マスカレード・ジアザーサイド
「……もう一度云ってくれやがりますかこのクソ親父」
皇帝を前にしてのルルーシュのその台詞にぎょっとしたのは、年配の大臣たちだけだった。
歴戦のナイトオブラウンズたちは、何となくルルーシュの反応を咄嗟に予測したらしい。
強面で堅い人間に見られがちなナイトオブワンでさえも、さすがはあのマリアンヌ皇妃の御子、と良く判らない納得をしている。マリアンヌの現役時代を知っていたり、同僚ではなかったにしても話を良く聞かされていたものは皆そうだった。
ラウンズの中でも特に年若くラウンズ入りをしてから日も浅いジノは直前の皇帝による突然のカミングアウトに唖然とした後、続いたルルーシュの言葉にすぐに切り替え笑いをこらえていたし、アーニャは何故この瞬間を動画で撮っておかなかったのかと珍しく感情を表に出して悔しがっていた。普段は不真面目で、話など聞いていない(しかし召集には律儀に応じる)ルキアーノでさえ、しっかりと前後の話を聞いてルルーシュを同情の眼差しで見つめている。
―――謁見の間。
皇族がずらりと並び、ナイトオブラウンズ他大臣たちが揃いも揃っている。
そんな中で暴挙に出たルルーシュだったが、他の兄弟姉妹たちはルルーシュの言葉に深く頷いて同意なり同情なりを示すか、唖然としているかのどちらかの反応が大半だった。
数多い皇族の中にはルルーシュのことを所詮庶民の子と普段から蔑んでいる者も居て、そんな彼らは皇帝陛下にそんな物云いをするなど…! と憤慨するそぶりこそ見せていたが、実のところ心情としてはルルーシュと相違なかった。否、むしろルルーシュを哀れんでさえいた。それも上から目線の憐憫などではなく、うんうんそうだよね、口に出しちゃうのはさすがにすごいと思うけど、そうもなるよね判る、的な。ルルーシュを疎んでいたはずの者たちが、こっそりルルーシュの味方になった歴史的瞬間だった。
そして注目の元となっているルルーシュに半眼で睨まれ続けている皇帝本人はと云えば、一応は申し訳なさそうにしょんぼりとしている。ルルーシュの台詞にショックを受けたのかもしれない。元凶のくせに。
そんな皇帝のいままで見せたことのない姿に、しかし驚く者は居なかった。むしろ皆、ルルーシュの方に注視している。
妙な雰囲気が謁見の間を包む中、朗らかな声が響く。
「嫌だわルルーシュ、耳が遠くなるには早すぎるから、何か病気なのではなくて? それともシャルルも良い加減歳かしら。声に張りがなくなってるとか?」
振り向いて皇帝を見たマリアンヌに皇帝が明らかなショックを見せていたが、やっぱりそれを気にする者は居なかった。
「……母上。いえ、声は無駄に届いていましたが、脳が内容を拒否したようです」
「あらそう? 面白い内容だったのに」
「貴女にとって面白いことが、私にとって面白かったためしがありません」
「まぁつまらない。ほらシャルル、もっとルルーシュを愉しませてあげましょう?」
ついでに私も、と云う声を、それこそルルーシュは聞き取ることを拒絶した。
「つまりだなぁ、」
マリアンヌに喚起されたのかどうかは知らないが、皇帝が若干の勢いを取り戻して背筋を伸ばす。
あれ、本当にもう一回云うつもりなのか、とルルーシュは普通のトーンで返したが、からかわれていると悟った皇帝はさすがにルルーシュを一睨みした。当然そんなものに怯むルルーシュではなかったが。
「ルルーシュぅぅぅ、お前も知っての通ぉり、皇族は成人するまでぇ、名前や顔を公表してはおらんんんん」
「……まぁ、そうですね」
先程は衝撃の一言だけだったが、今度は一から説明するらしい。だったらまだ聞いてやる気にもなる、と云うか過程くらいは聞いておかないと本気でこのまま皇帝の首を絞めに行ってしまいそうだとルルーシュは一応頷いた。皇帝が死ぬのはどうでも良いが、それで自分が罪を負わなければならないのは勘弁だ。だがこれは情状酌量の余地があって然るべきなのではないかとも思う。
皇帝の云う通り、公には、第何皇妃が御子を授かり、第何皇子・皇女が誕生しただの何だのという話しか出ない。顔を見せるどころか、名前さえ公表されない。
ある程度成長すれば、外向きではない公務なり、正体を伏せて(その実バレバレの)軍務につくことはあるので、貴族や軍の上層部のあいだではどこそこの皇子・皇女は出来が良いようだ、あるいは権力を笠に着ているだけで頼りにならない、豪遊して散財するばかりだ、あそこの姫は美しいので貴族の嫡子どもが寄ってたかって口説くようになるだろう、というような噂くらいは出るものの、基本的に一般国民は社交界へ出る前の皇族については人数くらいしか知る機会はない。
