我楽多ロジック




その昔、枢木スザクは地元で悪い意味で名を馳せていた。
昔と云っても精々ここ1〜3年前の話だったが、十代の多感な時期からすれば昔のことだ。スザク自身、あの頃は若かったな、なんて多少の苦々しさと懐かしさと共に振り返る程度には。
自分から喧嘩を吹っ掛けることこそほとんどなかったが、気に入らない人間相手であれば老若男女関係なく態度を取り繕うことなどしなかったので、敵が多かった。売られた喧嘩を躊躇なく買っていたらいつの間にか有名になり、狂犬という二つ名まで付けられる始末。
そんな息子の将来を憂いたのかどうか。
過去に首相も務めた代議士である父親から、高校進学にあたり実家から遠くにある全寮制の学校を薦められ―――と云うか懇願され、スザクもスザクで、地元にも、これ以上立ちはだかる者はないほどに知れ渡った強さにも、特に思い入れなど何もなかったので、条件付きではあるが割合すんなりとそれを受け入れた。
もちろん親の云いなりになることが何よりも嫌いなスザクは、切欠となる出来事くらいはあったものの、父親にすこし説得されたくらいであっさりと地元と、スザクの強さに憧れた取り巻きという名の友人たちと、そして、ガキ大将がそのまま成長したようなキャラを捨てたのだった。


そんなわけで、引っ越しし進学したアッシュフォード学園にて、スザクはとても地味に地味に過ごしている。
細い銀縁の眼鏡を掛け、元々きっちりとしたデザインの制服を更にしっかりと身につけ、髪を校則に引っかからない程度に少し伸ばし気味にして顔を隠し、もちろん声を荒げることもしない。
アッシュフォード学園は進学校かつ金持ち校として全国的にも有名で、実際に貴族の子弟や、大企業や政治家の御曹司なんて人種がとても多い。かく云うスザクもそんな一人だし、名字は珍しいものではあったが、父親の選挙区(つまり実家)が遠く離れた田舎の所為か、今のところ不思議と目立たずに済んでいる。スザクは中学で真面目に勉強していたわけもなく、内申は相当ひどいものだったろうと思うので―――(何せ確かめてもいない)、世間体を気にするあの父親は相当の寄付金を積んだのだろうと思われたが、それが注目されることもなかった。
父親からは、とにかく大人しく過ごし、問題を起こすなど論外だと厳命されていて、それを真っ直ぐに受け入れる気はなかったが、かと云って真っ向から反抗する気もなかった。
あくまでも云うことを聞いたのではなく、スザク自身がそれを望んだので、結果的に今のところ親の期待に答えることができている、というわけだ。
今までと真逆で毎日真面目に学校に通い、静かに過ごす学園生活は、意外にも新鮮でそう悪いものでもなかった。
入学して一ヵ月、寮と校舎を行き来するだけの生活そのものには、既に馴染んできていると思う。だが、困ったことが一つだけあった。

友人関係だ。

スザクは中学まで、まともに友人付き合いをしては来なかった。
小学校のときからガキ大将で、実家の存在を畏れられて近寄る人間はあまり居なかったし、中学に上がってもゲーセンなんかで良く顔を合わせるからそのまま街で一緒に過ごしているうちに仲間や用心棒認定されて敵対勢力との遣り合いで共闘したり、枢木先輩マジぱねえっす!と何故か寄って来る弟子(?)のような奴らが居るくらいで、ちゃんと「友人」、ましてや「親友」と呼べるような存在は居なかった。
孤高を気取っていたつもりは、実のところなくはない。
ちょっとそういう存在ってカッコいいと思っていた、けれど、心の底では本当の友人が欲しいと思っているわけでもなかった。
人付き合いなど鬱陶しいというのが紛れもない本音だ。
けれど、こうやって『普通』に学生をするには、必要不可欠な存在なんだろうということを高校生にもなってようやく痛感した。
普段過ごす分にしては、一人が寂しいというわけではないが―――意外に何をするにも二人組やグループになりなさいと云われることは多かったし、ノートを見せ合ったりとか、そういう相手はどうしても必要になってしまう。
けれど、大人しくぼそぼそしゃべるばかりのスザクに積極的に話しかけてくるような人間は、あまり居なかった。気を遣ってくれる人は意外に居るもので、グループ作りのときなどは誘ってくれたりして、今まで悪意ある人間ばかりとつるんでいたスザクはそういう善意に触れることにこっそり感動したりしたが、そういう人はやっぱりクラスの中心人物という感じで、普段からスザクとつるむようなこともしない。
本来の性格は人見知りではないので物怖じなどしないが、こういう大人しいキャラで友人を作るというのは一体どうすれば良いのだろう。そのために今更明るく振る舞うというのも、卒業まで大人しくしていると決めた手前取りたくはない手段だ。本末転倒な気がするので、地味キャラは貫いたままでいたい。

