教壇の前では、教師がまだ入学したばかりだというのに早速呪文のような言葉を延々と吐いていたが、リヴァルには全く聞こえていなかった。せめてもうちょい抑揚があれば良いものを、と頭の隅でぼんやりと考えつつ、前の席に座る人物の後頭部を見遣る。
真っ直ぐに伸びる黒髪と、均整の取れた体つき。その向こう側に晒された、やけに整った貌を既にリヴァルは知っているが、仮令知らなかったとしてもこの後姿だけできっと正面からの姿を期待してしまうだろう。そう思わせるだけのオーラがある。
リヴァルはそのことを再確認してから、さっきのほんのすこしの遣り取りを思い出していた。よろしくな、と声を掛けたリヴァルに、ああ、と小さく僅かな呟きではあるが返してくれた。それからもうずっと、その声が頭から離れない。そのすこし前、驚いたことに会長とはかなり親しげに話していたが、そのときの声ではなく、自分の呼びかけに対する返事がリヴァルは何よりも嬉しかった。きっとまともに会話をしたのは、このクラスではリヴァルが初めてだろう。それが僅かな優越感をリヴァルの胸に齎す。スザクにはジト目で睨まれたが、構うものか。彼を気にしていたのは、何もスザクだけはないのだ。
拷問とも思える授業からの解放を告げるチャイムの音でリヴァルはほっと息を吐いた。授業中の厳しさの割にはチャイムと同時に授業を切り上げた教師に初めて好感を覚えつつ、リヴァルはその教師の背中が廊下へ消えるのを待って前に座る背中に声を掛けた。
「なぁ、ランペルージ……くん?」
たったそれだけなのに、ガヤガヤし始めていた教室が途端にしんと静まりかえってしまったことに内心でびびりながらも、リヴァルはそのまま振り返るべく揺れた黒髪に安堵を覚えた。
「何か?」
返事はしてくれたものの、決して友好的ではない。会長と話していたときのような仏頂面ではないが、またこれも見事な無表情だ。声も固いし、しかもきちんと振り返ってくれたわけでもなく、横顔だけ。それでさえも目を奪われるのは確かで、男だろうがこれだけ美しい人間てのも居るものだなぁと思わず感心してしまったが、そのほんの短い間にあからさまに不機嫌そうに歪められる表情には焦りを通り越して笑みが零れた。
「……何か」
同じ台詞をワントーン低い声でゆっくりと繰り返される。さすがにこれ以上はまずいと思ったリヴァルは素直に「いや、悪い」と謝ってみせた。別にからかいたいわけではないのだ。
「素直だなぁ、と思って」
それでも元来の性格故か、咄嗟に滑り出たのはおちょくっていると取られても仕方のない台詞だった。さすがに怒られるかも……と覚悟をしたのだが、相手は目を丸くして次の瞬間にはニヤリと底意地の悪そうな笑みを見せた。抱いていたイメージにはそぐわない表情ではあったが、それさえも様になっているのだから全く、美形ってのは得だ。
「なるほど見る目はあるらしい」
「あ、あの……?」
「だが利口ではないな。判っていて尚引き下がらないとは」
びっくりした。
何がって、大人しそうに見えたのに態度をガラリと一変し、あまつさえそんな辛辣な台詞をさっくりと云われたことにびっくりした。
でもそう云えば、あの会長に対して結構対等に渡り合っていたなぁとそんなことを今更思い返す。あのときは、入学して1週間で既に難攻不落の高嶺の花、近寄り難過ぎてこっそり見つめるだけで精一杯、とか何とか云われ、実際に自分からは決してクラスに溶け込もうとせず口を開きもしなかったあのルルーシュ・ランペルージが喋ってるよ! ということに驚いて内容まではあまり聞いていなかったのだが。
つつけば折れそうな体つきで、常に浮べている悩ましい表情が更に儚いイメージを演出して、だの女生徒たちが語っているのを聞いてなるほど確かに、と納得してしまったリヴァルは勝手にルルーシュ・ランペルージイコール大人しいと決め付けていたようだ。これはよろしくない。もしかしたらあの悩ましげな表情も実際不機嫌だっただけなんじゃなかろうか。
