヌに相談したらそれもそうね、私は大きいもっふもふ推しよ! と云っていたから。
そして、やがて渡すのならまた選び直したいし、残った方をどうしようかと思って……


「懐かしいですねぇ。五歳くらいだったかな、私は。そのころの私は本当に小心者で、いつも兄や殿下の影に隠れていて。あれは何でだったか、ひとりでアリエスの離宮に泊まることになったとき、殿下と一緒に寝たいですと喚く私に、殿下がこれでひとりじゃないと渡してくれたのですよ。僕の代わりとでも思って、優しく眠れるから、と」


まとわりついてきて相手をするのが面倒だっただけだ。あと、ちょうど良い処分先を見つけた、と。
しかしジノは異様に歓んで、プレゼントボックスを開けた瞬間に何故か、キャロライン! と叫んだのだった。ピンと来たらしい。
何をやっている十年強前の俺……とうなだれそうになりながら、なんとか耐えた。


「……ずいぶんと物持ちが良いな」
「ええ。殿下が選ばれるくらいですからもともと物が良く、丈夫な造りをしているおかげもありますが。毎日使っているわりには綺麗でしょう? いろいろケアしているんですよ」
「毎、日…?」
「殿下は一緒に寝てくださらないし、それをお願いしたら私は変態扱いされてしまうだろうし。非常に悔しいながら、殿下と私は生活圏が違いますからね。アリエスの離宮の家令は厳しいですから、昔なら殿下の友人として快く出迎えてくれたのに、ラウンズとなってからは簡単に出入りさせてくれなくなりました。となると、殿下に直接お願いするとしたら太陽宮に殿下がいらしたときしかありません。それでは、人目に多く触れるでしょう」


まさにその太陽宮で、アリエスの家令や執事の心労にも構わず、ラウンズのくせに一皇子であるルルーシュにばかりまとわりついている自分の評判を知らないのか、と云ってやりたい。やりたいが。
何故か、こどもに着ぐるみの中がどうなっているのか、サンタクロースの正体とは、など繊細な問題を教えてしまうときのような気持ちになってしまった。我ながら意味が判らないが。


(無理だ……云えない。―――が、年下とは云えこんな立派な大男が毎晩こどものころから大事にしていたテディベアと未だに一緒に寝ている事実のほうが無理だ。しかも何の疑問も羞恥心も抱いていない。俺は……)


俺は、どうすれば良い。
自分の責任なのだろうか、これは。ヴァインベルグ家に、末っ子だから上のお兄ちゃんたちも見てくれるし、ルルーシュ殿下が飼ってくれてるし、って放置してないで、ちゃんと構ってやれ! と抗議したくなってきた。


「……今日は、キャロラインはおまえを眠りにいざなってはくれなかったのか」
「ええ。キャンプ中のテントの中では優しかったんですけどね」


もうどうしたら良いのか判らない。冗談ならまだ良いが、どちらにしろこれだけ長く冗談を続けられたらそれはそれでドン引く。


「枕が違うからかなぁ」
「戦場にも赴く戦士が何を悠長なことを。本気でそういう性質なら、むしろキャロラインより枕を連れて来い」
「枕はリズですよ殿下」
「……エリザベスか。その彼女は連れて来なかったのか」
「さすがに荷物は小さくしたかったので。いえ、決して彼女が太ましいというわけではありませんけどね! 潰れてしまっては可哀想ではないですか」
「フェミニストと見て良いのか、それは」


しかもどうでも良い。
ルルーシュの声は自然低くなったが、ジノは全く気にしない。気にしないところと落ち込むところのラインが未だに良く判らないでいる。どうしても判りたいというわけではないが、今後の精神衛生上のことを思えば把握しておくと多少の対策にはなるだろう。


「それに、何にしろ殿下とブリタニア皇宮よりは狭い空間で一緒の生活になると来れば、リズに頼らなくても大丈夫だろうと踏んで。キャロラインは非常用のつもりだったんです。ひとりにさせてしまうのも何だし」


