我楽多ロジック
彼が連れて行ってくれた先は、雰囲気の良い洋食屋だった。絶妙なチョイスだ。スザクでも気後れするような洒落っ気はなく、ちょっとレトロで居心地が良い。もしかしてオープンテラスがあるような、メニューには横文字ばかりのカフェとかに連れていかれたらどうしようと、いまのランペルージの出で立ちを見てちょっと抱いていた不安は一掃されたし、もしがっつり食べる系の店だったらそれはそれでゆっくりできず話などあまりできなさそうだったから、ひとつのテーブルが大きくて隣とも適度に距離の離れている落ち着いた雰囲気はぴったりだった。それでも男子高校生にとってはちょっと敷居が高い感じもしたので、ファーストフードとか、ファミレスのような店でも良かったんだけどな、最近遠退いてたし―――とも思ったのだが、そんな考えは運ばれてきたハンバーグを一口食べて一掃した。やっぱり、こういう洋食店で食べた方が格段に美味い。餅は餅屋だ。スザクはいくら反抗していたとは云っても生まれは良いので、舌は肥えていた。しかもこの店は、ランチだからなのか思ったよりもずっとお得な価格帯でボリュームもあり、懐事情にも優しい。
素直に美味い!と零すと、ランペルージは「良かった、」とふわりと微笑む。
「……ランペルージが作ったわけじゃないだろ」
「それはそうだが。独断で連れて来たんだから、反応は気になるだろう。贔屓にしている店なんだ。口に合ったのなら何よりだ」
ランペルージは機嫌が良さそうににこにこしていた。喋り方は硬い雰囲気があるのに、表情は意外にころころ変わるようで、今はスザクの反応に満足した様子だった。
それを何だか見ていられなくて、スザクはがつがつと目の前の食事を掻きこんだ。
ランペルージはビーフシチューを上品に食べている。普段お弁当も綺麗に食べる奴だなとは思っていたけれど、それは食べ方の話であって、あのばっさばさの髪の毛が邪魔にならないんだろうかという方を気にしてしまっていた。不思議と、不潔とまでは思わなかったけれど―――
でもやっぱり、今の方が断然良い。
髪は長いけれど、いつも顔周りに垂れ下がっていた分は上げられているので邪魔ということはなさそうだ。
スザクが気にしていたようなコンプレックスとは程遠い目鼻立ちに、傷どころかシミやニキビ一つないきめ細やかな真っ白い肌。
何故隠してるんだろう。けれどそれを、率直に聞いてしまって良いものかどうか。
教室で一緒に過ごす程度には仲良くなっていたけれど、でも打ち解けているわけでもない。何せこの素顔をお互い知らなかったくらいなのだから。
迷いながら食後のアイスコーヒーに口を付けていると、その懸念はランペルージの方から拭い去ってくれた。
「枢木は、眼は良いのか?」
「え?」
「それとも、今コンタクトをしてるのか?」
付け加えられた質問に、ああそういうことかと納得する。彼が素顔を晒している理由、と云うか、普段隠している理由を知りたいとは思うけれど、いつも欠かさない眼鏡を外しているのはこちらも一緒だ。しかも彼はスザクの眼鏡の方をしっかり覚えていたようなので(その辺りの遣り取りを思い出して、改めてムッとした)、余計不思議に感じるだろう。
「いや……いつもの方が伊達。本当は、視力2.0以上あるんだ」
「へぇ、それはすごいな! サバンナでも生き残れるんじゃないか!?」
「へ? ああ……うん?」
何かその反応は違うんじゃないだろうか。けれど愉しそうに笑顔になった彼に、そうと突っ込めずにいる。冷たい印象のする研ぎ澄まされた美貌に、幼さが垣間見える笑顔のギャップはすごい。が、それに戸惑っている場合でもない。
代わりにスザクは同じことを尋ねることにした。あれだけの分厚い眼鏡が、今はないのはどういうことなのか。ランペルージから聞いてくれたことなら、こちらも聞きやすい。