そう思ったリヴァルは見下されたような表情をしかし不快とは思わず、むしろ好ましいものとして姫改め女王様に反論を試みた。
「いやぁ、でもこれから生徒会で一緒にやってくわけだし?」
「なんの理由にもならないな」
はッ、と嘲笑された。
普通ならショックを受けるか怒るかしても良い場面だとは思う。思うが、リヴァルはその一筋縄ではいかない反応に昂揚感を得、そんな自分に驚いた。
(なんだろう俺、そういう趣味なかったはずなんだけど)
特につるんでないと駄目なタイプではないが、既にジノとスザクという気の合う仲間を得たリヴァルは、そう無理に交友関係を拡げようとは思っていなかった。それに他のクラスメイトなら徐々に慣れてくるうちに話せるようになるだろうと思っていたのもある。だが、目の前で足を組むこの相手だけは最初から何故だか別枠だった。仲良くなりたいとかそういう幼稚な考えでもなく。友達居なさそうだから、とかそんな同情的なものでもなく。彼はただ人を惹き付ける、そういう人種だ。そして惹き付けられたのがリヴァルだけではないということくらいもちろん判っている。気が合いそうな人間同士ならお互い惹き付ける力を持っていたりするが、彼の場合は違うだろう。どんな人間でさえも興味を引かずにはいられない魅力があるのだ。
そんなことを考えていて反応を返さなかったリヴァルに、ルルーシュ・ランペルージは顔だけでなく身体も横に向け、悩ましげに髪を掻き揚げた。その動作がやけに様になっている。
「で?」
「え?」
「何か用だったのか?」
「いや、折角生まれた交流を深めようかなぁ、と」
「結構だ。大体いつ交流とやらが生まれたんだ?」
「わぁー、取り付く島もない。もっと柔軟に考えようぜ? その方がこの先楽だと思うけど」
「まぁ、そうだな。いまこうして話していることを切欠と捉えてやっても良いが、交流が一度生まれたのならそれを深めるのなんていつでも良いだろう」
「いつでも良いわけじゃないっしょ。今と決めたその時を逃したら絶対後悔するって」
「真理だとは思うが、放課後の親睦会という絶好の機会が用意されてるんだから、そのときで良いんじゃないか?」
「いやいや。最初が肝心なワケよ。ここでしくじったら、これから先の生徒会でブリザードが吹き荒れる」
例えば最初の呼び名をさん付けとかにしたら、後で親しくなっても呼び方変えるタイミングが掴みにくいだろ?
ものすごく判りやすい例まで出して相手が納得したように頷いているのを見て、「なら俺のことはルルーシュと呼んでくれ」とでも云ってくれるのを期待していたのだが。
「そうか。じゃあ、俺は用が在るので失礼する」
「……俺の話、聞いてた?」
「徹頭徹尾、しかとこの耳で」
「さいですか……」
「用が在ると云っただろう。済んだら相手してやる」
「マジで!?」
「気が向いたらな」
そりゃないでしょ、と声を掛けた背中は既に、ドアの向こうに消えかけていた。素早い。リヴァルのことなんか歯牙にもかけていない。
思わずがくりと落とした左右両肩にぽん、と手が置かれた。やけに痛いのは何も女王に振られたショックだけではなく、完全に物理的なものだろう。
「……勇気あるねリヴァル」
「いやー、あんなイイ性格とは思わなかったな!」
リヴァルがルルーシュに話し掛けている間、ずっと話に入り込むタイミングを見計らっていたらしいスザクとジノが早速騒いでいるが、リヴァルはそれどころではなかった。
リヴァルが呆れと落胆に沈んだ瞬間、彼の姿が見えなくなる最後の最後。あっさりと離れておきながらも薄く微笑んだ横顔は、それまで存分に見せていた小馬鹿にするようなものではなく、息を呑むほど優しい表情だった。しかもきっと、リヴァルにしか見えていない。
早合点は身を滅ぼすような気も拭えないが、きっと用が済んだら、気が向かなくても相手をしてくれるだろう。そんな気がした。どうせ態度は変わらないだろうけれども。
(態度にはびっくりしたけど、悪いヤツ、ってわけじゃなさそうだよな)