まさかサバイバルに投げ出されるとは思いませんでしたが結局はこうして一緒に、だの何だの女々しくうるさい。


「何が大丈夫なのか判らんが。―――で、非常用に頼っても無理だった、と」
「だってこんな、殿下と一緒に寝られる絶好の機会が眸の前に転がってるんですよ?」
「だっても何もそんなものはない。その機会とやらがあったとしても、もうとっくに転げ落ちている」
「あったとしたら何ですかね」
「想定外の事態。それこそ、ここまでの旅路で自然災害等で先に立ち行けなくなり、キャンプ用品が役立ったときじゃないか?」
「……崖崩れを起こせば殿下とひとつ屋根の下、隣り合って……」


割合本気の据わった眸をしている。いや、眠いだけだろうか。


「起こすな、そんなもの。騎士道はどうした」
「起こしたことあるくせに」
「俺は騎士じゃない。戦略家だ。非道と云われようが何だろうが、勝ちを取りに行くにつけ俺を止めるものはナナリーの安全以外に何も無い。結果的に犠牲はゼロ。戦果は云うまでもない」


ナナリーの良心でさえ時には振り切る。それに関してはジノも判っているくせに、妙に不満気だ。


「結果、カラレスの莫迦が調子に乗っていたので私としては不満でしたがね。ラウンズを戦後処理のあいだ自分の護衛につけて現地に縫い止め、殿下をとっとと本国に帰してしまうし」
「何を今更」


莫迦のか真面目なのか判断しにくい会話が終わる気配がなくどうしようかと思っていたが、そう云えばジノが訪ねてきた時点でつい無意識に淹れてしまっていたハーブティーをちびちび飲んでいたジノのテンションは、カップの中身が減るにつれ落ち着いてきていた。己の女子力がいまは尊い。


「―――で。本題に移れ」


話があるのは判っていたが、テディベアなど抱えているからずいぶんと遠回りをしてしまった。……いや、しかし。
ルルーシュ自身もカモミールのお茶を口にしながら良く良くキャロラインを眺めてみると。確かに綺麗にしてはいるがだいぶ使用感があって、そしてルルーシュの記憶力はあのときのものと寸分の違いもなく同じ、使い古したが故の毛並み以外は、と結果を弾き出している。冗談などではなかった。……怖い。


「眠ろうとしたのは本当ですよ。ただ、やはり王のことが気になってしまいまして」
「……枢木王か」


案外まともな話だった。
しかし眠れないと云って来たくせに、寝つきは良くならなさそうな話だ。寝物語にはならない。むしろ意識が冴えてしまうのではないか。ルルーシュもそろそろ寝たかったのに、覚悟せねばなるまい。


「私は今日の、ロールキャベツ男子の姿しか見ていないので、私が夜の山で凍えていたあいだに殿下が見た王の姿を聞いておきたく。明日の護衛でも何かしら影響が出るかもしれませんし」
「なるほどな。眠る直前に様々な考えが駆け巡るのはままあることだ」
「話、逸らさないでくださいね」
「そう云われてもな。ロールキャベツはさすがに流せない」
「おや、ご存知ない」
「いや、俺は恐らく皇族一、俗世にまみれている男だ」
「威張らないでください。そしてそう思われる所以をあとで良いので教えてください」


聞こえない。何も聞こえない、と頭を一振りする。


「―――と云うワケで、その言葉の意味は知っている。しかし、アイツと女との接触は今日はなかったぞ。なぜロールキャベツと断じた?」


頸を傾げると、ジノが苦虫を噛み潰したような顔をした。ティーポットから茶葉は取り出してしまっているので、苦いということはないはずだが。


「とりあえず、私も放置の道に進んでおくことにします。あとで引き返しますが。……肉食の気配は、感じなかったですか?」
「初夜の話か、今日の話か」
「どちらもです。と、云うか! そうだ何より大事なコトを、なぜ私は…!」


ひとりで盛り上がって嘆かれても困る。俳優のような容姿だから芝居でも見ているかのようだ。
冷静に眺めていたら、やがてジノは落ち着いた。が、表情は鬼気迫っている。


「初夜なんて云い方をしていますが。無事だったんですよね!? 計画通りに行ったんですよね!? 貞操は……殿下の貞操は、守られたのですよね!?」
「……まずひとつ。計画が崩れていたら、俺はあの神殿を出られていなかっただろう。そして、もうひとつ。俺は云ったぞ、獅子だと」
「……!!」