「……ランペルージは? その、いつもの眼鏡とか……」
「俺の視力は良くはないし、あの眼鏡もちゃんと度は入ってる。だが、ないと困るというほど悪いわけでもないんだ」
「じゃあいま、裸眼?」
見えてるの? と言外に訊ねると。
「ああ、日常生活で困らない程度には見えるから大丈夫だ。邪魔だから、学校以外では眼鏡はしていない」
そりゃあのぶっといフレームの重そうな眼鏡は邪魔だろうけど。
「コンタクトにはしないの?」
「する気はないな。いまのところ不便はあまり感じていないし、見えなくても良いものも、世の中にはあるだろう?」
「……そういう問題?」
「ぼやけた世界は美しいんだ」
尤もらしいことを、真面目腐った顔で宣う。本気なのか冗談なのか掴みにくかった。
「ううーん…? あ、だからすぐに僕だって判んなかったのか」
「いや、顔立ちの判定くらいはできるぞ。悪いわけでもない、と云っただろう?」
「でも、ぼやけてるんでしょ?」
「そりゃ、眼鏡で矯正した視界からすればな。乱視が入ってるから、裸眼じゃ黒板の字も見えにくいし、本も読みづらい。だが、不便と云うとそれくらいだ」
「……あの前髪じゃあ、視力がどうとかいう問題じゃない気がするけど……」
「隙間から結構見えるものだぞ」
「でも僕、君の眸を見たことなかったよ?」
「そういえば、枢木は結構俺の顔を見つめていたな」
「へ、」
どきりとした。けれどランペルージは何が面白いのかくすくすと微笑むだけだ。
「話をするときに真っ直ぐ相手を見る奴なんだなと、感心していたんだ」
「あー……うん。癖かも」
何を考えているのか判らない相手は得体が知れない。そう云えば、最初にランペルージに声を掛けたときもそう思っていた。
ばつがわるくて目を逸らすと、ランペルージは気にするな、と笑った。
「別に悪いとは云っていない。むしろ良いことだと思う。でも、そうだな……ちょっと戸惑っては、いた。俺は、とにかく隠すことに躍起になっていたから……」
「ランペルージ……」
理由は判らないにしても、この反応を見て、彼がそんなに隠したいものを無理に暴こうとしたりしなくて良かったと思う。だが、その理由とは何なのだろうということは、やっぱり気になってしまう。こうしていざ隠さずに顔を合わせても、厭がったり隠そうとする素振りもないし。
そう、思っていると。
「俺は、こんな顔だし。さっきだって、男に路地裏に連れて行かれるくらいだし」
「うん…?」
こんな顔、と云うのは、彼はその美しさを自覚して自慢しているのか、それとも謙遜しているのか。どちらともつかない云い方だった。しかしどちらにしても、何もあそこまで徹底的に顔を隠さなくても良いんじゃないか、とスザクが思っていると。
「面倒事を避けるには、隠すに限るんだ」
「面倒、って……」
「ナンパや痴漢に遭った回数なんて、数えるのも莫迦々々しい。妬まれて厭がらせをされることもあったし、逆に好かれ過ぎてストーカーにつきまとわれたこともあった。ああでもアレは、親衛隊の奴らがどうにかしてくれたけどな」
「……そんなに?」
どこの世界の話だろう、それは。親衛隊が居るなんて、本当にそんな人間が実際にいるなんて思わなかったけれど、しかし納得はできてしまう。ストーカーや親衛隊はともかく、美形もここまで極められてしまうと、妬みを持つ奴も逆にすごいな、と感心するほどだ。
「大変だったんだね……なんでそこまで顔隠してるのかって気にはなってたけど、納得した」
なるほどねー、と云いながらストローに口をつけると、ランペルージはそんなスザクをちらりと見上げて、視線を自分のコップに落とした。
「枢木みたいな奴ばかりなら良いんだけどな」
「…へ? 僕?」
「気にはなるんだろうが、それでも詮索したりしてこなかったし、今だって普通に接してくれる。貴重なんだ、そういう奴は」