しかも、多分……多分ではあるが、何せこの兄弟姉妹の数だ。しょっちゅう発表されるので、国民はどうせ、ああまた増えたのか、と思うだけで人数もろくに覚えてはいないのではないか。第◯皇子皇女というその順番で、そんなに居るのかーと思う程度なのではないか、とルルーシュは踏んでいる。
だが、名前・顔を公表していないことについては、それはそうだ、と思うだけで、話の前後が全く見えない。何故さきほどの発言に繋がるのか意味不明だ。
それがどうした、とルルーシュは双眸の半眼をさらに細くした。皇帝がすこしだけびくりと肩を動かす。
「……マリアンヌはぁ、騎士候でこそあれぇ、後ろ盾はぁ少ない。側室ではなく、皇妃となることにはぁ、それなりの反感の声もあったぁ。それも、すぐに懐妊である。その上産まれたのが皇子ともなればぁ、出世レースに加わる可能性があると見てぇ、余計にマリアンヌを批難する声は大きくなるだろぉう。そこで、儂は気を効かせてだなぁ」
「何故そこでそんな余計な気遣いを見せた」
そこまでは本能のままに突き進んだくせに
突っ込んだルルーシュに、今度は皇帝が半眼になった。
「話は最後まで聞け」
普通の、何処も語尾の伸びない口調だった。
普段からそれで行けば良いのに、と思ったルルーシュは面倒なのでもう突っ込みも入れなかったが。
「そういうわけでぇ、皇子と発表してしまうとぉ、マリアンヌだけではなくぅお前自身にも妬み僻みの声は届くであろぉう。それは可哀想に思えてのう。―――と、云うわけでぇ、お前はこの皇宮以外、表向きには、姫ということにしてあるぅ。生まれたお前がぁ、生まれたばかりの赤子だと云うのに、すでにあまりにも可憐すぎたぁ、という理由もなきにしも非ずだがぁ。期待通りの育ち方をしておるなぁ」
「……聞き間違い、だな。そうに違いない」
「現実を見ろ、ルルーシュ」
やっぱりまた普通の口調だった。トーンも低かった。そっちの方が良い、とルルーシュは思った。皇帝が云っている話の内容からは現実逃避していた。
しかし、すぐに何かの演説をするかのように手を振り翳して、大声で宣う。
「歓べぇ! マリアンヌ似の傾国の美女だという噂が、実しやかに城下で囁かれておるぞぉ!」
「貴様が情報操作した結果だろうがッ! 俺は何も嬉しくなどない! 大体、母上を批難するとしたらそれは一般国民ではなく他の皇妃なり兄弟姉妹なり貴族どもなり、皇宮に居る人間だけであって、俺は明らかに男のまま皇宮を闊歩していたんだからその気遣いに見せかけた莫迦極まりない画策など何の意味もない!」
ルルーシュは皇族としての態度を捨て去り、普段通りの口調で喚いた。
それを見て、やだまるで猫がキシャー! って毛を逆立てて怒ってるみたい、とほのぼのする第三皇女一名。
お、お姉さまとお呼びした方が…!? と困惑する第十二皇女一名。
傾国の美女という辺りは何も間違っていないな、と納得する第二皇子一名。
珍しく(?)先の展開を読み、ドレスのデザインを至急考えなければ! と決意している第三皇子一名。
私の方が可愛いに決まって……ま、まぁ男のくせに無駄に美しいのは認めてあげなくもないけど! とツンデレを発揮する第五皇女一名。
哀れな目でルルーシュを見ながらも、あいつならば妹ハーレムに加えるのも良いかも知れない、と危ない思考に至っている第二皇女一名。
明らかに男のままって云ってるけど、たまにちょっとそうでもなかったような、と思っている皇子皇女数名。
意外にも、ルルーシュを心配して皇帝に意見をしたのは普段こういう場では影が薄い第一皇子と第一皇女の二名だった。
「父上、また何故そんな……ルルーシュは確かに優秀で目立つ子ですので、出世レースという観点では危険視して妬む声はそれなりにあるかもしれませんが、この子自身もマリアンヌ様も、周囲の声に負けない強さを持っております。どんなことを云われようと落ち込むこともなく、むしろ見返して、他の者よりもずっと立派に公務に励み、国に貢献してくれていますよ」
「そうですわ。しかもルルーシュはそんな気をまわさなくとも己の分というものを弁えていて、それが過ぎてこちらの方がもどかしいくらいですもの。実力はじゅうぶんにありますのに……。―――それに皇女となりますと、要職に就くなりコーネリアのように軍人にでもなれば話は別ですが、いつしか他国の王族に嫁ぐか、降嫁するしか道はありません。もちろん実際は男の子なのですからそれは無理にしても……それならば何故マリアンヌ皇妃の第一子は美しいと評判なのに、婚姻をしないのかとそれこそ不満の声が上がるのは目に見えています。この子は皇子として要職に就くほうが、余程国のためになりましょう。何とか撤回はできないのでしょうか?」