ジノが顔を真っ青にして、声もなく叫ぶ。嘆く。
それを見て、ああそう云えばコイツが何よりも気にしていなかったことを抜かしてしまったと思い至った。
敢えて明言せずにいたら面白いかと思ったのだが期待以上の面白さだったので、本来種明かしはすぐしようと思っていたはずなのにタイミングを逃してしまっていた。


「……仮面なんか抱けるかと。やはり王は云っていたな」


するとジノの動きが止まり、ほー……っと息を吐く。


「来たには、来たのですね」
「ああ。色々対策を講じておいて何だが、実のところ意外だったな。指一本触れず、というほどでもなかったが、スタンガンもバールのようなものも出番はなかった」


途中で一瞬ガタンとジノが立ち上がったが、意味を理解したらしくすごすごとソファに座り直した。


「―――つまり?」
「向こうから提案してきた。大臣たちには上手くやったと報告しておく、と」
「何…? 意外、と云うか。その展開を待っていたとは云え、王の態度は不気味ですね」
「ああ。そして姿を現してから、そんな話を簡潔にしたあと割合すぐに出て行った。後宮のお気に入りのところに行くか、遊郭街にでも繰り出したのかと思っていたが……」
「今日の感じだと、そういうタイプではなさそうでしたね。ロールキャベツとは云っても、そういう系の肉食ではなさそうだし、その包み隠し方もキャベツっぽくない」
「その表現で何となく判ってしまう自分が厭だが、そうだな。しかしそれなら尚更、おまえがなぜロールキャベツにこだわるのかは判らないが。いや、女好きの噂の真偽はともかくとして……アレは、恐らく……」
「? 何です?」
「―――いや、それを断ずる前に、そう云えば尾行者が居たな。気配はどうだった?」
「ああ、そう云えば。街を出るときですよね。禍々しい気配を持っているわけではなく、本気でってわけでもなさそうでしたね。少なくともプロではないです。だからすぐに振り切ることができたでしょう? どうせ殿下のストーカーか何かかと思いましたが。ああ、狂王本人ではないですよ」
「ストーカーの流れからなぜスザクの話になるのか判らないが……そうか、案外俺の予想は当たっているかもな。犯人はスザクの仲間あたりか」
「仲間って? ……と云うか、スザク?」
「ああ、そう名乗った」
「王が、ですか?」
「そうだ。もちろん仮名という可能性はあるが、もしかしたら……そうだな。それがアイツの本当の名前なのかもしれないな。枢木王≠ナはなく」


僕スザクって云うんだ
そう名乗ったときの笑顔は、まっすぐに晴れやかだった。


「……一生外に知られない、自分で使うだけの名前ですか」
「そうなるな。もともと、内部では便宜上名前はあるのではないかとは踏んでいたが。もしかしたら、妻にさえ知らされることはないのかもしれない。少なくとも、ここに移るまでに教えられはしなかったな」


神殿の滞在時間は短いものだったし、初夜も既成事実を装っただけなので、教えるまでもないということもあるとは思う。だが大臣は王≠ニ呼ぶばかりだし、それは神殿の中だからという理由だけではない気がした。普段からそう呼んでいる空気だったように思う。


「そうですか……。私は眺めていただけですから気軽に断ずることはできませんが。印象では、ただの年相応の少年でしたね。お人好しに見せかけて、美人を引き止め連れ回しちゃうところもあるような」
「ああ、それでロールキャベツ男子か。……納得したので見逃してやろう」


またコイツめ美人だの何だの云いだした、と思ったが。睨みつけるだけはしておいたら、ジノは元気良くありがとうございます! と御礼を云った。敬礼付きだ。許されたことが良かったのか睥睨の視線が良かったのか難しいところだ。


「それでも直接接した殿下からは、違う一面が見えていましたか?」
「さぁな。だが少なくとも、おまえがただの少年だと云った通り今日の昼は普通に街に溶け込んでいた。―――が、俺が王だと気付いたからこそ見えたんだが、背負うものもあるようだな」