ランペルージはグラスについた結露を見つめながら、ストローで中のアイスティーをかき混ぜていて、カランカランと、氷とグラスがぶつかり合う音が響く。瞼を伏せてそのグラスを見下ろす表情は薄く微笑んではいたけれど、どこか真剣だった。
それがスザクにとっては、すこし恥ずかしい。最初はスザクが無理に誘って、そのままの流れで一緒に過ごすことになったという感じだったが、どうやら彼はスザクのことを気に入ってはくれていたらしい。こういうのが、友達ということなのだろうか。なんだか今更気恥ずかしくなって、天の邪鬼な応えを返す。
「……でも。少なくとも、僕じゃなくても、詮索する奴は居なかったんじゃないの?」
何せ、学園では変人という認識なのだから。近寄るのも躊躇うような存在という扱いだったし、ランペルージ自身も事情を聞いたいまとなっては余計、そのように振る舞っていたと思うのだが。
「それがそうでもない。目立つか目立たないか、どちらにしても極端な人間は目を付けられるものだ」
ふるふると頸を振ったランペルージの眸には何にも浮かんでいなかった。
「つまり……からまれてたりしたってこと?」
むしろ避けられていたんじゃないのか、と考えかけて、思い直した。
ついさっきの出来事のように、そういう卑怯な連中は暗がりを狙うものだ。
「まぁ…そうだな」
やはりだ。知らないところでそんな目に遭っていたなんて。
しかし、ランペルージは悲嘆してはいなさそうだ。過去のことだからなのだろうか。でも、吹っ切れるような内容じゃない気がする。かつて自分がその加害者側に居たということを棚上げして、どういうことなのかすごく気になってしまって若干身を乗り上げた。
「でも枢木が声を掛けてくれて、一緒に居るようになってからはなくなった」
「…へ?」
「実は最初枢木も同じ用件かと思って警戒したが、本当に普通に仲良くしてくれたから安心したんだ。ありがとう」
プリンくれたし、という恥ずかしそうに顔を背けて潜められた小声も聞こえた。やっぱり好きだったらしい、プリン。
だがそれはあくまでも補足だ。
そう云えば、スザクが最初に声を掛けたときから、彼は割と強気な返答をしていたな、ということを思い出した。あれは彼なりの、舐められないための防衛線だったのかも知れない。だがだからこそ、その後スザクが普通に接したからそのまま素が出たとも云えるのだろう。
「い、いや……そう御礼を云われるようなことは何も……」
「でも、感謝しているんだ。枢木は何もしてないつもりでも、居てくれるだけで俺は助かっていたよ。防波堤にだなんて失礼な事をするつもりはないんだが、少なくともひとりで目立つことはなくなったみたいだから、結果的にはそうなってしまうな」
さきほども思ったことだが、そんな真っ直ぐに御礼を云われてしまうとなんだか妙な気分だ。ランペルージは思ったよりもずっと、気取ったりしない性格らしい。
けれど、御礼を云われるようなことじゃないと思ったのは本当だ。むしろ話掛けたときのスザクは打算的だった。いくらランペルージが素直に御礼を云ってくれて、それには報いたいと感じても、さすがにそれを伝えるのは憚られる。
「最初は疑って、あまり良い態度じゃなかったよな。すまない」
確かに強気だったとは思うが。正直、今とあまり変わらない気がする。
「いや、そんなことがあったんじゃ、最初は疑っても仕方ないよ。それより、絡まれたりしてたなんて全然気付かなかった。今更だけど……大丈夫だったの?」
スザクと話すようになってからはなくなったということは、スザクの目をかいくぐって絡まれたりしていなくて良かったとは思うが。それはスザクの罪悪感の問題だけであって、彼が抱える問題とは直結しない。
「まぁ……どうにかこうにか?」
ソレ、さっきも聞いた、とスザクは思った。