性格が悪かろうとあの顔ならしょうがないのかも、と同時に思ってしまう辺り腑に落ちない気もするが。結果的には邪険にされなかったということなのでリヴァル的にはオーケーだ。
しかしあの飴と鞭的な表情にはかなりやられてしまったので、気恥ずかしさと嬉しさを紛らわすために「羨ましいだろ」とジノとスザクに嘯いてみる。ジノはリヴァルの期待した通り悔しそうに喚き、スザクは不満そうに表情を歪めた。
それさえも負け犬の遠吠え、俺勝ち組。
と、舞い上がっていたのだが。
懲りずに毎休み時間掛けた声は、悉くスルーされた。
いやそんな。毎回毎回、10分程度の休み時間に教室を外す用なんてなくね? と思うのだが。「悪い、用が」とお決まりの定型文のように繰り返された抑揚のない台詞には、さすがに落ち込んだ。一応謝罪の言葉が出ている分まだ良いのかも、と考えている辺り重症な気もする。
しかも、今度はジノとスザクの方が誇らしげにしていた。どうやら彼らは無理に彼に話し掛けようとせず、リヴァルをだしにして様子見することにしたようだ。俺とお前等の間の友情は一体何処へ。なら俺はルルーシュ・ランペルージと仲良くなるしかないじゃないか! と、支離滅裂な方向へ考えが向かっていることは自覚しながらもリヴァルは諦めないことを誓った。
昼休みさえ用があるとかで席を外され、半ば自棄気分で放課後はどう誘ってみようかなぁ、とか考えていたリヴァルだったが、なんとその放課後にルルーシュ・ランペルージの方から声をかけてきたことで気分は一掃された。
「おい」
「はいッ!」
しかもちゃんとリヴァルの席の前に立っていてくれる。最早感動のあまり声が上擦ってしまったが構うものか。リヴァルは俺も立ち上がるべきだろうか、とかクラスメイト相手に変なことを迷ってしまったが、とりあえずそのまま見上げる形でルルーシュ・ランペルージと対峙した。
「放課後なわけだが」
「ああ、うん。親睦会だよな!」
「お前、生徒会室の場所は知っているか?」
「お前って。俺、リヴァル・カルデモンド」
「へぇ。で、場所は?」
「えー、と。知らないデス……」
なんだろうコレ。ちょっと調子に乗って名前で呼んでくれよ、と言外に伝えてみたが故意にスルーされたのか伝わってないのかリヴァルの想いは全く報われなかった。
もういちいち落ち込むよりは、やっぱりねーと心底頷くようになった思考回路の端で、しかし、「なら、」と呼びかけがされたことで気分は再浮上する。リヴァルが首を傾けると、ルルーシュ・ランペルージが更に口を開く前に横から人影が踊り出た。
「リヴァルとルルーシュ君? 生徒会室行くんだよね?」
シャーリーだ。明るく溌剌とした彼女は既にクラス内でも中心的存在となっていて、男女分け隔てなく話のできる存在として交流の柱となっていた。リヴァルとしても付き合いやすい子だったので、話をした時間は僅かなものだったが既に名前で呼び合っている。そんな彼女に話を邪魔され、厭ではもちろんないものの正直タイミング悪ッ! と思ってしまったが、それ以上に早速「ルルーシュ君」呼びしていることに感心した。さすがはシャーリー。彼女もルルーシュ・ランペルージを気に掛けていたことは知っているが、行動力ありすぎ。
そんなことを思いつつ、しかし彼本人は反応する様子を見せないのでシャーリーには悪いと思いつつリヴァルが受け答えする。
「そうそう、ちょうどその話してたトコ」
「良かった。じゃあ皆で行こうよ。さすがに初めてだと入るの緊張しちゃうしね」
はにかんだシャーリーの背後には、カレン・シュタットフェルトとニーナ・アインシュタインが控えていた。シュタットフェルト嬢はそのルックスと家柄から既に話題になっていたのでもちろんだが、ニーナは目立たないものの中等部の頃からの持ち上がりでかなりの才媛であるとの評判だ。さすがに、あの会長良いトコ揃えたなぁ、などと思ってしまう。
「ね、ジノ君とスザク君も」