眩しい笑顔を見せるふとした合間に、紛れ込む苦悩。それに、昨夜王の気配の中に感じた影に住む者が持つ特有の闇。そのわりに、握った手には無防備にぎゅっと判りやすく力がこもる。……ルルーシュを何も知らない旅人だと思っているからこその。


「『背負うもの』、とは、単純に王の責務というだけではなさそうな云い方ですね」
「ああ。……いや、狂王としても、王の責務については理解して受け入れているようなことは云っていたな」


ふむ、とジノが頷く。


「……とりあえずは、ただの莫迦というわけではなくなりましたね。狂っているのかは判りませんが」
「ああ、そうだな。ひとまず、とにかく莫迦なんじゃないかというケースの対応策は潰えた。今日は能天気に俺を案内してくれていただけではあったが、普段は街の見回りを自主的に行っているそうだし、顔も広い。王のときにしても、向こうから大臣たちへの根回しを提案してきただけあって、何も考えてないというわけではなさそうだ。少なくとも、ブリタニアとの婚姻、その意味と重要性を正しく理解している」


ルルーシュたちが予測していたような、婚姻に失敗すれば遊べなくなるから、などという軽い理由ではなさそうだった。それに、玉座のある神殿で大臣たちに見せていた顔と、初夜に奥座敷で花嫁に見せた顔でさえ多少の齟齬があったように思う。


「なるほど。昼行灯というわけでもない、と。では、残るは……実際に狂っているケース。―――……理性の残る狂人ほど、普通に見せかけることが上手いものですよね」
「そうだな。あるいは、あくまでも普段は普通の人間だ、とも云えるが」
「狂人スイッチかぁ。狂う方向性はともあれ、ブリタニア皇族や貴族には多いですね。ブラッドリー卿には当てはまりませんが」
「ルキアーノはアレだからこそ良いんだ。その危険性を含めての人事が周囲を黙らせる。それでいてあの小物感、とてもすばらしい」
「……あとで教えておいてあげよう。それこそ狂いそうだけど」
「おい、何をぶつぶつ云っている?」
「いえ、ブラッドリー卿は判りやすすぎてサイコな狂人になりきれないんだろうな、と」
「あの凶暴性は戦場で獲物を見つけて戦意高揚してこそだろう。普段はただの厨二病のチンピラだ。多少性質が悪い程度の。侍らせているヴァルキュリエ隊が無事でいることが何よりもの証明だ」


可哀想だからもう良いや、という言葉がジノから届いた。
アレを可哀想だと思うなど、ジノも存外他人を気遣うところがあるらしい。


「ブラッドリー卿のようなあけすけなタイプを除けば、普通は中に眠っている異常性は隠す、あるいは隠れているものとして。枢木王の場合、いまのお話からすると意図して切り替えをしていそうですね。演技だとしたら上手いなぁ。多重人格や影武者という可能性を除けば」


そう云えばその可能性は考えなかった、とジノの指摘にはたと気付く。しかし、何故考えが及ばなかったかと云うと。


「……それはないだろうな。違うようでいて、一貫性がある。その上で云うが、演技は上手くないぞ。遅らく、昼の……スザクか。アレが何も取り繕っていない姿だろう。狂王としては多少無理をしていそうだな」
「根拠はお有りで?」


それとも勘ですか、と特に気にもせずに、ジノはハーブティーのおかわりを注いでいる。他の貴族であれば、勘で語るなど、と鼻で笑われるところだろう。―――しかし、根拠と云うのならば。


「寝所で。仮面を抱く気にはなれないと云われ、ごもっともだとつい頷いてしまったんだが、それが俯いたように見えたようでな。落ち込んだ仮面に多少たじろいでいた」


気遣いまで受けてしまったような気がするが、それもスザクという人間と接すれば納得できる。
不思議と逆だとは思わない。
状況証拠云々よりも、ルルーシュ個人としての気持ちの面で。狂王がお人好しのスザクの演技をしているとは思えない。それこそ勘だが。
自分は一体どうしてしまったんだろう、とふと考える。勘を信じるのは珍しくないが、感情を優先させることはしないようにしていたのに。


「……極度の女好きで、夜毎饗宴で酒池肉林を愉しんでいるという話がありましたね。今日の様子からすると、どうせほぼ噂で、街で国民を味方につけて何やら画策してはいるのでしょうけど。どちらにしても、女性に対しては優しいというだけなのでは? 狂王という噂通りだとしたら、下心付きだと思えばありそうです」