ルルーシュは、オデュッセウス兄上、ギネヴィア姉上…! と感動した。
いつもボンクラにパーティー女と莫迦にしていてすみません、と心の中で謝った。
普段の彼らは、彼らよりも目立つそれぞれのひとつ下の弟・妹の影に隠れているとは云え、皇位継承権だけは高い長兄と長姉だ。後ろ盾の力も強い。さすがにそんな二人の冷静な意見には、それまで考えが飛んでいた者や、やりとり(主にルルーシュの暴言)に唖然としていた者たちも我を取り戻して確かにと納得した。
ルルーシュは実際にかなり国に貢献していて、その実力は誰もが認めるところだ。厭味になど反応しない勝気な性格であることも、……ついでに顔が飛び抜けて良いことも。皇帝の云う通り、少数はそれを妬むような者は居るにしても。
皇帝も、むぅ…と聞き入れるように表情を歪めている。
「確かに、一理あるぅ。しかしギネヴィア、お前がいま云った通りでなぁ」
「……わたくし、ですか?」
瞼に塗りたくられた濃いアイシャドウが見えなくなるくらい、いや、むしろアイラインと眸の際のわずかな隙間さえ見えそうなくらい眸を見開いて自身を指差していたギネヴィアが、いまの台詞のどこに、と云う。
普段ことあるごとに自分を若いツバメのひとりに加えようとしてくる姉だが、頼りになるときもあるのだと感動しきりだったルルーシュは、そのあとの皇帝の台詞に眩暈で倒れそうになった。
「皇女は、他国に嫁ぐか、降嫁するか、と云ったではないかぁ」
たらり、厭な予感と共に冷や汗が流れた。冷や汗の種類は、これは恐怖にも似ている。
「……それが、どうか、しましたか」
一言一句伝わるよう、区切って尋ねる。ルルーシュはもう皇帝と視線を合わせる気はなかった。
『ルッルーシュぅぅぅ、お前は表向き姫ということになっておるぞぉぉぉ、マイスウィートドーターぁぁぁ!』
第一声がそこから始まった召集は、ただそれだけを発表するには規模が大きすぎると途中から懸念していた。
いや、それ”だけ”とは云いたくないが、それならばこんなに人を集めるまでもなくルルーシュだけ、せめてその周辺だけで良いのではないのかと。懸念していた。
しては、いたが。
「つまりぃ、ルッルーシュぅ!!」
サッカーコートくらいの広さは優にあるだろうという広さの謁見の間に、無駄に威厳ばかりを含んだ声が響き渡る。
もう厭な予感どころか、いっそ恐慌状態に陥りそうだったが、とりあえず話を聞かないことには何も始まらないと思うことにして続く台詞をルルーシュは待った。……待たなければ良かった。今更外部からの評判など気にせず、全速力でこの場から逃げれば良かった。
いや、ラウンズなり姉なり…母なり。化け物揃い(※ほぼ女性)のこの場から逃げることは難しかっただろうけれど。
「お前とぉ、日本国の代表である枢木王とのぉ、婚姻が決定したぁ! 儂の子たちの中で初の結婚だぞ! いやぁめでたい!」
皇帝のテンションに反して、それまでざわめいていた間は一瞬にして静寂に包まれた。
いや、国で最も皇帝に忠実なナイトオブワンであるビスマルクと一番息子の心配をするべき立場であるはずのマリアンヌだけが、割れんばかりの拍手をしていた。
プラス皇帝と当人、その四名を除く総ての者が、その先を予見して身震いをした。実際に、たったひとりの細い身体から放たれる冷気に会場全体が冷ややかになる。
「……に、が…………」
「む? どうした、ルルーシュぅ。早く孫の顔を、」
「何が『めでたい』だ、めでたいのは貴様の頭だこの絶倫エロハゲロールクソじじいーーーーーー!!!!」
なっ、ハゲではない! と叫ぶ者や、そんな下品な言葉使いをするな妹よ! とダメな励ましを入れてくる者や、猫って怒るときしっぽぶわってして立てるわよねーかわいい! と萌えている者や、どこでそんな言葉を覚えたのだろう私のかわいいルルが……と嘆きつつもどう私を愉しませてくれるのだろうと面白がる者や、成長したなぁルルーシュ……と一種の哀愁を漂わせながらも怒りの表情もまた良い、とスケッチを企む者や、やっぱりあれはカツラなのかしら、それにぜつりんって何かしら、と普段の気の強さの割に実は純粋無垢だった者や、さすが私のお兄様、お父様なんかよりも威厳たっぷり! と酔いしれる者や、気持ちは判らないでもないけど良くそこまで云えるなぁすごい、と感心する者たちなどが居たが、ルルーシュはそれらの反応を総て無視して、皇帝から贈られた、ブリタニアの紋章を表に、マリアンヌの実家の家紋を裏に、それぞれが見事に彫刻された、皇族の証である指輪を思いっきり床に投げつけた。
さすがにそこまでやるとは……と皆が驚く中、お兄様ったらキレ方まで素敵! とナナリーだけが大いに歓んだ。