シャーリーの呼びかけに、リヴァルより後ろの席に居たジノとスザクが二つ返事で近寄ってきた。やはりと云うかなんと云うか、ルルーシュがリヴァルのところへ来た時点からこちらを見ていたらしい。お前等ルルーシュ・ランペルージのコト気にしすぎじゃね? と思うのだが、人のことは云えないので黙っておく。
「てワケらしいけど?」
無反応なルルーシュ・ランペルージを見遣ると、彼は何かを考え込む動作を見せていた。それに首を傾げるよりも先、彼はシャーリーに向き直る。
「シャーリー・フェネットさんだったか?」
「うッ、うん! あの、シャーリーで良いけど」
「じゃあシャーリーさん、生徒会室の場所を?」
うわぁ、とリヴァルは思った。
こんな直球に云えば名前の呼び方なんて一瞬で解決するんだなぁ、と今までの自分の葛藤が馬鹿みたいだ。そしてやっぱり、さすがはシャーリー。さん付けしているのは初めて話すし、女の子だからという理由な気がするので、シャーリーみたいなタイプはルルーシュ・ランペルージの鉄壁さえ崩してしまうらしい。そのシャーリーでさえ、ルルーシュに名前を呼ばれた瞬間はかなり驚いて心なしか頬も赤くなった気はするが、気付かなかったふりをしてあげることにする。
「呼び捨てで良いよ。生徒会室はね、私中等部でも生徒会役員だったから、行ったことあるの」
「そうか。なら良いんだ」
「良いって?」
「誰も知らないようなら俺が案内しようと思ってたんだが、その必要はなさそうだな」
「ああ、そういうことなら大丈夫だよ。でもルルーシュ君も一緒に、」
「いや」
「え?」
「用があるんだ。先に行っててくれ」
「でも……」
「先輩は了承済みだ」
それ以上用はない、とばかりに彼は生徒会役員(予備軍)を尻目に踵を返した。そしてスタスタと教室を出て行ってしまう。リヴァルは既に慣れきってしまっているのであーあ、と思うだけだが、さすがのシャーリーも驚いていた。
「行っちゃった……」
「アイツはそういう奴なんだって」
「……良くリヴァル、仲良くできるね」
「今んトコ一方的だけどなー」
「良いの?」
「結構面白い奴だと思うぜ?」
「そ、そう……?」
「そのうち慣れるだろ。今日の親睦会でもなんか進展あるかもだし!」
「そうかなぁ……ま、頑張ってね」
「おう!」
「じゃあとりあえず皆、行こっか?」
何気にさっくり話題を切り上げたシャーリーだけでなく、他の全員からも哀れむような目をされてしまったが、リヴァルは気にしなかった。さすがに用というのも断る方便のような気はしているが、最初案内しようとしてくれていたことや、会長が了承済みと云っていたからにはちゃんと後で来る気はあるだろうし。
そう信じることにして、これから一緒に生徒会役員として活動するメンバーと教室を出る。クラスメイトと云っても、男女なら未だ交流はあまりない。軽くお互い自己紹介のような話をしつつ、やけに豪華なクラブハウスに到着すると、そこでは既に会長が待ち構えていた。
「いらっしゃーい! 生徒会へようこそ!」
「会長だけですか?」
「ええ、そうよ。去年はほとんど3年生ばかりだったから、みんな卒業しちゃったのよ。今の2年と3年は、どうやら生徒会には興味のないヒトたちばっかりで」
「なるほど。だから勧誘してたわけですね」
「そうよぅ。さすがに一人じゃ選挙なんて待ってられないもの。じゃ、さっそく始めましょうか。説明なんて堅ッ苦しいコトはさっさと終わらせて、歓迎パーティーよ! 一緒にやっても良いんだけど、やっぱりパーティならパーティらしく、仕事は別にしなきゃね!」
きゃー! とひとり盛り上がる会長に若干引き気味でそれでも嬉しい提案ではあるので「おー」とか云いつつ、しかし皆やはりどことなく疑問を感じていた。
「何よ、ノリ悪いわね」
「いえ、あの。まだ一人足りないんじゃ……」
「え? 全員で来たんじゃないの?」
「そうしようとしたんですけど。ルルーシュ君が、用があるからって」
自分で勧誘したくせに、しかも親しそうなくせに居ないことに気付いていないってどういうことだろう、とでかでかと顔に書いたシャーリーが恐る恐る会長に提案している。会長はしかし、「ああ」と納得したように頷いた。
