学園GEASS



ベッドに腰掛け本を読んでいると、ふと廊下が賑わい出したことに気がついた。
どこぞの不良物件よろしく壁が薄いわけではないが、つい先刻まで無音とも呼べるほどの静けさだったのに、いきなり廊下で騒がれるとさすがに気付くものらしい。
と云うか、男子寮内で気にすべき物音もないだろうに、と思いたい意識とは反対に、壁が厚いというのは重要なファクターであるらしく。なんのためにとはそれこそ考えたくないが、プライバシーはそれなりに保たれていた。
それでも漏れ聞こえる廊下の声はなんてことはない、授業が終わり部活のない生徒が寮へ流れ込んできた所為だろう。それまでは人気の無かった寮内に、途端人が押し寄せれば人の気配に敏感なルルーシュなら例え壁が厚かろうがドアが重厚だろうが気付く。
さて、同室の人間は放課後どうすると云っていただろうか。考えに頭を擡げかけた途端。バタン、と勢いの良い音が響き、喧噪が部屋へと流れ込んできた。


「先輩! ただいま!」
「……ジノ」


すぐに閉められたドアの向こう、通りかかったらしい生徒の苦笑さえもドアの閉める音と一緒に聞こえてくるほどに、ジノは元気の良い挨拶を辺りに響かせた。


「……お前、今日は生徒会に顔出すとか云ってなかったか?」
「それより先輩、私はただいまって云ったんですけど」
「それよりって、お前な……」
「先輩」


真っ直ぐにルルーシュの居る奥へと入ってきて、ずい、と乗り出したでかい図体に、さすがのルルーシュもそれ以上問いつめることはできず。


「……オカエリ」


溜め息と共に吐き出した台詞に、それでも不満そうだった表情に笑顔が滲むのを見れば、悪い気などするはずもなかった。


「うん、ただいま」


一体何が嬉しいのか、笑顔を深くさせてもう一度繰り返す後輩を、ルルーシュはルルーシュなりに可愛がっているつもりだ。だが、その所為で被害を受けるのは御免被りたかった。
秘訣は付け上がらせないことだと、テレビの特集だかで云っていた犬の名ブリーダーの台詞を思い起こす。


「お前が寮に直帰したら、会長に怒られるのは俺なんだがな……」
「だって心配だったんですよ! 起き上がって本なんか読んで大丈夫ですか?」
「そんな大袈裟に騒ぐようなことじゃない。ちょっと微熱があっただけだし、サボりと変わらないさ」
「でも顔色悪かったですし。ちゃんと食べました?」
「昼はお前、戻ってきたじゃないか」


わざわざ、とゆっくり告げた厭味はどうやら通じなかったらしく。顰められた眉の意味が、ルルーシュの狙ったものとは違う方向性に転んでいることは、表情を見れば一目瞭然だった。
判りやすいのも困りものだな、と思う。何せ距離が取りにくいのだ。


「アレだけじゃ足りませんって。ホントに薬飲むためだけにって感じで、ちょっとだけだったでしょう。ちょうどアイスもらったんですけど、要ります?」
「アイス?」
「風邪のときは、アイスなら食べやすいし高カロリーだから栄養取りやすくて良いそうですよ」
「……太る」
「寧ろ太った方が良いんじゃないですか? 先輩いま、正直抱き心地が……」
「ウ・ル・サ・イッ!」


持っていた本を投げつければ、あっさりと綺麗に受け取られた。悔しい。と云うか、憎い。
「そんな睨んでも可愛いだけですよー」ってなんだその台詞は。莫迦にされてるとしか思えない。


「アイス、要らないなら冷凍庫仕舞っておきますけど?」
「何度も云うが、風邪ってほどじゃないからな。まぁ、アイスは有り難くもらおう」


高カロリー、の単語に思わず健康志向の身としては反応してしまったが、今の体調と気分とを考えれば有り難い差し入れではあった。誰からもらったのかは知らないが、寮というのは割と通りがかりで初対面だろうが普通に物が横行する場所なのだと、入寮して1週間で思い知ったので別に珍しいことでもない。恐らくジノだとそこまで考えが行かず、それこそ高カロリーで重い食事を持ってこられそうな気がするので、誰かは判らないがルルーシュは心からの感謝を捧げた。


「ちょっと溶けかけてるかもですけど、良いですか?」
「食べやすくて良いじゃないか。何があるんだ?」
「えーっと、おお、気前良いな。ダッツのストロベリーと、抹茶と、」
「ストロベリーで」
「……まだ他にもありますよ?」
「ストロベリーで」
「……失礼しました」


どうぞ女王様、と何故かベッド脇に膝を立てて献上された。
不可解な気はするが、まぁ悪い気分でもないのでそのまま受け取る。ちゃんとフタを外して、スプーンも袋から取り出して渡す辺りポイントが高い。ん、と軽く頷きのような声だけ出して大して御礼も云わなかったのに、ジノはやけに嬉しそうだった。