噂が違うなら、今日の感じだと演技抜きでもフェミニストっぽい、と云う。


「おまえにしては中々鋭い。『何やら』と誤魔化した部分はともかく、王…いやスザクか、奴の思惑はビンゴだろう。しかし、女性に対して…、なぁ。可能性として否定はしないが。王は仮面を気持ち悪いと云ってのけたが、それは仮面などを被っている新婦の自業自得と云える。アレはどう見てもおかしい。いくらしきたりだとかいう理由をつけたところで、相手方に失礼だというくらい察するべきだし、実際あの姿を初めて見た人間の反応が良くないことも覚悟して臨むべきだ。それで落ち込んだ相手を気にするものか、普通? 狂王であれば演技だろうが素だろうが傲岸不遜を貫くべきところだろう。だが、そんなに怖がるなとまで云われたぞ。そのままブーメランで返してやりたかったが」
「……やだ、狂王優しい……」
「だろう。狂人スイッチとやらがあるかもしれない以上簡単に否定はできないが、普段の枢木王の態度……少なくとも神殿内の大臣の前では演技だろうなと思った。今日のスザクを見て余計に。それに女性には優しいという可能性にしたって、仮面に下心なんぞ……」
「いやそこは、じゅうぶん女性の体つきだったではないですか。おっぱい!」
「やめろ張り切るな敬礼するな合言葉のように扱うな輝かしい笑顔をやめろ」
「……失礼しました。いえ、ちょっと真面目な話になるとむず痒くなる性分でして」
「それは知っている。要は、噂を流したのはどこの誰でなぜなのか、なぜスザクはいまのところ現状に甘んじているのか、という話になる予感から逃げたんだろう」


ううう、と唸ったジノがやがてその通りです…と声を絞り出す。胃を抑えてまで。快楽主義者にも身分や地位によっては苦労があるらしい。ある意味貴族らしくもあり、そして貴族らしくないとも云える。腹の探り合いをなしに実力を試される軍人になるという選択は正しかったのだろう。
……まぁ、大貴族という太すぎるコネがなければ、この若さでラウンズとなるのは有り得ないので完全に実力だけとは云い切れないが。ルルーシュがおまえの実力は知っているし信頼していると云えば晴れやかに嬉しそうに笑うものだから、心が多少痛くなる。そして、ジノもその後はたと我に返りちょっと恨みがましい顔になる。
何にしろ、ジノは貴族より軍人枠だ。戦略より戦術に頼りがちの。ここでルルーシュをそこそこ満足させる会話ができるのは、ひとえに、ルルーシュの教育の賜物でしかない。
逃げたいそぶりを見せながらも、結局は何かしら考え込んでいる。


「噂をですね、自分で……王自身が何かしらの隠れ蓑にしている可能性が大きいと踏んでおりますが。ただ、私は日本の首脳陣について、王のことでさえほとんど知らないというのに、どうにもそちらのほうがきな臭いような気がしてならないんですよね」
「……何か?」


ルルーシュが鋭い眸を向けると、いやぁ……とジノが多少云い淀む。


「……現枢木王は父である前王を弑逆し、現在の地位についた、との噂を」
「街で、か?」
「ええ。流しの商人ですがね」
「そうか。だが恐らく、街の人間には笑われて終わり、だろう」


薄く笑ってみせると、ジノはすこし眸を丸くした。


「正しくそうです。考え過ぎだと諭されていました」
「―――諭すと云っても、自国を悪しざまに云われた怒りさえなく、呑気に構えているだけだろう。国民からしたら知らぬ間に王が代替わりしていた、という程度の認識だろうからな」
「……何かちょっと怒ってます?」
「いや、何も?」