迷った末に、スザクは、一人の人間に目を付けた。

同じクラスで、スザクと同じように今のところ一人で過ごしていて、そしてスザク以上に大人しい―――否、むしろ暗いと云っても良いだろうと思える、ルルーシュ・ランペルージに。




















「あの……ランペルージ君」


自席に座り、俯いて何かの本を読んでいたらしい彼は、スザクの呼びかけに一度では気付かなかった。
もうその瞬間に失敗したかなと後悔しかけたのだが、無視されるのも気に食わないので、二、三度根気強く呼んでみると、のっそりと顔を上げる。

もう一度、あ、失敗したかな、と思った。

スザクの存在には気付いたらしいが、長い前髪が顔を隠していてどこを見ているのか全く判らない。目が全然見えないから、何を考えているのかも全然判らなくて、怖い。
相手を怖い、と思うなんて、スザクにとって初めての経験だ。今まで気に入らないことがあれば、遠慮なく伸していたので恐れる相手など居なかった。畏怖、という意味では、親戚の狸爺たちや師匠の藤堂などは含まれるかも知れないが、まさか同い年のこんなひょろい奴相手に恐怖を抱くなど。
とは云え、恐怖の種類が違うのでこれは負けではない、と生来負けん気が強いスザクはこっそり裡で己を励ました。得体の知れないモノに対する恐怖は、仮令腕っ節に自信があろうとも捨てきれないものだと思う。これはもう、遺伝子レベルで刷り込まれているに違いない。
ルルーシュ・ランペルージは、クラスの隅っこの方の席でいつも顔に長い髪を垂らし、俯いている。スザクも髪を伸ばし気味ではあるが、それでも精々鬱陶しい程度で、目鼻立ちくらいは普通に見える程度なのに、彼は口元くらいしか見えない。男子とは云え、髪のセットなんてものからも無縁で、色だけ見れば艶やかな折角の黒髪はばさばさしていたし、その上スザクよりも重そうな黒ブチの大きな眼鏡を掛けているので、目なんて全然見えない。声を聞いたこともない。
スザクはクラス内で単なる大人しい人、という程度の扱いだろうが……彼の場合は、暗いどころか変な人と云えるほどだと思う。クラスの人と話すことなどなくても、今まで人付き合いをまともにして来なくても、なんとなくクラス全体が彼に対しそういう評価をしていることくらいはスザクにだって判る。
だがスザク以外で、このクラス内で今更友人関係を築いていない人というと彼くらいしか居なかったし、後は単純に、こういう人って大抵頭が良いものなんじゃないかな、と思ったのだ。何せスザクは、入学したてだと云うのにやっと授業に付いて行っている始末なのだから、どうせ仲良くなるのなら判らないところなど教えてくれる人が良い。こんなに真面目に通っているのに、テストで点数が悪いだなんて意味を見失いそうだし。
後の理由としては、別に仲良しこよしの友人が欲しいというわけでもなく、適当に二人組なんかのときに組める相手が居ればそれで良かったので、なんとなく彼も友情とかそういうものを求めていなさそうなので丁度良いと思ったのだ。
彼は確かに暗かったが、おどおどはしていない。一人で過ごすことに対し、戸惑っている様子も引け目を感じている様子もない。
もし彼がただ大人しくて人見知りで、友達が欲しいけど自分からは話かけられないというタイプだったら、懐かれでもしたら面倒なので絶対に忌避していただろう。
そんなことをつらつらと考えていたら、名前を呼んだきり話をしないスザクに焦れたのかどうか、彼はこてん、と首を傾げた。梳いていない髪の毛がそれにすこし追随したくらいで、顔が見えたわけではなかったのだが、それは存外可愛らしい仕草だった。


「あの、僕、クラスメイトの枢木だけど、」


何処を見ているのかは判らないが、いつも俯いている彼が同じクラスであろうともスザクの存在を認識しているわけがないと思った。ので、一応自己紹介らしきものをしておく。
すると、彼はこくん、と頷いた。知ってる、という意味だろうか。良く判らないが。