「お前は?」
「え?」
「食べないのか?」
「え、口あーんってしてくれるんですか?」
「アホか。まだあるんだろ?」
「ありますけどね……」


やけに暗い声を出し、ルルーシュからすると高い位置にある肩を項垂れさせてまで残念な様子を演出されたが、ルルーシュにできることなど「ストロベリー美味いぞ」と云ってやるくらいだった。
あんまり人が居るところで自分だけ食事をするというのは好きじゃない。そこまで汲み取ったとは思えないが、ジノは大人しく自分のベッドに腰掛けて抹茶を手に取っていた。
甘いものが好きかどうかまではそう云えば未だ知らないが、ちゃんと付き合ってくれる辺り気を配れる奴ではあるのだろう。ちょっとルルーシュに対して気を遣い過ぎるきらいがあるのが玉に瑕か。しかし誰かと一緒に暮らすという、慣れない生活の所為で熱なんて出してしまったが、この分ならすぐに良くなるだろうという予感がする。
自分の虚弱体質には我ながらほとほと呆れるしかないが、もっとひどいストレスが来るんじゃないかと実のところ予想していたので、ジノに対し早くも気を赦しかけている自分にルルーシュは驚いていた。
それはそれで悔しい、と。思う辺り、自分の性格が丸くなったわけではなさそうだが。


「そう云えばお前、戻る気は?」
「は? 先輩のところが私の戻る場所ですけど?」
「それ以上無駄口叩いたら問答無用で荷物ごと追い出すぞ」
「……えー、と。学校ですか?」
「それ以外に何がある」
「……私が居たら先輩、気が散りますか?」
「は?」
「先輩が休むのに邪魔になるなら、会長サンの報復は私も怖いので戻りますけど」
「会長はともかく。俺は昼に寝過ぎたからもう寝る気はないし、お前が居るのは別に構わないが」
「……いまのって、私が居ると休めないというところは否定しませんでしたよね」
「だってお前、煩いだろう。何かと話し掛けてくるし」
「それは心配だからですー……。じゃあ、そこまで云われたら男がすたるので、絶対戻りません」
「いや、ソレ全く"じゃあ"に繋がらないぞ」
「じゃあ、なんなら一緒のベッドで寝ましょうよ!」
「それこそ意味不明だ!」


有言実行だかなんだか知らないが、アイスのカップを持ちながらもルルーシュのベッドに侵攻をかけてきたどでかい図体に、とりあえず足でもって制裁を加えようとするがびくともしない。しかも何故か「可愛い抵抗だなぁ」とニヤニヤされた。背中を伝う冷や汗は、これは何だ。恐怖か。
迫り来る身体にびくりと竦ませた肩はしかし、指先に伝わるひんやりとした感覚に裏切られた。


「は……?」


ジノはいつの間にかカップを放し、自由になった掌でルルーシュの腕を捉えていた。そしてゆっくりと近づいてくる額はルルーシュのそれにこつん、とぶつかる。
あまりの至近距離と、途端真剣になった視線に身体が強張り、それを気付かせないようにすることさえ無理なほどルルーシュは緊張していた。


「……良い加減、先輩。私に慣れてくださいよ」
「ジノ……?」
「人見知りなんだろうとは思いますけど、もう私たちは他人じゃないでしょう? 授業以外ではずっと一緒に暮らしてるんですから」
「……ああ」
「大分ましになったなぁ、とは思いますけどね。私は先輩と同室になれて嬉しかったので、最初の頃はあからさまに避けられて結構ショックでしたよ」
「あー……、悪い。人に慣れてないんだ」
「ロロやスザクとはそんなことないじゃないですか。あの2人ほどは無理だとしても……その、すこしずつで良いので」


強気だったくせに段々と自信を無くしてきたのか、勢いのなくなってきた口調に萎れた犬の尾を見る。そもそもこの年下のルームメイトに対し悪い気はしない、と。再確認している正にそのタイミングだったので、ルルーシュは罪悪感を感じるよりも寧ろイラッときた。折角俺が気に入ってやってると云うのに。しかも普段自信に満ち溢れているように堂々としているくせに、肝心なところで押しが弱いとはどういうことか。


「おい、ジノ」
「はいっ!」
「無自覚のようだから一応云っておくが、そんな台詞を俺に対し堂々と吐ける時点で既に俺たちは存分に馴れ合ってると思うぞ」
「それは……つまり、私はいま先輩の逆鱗に触れたと?」
「頭の回転の早い奴は嫌いじゃない。だから、俺はジノが同室で良かったと思うよ」
「よ、歓びたいのに歓べない!」
「結構じゃないか」


精々悩めば良い。
さて相手はルルーシュが相当な天の邪鬼であることに気付いているかいないのか。
このまま遊ぶのも良いかもな、と思えるくらいにはジノの扱いにも自分では慣れたと思っているのだが、本人がそれを知らないなら敢えて気付かせることもないだろう。
秘訣は付け上がらせないことだ。
既に付け上がらせてしまった犬を1頭持て余しているルルーシュとしては、ここは慎重に行きたいところだ。それでもどうやら悩んだ末、萎れていた耳も尻尾も立ち上がりかけた後輩を見てああ可愛いかもと思って微笑んでしまう辺り。本人が気付かないのも奇妙しなハナシだよな、と責任転嫁は承知の上で、ルルーシュは思った。