「ルルーシュ? あのコは良いのよ。説明なんか今更だし、もう頼んでるコトがあるから」
「え? 用って会長の用だったんですか?」
「ま、それもあるし違うのもあるし。そのうち判るから、まぁそんなことは良いじゃない。ほら、座った座った!」
ここにも女王様が居た。変に強制力のある言葉に後押しされて不可解な顔をしつつ皆席につく。どうも、会長はルルーシュ・ランペルージに関して明言してくれないんだよなぁ、とリヴァルは思ったが、これは突っ込むなと云われているのだろうかと思い大人しく云われる通りにした。
全員が席に着いたのを見計らって、会長は「とりあえずは仕事内容からね」と説明を開始する。ちょうど人数分用意されていた椅子の、一つの空席が厭に目に付いた。
その後、過去に行なったイベントやそれを踏まえて今後やってみたいイベントなんかを熱く語られ、しかしただ一方的なんじゃなくてちゃんと対話形式であったために愉しく時間を過ごしていると、気付いたときには結構な時間が過ぎ去っていた。
時計を見た会長が「あら」と僅かに驚いたような声を上げ、他のメンバーも漸くそのことに気付く。
「さっくり終わらせるつもりだったけど、意外と時間経っちゃったわね」
「だって会長、仕事の話って云うよりほとんど今後のイベント予定でしたよ」
「だってお祭り好きの血が騒ぐんだもの。でもみんなノリ良いし、早めに実現できそうで嬉しいわぁ!」
明るい声にしかし、不釣合いにキランと妖しげに光った目をリヴァルは見逃さなかった。どうやら他のメンバーも見たらしく、疲れたような表情を見せている。
「忙しくなりそうですね……」
「そのためのルルーシュなんだから大丈夫よ!」
「え、あの。ルルーシュ君って何者なんですか?」
「そこらへんはほら、おいおい。じゃあ時間も頃合だし、移動しましょっか?」
「移動って? 此処じゃないんですか?」
「ちゃんとパーティールームがあるのよー」
さすがは名門校、と感心しているうちに、思い立ったが吉、が行動の基本らしい会長が既に立ち上がり皆を急かす。また肝心の話題に関しては上手くもなく(むしろあからさまに)はぐらかされたが、パーティーと聞けばその疑問もすこしは薄れる。パーティーと云うからには何か食べ物も用意してあったりするのだろうか。腹も減ったし、そしたら嬉しいんだけどさすがに学生の突発的なパーティーでそれはないかぁ、などと考えながら生徒会室を出て、会長曰くのパーティールームへと向かう。
教室から生徒会室よりは離れていない距離を歩き、会長に促された重厚なドアを開け―――元からパーティーへの期待と解れたものの僅かに残る不安に緊張はしていたが、そこに広がる光景には、リヴァルも他の皆も絶句した。
元からの装飾であろうシャンデリアやテーブルセットなんかは良いとしても、「Welcoming Party」と書かれた垂れ幕や折り紙の輪っかでつくられた飾りは一体どういうことだろう。そしてテーブルに並べられた豪華と云っても良さそうなくらいの料理の数々。オードブルの盛り合わせに、スナックフード。フルーツの山。お菓子やミニサイズのケーキなんかまで並んでいる。圧巻の光景の中で視線を彷徨わせれば、ソフトドリンクであろうデキャンタに混じってアルコールのような瓶まで見えた。
ええ……? と驚いていると、丁度そちらの方の物陰から見慣れた人影が見えた。
「やっと来ましたか」
「ごめんねぇ、盛り上がっちゃって。それよりありがとールルーシュ! 頼んだの料理だけだったのに、ここまでしてくれるなんて」
手に繋いだ輪っかを持ったままのルルーシュ・ランペルージは、いつもの涼しげな表情で入り口の、リヴァルたちが固まっているところへ歩み寄ってきた。
「かなり急でしたから、手配もここまでが限界です。飾りなんかは、ナナリーが折角だから作りたいと云うので」
「充分よ! ルルーシュにしては気が利くじゃないって思ったんだけど、やっぱり提案はナナリーか。ナナリー居るー? ありがとー!」
ナナリー?