彼は一体何をどうしたんだろう。さきほどは柄の悪い連中だったし彼がどうにかしたところでどうなっていたか判らないが、少なくとも学園で絡んで来た生徒たちはどうにかこうにかできたということなのだろうし。
「……それでも、その顔を隠し通したってこと? 髪は切られてなかったみたいだけど、殴って眼鏡割られたり、地面に這い蹲らせて顔踏まれたり、トイレに顔突っ込まされたりしなかった?」
具体例を出したら、ランペルージはぎょっとして若干引いてしまった。
以前のスザクがちょっと顔を出してしまい、失敗したと思う。いやさすがに、スザク自身がそんな陰湿なことをしたわけではないが。そういう現場に居合わせたことならあるものだから。
「……そこまではなかったな。もしかしたらそういうつもりだったのかも知れないが、その前にどうにかこうにかしたし」
「……そっか。どうにかこうにか、ね……」
さっき云っていた、股間を蹴り上げるような方法だけではない気がする。少なくとも、学園では普通のローファーかスニーカー、上履きだ。それでは無理があるだろう。
全く判らないが、最近喧嘩から遠退いているとは云え腕っ節にはまだ自信があるスザクでも、ランペルージの逆鱗には触れないでおこう、と決意した。
「……それでも、次々に絡んで来る奴は居たってことだろう? それでも隠し通したんだ?」
「ああ。だって皆、好きだろう? 美少年は」
「…へ、」
何を云ってるんだコイツは、と思わないではなかった。けれど、反論もできなくて。
「……ナルシスト?」
「断じて違う」
「いや、説得力無いよ」
「影響を理解しているというだけだ。もしナルシストだとしたら、あんなにダサくして顔を隠したりせずに堂々と晒して、鏡と共に歩くだろう」
「まぁ、確かに……てか鏡って」
云いたいことは判るが、かと云って学校でのあの姿をダサいと云っている時点でやっぱりかっこつけじゃないか、と思うのだが。
「あ、そっか。顔を隠してないと、ストーカーとかがつくってさっき……」
「そうだ。そういう影響が出る」
そういうことか、とは思ったが。あそこまで徹底的に隠して、結局変な奴だと絡まれているのなら結果的に同じじゃないか、と思う。もっと上手い方法があるのではなかろうか。
そうスザクが云うと、ランペルージはどこか神妙な表情で俯く。
「俺は何も、この顔が好きなわけじゃない。むしろ煩わしい。だから、意味は真逆だとしても似たような結果になるのなら、晒すよりも隠していたい」
「そういうもの? 僕には君の事情は判らないけど、晒すほうが楽だって思っちゃうけどなぁ」
「ああ、ただの意識の問題だ。俺の場合は、人に何かしら影響を与えた場合、この顔が原因じゃないと思っていたいんだ」
「ふぅん……折角そんな綺麗な顔に生まれたのに」
もったいないな、という台詞は呑み込んだ。
しかし、ランペルージがきょとん、としていたのでもしや心を読まれてしまったかとひやひやする。何せ彼は自分の顔が与える影響を理解していると云っていたし。
しかし、どうやら違ったらしい。
「そうだ。妹もそう云って反対した。だから決意したんだ」
「何を?」
「この顔の所為で厭な目に遭うんだから、整形して髪も染める、と云ったら」
「なっ…! だ、ダメだよそんなの! 人類の宝の喪失だよ!」
咄嗟にそう叫んでしまうと、ランペルージは一瞬ぽかんとして、すぐ後に感心したような表情になった。
「妹と全く同じことを云うんだな。枢木はもしかしたら、妹と気が合うのかも知れない」
「ああ……うん。そうかもね」
と云うか。意見が合うのは、何もランペルージの妹さんに限ったことではない気がするけど。
「だがやらん! ナナリーはやらんぞ! ナナリーは昔、お兄様と結婚すると云ってくれていたんだ! そこらの男になどやるものか!」
急に陶酔したように身振り手振りまで交えてそう宣言したランペルージは、云っていることはキモいのに、やっぱり無駄に美しかった。