疑わしそうに、むしろ恨めしいような眸でルルーシュの様子を探ろうとするのは珍しい。もっときょとんとしているかと思ったのに、やはりジノは案外本質を突く。


「有名な話でしたか?」
「国外ではな。おおっぴらに話されるような内容ではないから、それぞれ上層部くらいにしか行き渡っていないと思うが」
「ではその商人、怪しいですかね」
「いや、それは放っておけ。どこの国もどうせ他国のことだと、徹底して極秘情報扱いしているわけでもないだろう。一応、もし見掛けたら注視してみる程度で良い。長く居座るようなら、情報屋あたりかもしれないからな」
「なるほど、判りました。ああ、それで、私もそれを鵜呑みにしたわけではないですが、噂がある以上は確かめさせてください。神殿内で王と大臣たちの関係はどうでしたか?」


目の付け所は悪くない。今日街中を(強制的に)巡ったからこそ、だろうけれど。ひたすら王自身を探ろうとするよりはよほど賢い。


「良くも悪くもないな。だが大臣たちは、王を恐れているどころか、あの放蕩癖はどうにかならないのか、と頭を抱えているような様子だった。狂王の面に関しては、不安材料だとしてもさすがにブリタニア皇族の前では出さないだろうから何とも云えないが。王は王で、周囲の声をうるさがっている程度か。そもそもほとんど玉座には居ないようだが」
「……平和ですね。ただの反抗期かつ思春期の青年の話のようだ」


それはそれでひとつの大問題に繋がるわけだが、まぁいまは気付かなくて良いか、と流すことにした。


「ああ、正に。それに、俺の知る限り、神殿内で王以外の代替わりは前王の時代からほぼないと云って良い」
「……王となるにつき、古株を一掃することはなかったのですか」
「そんな噂もあったし、普通はそう考えるよな」
「ええ。ブリタニアだって、皇帝が退任されればラウンズは解体し、新皇帝が自身の信頼を置ける者、あるいは実力があり主に固執しない者を新たに選ぶものです。大臣は貴族関係の兼ね合いで引き続き務める場合もありますが、一応は一度解散の形を取って、年配は引退させ新規の顔ぶれが並ぶようになりますね」
「ああ。だが実際に日本では、この眸で見た限り年嵩の人間ばかりだったから、現王の若さから考えると代々仕えているのではないかと思われる。王にあからさまに擦り寄る者も居なかった。おまえが云っていた通り、やんちゃな孫でも見ているような目線の奴も居たくらいだ。ああそれに、この国も貴族社会に近い面があるようだな。旧家というものがあるらしく、庶民とは一線を画していて、大臣はそこの出の人間しか居ない。おそらく他の街では、やはりその地の豪族がトップに君臨しているのだろう。そこまでがちがちに固められているのなら、一掃するのが面倒だとも取れるが……現王の噂の真相がどうであれ、王が代替わりするのに周囲がそのままというのは違和感があるな」
「……前王は悪い噂を聞きませんが。代替わりの理由として、その簒奪手段は普通のことなのか、噂は噂でしかないのか」
「火のないところに煙は立たぬとは云うが。前者だった場合、王どころか国ごと狂っているな」
「確かに……。では、そこを探るところでしょうか? 代替わりについて、延いては、前王の死因を」
「それは確かにそうだが……スザクの演技の可能性についてはもう良いのか?」


それとも優先順位が下がったのか、と問うと。


「殿下が違うようだと仰っているのだから、そうなのでしょう。私も実際に見て、表情が自然だったからという理由も多少ありますが。殿下の洞察力は疑うまでもありません」


そうか、と頷きながら、忠臣らしいところを見るのは久々だなと思う。腐っても騎士、ということか。……結構腐っていると思うが。もちろん、軍人としての腕前は除いて。


「まずは私も狂王を直接見てみたいと思いますが……神殿に潜り込むのはまずいですよね」
「当たり前だバカ。そもそもおまえの存在はないことになっている。―――とは、云え……できるだけ機会はやりたいな、確かに。すこし先の話になってしまいそうだが」
「そうですか。殿下の腕にかかれば、そのときには私の興味も終わっちゃってそうだなぁ。とりあえずは昼の、スザクとやらを見るしかないですね」
「そうしておけ。比較したい気持ちは判るが、おまえは直感のほうが優れている。ああ、大臣側を探るのは咲世子に任せているから安心しろ。実際に物資の配達という名目のご機嫌伺いが早速あったらしいしな。ジェレミアが上手くやってくれたが」
「あからさますぎるなぁ。まぁミスニンジャは挨拶で大臣とも顔を合わせたと云っていましたし、何より隠密行動は彼女の十八番ですからね」
「ああ、その通り。だが、やはりあまり長くここを離れて動くことはできない。―――というワケで、王を直接つつくのが最善だな。探る第二段階は……まぁ、明日の様子を見て、になるか。さすがにこちらの正体に気付いてはいないだろうから、普通に旅人として接してくるだろう」
「しかし、追っ手を撒きましたが」


