「……また、なのね」 「……まぁ、な……」 哀の、呆れたように云い放つ言葉にそれだけ答えると、新一はまた瞼を薄く閉じた。 必要以上には他人と関わらない。 彼のそんな性格は、この期に及んですらも健在のようだ。それでも、今の台詞に自嘲的な笑みが含まれていたように聞こえたのは、あながち気の所為だけではないと思う。 「もう1ヶ月よ。……あなたが此処に逃げてきてから」 「……逃げたんじゃねぇよ。ゆっくりできるところが此処だっただけだ」 心外な、と云わんばかりに新一は哀を睨みつつ、そう告げた。決して本気の目ではない。それなのに、哀は向けられた視線にまるで心が切り裂かれたかのように痛んだ。 かと云って、逸らすこともできない。 痛みの合間を縫ってやっと出てきた言葉はと云えば、またこの類稀なる名探偵を傷つけてしまうだけのもの。 「そうね、確かにゆっくりは出来るわね。……何もかも忘れて」 「おいっ! 灰原っ……」 「だって、此処にいれば何も見ないで済むもの」 そう吐き捨てて、だけどどうしても悼たまれなくなって、哀は部屋から出た。 自然と、極自然に涙が出る。組織にいた頃は、こんなこと……いや、こんな気持ちになったことすら、あっただろうか。 悲痛そうに、だが頬を絶え間なく伝う涙を拭うことはせず、哀は呟く。 「駄目なのよ……お姉ちゃん。私にはどうしても救えないの……」 組織から遠く離れた今でも、最終的な心の拠り所はたった一つ。 何故なら、やっと見つけた自分の「還る」場所も、今無くそうとしているのだから。 やっと元の「工藤新一」の姿に戻れたものの、何もかもが元通り、という訳にはいかなかった。 体の伸び縮みを繰り返す、という尋常でない行為は、確実に「工藤新一」の体を蝕んでいたのだ。しかし、そんなことは承知の上でコナンは完成された薬を飲んだ。 組織は壊滅状態に追い込んだものの、まだその全貌は明らかにされていない。何よりも、最初から最後まで新一を苦しめたあのジンとウォッカが捕まっていないのだ。また命を狙われることになるかも知れないが、今の何もできない状態よりはマシだろう。どうせ殺されるのならば、やれるだけのことをやってからの方がいい。 その第一条件は、何と言っても「工藤新一」の体に戻ること。それに尽きる。 ……そこまで考えてのことだった。 例え殺されてしまおうと、その前に愛しいあの白き魔術師に、自分の本心を本当の姿で伝えたかっただけ。何もかも判っているつもりでいた。 だけど、本当は何にも判ってはいなかったのだ。 彼の運命共同体である灰原哀は激しく自身を責めた。 気付けなかった、と。 酷使し過ぎた心臓への負担は、思っていたよりも酷かった。もう何をするにも、遅すぎた。もともと、この姿に戻って幸せを掴む気だったわけではないのだけれど。それでもやっぱり、思い通りにならなさすぎるこの己の運命を、少しだけ呪った。 やっと他人を信じることができて、初めて人を救えるかも知れないことに胸を馳せていた彼に出来たのは、 『突き放すこと』 ただそれだけだった。 目を閉じろ 心も一緒に閉じてしまえ 何も見るな 何も信じるな 俺はただ、他愛もないことだけに反応して、そこで笑っていれば良い それなのに何故、俺は毎朝、目を覚ます度に喪失と孤独の恐怖に苛まれるのだろうか このまま夢だけ見ていられれば、それで良かったのに |