と、出てきた名前に首を傾げたが、すぐに朝の勧誘騒ぎのときにも2人の間で交わされた名だと気付く。しかも「俺の可愛い」とか云っていたか。今になって鮮明になる記憶に、まさか彼女……! と期待と何故かショックな気持ちが湧き起こる。そんなリヴァルの耳に、可愛らしい声が届いた。
「いいえ。逆に私の方が愉しんでしまったので」
「あら、良いことじゃない。こんな派手にできるなんて思ってなかったし」
「あの、やりすぎてしまいましたか……?」
「まさか! このくらいやりたいけど時間的なものと、あと頼んだのがルルーシュって時点で無理だわって諦めてたの。嬉しいわぁ」
「それなら良かったです」
声の聞こえてきた方――ルルーシュが歩いてきた方向だ――に視線を転じると、そこには車椅子に座った少女が居た。目を奪われるほど、小作りの顔も柔らかな長い髪も可愛らしい少女だった。ルルーシュとはまた違った意味で、人を惹き付ける容姿だ。車椅子なのが気になるが、しかしそれと感じさせない明るく優しい雰囲気を感じた。彼女なのかなぁ、とやはり思うが、彼女が身に纏っているのは中等部の制服だ。まぁ年齢にすれば2つ3つしか変わらないのだろうが、それにしたってなんか危険な薫りを感じてしまう。
「俺に頼んだら無理ってどういうことですか」
「だってこんなに可愛くはしてくれないでしょー? さすがナナリーよね!」
「そこは認めますけどね」
プライド高そうなのに認めちゃうんだ、と、若干優しげに和らいだ声に驚く。そして、少女の居る方に転じた視線の、その柔らかさには更に驚いた。
リヴァルと、そしてそれを直視した会長以外の面々が固まっていると、小さな声が掛けられた。
「あ、あの。先輩。これは……」
「ああ、ありがとう。主役も来たし、もう充分だよ」
ルルーシュ・ランペルージが普通通りの声で受け答えをしているが、話掛けた方の声は新たに聞くものだ。振り返ると、彼らが居たのとは反対方向にこれまた中等部の制服を来た少女が2人佇んでいた。1人は困惑気に、もう1人は無表情で。彼女たちの存在は会長も知らなかったらしく、リヴァルたちと一緒に驚いている。
「貴女たちは?」
「アーニャ。と、こっちアリス」
無表情だった方の少女が、無表情のまま無感動な声で喋り出す。どうやら名前を云ってくれたのだ、とは、数拍置いた後で気付いた。
へぇ、としか答えられない面々に、ルルーシュが苦笑して補足する。
「ナナリーを迎えに行ったら、2人が随分ナナリーと仲良くなっていて、俺が終わるのを一緒に待っていてくれたようなんです。だから良かったら来ないかと誘ったんですが」
「あらぁ。やっぱりナンパはルルーシュの方が上手いのね。上出来だわ!」
「変なコトを云わないでくれますか。先輩なら人が多い方が良いと云ってくれるだろうと思って勝手に連れてきてしまいましたが」
「もちろんオッケーよ! 判ってるじゃない。賑やかな方が良いに決まってるし、ナナリーの友達なら大歓迎だわ。ナナリーもルルーシュが居るとは云え、いきなり高等部の先輩と一緒って気まずいものね」
よろしくね、と颯爽と彼女たちの方に歩み寄った会長は、ほんとうに歓迎しているのだろう。それを察したのか、すこし強張っているようにも見えた2人の表情が和らいだ。会長の握手を恥ずかしそうに受け入れている。その様子に、車椅子とするすると移動させてきたナナリーも微笑んでいた。
「ありがとうございます、ミレイさん。アーニャちゃんとアリスちゃんも、一緒に来てくれてありがとう」
「……ううん。愉しそうだから、良い」
「ま、美味しいモノ食べられるって聞いたしね」
「もう、アリスちゃんってば」
わー、なんか良い光景だなぁ、と思った。アリスというコは強がりなのだろう、表情からもそれが窺える。なんかバラバラな3人ではあるが、女子中学生の友情に心がほんわかする。