「あ、あのさ……良かったら、昼食を一緒にどうかと思って」


そう云って、スザクは購買で買った袋を掲げて見せた。四限の前の休み時間中に、キャラ設定を都合よく忘れて全力でゲットした戦利品だ。いつもはそれを適当に人気の少ないところで食べているので、昼休みに誰が教室に残っていて、誰と一緒に食べているのかスザクは良く知らない。けれど彼は、絶対に一人だろうと思った。
食事は一人で食べる方が性に合ってはいるが、仲良しこよしをするつもりはなくても、最初のとっかかりくらい、そういう演出は必要だろうと思っている。そのために、スザクはまずはそうやって彼を誘うことにした。


「僕、いつも一人なんだけど、今日はうっかり購買で買い過ぎちゃって。あの、それで、一緒に食べてくれる人がいると良いなと思って―――」


実際にそれは嘘ではなかった。広い食堂があるためか、生徒数の割に規模のそんなに大きくない購買は云わば戦場だ。目当てのものを買うというのは最初から諦めた方が良くて、目に付いたものをとにかく手にした方が早い。食べ盛りのスザクはそれで買い過ぎたとしても完食できるけれども、今日に限ってそれはちょうど良い口実のように思えた。
全寮制という特性上、生徒は大抵購買か食堂で昼食を調達するのが普通だ。それか、校舎と寮の行き来の間にあるコンビニくらい。
なんとなく鈍くさそうな彼は購買のあの競争に加わっているとは思えなかったので、スザクの誘いに渡りに船だと食いついてくれれば良いのだが―――


(でも……なんだろう。妙に緊張するな)


初めて話す人間を昼食に誘うという気恥しさからか、相手がルルーシュ・ランペルージだからかなのかは判らなかったけど。
ややあって、彼が口を開く。


「―――構わないが、」


始めて耳にした声は、小声ではあるが、意外に凛としていた。
スザクの声―――多少演技が入っていたとは云え、おどおどした声とは正反対だ。


「俺は俺で昼食を用意してある。手伝ってはやれないかも知れない」


喋り方もはきはきしていて、暗そうな見た目とのギャップが半端なかった。
つっけんどんな云い方にはちょっとムッとしたが……云っている内容自体は、決して悪意のあるものではない。少なくとも、スザクの意図をちゃんと理解している。


「そっか。それならそれで良いんだけど、折角だし」


どうかな、と。微笑んではみたが、何が折角なのか自分でも良く判らないし、わざわざ微笑んだ様子が彼にちゃんと見えているのかどうかも判らない。
何せ、こちらから彼の瞳が見えない。


「判った。それで、此処で食べるのか?」


まさか、という彼の意思も、ちゃんとスザクに伝わった。
何せクラスで大人しい自分たちがぼそぼそと会話をしているのだ。若干注目されていることはスザクも気付いている。


「用意してあるなら、今日は天気も良いし、中庭とかどうかな。いつも僕が行ってるとこなんだけど、静かで良いところだと思うよ」
「そうだな、そうしよう」


彼がごそごそと机の横に掛けられた鞄を探り、ゆらりと(そうとしか表現のしようがなかった)立ち上がったのでスザクは先導するように背を向けた。ルルーシュ・ランペルージはその後を大人しく付いて来る。
背中に受けた教室内からの視線が、胡散臭いものではなく、なんとなく、良かったなぁ、みたいな空気だったことが意外というか面映ゆいと云うか……気恥しいものだったと云うのは勘弁だが、中学の頃のような荒れた生活を送らなければ、学生生活というのはこんなにも穏やかで優しいものだということを知れたのは良かったかも知れない。
けれどそれ以上に、今のちょっとの会話だけでも、彼―――ランペルージとは話しやすいのかも知れないと思えたことが、一番の収穫だった。




















ここで良い? とベンチを指すと、こくり、と頷く。
スザクからすればむず痒さを覚える洒落たデザインのベンチに横並びになったところで、今更ながらどうしよう、という気になった。