ジノが眉を顰める。だが、それはルルーシュにとって懸念材料ではない。ジノが確かめたくなる気持ちは判るが。


「ああ、そうだな。逆に追ってくれて助かった」
「と、云うと?」
「ただの旅人、地の利もないはずのに撒かれるものか? と、多少の違和感は覚えるかもしれない。それでこちらを探ってくるかどうか。それが肝だ」


遺跡……と呟くけれど。


「……まぁ、その辺は素直に愉しんでください。確かに観光なんて、殿下の立場ではあり得ませんからね」
「ああ、珍しく俺を気遣うんだな。だが……そうか、動けなくなるまで、一週間ほど。それまでの時間は有効に使わなくてはな」
「一週間……ああ、結婚式ですか? 来週末ですよね」
「そうだ。何故かアイツ……スザクも暇そうだったし、明日以降は俺からも誘ってみるのが妥当か」
「……殿下御自身の動きは、そうするのが良いでしょうね。何故暇なのかも含めて探っていただけると」
「ああ。尾行してきたのは先ほども云った通り、恐らくスザクの仲間だ。神殿ではなく、街中のな。あの、最初に俺に絡んできた奴ら、アレを撃退した後に仲間を呼んで縛り上げておくというようなことを云っていた。その仲間が、スザクと一緒に居た俺のことが気になったとかそういうオチだろう、どうせ。軽いノリだったと思うが、それを撒いた俺をどう扱うか。それが先ほど云った通り、あちらの警戒心がどれほどのものかの判断基準になる。だがこれはただの予測だ。C.C.の助言を聞くわけではないが……確信は欲しい。やはり、スザクに接触してあのお人好しに乗っかっておくのが良いだろうな。……そのお人好し≠フ実情がどうであれ」
「……複雑ですが。そこは仕方ないとするしかないですね。殿下から誘うという点は複雑ですが」


さらっと聞き流すことにする。自分でも、自分から誘うなど違和感しかない。何だかんだで、実際に生身の己を囮にするのは初めてかもしれない。


「ああ。そういうワケで、いまから宣言しておくが」
「何です?」
「相当こき使うからな、覚悟しておけ。ジェレミアと、先ほど云ったように咲世子にも命じていることはあるが、基本的に奴らはここを長く離れるわけにはいかない」
「ああ……そうですね。逃げられやしないかと、神殿からの使者はしつこく来そうですし。私は動くのが性に合っていますから……って、それはここのメンバー全員だな……」
「それもそうだな。ジェレミアと咲世子はフラストレーションが溜まるかもしれない。まぁ、発散させる機会もそのうち来るから大丈夫だろう」
「……その、秘密主義のくせにちょっとだけこちらが気になるようなことを香らせるのやめませんか。どうせ時が来るまで教える気もないのに」
「そのやきもき、愉しいだろう?」
「否定も肯定もしにくいです。調子に乗られたらこの先さらに困りそうですから」
「強くなったものだな、おまえも。俺に対して」
「鍛え上げられましたからね」
「俺としてはやりにくいが、おまえが他の貴族とそこそこ渡り合えるようになったのは俺の教育のおかげだな」
「……感謝しています?」


ジノが変な顔で頸を傾げる。素直に感謝する気が起きない気持ちは判る。我ながらずいぶんとスパルタ教育を施してしまった自覚はあるから。と云っても、教鞭をとれば悦んでいたような覚えがあるが。


「これ以上天真爛漫の溌剌な好青年の演技で乗り切るには、さすがに無理があるからな?」


うう、とジノが情けない顔で唸る。


「判ってますよ、もう年齢的にも地位的にもそれで押し通せないことは」
「と云うよりも、もう外見からしてソレが許される可愛さを失っているのが一番の理由だと思うが」
「え!? 可愛くないですか、私!?」
「……可愛いと思っているのか?」
「そこはほら、アレで」
「どれで?」
「バカな子ほど可愛いとか云うアレで」