知らず滲み出た微笑のまま、いくらか冷静を取り戻した頭で部屋の中を見渡す。話の感じからすると、どうやら彼女たちとルルーシュ・ランペルージがここの場所を用意してくれていたらしいが、なるほど確かに、朝に決めた即興パーティーの割に会場も食事も豪華だった。
「しかしすげーなぁ、コレ。飾りとかもだけど、料理とか」
「作る余裕はなかったから、全部デリバリーだけどな」
不満そうに肩を竦めたルルーシュ・ランペルージに、いや充分すごいから、と思った。そして胸を掠めた疑問を、そのまま口にする。
「用があるって云ってたけどさぁ、もしかしてコレのため?」
「そうだ。あちこち電話かけまくってな。結局休み時間全部潰れたが」
「うわぁ、なんか悪いな」
「お前たちが主役だろう。気にするな」
「いや君もデショ。なんか会長と知り合いみたいだけど、新入役員ってことに変わりはないじゃん?」
リヴァルの何気ない台詞に、しかし彼は驚いたように目を丸くした。あ、そう云えばこの表情前にも見たかも、と思っている間に、今度は意地悪いものではなく悪戯めいた笑顔が彼の表情を包む。
「おい?」
「いや……そうだな。まぁ、今回は俺が勝手を知ってたからってコトで、次からは扱き使うから覚悟しておけ」
「こえーなぁ」
軽口を叩きながら、やっぱり話してみれば彼とも普通に話せるんじゃないか、と思った。用があるっていうのも本当で、こうして用が済んだら相手をしてくれているし。
しかしほんとうにここまでの用意をしたとなると、やはり悪いような気がする。彼本人は飄々としているが、結構な労力だろう。
「そういや昼休みも居なかったよな。ちゃんと飯食った?」
「ああ、それなりに……」
「まぁ! それ、ほんとうですか?」
「ナナリー」
会話に割り込んだ車椅子の少女が優しげな面立ちを精一杯険しくさせて、リヴァルとルルーシュ・ランペルージの方に近付いてくる。心なしか、彼は慌てたような声でナナリーの名を呼んでいた。
「もう、どうせ食べてないんでしょう? 昼にちゃんと食べるからって、朝はコーヒー飲んだだけじゃないですか。だめですよ、ちゃんと食べなきゃ」
「う」
「え、ソレマジで? そりゃやべーよ。なんで普通にしてられるワケ? そしてナナリーちゃん……だっけ? 君は何故そんな彼の食事事情をご存知なワケ?」
まさか同棲、とか恐ろしい考えが思考を過ったが、すぐにナナリー自身から「だって兄妹ですもの」と回答が返された。ああ、ナルホド兄妹……と納得はしたものの、似てない兄妹だなぁ、と思う。瞳の色と、2人とも麗しい外見をしている、という事柄だけは共通しているが、その外見のタイプが全く違う。
兄の方は何故かリヴァルの方をギロリとひと睨みすると(美人に睨まれると本気で怖い)、妹の元へ歩みより、その足元に跪いた。
「ゴメンよナナリー。ちょっと忙しくてね。結果的に嘘をついたことになってしまったな」
「それは良いんですけど……お兄様はもっとご自分を省みてください。いつも私や他の人のことばかりで」
「ああ、気をつけるよ」
「じゃあ、今ちゃんと食べてくださいね。お腹いっぱい食べなきゃ赦さないんですから」
「怖いな。でもナナリーもちゃんと食べるんだぞ? ナナリーの好きなケーキばかり食べちゃだめだからな」
「もう! お兄様ったら。お兄様が用意してくれたものなんですから、いっぱい食べますよ」
「それは嬉しいな。食べたいものを云ってくれれば取ってあげるよ」
「じゃあ私は、お兄様の分を取って差し上げますね」
「ありがとう。それならデリバリーものでも美味しく食べられそうだ」
手を恋人繋ぎのように絡めて会話をする兄妹を、初めて見た。漂ういちゃらぶモードに居た堪れない心地がする。しかしそれ以上に、ルルーシュ・ランペルージの声音に呆気に取られた。何その高い声。何その甘いトーン。そんな、聞いてるこっちが恥ずかしい。しかも2人ともが見目麗しいだけに、却って見ていられない。