ここからどうすればいいのだろう。

会話とかすべきなんだろうか。
そう思って、ちらりと視線を横に向け、彼が膝の上に乗せたものを見てぎょっとした。


「え……弁当!?」


うっかり素の反応で、スザクはそう叫ぶ。
買ったものではない。大きめのハンカチに包まれているそれは、絶対に手作りのものだった。


「……そうだが……」
「まさか、朝作ってるの? あの簡易キッチンで?」


そう尋ねながら、寮の部屋を思い出す。金持ち校と云うべきなのか、立派な食堂があるくせに、各部屋にも冷蔵庫と簡易キッチンが設置されていたのには吃驚した。
とは云っても本当に簡易なもので、シンクとIHコンロが一つくらいしかない。冷蔵庫も小さい。恐らく、お茶を入れたり、食べ盛りの生徒のためにインスタント食品を調理する程度のことを想定しているのだろう。
なので、弁当ほどの調理となると結構無理があるはずだ。電子レンジを自前で導入すればレトルト主体でできなくもないだろうが……と思ったのだが、彼がもそもそと開いた弁当箱には明らかに既製品ではない立派な中身が詰められていた。
感嘆してスザクが見つめていると、彼がどこか納得の行った様子で、「ああ、」と呟きを落とす。


「俺は自宅から通っているから」
「え…そうなの? 全寮制なのに?」
「特例だ。それに、家が近い連中の中には、寮に部屋がある上で自宅から通っている奴も珍しくない」


暗くて人付き合いが皆無な癖に、何故か内部情報に詳しいらしい彼の説明に、へぇ、と感心する。


「そんな人も居るんだ。初めて知った。でも、君の場合は違うってことなの?」
「ああ、俺は寮に部屋はない」
「全寮制って絶対だと思ってた。どうして許されてるの?」


スザクの疑問に、彼は弁当に落としていた視線を一瞬だけちらりとスザクに向けて、再び元に戻した。頸の動きから判断しただけだが。


「大した理由じゃない。親の仕事が不規則で家を空けることが多くて、一緒に暮らしている妹の身体が弱いから心配だと云ったら、家も近いし寮に入らなくても良いと許可をもらった」
「ああ、なるほど……って、ゴメン」


そういうことかと頷きつつ、今更あることに気付いてスザクが謝罪の言葉を落とすと、彼はことりと首を傾げた。


「? 何がだ?」
「いや、特例って云ってたのに、むりやり聞き出すのは無遠慮だったな……と思って」
「律儀な奴だな。本当に大した理由じゃないんだから、気にすることはないさ」
「あ、うん……ありがとう」


ちらちらと覗くお弁当は色とりどりで、とても美味しそうだった。スザクにとっては手作りのお弁当なんて、小学校の遠足とか、それ以来食べてないかも知れない。
そんなことを思い出しながらがさごそと袋を漁り、奥の方で触れた硬い感触に、あ、と思い出す。


「ランペルージ…くんって、甘いもの好き?」
「別に君付けしなくても、好きに呼んで良いぞ。で、甘いもの?」
「ああ、うん。購買で買ったものの中に、プリンがあったんだよね。お詫びってわけじゃないんだけどさ、良かったら食べない?」
「……良いのか? あ、いや、でも悪いだろう」


一瞬顔を上げかけて、けれどすぐに遠慮して引く彼に何だかくすりと笑みが零れる。


「いや、そんなことないよ。適当に手に取ったものの中に入ってたみたいなんだけど、そこまで好きじゃないんだよね」
「……そんなことで良いのか? 寮暮らしなのに、節約とか」
「まぁ、それを云われると痛いけど。購買って戦争なんだよ。とにかく手に取れたものを買わないと、すぐに売り切れちゃうんだ」


だから失敗したなーってものを買うことも多いんだけどね。そう云うと、彼は不思議そうに頸を傾げる。


「ふうん…?」


お弁当持参の彼からは想像付かない世界だろう。苦笑しつつ、先ほどの反応からすれば甘いものが嫌いというわけではなさそうだったので、やっぱり彼にあげることにした。
無遠慮なことを云ってしまったお詫び(彼は良いと云っていたが、なんとなく気まずい)と、あとは付き合ってくれた御礼のようなものだ。


「だからプリンはどうぞ。お弁当があっても、デザートくらいなら、食べきれるだろう?」
「ま、まぁ別腹だと云うし……枢木が要らないというのなら、もらってやらないこともない」


変な反応をしながら、彼はスザクが差し出したプリンをおずおずと受け取った。
その反応を見ると嫌いではなさそうだが、別の意味で有難迷惑だったかな、とすこし心配だった。断れないだけだったらどうしよう、とか。
だが相手に対しそんな気遣いをしてしまう自分、というものに同時に気付いて、それがまた新鮮でむず痒く、それ以降の彼へのフォローを忘れていた。


もしかしてプリンが好きだったのかな、と気付いたのは、寮の食堂で一人で摂る夕食時のことだった。
定食のデザートにプリンが付いていたからだ。