ふう、とため息を吐いて、バカな子の喚きを忘れることにした。バカだから。すぐに忘れるだろう、バカだから。


「しかし……やきもきさせようとはしているが、何も最後まで総て俺の頭の中で完結させる気はない。適度に情報は開示して行くから、臨機応変に動け」
「わぁ謎解きみたい……やきもきする……」
「いや、俺のほうこそものすごくやきもきしていることがあってだな……」
「…? そこは話す気がありそうですね?」
「ああ。―――いや、懸念段階だからいますぐは止めておくが、近日中……もしかしたら明日あたりにははっきりしそうだ。俺はやきもきどころか怖くて仕方ないが、とりあえずは気にするな」
「はぁ…。なぜ恐怖に繋がるのかすごくやきもきしていますけど、明日には判るということならひとまず引きます」


そうしてくれ、と云った表情は鬼気迫っていたか、あるいは青ざめていたのだろう。自覚はないが、ジノが変な顔をしている。もし明日中に動きがなかったとしても、ジノにはどういうことかとしつこく聞かれるだろうなと覚悟した。口にもしたくない話題だが。


「―――では、改めて。とにかく明日は殿下も私も情報収集より、直接王の動向を探るところですね。もどかしい手順をすっ飛ばせるので楽ですが。仲間とやらについては良いですか?」


何にしろ殿下に張り付いていますが、とジノが難しそうな表情で唸る。


「そうだな。尾行されても簡単に撒けるような奴らだ。スザクの護衛や部下ではなく、訓練もされていないような……精々が、街の自警団と云ったところだろう。ただ接触しないようにすれば、それだけで良い。スザクについて判ることが増えるにつれ、どうせ露見するだろうからな。とにかくバレないように尾行して、スザクの表情の変化だったり、端から見てスザクが俺をどう扱うかを見ておいてくれ」
「それでしたらお任せください。観光目当てに加え、相手が相手だからこそ話に乗ったのだと思えばまだ気分も凪ぎます。仰る通り、今日とは違う視点で注視しますのでご安心を。―――ただし、私は殿下の忠実な犬であると同時にラウンズでもあります。本来の役割としては、単純な護衛であることをお忘れなく」
「そうだな。仮令ただの皇帝の親バカ故の心配性の顕れだとしてもな」
「……格好良く決めたと思ったのに」
「良いじゃないか。ラウンズの誰かを連れて行けと云われおまえを選んだのは俺だし、護衛そのものを突っぱねた覚えはないぞ。それに、犬は主人の危機に敏感なものだ。もし狂王の姿が露呈でもした場合は騒いで良い。存分に暴れろ」
「イエス・ユア・ハイネス」


それでは一緒に眠りましょう殿下! と、ジノがそれまでソファで隣に座らせていたキャロライン(ジノが被っていた帽子つき)を抱え込んだので、渾身の力を込めて吹っ飛ばしたらベッドの上まで飛んで行った。そのまま気を失ったようだ。話をしながら眠そうな眸をするという騎士にあるまじき態度をしていたので、限界が来ていたのだろう。今回に限っては山中ではゆっくり寝ることができなかったからであって、怠慢ではないと許してやることにしよう。
ルルーシュは優しいので一応シーツをかけてあげたが、自分の部屋と定めたはずの部屋からは出た。何せ鍵が壊されている。そして自分はブリタニアの皇……女なのか子なのか、少なくとも日本にとっては皇女。それに加えてここ日本の王の奥方。部屋を入れ替えて、ちゃんと鍵のかかるジノの部屋で寝るしかない。
……部屋にキャンプセットがセッティングされてテントが組み立てられていたのを発見してしまったときだけは、そこまでのトラウマを植え付けてしまったのかとさすがに罪悪感を覚えたけれど。
しかしジノが一度横になったと云うのはテントの中だったのか、ベッドは綺麗にメイキングされたままだ。良かった、とルルーシュはベッドの有様に安心して、罪悪感を吹っ飛ばしてベッドに潜り込んだ。