あまりの居た堪れなさに視線を彷徨わせると、取り残されたようなメンバー全員、呆気に取られたように固まっていた。会長だけは呆れたようなため息を吐いているが。どうやら何とか我を保っているのは会長を除けばリヴァルだけらしく、全員ランペルージ兄妹によるめくるめく愛の世界に目を奪われている。驚いている者半分、照れている者半分、といったところか。しかしスザク、何故お前が照れ組に居るのか。妹の方が好みなのだろうかとかむりやり考えることにした。
誰かなんとかしてくれ、と半ば自棄気味に思った矢先。留まるところを知らないラブラブした会話を、鈍い音が遮った。彼らの会話以外、特に物音がないのでさほど大きくもないその音は良く響く。どうやら兄の方の携帯のバイブ音だったようで、彼は名残惜しそうに妹と繋いでいた手を離し、電話に出た。
妹と離れ、携帯の画面を見た瞬間、なんだか不機嫌そうな顔に早代わりしたなぁ、とは思った。
「俺だ。何の用……は? ああ、そっちに来たのか。おいソレ全部お前の分ってワケじゃないからな! 1枚だ。1枚多めに取ったから好きなのを選べ。足りない? Lサイズなんだから充分だろうが。残りは今取りに行くからちょっと待ってろ」
ものすごい低い声を聞いた。
さっきまでの声と比較して、え、誰? と思ってしまったくらいだ。
しかも彼は乱暴に通話を切ると、リヴァルの方を勢い良く向く。え、と思わずホールドアップの体制を取るリヴァルに彼は一瞬眉を顰めたが、不機嫌そうな顔のままだったので真意は良く判らない。
「おい、リヴァル。ピザが届いたからちょっと行って取って来い」
「え?」
「次からは手伝わせると云っただろう。それとも何か、お前は大量のピザを俺1人に持って来させると云うのか」
「え、いやそーじゃなくて。今、リヴァルっつったか?」
「リヴァル・カルデモンド。違うか?」
「違いませんッ」
「そうだろうとも。ここから出て右手にある建物に入れば、入り口に黄緑色の髪の女が居るだろうから、すぐに行ってソイツから受け取って来い。もしソイツがピザ抱えたまま逃げ出そうとしてたら、遠慮なく奪ってきて良いからな。1枚だけはソイツに遺してやっても良いが」
「え、えーと? つまり黄緑の髪の人を探せば良いんだな?」
「そうだ。頼んだぞ、リヴァル」
「た、頼まれましたッ!」
呼ばれた名に舞い上がって、云われた通りリヴァルは部屋から駆け出した。戻ったら「ルルーシュ」と、そう名前で呼んでみようと思いながら。
ルルーシュの表情を見もせずばびゅん、と星の速さで部屋を出たリヴァルは、だからその後部屋で繰り広げられていた会長とルルーシュの会話を知らない。
「リヴァル1人に任せて良いワケ? アンタさっき自分で1人で持つのはどうだとか云ってたじゃない」
「あんな張り切ってるんだから平気なんじゃないですか? 男手ってのはこういうときのためにあるんですよ」
「ルルーシュも男よね」
「まさか、俺に力仕事を要求する気ですか?」
「……ルルーシュ、アンタいま、丁度良い下僕見つけたとか思ってるでしょう」
「さぁ、どうだか」
それよりナナリーの前でそんな不穏な単語出さないでくださいね、と笑顔のルルーシュを見て。ジノとスザクがすごすごと部屋を出、リヴァルの救出に向かったことにルルーシュは気付かなかった。
スザクと幼馴染でさえなければ、ルルーシュが一番気に入るのはリヴァルであろうという話。
でもちょっと頑張らせすぎちゃったかな。もうすこしリヴァルはあっさりしてる気もする…。
ちなみにナナリーは目は見えます。
あとジノが一歳下だということを知る前に書いてしまったので同い年。アーニャもナナリーといっしょ。